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活動名:徳多秀香ShukaTokuta職業:書道家家族:夫息子出身地:青森県二子玉川地区で作品制作と書道教室を運営中。活動報告と日記も兼ねた日々のあれやこれやを綴っていますゴールデンウィークが始まる前、横浜赤レンガ倉庫で行われた「線のゆくえpartⅡ」展に初めてお邪魔してきました。こちらの展覧会に行くきっかけになったのは、「奎星会」という団体に連絡した際、広報担当の先生とお知り合いになったのがきっかけでして。「面白い展示になってると思いますよ」とのお
音大の授業って、何かというと実技がくっついて回るので残酷なまでに誰が上手くて誰が下手くそかが関係者全員にわかってしまいます。同じ科目を履修してもそれが「オペラ実習」なら主役の人と脇の人がいる。「ピアノアンサンブル」なら協奏曲や室内楽の学内公演に出られる人と出られない人がいる。「卒業演奏会」にだって卒業生全員が出られるわけではない。(ちゃんと出席してやることやってれば、単位は平等に貰えますけどね)よくよく考えると、同じ学費を払っているのに、受ける教育
いままで、この問題をこういう露骨な書きかたをしたことがないのだが、「平凡」三誌(月刊「平凡」、「週刊平凡」、「平凡パンチ」)がどういう経緯で廃刊になったのか、そのことをキチンと、わたしのブログの読者には説明しておいた方がいいと思う。これが月刊「平凡」の最終号。★月刊雑誌の「平凡」が廃刊になったのは昭和62年の12月、昭和という時代が終わる一年前、石原裕次郎が死んで六ヶ月後、裕次郎よりひと月早く、もう一人の昭和の二枚目スターだった鶴田浩二も病没しています。世の中はバブル景気の真っ最中。
中学校時代の同窓会に出席したという友人がLINEで長々のぼやきを送ってきた。友人はわたしより2歳上なので去年(2023年)還暦を迎えたがその還暦を迎えたってことで同窓会が行なわれたらしい。私「懐かしかったんじゃね?」彼「二度と出席したくない」いわく最初こそ久しぶりー!おー、元気だったかー!とワイワイ話していたけどそのうち男女ともに自慢大会へ。自慢の中身はたぶん皆さんの想像のとおり。最後はし
2018年5/12学校説明会に参加しました(56校目)。芸術に力を入れており、芸術学部に進学する生徒さんが多いそうです。AO入試でシュタイナー教育についてアピールすると合格し易いそうです。国立や私立難関大学に進学している生徒さんもいます。卒業生の方が「シュタイナー教育を受けると社会人になってから疲弊しにくく生きる力が養われる」と話されていました。高尾や相模湖の近くで、山の中腹に有り、同じ神奈川県とは思えない環境に驚きました。学校は各学年25名前後で、普通の公立私学中高とは全く異なるユニーク
10歳(小学5年生・女子)7歳(小学2年生・男子)4歳(保育園・女子)の子供を持つアラフォーの母ちゃんです。ガテン系の父ちゃんと共働き夫婦たわいもない日常のエピソードブログですおはようございます〜ゴールデンウィーク中には平日が3日間あったので私のおひとり様時間も3日間分ありましたそのうち1日は小学校の役員会で潰れたのですが…それもその役員会
こんにちはカウンセラー、ピアニスト、ちずねーさんです。5/5に大人のピアノミニ発表会を催しました。今回は中上級者の方。来月は大人の初中級の方のミニ発表会をします。再来月は大手音楽教室のキッズの発表会×2。上半期は忙しいですね。ピアノはそれぞれが個人レッスンです。しかし、なかなかひとりでは頑張れないもの。人前での演奏はドキドキしますが、目標を決めると勝手に脳内にスイッチが入るので、モチベーションアップできますね。それから、作品を深く掘り下げる点においても良い機会です。
活動名:徳多秀香ShukaTokuta職業:書道家家族:夫息子出身地:青森県世田谷区で作品制作と書道教室を運営中。活動報告と日記も兼ねた書のある暮らし書道の歴史ざっくりおさらいシリーズもいよいよ3回目となりました〜『ざっくりおさらい!書道の歴史その①甲骨から隷書へ』活動名:徳多秀香ShukaTokuta職業:書道家家族:夫息子出身地:青森県二子玉川地区で作品制作と書道教室を運営中。活動報告と日記も兼ねた日々のあれや…ameblo.jp『ざ
新御三家のことを書こうと思っている。オレが大学を卒業して平凡出版(現・マガジンハウス)という出版社に入り、芸能雑誌(月刊『平凡』、『週刊平凡』など)の編集記者をやっていたのは1970年4月から途中、『スタア』という新雑誌をはさんだ1983年の5月までの約13年間なのだが、覚えているかぎりでなにが自分にとっての大事件だったかというと、月刊『平凡』時代(1970年4月から1975年5月まで)は、やはり天地真理さんと郷ひろみくんの出現だったと思う。天地真理さんに関しては、すでに5月1日と6日のブロ
⭐️自分のなかでなにかが壊れた感じがあり、苦しくてならない。ストレスというのではないのだが、いまのままではダメだという感覚が心にまといついてはなれない。75歳になってみっともない話だが、自分が出来上がったという感じが少しもない。そういうこともあって、ブログにもなにを書けば自分のなかでエネルギーが湧出してくるのか、わからぬまま、無為に日数が経過していた。この状況に耐えて、脱出口を見つけなければならない。いつも、わたしにとっての最大の敵はわたし自身だった。わたしはまず、自分のなかにあるなにかと
有名な芸能人による性被害があったとかなかったとか色々揉めているのはなんかもう珍しい光景じゃなくなった気がする。よく考えるとこの手のスキャンダルは昔からあったしその当時は性被害という言葉じゃなく女遊びとか火遊びとか浮気とか男に都合のいい言葉をメディア側が使っていたというだけの話。それでも中にはハニートラップみたいなものもあるんだけどね。ただそのあたりの見極めは当事者にしかできない。こ
宇野亞喜良。(うのあきら)たぶん、1度は誰もがこのひとのイラストをどこかの広告で観ていると思う。1934年生まれ。いまなお健在。日本に、イラストレーターという言葉がまだない頃から関わっている。名古屋市立工芸高等学校図案科卒業後、広告代理店に入り、最初の仕事である旭化成のポスターで賞を受ける。広告代理店の同期に横尾忠則。その後、アングラ劇団の『天井桟敷』主宰寺山修司から、ポスターや舞台芸術などの依頼を受ける。寺山修司から、『笑わない少女』を
1975年の郷ひろみくんのジャニーズ事務所からの独立劇は、オレのなかでは何十年もにわたって解明できない謎の一つだった。このあいだまで、あのことは郷くんが9割りくらい悪い、彼のわがままだと思っていた。そのことが、そうかそういうことだったのかと腑に落ちたのは、二年ほど前に週刊新潮で西城くん、野口くんと三人で集まって話をしている座談会を読んでからだった。そこで、郷くんは「ぼくは若い頃、二人に対してコンプレックスを持ちつづけていた」と発言していたのである。それを読んで、オレが分かったと思ったのは、あの
八代亜紀が死んでしまった。★この写真が彼女が一番きれいに写っていた写真。いい女だった。73歳だった。三歳年下、妹と同い年である。まだ死ぬような年齢ではないではないか。わたしはこの人の歌が大好きだった。小泉今日子や中森明菜より、この人が好きだった。・・・・・スポニチの死亡告知の記事を転載する。「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去した。7
オクターブや和音のテクニックを練習して、手に痛みを感じる人は、多いようです。「疲れること、痛いこと。これは鍛えていけば、いつか克服されるはず。」真面目な人ほど、そのように考えて、苦痛な練習を我慢して続けてしまう傾向があるように思います。その場合、高度なテクニックが必要な曲を弾くようになるほど、身体への負荷は増します。そうすると、練習すること自体が辛くなるばかりでなく、最終的には練習によって身体を壊してしまうという、最悪のシナリオが待っている可能性もあるわけです。生涯を通じて、ピアノを弾
ハノイにいます。東南アジアの歴史を知ると、どの国も興味深いです。ベトナムハノイはすごいバイタリティのある場所。でもラッシュアワーの道路はカオス道路をわたるには、技術がいりました。ウランバートルも、クアラルンプールも渡るのは怖かったけれど、ハノイのラッシュ時が1番怖かったです。国も若くて、人口の平均年齢も若く、人口は最近1億を超えたそうですよすごい。部屋に冷房が常についているのにおいてある洋服はすべてじっとり冷たく湿ってきます。雨季のハノイ。ハノイ市はベトナム
ついに🌪螺旋さんをフォローしちゃいました✨プロダクションを通してねといわれていたんですけどね♡『JCATNYには公式フォトグラファーは存在しない』アート系勧誘メールについてイラストや写真など自分の作品をSNSにアップしていたりプロフィールにアーティストと記載している方のもとへアート系の展示勧誘メールがX…ameblo.jp🍃アート業界に限らないんですってね出版業界も似たり寄ったり...ってあっ!🌪螺旋さん自叙伝を執筆中では?ほんまかいな?幻冬舎から30回くらい着信があった
彼女の名前をリアルなオンタイムで知っているのであれば、オレと同じ団塊の世代の所属だと思う。内藤洋子さんは、『白馬のルンナ』という大ヒット曲を持つ歌手でもあった、昭和40年代の前半、期間限定で大活躍した〝幻のアイドル女優〟である。いきなりみんなをガッカリさせて悪いが、オレはこの人に一度も会ったことがない。会ったことはないのだが、例えれば、顔を合わせないまま隣の部屋で寝泊まりしていたような、入り組んだ関係の人である。内藤さんは昭和25年生まれで、デビューしたのは昭和40年に封切られた黒
久しぶりに沢田研二さんのことを書こうと思う。何度も書いているが、オレが芸能雑誌の編集記者をやっていたのは1970年の春から1983年の五月までの13年間なのだが、その間、沢田さんはずいぶん長いつき合いの仕事仲間だった。ファン雑誌の月刊『平凡』のころは別に担当者がいたので、対談とか、集合企画の一部とか、小さな取材を何度かさせてもらっただけだったが、一度だけ、真剣に長時間インタビューして、まじめな原稿を書いたことがある。それは1982年の9月16日の『週刊平凡』に掲載された6ページの長尺な記事で
出身大学:日本大学見上愛さんの出身大学は日本大学です。芸術学部演劇科:通称「日芸」に入られています。将来は演出家になりたかったそうで、演出の勉強をするために「日芸」に入られたのだとか。高校時代には女優として活動は初めていましたが、見上愛さんは演劇を陰で支える裏方を目指していたそうです。出身高校:桐朋女子高校見上愛さんの出身高校は、私立の女子校の桐朋女子高校です。1941年開校の私立高校で、地元では「お嬢様学校」として知られています。高校1年生の途中まではハンドボール部に在
カウンセラー、ピアニスト、ちずねーさんです。子育てで、これよかったよ、シリーズ。私は子育てポイントを、私に優しくなるように。私を喜ばせるように。(ここ大事。そう勘違いしてるお母さん多い)ではなく!!!将来自分で生きていけるように。を目標にしていました。幼稚園のときはまだまだ一心同体で、なんでも一緒にやりました。が。小中学校のときは、もちろん、話をたくさんしたり、一緒に体験をしたりするけれど(マラソン大会やアクアスロン大会も)朝起こしたことも、朝起こしてあげ
息子が今回出展しようとしてる作品のモチーフは山幸彦と海幸彦の神楽山幸彦と海幸彦-Wikipediaja.wikipedia.orgコンペが開催される鹿児島県霧島市の神話って訳でもないんやけど・・霧島神楽って愛好家のグループが霧島市の祭りで踊ってる姿をそのまま描いてるテーマスレスレらしいが~まぁ大丈夫やろw今の所こんな感じこの後動きを表す為の動線と部分的に蓄光パウダーを使って光らせる予定息子曰くこの作品は、普通に明るい所で見ればピカソのキュビズムやないけど動線で動きを表し
一歩一歩一日一日一年一年いろいろな時があっても一つ一つの積み重ねが今に繋がってきたいろいろな時があっても一つ一つの積み重ねがこれからに繋がっていくんだ子育ての不安を癒やし支える心のお守りほっと一息そっと寄り添う温もりとゆとり親子の個と心に寄り添う子守詩❀5人の母の子守育❀先日、結婚26年目を迎えて夫から花束をもらいました。赤いバラが2本オレンジのバラが5本全部で7本理由を聞いたら、家族7人…私達夫婦と5人の子ども達を表しているそ
良く晴れて南風の横浜地方。30度の真夏日になる予報が出ている。既に軽く夏日は突破されている。
若いころの夏木マリ。いい女だった。★おじいさんは今年の10月に74歳になる。★図書館の蔵書を整理していて、昔の日記が出てきた。人生74年の半分は37年。37年前、なにをしていたか、調べてみた。★★1984年、昭和59年6月19日の日記。朝、出かける前に。最近ほとんど7時間くらいづつしか眠っていない。それでも前のように突然眠くなったりというようなことはあまりない。何とかなるだろうと思いながら、遊撃戦を繰りひろげている。とにかく、最後の詰め。今日もがんばらなくちゃならない。
コンクールの結果について、「あの時、あの音を間違えさえしなければ、きっと入賞できたはずだ。」そんな話を、よく耳にします。ミスをしたことは、本人が、一番悔しいと思っているでしょうし、気にする人は気にするのでしょう。しかし、偶発的に起きたミスひとつを取り上げて、合否を決めるかといえば、それはまた話が別だと思います。そもそもコンクールというのは、人が人を選ぶ営みです。カラオケや音ゲーのマシンのように、機械的に音程の違いを判別して、機械的に点数を付けるというものではありません。専門的な耳を
活動名:徳多秀香ShukaTokuta世田谷区で作品制作と書道教室を運営中書道に携わって人生が豊かに!芸術が身近にある暮らしを発信しています2024年【成城クラスの7月〜8月】開室スケジュールのご案内です。■7月13日、27日(10〜12時、12〜14時)■8月17日、24日(10〜12時、12〜14時)予備日:31日(10〜12時)※砧総合支所で開催します(4階料理講習室にて定員4名です)全て
20日から23日にかけての4日間、トカラ列島の諏訪之瀬島というところにいってきたことはすでに報告済みである。地図を見るとわかるが、東シナ海の絶海の孤島である。この島は、いまから50年前に、東京から「部族」と名乗る人たち(いわゆる、世の中の人たちがいうところのヒッピー)が移り住んだところで、そのころの島の生活を記録したドキュメンタリー映画『スワノセ・第四世界』の話を原稿にするために島を訪ねたのだ。そこでわたしは、現実に島で起こっていて、恐らく、絶対に、いまわたしが書いている作品『全記録
こんばんは!今日はパラパラ雨降りな月曜日でした。こんな日の夕ご飯はカレー🍛。。(脈絡ありませんが。。。)平日は時短メニューで2、30分以内に作れるものになってしまいます。娘の希望でもあったのでちょうど良いです。さて、娘の高校生活も後わずか。ジュニアまでの3年間は時々勉強特に理系科目が辛くてヒーヒー言って泣きそうになりながら学校に行っていましたが、今学年は割と余裕があるよう。シニアまでバリバリ取っている子もいるようですが、娘の時間割は、APドローイング(美術)AP英文学AP
↓これに続き『68年生まれの有名人』1968年生まれの人の事を韓国式に言うと、「68年生」82年生まれキムジヨンみたい私の夫も1968年生まれの申年現在の経済界トップは、68年生まれ…ameblo.jp정용진-나무위키(namu.wiki)新世界グループ副会長の元奥さんは、有名女優さん↓고현정-나무위키(namu.wiki)↓このドラマ好きだったわ선덕여왕(드라마)-나무위키(namu.wiki)財閥