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おはようございます今日はいよいよ飯田文彦先生とのカウンセリングです。車で往復で5時間は掛かるので、早く家を出ないといけなくて予約投稿にしました。(今日は時間がないので、皆さんの所に訪問できないかもしれません)聞きたい事を色々書き出してみました。[完全版]生きがいの創造(PHP文庫)1,620円Amazon前にも書きましたが、この本の「若くして亡くなる理由」のとこに書いてある事です。ほんの暫くの間しか、この世に居る事ができない魂も沢山居ます。そういう魂も皆
今、私は、外出も大変な労力を要するのですが、珍しく主人が僧侶さん主催のわかちあいの会に行きたいというので行ってきました。主人も思うところあるかも、と思ったので。でも私には合わなかったみたいです。その時の出来事、お話させてください。主人とは違うグループに入り、年配の僧侶さんと何故かメイクバッチリの20歳くらいの僧侶女子が同席しました。(僧侶の着物着てました。メイクが濃い時点で、私は大学生を思い出し、さらに息子の大学生活を思い出し、気持ちはアウトでした)その女子の挨拶が、「今日は皆様と色々と
「おい、今朝お墓に行ったら、早くも綺麗なお花が供えてあったぞ。誰だろうな」3月17日(日曜日)朝、八戸の実家の父から電話がありました。そのお陰で彼岸入りであることに気がついた私。事後からずっと、春秋お彼岸入り日には主人の実家へ(有ちゃんの墓前お供え用)生花と菓子類が届くよう郵送手配していたのに、この8年め、すっかり忘れていたのです!(初日早朝から生花を供えてくれたのは、八戸在住の私の実妹と判明)有り難いな…。(私ときたら忘れていたのに)確か
梅雨の晴れ間、横浜市中区日本大通11歩道脇には、紫陽花に並び咲き誇るアガパンサスたち(紫君子蘭)この日の待ち合わせは場所は『CAFEdelaPRESSE』⇒~カフェドゥラプレス~(情報文化センター2F)オフ会発起人restinpeace0302(通称れすと)さんのチョイスCafé☕で、タイミングの合った、AmebaBlogから繋がりが広がるゾク友(遺族)ブロ仲間さんたちと。今回リアルで初めてお会いできたのはKahoさんでし
ある日突然の、我が子の自死(自殺)というショッキングな出来事から生まれ出た“悲しみ”は、感情のコントロール不能、泣けば泣きっぱなし、時に放心状態に陥ったり、かと思えば怒りの矛先が自分に向かったり他人に向かったり、一番思いやらなければならないはずの同じ苦しみを味わった家族に向けられたり……、まるで手が付けられない癇癪を起こしたような状態が続く時期もありました。悪気は無いのであろう他者の言動にも神経質に傷つき怒り、時にそれは嫉みにも豹変したり、心の中は濁流で渦巻いていたようにも思います。
『おかあさんといっしょ』という国民的教育エンターテイメント番組がありますね。14歳と3ヶ月、自死でこの世を去った亡き子は、その3年後に認知症末老衰死のおばあさん(私の実母)と、今ごろはあちらの世でいっしょです。そう、なにがなんでもいっしょであってほしい、そんな想い。聞くところによると?あの世へ逝くと認知症も然り、この世で患ったものはすべて治るらしいですよね。(死んだことがないので、実際はどうなのかわかりませんけれど)。だとすれば、あの世で孫との再会………、喜び
思い立ったが吉日。4月はじめ、平日狙いで『北欧の神秘』というノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画展を観に行きました。ケータイ画面越しに流れてきた広告の『北』というワードに惹かれたのか、広告に使われた『女神に蚤取りしてもらうトール(北欧神話に出てくる妖精?)』にときめいたのか。悲しい事が起きてからは、ある種の直感を『自身を導くもの』として生きてきたようにも思います。以前もブログで書いたとおり、お絵描き好きの有ちゃんをこころに伴って一緒にエンジョイできる神聖なスポ
昨日は名古屋の自死遺族の天使ママお茶会に、参加者として、申し込み参加して来ました。待ち合わせの場所で立っていると、私のことを知っている天使ママたちが見て、えーーー((((;゚Д゚)))))))!!り、り、り、りりさんっ⁈((((;゚Д゚)))))))って驚かせてしまったけれど(^◇^;)そうなんです。私も自死遺族なんですよね。名古屋のお茶会は、本当に温かくて何度も参加しているママたちは、新しいママを優しく迎え入れてくれたり、一緒に泣いてくれたり…ときには大笑いしていたり…
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫は友人が少ない(と本人が言っていた)年賀状のやり取りもそれほどなく葬儀は火葬のみでほぼ親族亡くなった知らせは喪中はがきその知らせで連絡を下さる方もいらっしゃった名前だけは知ってるけどお話したことがない方もお電話い
2024年の1月12日で、まる7年経ちました。あの日の朝。私:「行ってらっしゃい」有希:「うん」私:「あ、気を付けて」有希:「…うん…」冬のオーバーコートを羽織って学校へ行くいつも通りの姿。随分と気をつけて行った(言った、逝ってしまった)ものだなぁと、思い起こしていました。周りの誰にも気づかれないように。目には見えないけれど、体の一部、こころの中で進行していった“思い詰め”。どうしようもないくらい重たく苦しくなってしまっ
星野富弘さん(78)死去のニュースが夕方テレビから流れてきて、料理をしている手が止まりました。詩画集全書を買いあさり読破している“大ファン”というわけでもなく、彼の詩画集カレンダーを毎年買って飾るとか、そういう入れ込み方をしていたわけでもなく。けれど、うちに一冊しかない詩画集を最初に手にしたときから、心身にすーっと沁み込んでくるような詩文と絵は二度と忘れることのない、時として一番辛い時にこそ思い出される「花の絵」と「言の葉たち」になっていたようです。星野富弘
今日は離婚記念日。1人でケーキ食べました8周年のお知らせがカウントダウンアプリから来ましたw23日というのは私には縁がある日にち。2月23日は私の誕生日。3月23日は離婚記念日。4月23日はムスメの誕生日。3ヶ月続けて記念日なのです。私にとってはストレスの元がなくなったHappyな出来事だけど、ムスメにとってはどうだったのか⋯当時小6だったムスメ、秋から私が別居を始めて小学校卒業してすぐ離婚成立。中学生という新しい環境になると同時に母子家庭に。どんな親でもムスメの父親、、
「忘れたい」と強く思えば思う程、「忘れまい」という強い記憶が出きていく。一部の限られた人を除いて、誰にも理解されないし誰にも癒やされない。口先だけの慰めの言葉は誰にも言える。そんなものは右から左へ抜けていく。。スーッと抜ければまだいいか、いつまでもいつまでも残ることもあル。心の傷とどう向き合えばいいのか。乗り越えるつもりはないが、自分の傷は自分でしか超えられない。くじけない心。リカバリー。にほんブログ村あ
娘がお空に行った後、転職をした。仕事の時、娘のことは話さない。なぜなら、娘のことを話したら、感情が湧き出て、仕事どころではなくなってしまうから。会社では、心のカギをしっかりと、閉めている。そして、このブログに心の内をつづる。ブログを始めてから、ふたをしていた自分の気持ちに色々と気づくようになったわたしが今、仕事において、最優先するのは、何よりも人間関係。娘がお空に行ってしまってから、悲しみや、怒り、嫉妬など、私のこころは日々、揺れ動く。今の会社の入社のきっかけは、『楽しそうな会
辛い表現が出てくるかも知れません。調子が悪くなるなってしまう方は飛ばして下さい。TBSドラマの「小さな巨人」のエンディング曲。平井堅さんが今年初めに友達を自死で亡くし、書いた曲だと知った。心に突き刺さる歌詞です。2016年7月13日当日夜。と言っても、私はほぼ記憶がない。りっくんをうちに連れて帰る道中、よくお喋りするりっくんの相手をどうしていたのか?どんな相づちを打ったのか、何もかも覚えていない。ただここを左に曲がる所でりっくんが普通のトーンで突然言った。「ママがぁ
「俺ね、まだ許してないんだよ」我が子の自死から一年経つか経たない頃のこと。家族で久々の外食中、賑わっている店内で少しお酒が入って体と心が多少ほぐれてきたのか、夫の口からポロリと零れ落ちた台詞。「許してないって?なにを?」それまでの会話の脈絡からも逸れていたので、ポカンとしている長女を横目に私が問い返すと、「◯◯ちゃんのこと、俺まだ許してないんだよね」と。許すとか許してないとか、そういう観点からは考えたことがなかった私には一瞬ピンときませんしたが、
もうどうなんだろう…と思う出来事散骨がまた延期になりそう。17日が予定されていたのに実に見事にその日だけ雨マーク☂その上、強風との予報。これはもう息子が散骨を望んでいないのではと思ってしまう。昨日業者より連絡。予報では17日は難しいのではないかと。今日は空が高くてよいお天気。こんな日に海で息子とクルージングしながら少しだけ海に還せたら最高だなと思いつつ…17日の天気予報を恨めし気に見てしまう母。ねぇ、まだ家から…離れたくない?
ブロ友さんのお子さんがキョウダイで同じようなお土産を買ってきた話を読んで私も思い出したムスメが小学生になって、まだ低学年のときだった。ムスメが図書室から借りてきた本に、当時はカードが袋に入って借りた人の名前と日付が書いてあったんだっけ。そのカードを見たら長男の名前が書いてあったの長男とムスメは8歳差なんだけど、その本は人気がないのか数人の名前しか書かれてなかった。人気のある本なら書く欄がすぐいっぱいになって新しいカードになるはず。確かこの本だった⬇もりのアイスクリームやさん(
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら遺族年金とは国民年金、厚生年金の被保険者が亡くなった時その亡くなった人によって生計を維持されていた遺族が受け取れる年金のことなぜこのことを知り手続きをしたのか覚えてないくらいいろんな手続きをしながらそこにたどり着いた感じ
私の読んだ本の中に書いてあったことです。”「同じ境遇の人と話をする」ということが、悲しみを乗り越えるきっかけを与えてくれるケースがあります。”「自分だけじゃない。同じ思いで苦しみ、心を通わせることが出来る相手が身近にいる」”と気づかされたことで、生きて行く勇気が生まれました。”同じ境遇を持つ人を身近に探して話すのもいいでしょう。”また、そのような人たち同士で集まる会合もありますから、参加してみてもいいでしょう。_____________________________確
今年もこの時期になりました。私は今回で3回目の参加です。オンラインですが。追悼法要2024年度自死者追悼法要開催のお知らせ-追悼法要「ともに祈る」のお知らせ新緑の季節となりました、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。2024年度も自死者追悼法要「ともに祈る」をおつとめするはこびとなりました。大切な方を自死で亡くされた方であれば、お立場は家族に限らずご参加いただけます。また、浄土宗の法要を行いますが、参加者の方のご宗旨は問いません。2024年6月10日(月)17:
2017年1月、当時中学2年生だった我が子が自死(自殺)で先立ってから、1年と半年ほど経った頃でしょうか。お姉ちゃん(長女)が何を思ってか貸してくれた書籍が、この『かがみの孤城/辻村深月著』でした。~生きづらさを感じているすべての人に贈る物語~--2017年啓文堂書店文芸書大賞受賞--王様のブランチBOOK大賞を受賞--第11回神奈川学校図書館員大賞(KO本大賞)を受賞--埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2017の1位--2018年本屋大賞第1位--第6
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫が亡くなったことで必要な手続きがあるしばらくは死亡診断書のコピーをよく目にしていたものだわかっていても見るたびに落胆慣れないなーと感じていたどんな手続きが必要なのか全く知らなかったけれどあこれも、かあこっ
今日は1週間ぶりの休日。次男坊はデイへ行ったので私1人で自由100均行ってードラスト行ってー花屋のあるスーパー行ってーって予定を立てていざ出発!車を運転しながら100均で〇〇買ってーなかったら別の100均に行こう!とか考えてた。・・・・・・・・・「あの日」も次男坊がデイでムスメは前の晩に勝手に出ていって私1人のんびり優雅にお買い物〜ってしてたんだ・・・「あの日」と一緒じゃん。私が何も知らず買い物してた時、ムスメは命を絶った。私は車の中でムスメの名前を何度も何度も呼んだ。
あなたが居なくなってもうすぐ1ヶ月。まだ一度も料理らしいことはできてない。ご飯も炊いてない。本当は温かいご飯をお供えしてあげないといけないのに、お菓子とジュースだけでごめんね。よく作ってたワンプレート朝食も、あなたが食べてくれるから早起きして作っていたんだよ。今は、綺麗なお花を飾るね。
家を出た瞬間に家の前の橋を眺めている人がいた。嫌な予感がして川の下に降りた。目の前の橋の下から人の足が見えた。嘘だ。違う。違う。違う。そう思いながら橋の下へ走った。首を吊っている旦那だった。声にならない悲鳴を上げながら川に飛び込んでパパの足を支えた。誰も見てるだけで助けてくれなかった。何で助かるのに皆何もしないの?誰か切るもの持ってきてよ。誰か。誰か。誰か。助けて。川から飛び出して自分の家に戻り工具をあさってハサミを取り出して橋に戻って父親に切ってもらった。パパが
今年3月に息子と2人だけで河口湖へ一泊した。パートナーが行けなくなったので急遽ピンチヒッターの私。墓参りとかではよく息子の運転で出かけてはいたが2人で旅行なんて初めてだった。浮かれる私とちょっと不貞腐れてる息子。最近喧嘩が絶えないとポツリポツリ…。ふ~ん…そっか…なぜか息子も娘も私に恋愛相談をしてくる。そんなの経験ないからわからん!!!と心で思いつつ母として必死に考える。でも結局は自分で決めなきゃね自分の人生なんだから何をどう選択して
今日は東日本震災から13年の日。Kのことがあって一カ月過ぎのことです。だから同じ13年の月日が経ちました。今日は朝からテレビでも特集が組まれていて、家族を亡くした方や、福島の原発の影響で今までの生活から一変した方たちが、どのように13年を過ごしてきたかを紹介していました。その動画を見ていたコメンテーターたちからは、その方たちに対して、強いですね。って感想を言うことが多く…だんだんとムカムカして、そのテレビ局へ感想のメッセージをリアルタイムで送れるというので、この方たちは強く
彼女をかかりつけの心療内科に連れて行く事になっていた。彼女は「絶対先生に怒られるから、一緒に診察室に入って下さい。」と、虚ろな目で私に言った。「うん。行くよ。大丈夫。」と答えた。りっくんを発達支援施設に送って行ったので、心療内科に着くまで、大人3人の時間になった。自分と同じ様な夫婦関係だと思っていた友達2人が妊娠した事の話になった。彼女が始め何と言ったのか、よく覚えていない。脳天気な旦那が「そんな事で悩むんかなぁ?」と本当に無神経なひと言。彼女が「もう嫉妬が止まらないんで
皆さんは、周りの人に家族が自殺した話って出来ますか?私は、私を単体として見ている人は出来るのですが、私の兄や母など家族に繋がる可能性がある人には言いたくない、と思って伝えていません。私に兄がいることを知っている人からは「お兄さん元気?」と聞かれたりすることもあります。兄の訃報は、その話題に触れられた時に話すスタンスでいこうと考えています。自殺を隠すのって、なんでだろうと思ったのですが、1番は兄の尊厳を守りたい。次に、母や父が周りの人から「あそこのお家、息子さん自殺しちゃったんですってね