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大型連休前半、日・月の1泊2日で串間の知人に会いに行った。市内から串間までは遠い。ヘタレなマルシは電車を利用快速「日南マリーン号」で出発!・・・お洒落な電車を想像していたらこれか?一両編成思いっきり昭和40年代に引き戻されたような電車!でも何かワクワクするぞ串間まで約2時間持参した梅原猛氏の「歎異抄入門」を読もう山の中に入ってきた。緑蔭を走る「マリーン号」いいね!お気に入りの詞の一部を諳んじてみる
床暖房の日々。ぬくぬくでねむい…🥱講談社文芸文庫の詩集には、室生犀星の三詩集が収められている。たくさんの詩を書いた人なのでなかなか全ては読み切れないけれど、こうしてまとめて一冊の詩集になっていてありがたい。郷里金沢の風景、東京での暗黒な時期、そして少年の真心をこめた「抒情小曲集」、幸福を求めるように内的感情を含んだ「愛の詩集」、彼が家庭を愛した中で大切なもの得た喜びと失った悲しみの心情をうたった「忘春詩集」が収められいた。詩を読む人のその時の環境や心の状態にもよる
西脇順三郎(明治17年=1894年生~昭和57年=1982年没)西脇順三郎(明治17年=1894年生~昭和57年=1982年没)が初めて日本語詩に着手したのは應義塾大学英文学科教授に就任した大正15年(1926年)4月以降のことで、大正15年7月の「三田文学」に4篇同時掲載された詩篇「世界開闢説」「内面的に深き日記」「林檎と蛇」「風のバラ」であり、西脇はすでに32歳になっていました。これらは日本語の処女詩集「Ambarvalia」(椎の木社・昭和8年=1933年9月刊、40歳)に収録されま
(萩原朔太郎<明治19年=1886年生~昭和17年=1942年没>)日本の現代詩で口語自由詩を始めた詩人として浮かんでくる詩人の第一人者は萩原朔太郎(明治19年=1886年生~昭和17年=1942年没)でしょう。「殺人事件」は第1詩集『月に吠える』(大正6年=1917年刊)のうちでも口語自由詩に着手した初期の1編ですが、すでに独自の発想とスタイルを持つ見事な作品です。殺人事件萩原朔太郎とほい空でぴすとるが鳴る。またぴすとるが鳴る。ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、こひびとの窓からし
旧甲州街道の旅は四方津駅の北西3.5㎞、談合坂サービスエリア(上り線=談合坂スマートIC)から西に700m、山梨県道30号大月上野原線の富士急バス犬目・太田上線安達野バス停(住所でいうと山梨県上野原市犬目)からはじめます。尾張家殿様常宿跡があった蛇木新田の集落を抜けて坂を下り、県道に出たら右折するわけですが、交差点正面の坂を下ってゆくと、談合坂スマートIC前、犬目小学校跡、大野貯水池を抜けて、四方津駅へと至ります。これから通り抜ける犬目宿は、直線距離では最寄り駅は中央線の梁川(やながわ)駅が
三木露風・明治22年(1889年)6月23日生~昭和39年(1964年)12月29日没夏の日のたそがれ三木露風落日の光、森の彼方にあふれ、むらがれる緑の色、心を刺す。見よ、何者のおほいなる力が、我(わが)たましひを脅かし、我肉を挑む。風はあざやかに汽車の過ぎゆくあとに流れ、淫蕩なる夏の黄昏の鐘、あゝその響かゞやき燃ゆる如し………落日の前にたゞよふ雲あり、美しき刹那あり、あゝ生きたる刹那よ、ほゝゑみ焼かるゝ刹那よ、自由に滅ばむとする美なる一瞬時よ。去りゆく五月
社交の秘訣は、真実を語らないということではない真実を語ることによってさえも、相手を怒らせないようにする技術である-萩原朔太郎-美味しい話だけして相手を好い気分にしてみたところで伝えるべき苦い話が残ってしかも、全体の中での割合が濃くなるから後々を考えると自分の首を絞めているだけです。私がよく、これをやります。いっそのこと、正反対をやって苦い話ばかりしておいてからその後だんだんと美味しい話を持ち出したなら落差が手伝ってくれるかも知れないけど苦い話の期間
(金子光晴<明治28年=1895年生~昭和50年=1975年没>)金子光晴詩集『鮫』人民社・昭和12年8月=1937年刊おっとせい金子光晴一そのいきの臭えこと。口からむんと蒸れる、そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。虚無をおぼえるほどいやらしい、おお、憂愁よ。そのからだの土嚢のやうなづづぐろいおもさ。かったるさ。いん気な弾力。かなしいゴム。そのこころのおもひあがっていること。凡庸なこと。菊面。おほきな陰嚢。
北原白秋・明治18年(1885年)1月25日生~昭和17年(1942年)11月2日没薔薇の木に北原白秋薔薇の木に薔薇の花さく。なにごとの不思議なけれど。(詩集『白金之独楽』より)*北原白秋(1885-1942)のこの短詩は、三日三晩で書かれたという短詩全95篇を収めた第5詩集『白金之独楽』(大正3年=1914年12月・金尾文淵堂刊)では2篇の連作になっていました。その後のアンソロジー類への収録に当たって単独では先に上げた3行詩に改められましたが、『白金之独楽』は全編漢字と