ブログ記事5,282件
おはようございます‼️今日の…我が道31回目(最終回)は…いまも青春、これからも青春ほんのちょっと…………懐メロという言葉があるように、歌は懐かしくてもいい。でも歌い手は懐かしくなってはいけない。時代や流行とともに、かつての「自分」が世間から〝過ぎた景色〟と言われてしまうようになることは致し方のないことです。でも「自分」の意識の中では、懐かしい舟木一夫になってしまってはいけないのです。ボクが行きていく上で、大切にしている言葉があります。「箱根山
昨日に続き舟木さんの記事の保存平成11年・この年沢山の雑誌や新聞が舟木さんを取り上げていました。その中の1誌・産経新聞夕刊は、舟木さんのインタビュウをを含め3面に大きく載せていますこの年、中日ドラゴンズ優勝エール「燃えよドラゴンズ”99」CD発売新橋演舞場のチラシがツーパタンありました。私自身忘れていました今日関東甲信越の梅雨明けが発表されました。13年ぶりの遅い梅雨ぎ明けだそうです。長い梅雨でした。スー
庭のケヤキを見上げれば黄緑色の若葉を広げて爽やかな風が庭を通り過ぎます駐車場のローズマリーとビオラのコラボ昨日までTVを付ければ各地のGW情報がこれでもかっていろんな情報が溢れていました平和なんですねありがたいことです私のGWは馬と庭仕事とインテリアを冬仕様から初夏に向けて絨毯を外したり黄砂で汚れたデッキを洗ったりでそれはそれなりに充実してました馬場馬術の競技会の見学も・・海岸公園の所長K氏2回連続オリンピック出場
舟木一夫の「立ち話」について~最初は“阿久悠&三木たかし”だった!?~舟木一夫さんの「立ち話」(作詞・尾中美千絵、作曲・三木たかし)について、三木さんが作曲されるに至った経緯などについて、ご存知の方は教えて下さいとお願いしましたところ、セブンアップさんからコメント欄に貴重な情報を寄せていただきました。最初は“作詞・阿久悠”の予定だったことを知り、改めてお伝えしたいと思い、追記の形で書かせていただくことにします。―NHKアーカイブスより作詞家阿久悠ー―N
【読売ファミリー2024年3月27日号】大阪新歌舞伎座「舟木一夫・神野美伽ジョイントコンサート」公演記念スペシャル対談!-YouTubehttps://m.youtube.com/watch?si=qPglBdj5HFAkKSqn&v=tRFlhLuOfno&feature=youtu.be5月2日〜5月8日迄大阪新歌舞伎座で神野美伽さんとジョイントコンサートを開催する。舟木さんがジョイントコンサートって珍しいですよね過去には西郷輝彦さんや橋幸夫さん、三田明さんとコンサートツ
3月6日水曜日カルッツ川崎(2013席)舟木一夫通常コンサート眼の前に競輪場舟木さんはここでコンサートやった事有るのかしら?私は初めて来ましたよ今年2度目の舟木さんなーんか随分会ってなかった気がする2月の大宮以来だもんね!さぁ楽しまなくちゃ✌️どうしても行きたくて遅くに取ったチケット🎫3階席でしたグレーのスパンコールが🌟🌟🌟赤いチーフ、黒蝶ネクタイで登場🎵想い出通り舟木一夫はとうの昔から後期高齢者!後期高齢者に優しくして下さい笑今朝起きたらビックリしたね〜今は
舟木一夫と共に㊴芸能生活★周年㊥舟木一夫は以前、50周年に向けての考え方について「あまり“周年”は気にしないタイプでね。自分に対して『だからどうした』みたいなところがある。大げさなことは考えていませんが、現役でびしっといける最後の“周年”というのはあります。だって次の55周年は70歳を超えていますからね」。また、50周年記念曲については「僕がとても歌いたい歌がいくつかあるので、極端なことを言えばカバーでも構わないと思っています。無理むりそのために寸法を合わせて歌を作るよりも、ナチュラル
3月も終わる。今日まで慌ただしく日々過ごしてきた。何をどうしたのかただただ家の中は乱雑に気持ちは落ち着かず、やることがありすぎて毎日頭の中がパニくっているたまには外の空気を吸って青い空を見ていよいよ咲き始めた桜を愛でてみようと遅い朝食を済ませて夫と近くの公園出かけた。満開の桜が心の負荷を払ってくれた明日からNHKBSで【オードリー】が始まります。毎日舟木さんに逢えますよ
舟木一夫
2017.4.15BS朝日ザ・インタビューインタビュアー嶌信彦(しまのぶひこ、1942年5月5日-)は、日本のジャーナリスト。元白鴎大学経営学部教授(定年退官)。前慶應義塾大学メディアコム講師。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。会計検査院「会計検査懇話会」、総務省「NHK海外情報発信強化に関する検討会」の委員などを務める。
日活映画の女優さんだった、友人の西尾三枝子さんの、ファンの方が作られていたスクラップブック。数多くの懐かしい記事の切り抜きがあり、一度お借りしてスキャンさせて貰った。今の時代なら、クリアーなファイルに収めるのだろうが、当時はスクラップブックに、ノリで貼り付けたものだった。実際の記事は、色焼けなどしていたので、加工編集してある。舟木一夫ショーに出演した時の写真には、西尾さんを真ん中に、舟木さんと山内賢さん。お芝居は「高原のお嬢さん」この時はきっと、和泉雅子さんがされた役を西尾さんが
舟木さんを知って…まだ日の浅い…お友達‼️彼女が…舟木さんを初めて観られたのは…ちょうど3年くらい前でしょうか⁉️〜そんな彼女の感想は…私にとって…いつも…とっても新鮮でもあります…私より…少しお若い…お友達…今日のコンサートの感想!届けてくださいました…4/7…本日のコンサートは…amazingでした…‼️オープニングの歌声が…心に刺さり…私は今…誰の歌を聴いているんだろう?…と。ふと…我に帰った時…涙が溢れました舟木一夫と言う…歌い手の辿り着く先は…まだまだ…本
これは…初回放送時…全く…気づきませんでした…朝ドラの再放送…「オードリー」…今朝は…第15回目の放送…時代背景は…第10回放送冒頭にて…昭和39年・夏へと〜ラストに近い頃…きみちゃんが…「椿屋」の玄関で〜水を撒きながら…♪こうこうさんねんせえ〜と❗️この頃は…舟木さんがデビューして1年後…東の御大は…この頃…まだ…映画撮られていたのですね〜きみちゃん…もう少し…歌いそうになりましたが…残念ながら…そこまでこんな小さなことに〜脚本家〜大石静さんの心配りを感じ
舟木さんの「徹子の部屋」に出演の様子が…ヤフーニュースに‼️見逃された方には…嬉しいですね❤️スポニチアネックスさんに…感謝して‼️載せさせて…いただきます舟木一夫今年2月に他界した西郷輝彦さんは「一緒に走った仲間」思い出は「ちょっと触らせて」に…11/18(金)14:56配信歌手の舟木一夫(77)が18日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。今年2月に他界した歌手で俳優の西郷輝彦さん(享年75)への思いを語った。舟木と西郷は1960年代
舟木一夫林与一1999年二人が語る
おはようございます‼️今日の…我が道22回目は父、弟、偉大な先輩たちの死ほんのちょっと…………悪いことは重なるものです。悲しい別れも続きました。ボクが32歳だった77年、父の栄吉が63歳で亡くなりました。型破りでしたが、ボクが歌い手になることを後押ししてくれたオヤジ。東京で生活ぶりが変わり、晩年はあの貧乏だったころのギラギラ感はなくなっていました。84年には弟の幸正が26歳の若さで事故によりこの世を去りました。その同じ日に尊敬していた長谷川一夫先生(享年76)まで逝
舟木一夫~2024年コンサート曲④「星の広場へ集まれ!」~B面「北国の旅情」は監督作詞の映画主題歌~本題に入る前に―。空気中の水蒸気や水のつぶが一気に冷やされて凍ることで、光の中を煌きながら氷の結晶として舞う自然現象は「ダイヤモンドダスト」と呼ばれます。北海道十勝地方や名寄市、富良野市などでマイナス10度C以下の晴れた朝に見られます。氷の結晶は太陽の光を反射して金色や虹色などに輝いて見えます。漢字では「細氷」と書きますが、歌謡曲としては歌われていませんね。◇
本日放送の…BSフジの番組…「歌藝一代・三波春夫…国民的歌手の真実」明日咲くつぼみにの話をお聞きしたくて…番組見せていただきました…お嬢さんの語る…様々なお話…興味深く…三波春夫さんの歌の上手さを改めて…認識しました…舟木さんのコメントはなかったけれど…一番という場所で…明日咲くつぼみにの話を聞くことができました…第六幕生涯貫いた歌藝奇しくも…1994年前立腺がん発覚7年間病気とともに仕事…病と闘いながら…次のステップを目指した…19
舟木一夫~仙台公演も完売で満席舟木一夫さんは2023年7月4日(火)14時から、昨日の秋田公演に続いて宮城県仙台市青葉区国分町の東京エレクトロンホール宮城で通常コンサートを開きました。同会館によりますと、チケットは完売で1階から3階まで満席ということです。昨日3日の秋田公演も2007席という大ホールがほぼ満席状態で、舟木さんは東北地方でも根強いファンの応援が続いていることが証明されました。舟友さんによると、歌はもちろん、トークも絶好調だったようです。東京エレクトロンホ
舟木一夫唄だけ
つるべ伸郎のこれが歌謡曲だ!ゲスト:舟木一夫笑福亭鶴瓶・原田伸郎鶴瓶さんと伸郎さん、元々あのねのねの仲間とは学生時代からの友達1996年京都南座「次男坊鴉」PR修学旅行君たちがいて僕がいた学園広場絶唱高原のお嬢さん
いきなり…2014年NHK歌謡コンサートの映像が…たまに…この番組見てますが…こんな番組冒頭から…ゲストが出てきたのは初めてです舟木さん…やはり…昨日の今日ですから…お顔が…少しお疲れ気味かしら…?タイトル司会者…舟木さんと言えば…デビュー55周年酸いも甘いも噛み分けた…?舟木さん…いえいえまだなんにもわかっていませんよ…そんな年寄り扱いしないでくださいよまずは…デビューへの道筋から…毎日「我が道」読んでるから…みなさんお詳しいですよね♫高校三年生230
2017.4.15BS朝日ザ・インタビュー寒い時期を脱出するきっかけは、船村徹先生の言葉であり、お客様の眼差しだったわけです。そんな事を淡々と語る舟木さんの姿を見ていると、寒い時期と言うのをご自分でしっかり受けとめてお過ごしになった時期なのでしょう。我々凡人からすると「よく自暴自棄にならなかった」と思うのです。インタビューの淡々とした言葉と同じで、その寒い長い時期を淡々と過ごされていたように思われます。今になって振り返ると
夜のヒットスタジオ#舟木一夫youtu.beいつも武蔵野舟木組ブログにお越しいただき有難うございます。ブログを開設したのは2006年の事です。すでに18年が経っています。途中、yahoo!ブログが閉鎖になり、アメブロに移りましたが、全てが移行できず、2011年からが保存されました。その間の5年間が存在しないのはとても残念なことです。長きに渡って応援してくださる方から、沢山の資料提供をして頂き、紙ベースでの資料は、ほぼ載せるが出来、一昨年からは、国立国会図書館から
岡部征純が出会った心に残る名監督と名優俳優の岡部征純さんが役者生活で出会った名監督や名優の方々との懐かしいエピソードをエッセイに書かれています。お名前は存じ上げませんでしたが、テレビではよく見ていた方です。第一話では萬屋錦之助さん、第二話では美空ひばりさん、その後、勝新太郎さん、三木のり平さん、内田吐夢監督、三国連太郎さんなどが続き、第十四話で、舟木さんの事を書かれています。デビューの大部屋時代は、通行人で300円だったそうです。そんな岡部さんが、舟木一夫公演の舞台に立たれる
薔薇園を抜けて歩を進め秋ニレの並木道へ。1人密かに「楡の小径」と名付けている好きな小道です。そこへ行く途中にあったトチノキの前のベンチで一休みしている時夫が道の向かい側のトチノキを見上げて「あれ、花かな?」指さす方を見てみると、たしかに花らしきものが!トチノキの花、初めて見ました(^_^)帰宅してから「トチノキの花」を調べていたら「マロニエ」の名がでてきました。マロニエとは西洋トチノキのことで花は日本のトチノキよりも少し小ぶりで、実も食
おはようございます‼️今日の…我が道27回目は古き良き名司会・玉置宏さんほんのちょっと…………三橋さんが導いてくれた2人の縁。玉置さんはボクがデビュー翌年に行った東京・浅草国際でのワンマンショー以降、2010年に亡くなる直前まで主な舞台公演の司会を務めてくださり〝寒い時期〟も見守り続けてくれました。97年に念願だった東京・新橋演舞場で初座長公演を行った際も、もちろん司会をお願いしました。時代とともに司会者がいるライブのスタイルは少なくなっていく中で、ボ
夜のヒットスタジオ1974年舟木一夫恩師山田先生との対面旅路舟木一夫1974年の「夜のヒットスタジオ」の対面コーナーでは、恩師の山田昌宏先生との対面をする舟木さんです。病気を押して出演してくださった山田先生とは、涙の再会となりました。*この番組内で、二つの間違いがありますので、先に訂正をしておきます。一つは、山田昌宏先生をテロップが山口昌弘先生となっています。もう一つは、三波伸介さんが、舟木さんの本名「成幸(しげゆき)」を「なりゆき」と読んでいます。当
舟木一夫・吉永小百合対談1964年19歳*お断り毎回載せている資料に関しては、古い雑誌からのコピーを入手して、更にスキャニングしております。その為印字が、不鮮明な個所も出る為に、加工を加えて、出来るだけ読みやすいように処理をしていますが、読みずらい部分が出てしまう事があります。その点ご理解いただきまして、お読みいただければと思っております。ふたりの会話を読んでみると、やはり同い年と言っても芸能界の先輩である小百合さんには、まだ舟木さんが敬語で話をしています。ま