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星野富弘さん(78)死去のニュースが夕方テレビから流れてきて、料理をしている手が止まりました。詩画集全書を買いあさり読破している“大ファン”というわけでもなく、彼の詩画集カレンダーを毎年買って飾るとか、そういう入れ込み方をしていたわけでもなく。けれど、うちに一冊しかない詩画集を最初に手にしたときから、心身にすーっと沁み込んでくるような詩文と絵は二度と忘れることのない、時として一番辛い時にこそ思い出される「花の絵」と「言の葉たち」になっていたようです。星野富弘
昨日は幼稚園の保護者会でするXmas会の景品を買いに百貨店まで出かけました。役員の相方、Jちゃんと二人で行くはずが、Jちゃんが風邪をひいてしまい、私一人で行くことになってしまいました。幼稚園に行く前、ママ友Aちゃんも百貨店に行くとメールが…じゃあ、一緒に行こうよ!ってなると、HちゃんもAちゃんも、一緒に行くー!!ってなり…いつも、仲良くしている5人のママレンジャー(笑)のうち4人で行くことに…(Eちゃんお留守番)その百貨店は、この前LOVEBEAR
今、私は、外出も大変な労力を要するのですが、珍しく主人が僧侶さん主催のわかちあいの会に行きたいというので行ってきました。主人も思うところあるかも、と思ったので。でも私には合わなかったみたいです。その時の出来事、お話させてください。主人とは違うグループに入り、年配の僧侶さんと何故かメイクバッチリの20歳くらいの僧侶女子が同席しました。(僧侶の着物着てました。メイクが濃い時点で、私は大学生を思い出し、さらに息子の大学生活を思い出し、気持ちはアウトでした)その女子の挨拶が、「今日は皆様と色々と
今日の過去記事は、Kのことがあって、まだ一カ月が過ぎた頃のエピソードです。学校とは揉めたのですが、何故かこのことは泣けてしまうのです。こちらも、シンボルからのサインとは違う不思議なエピソードです。良かったら見てみてください…https://ameblo.jp/ikairuka/entry-11019709840.html『友達の唄』Kは、向こうに行ってから、お葬式のときの『365日』や『Onelove』もそうだけど、いろんな曲を通してメッセージをくれました。3月13日百貨店に行
母の日は例年5月の第2日曜日ですが5月の第1日曜日は何の日でしょうか?答えは、子供を亡くした母の日(InternationalBereavedMother'sDay)です。死産で息子さんを亡くしたオーストラリア人のCarlyMarieさんが、2010年に始められ、母の日の1週間前(5月の第一日曜日)を「子供を亡くした母の日」としたそうです。このInternationalBereavedMother'sDayは子供を亡くした経験のあるお母さんに(広義には、子供を授かること
自死遺族の体験は2度目になる。1度目は9歳。父代わりというか、わたしの親代わりでもあった私の祖父。理由はわからない。でも、悲観したり絶望したりして死ぬ人でないことは知っている。何かの決意があっての選択、と思う。何度か書いたから知っている人は知っているけど、そのトラウマから自由になるまでに30年かかった。そこから15年、それを使命と思って生きてきて、それでよかった、と思えるようになった。2度目は、昨年クリスマス。もう一度それは起きた。まるで、私の
またやってきた月命日。なんだかんだすぐやってくる。それだけムスメに会えない日々が長くなっていく···昨日は仕事が休みだったのでお花を買っておいた。芍薬が入った花束今朝見たら花びらが全部落ちてたメインの花がなくなってしまったので今日、仕事帰りにケーキ屋→花屋→ケンタッキーへと行きました芍薬の代わりにダリアとニゲラをチョイスムスメの誕生日にケンタッキーのLINEギフトを頂いたので今日買ってきました。ケーキ屋さんでは、苺タルト・はっさくタルト・ティラミスをチョイス美味しかったね車
授業中、学校敷地内での飛び降り自死。第一発見者は学校見回り職員の方。*その日は冬休み明けの健康診断があり、着替えが終わった順に生徒たちは自分のクラスに戻ることになっていました。が、クラスに戻って来ない生徒が1名、それが我が子でした。机の上に残されていた『いしょ』を生徒たちが発見して、担任をはじめその日学校に来ていたPTAの方々や見回り職員さんたちで校内を探し始めたらしいです。すると三階の渡り廊下に、上履きシューズがきちんと揃えて脱いであるのが見つかったそうで、そ
思い立ったが吉日。4月はじめ、平日狙いで『北欧の神秘』というノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画展を観に行きました。ケータイ画面越しに流れてきた広告の『北』というワードに惹かれたのか、広告に使われた『女神に蚤取りしてもらうトール(北欧神話に出てくる妖精?)』にときめいたのか。悲しい事が起きてからは、ある種の直感を『自身を導くもの』として生きてきたようにも思います。以前もブログで書いたとおり、お絵描き好きの有ちゃんをこころに伴って一緒にエンジョイできる神聖なスポ
パパと息子が寝た後に夜のお菓子タイムをするのが楽しみだった。買い物に行く度にルンルンでお菓子を大量に購入する私達夫婦。ダンボールに大量にストックしたお菓子の山やチューハイから選んで晩酌するのが楽しみだった。パパが死んでからどうしてもお菓子はパパとの記憶が蘇ってなかなか食べる事が出来なかった。でもある日急に思い立った。パパは嘘の飲み会や休日を使って私から騙し取ったお金と時間を使って不倫相手と美味しいもの食べたり遊んだり散々楽しんできたじゃん。息子が大きくなったら行こう
パパが死んでから2ヶ月半経ってようやく全ての支払いが終わった。最後はiPhoneの利用料金。パパが死んでから自宅に届くパパ名義の請求書を開ける度に心が崩れ落ちてしまいそうだった。今度は何の請求だろう。ああもう。こんな時だけ私はパパの奥さんなのか。何で散々苦しめられてるのにずっと騙され続けられてきたのにそれでも何とか生きてるのに最後まで私はパパの尻拭いしてるの。iPhoneの利用料金はいいよ。だけどパパが不倫相手の為に使ったお金を妻の私が払うっていう屈辱感。パパには
◎2024年5月は対面の集いです。◆第55回は対面の集い<<この日は、より近い境遇でグループ分けをしたわかちあいを予定しています>>2024年5月18日(第3土曜日)受付13:15より※予約不要です。13:30~16:00わかちあいの集い(閉会後のクールダウン茶話会あり☆任意でどうぞ)会場⇒浦和コミュニティセンターコムナーレ10階【第1+2集会室】〒330-0055埼玉県さいたま市浦和区東高砂町11-110F(JR浦和駅東口徒歩1分コムナーレ10階)※武蔵浦和
今までずっと友人達に会うことを避けてきました。お誘いいただいても辞退を続けておりました。先週、高校からの友人とお会いする機会があり、今回はお会いしてきました。遠方から来ていることもあり、私の国試合格と就職の祝いを…とのことだったのでお断りするのも忍びなく…。焼肉食べて銭湯に行って来ました。その友人とは、私達が20代だった頃は週末はよく銭湯に行っておりました。あの頃は先のこと(未来)について怖いモノも無く、何も考えずに遊んでばかりでした。今回、友人に会って思ったのは。後か
最後に死のうとしたのが全てが終わって心の整理がついた頃。息子の市の2歳半検診があった。自分ではもう大丈夫だと思っていた。だから勇気を出して世間に出た。誰とも話せずに隅で1人でひたすら検診が終わるのを待った。栄養士さんや保健師さんのお話ではパパの話をする度に涙が止まらなかった。パパと私の知り合いのママさんも数人いて声を掛けてくれた。でも検診の後からまた世間に出るのが怖くなった。世間では私がパパを殺したってきっと思われてるに違いない。パパが不倫していた事や死んだ理由を
パパが死んでから3回くらい本気で死のうと行動を起こした事がある。その3回は全て違う理由で自分の心が変化した時。パパが死んだ瞬間から私は死ぬ事しか考えていなかった。パパを殺したのは私だ。パパがいない人生なんて生きている意味がない。ずっとずっとそう考えていた。パパの不倫が発覚する前まではパパの後を追って死ぬ事が自分の最高の人生だと思っていた。今の気持ちのまま死ねたら幸せだ。パパも私が逝くのを待っている。待っててね、一人にしないから。勝手にそんな事を考えていた。火葬の
貯金を奪われた事だけで私達の苦しみは終わらなかった。パパにかけていた生命保険。結婚してからかけた保険だった。死亡保険がおりるのは加入して3年経過後に死亡した場合。パパの場合は加入して2年8ヶ月後の被保険者の自殺による死亡。死亡保険が適応されなかった。貯金を奪われた私にとってパパの生命保険が頼りだった。息子の学資保険。パパ名義で息子が生まれてすぐ加入した。18歳満期で300万がおりる保険。加入から3年経てば契約者死亡で払い込み終了となって支払わなくても18歳で300
「パパの骨をパパの実家に返すか婿に来た我が家のお墓に入れるか」その選択は私に委ねられた。私の中で答えは決まっていた。パパは私を裏切って不倫していた。時間もお金も全てを相手につぎ込んだ。最後は私や息子や全てを捨てた。責任も取らず謝罪もせず逃げた。私達の人生を全て奪った。そんな人と同じお墓に入るのか。それでもパパの骨は私の家のお墓に入れる事にした。パパが結婚指輪をはめたまま私の旦那として、息子の父親として、この家の人間として死んだ事は紛れもない事実なんだと思った。
目が覚めたら夜中の12時だった。どうしてもモヤモヤが残ってた。もう何も言わないとパパに言ったけどこの先やっぱりモヤモヤしたくない。パパとちゃんと話がしたかった。だから寝ているパパを起こしてちゃんと話をしようって言った。安心したいからLINEのトークを見せて欲しいとパパにお願いした。そしたらパパは既にその女の人とのトークを全て消してしまっていた。どうして消すの!これじゃ何も信用できないじゃん。昔からだよね。やましいものは全部トーク消して。バレなきゃいいって思ってる?
パパの不倫相手とは四十九日まで連絡を取っていた。先に手を出したのはパパだから最初は不倫相手を責めなかった。だから慰謝料も請求しなかった。パパの事を共有できる人が欲しい。そんな思いで連絡を取っていた。今思えば知らない方が幸せだったんじゃないかと思う。だけどパパの不倫が発覚しなかったら私は間違いなく今生きていないと思う。罪悪感とパパへの愛情が大きすぎて間違いなく後を追って死んでいた。だから不倫相手に感謝する部分がある。不倫相手には2回会った。パパの不倫が発覚した日と相
「おい、今朝お墓に行ったら、早くも綺麗なお花が供えてあったぞ。誰だろうな」3月17日(日曜日)朝、八戸の実家の父から電話がありました。そのお陰で彼岸入りであることに気がついた私。事後からずっと、春秋お彼岸入り日には主人の実家へ(有ちゃんの墓前お供え用)生花と菓子類が届くよう郵送手配していたのに、この8年め、すっかり忘れていたのです!(初日早朝から生花を供えてくれたのは、八戸在住の私の実妹と判明)有り難いな…。(私ときたら忘れていたのに)確か
パパと付き合ってから毎年楽しみにしている事がある。8月後半に行われる大曲の花火。息子を出産した年以外はずっと欠かさず連れてってもらった。それが1年で一番の楽しみだった。①残業の嘘②子供手当使い込みと通帳の証拠隠滅そんな事件が起こってから、バイクを売るという話はやはり可哀想になって取り消した。バイクは守ってあげたかった。地元のお祭りに行くと約束してた日、パパはバイクのツーリングの予定が入り先約してた私と息子の予定ではなくバイクを優先させた。7月の後半。そこはあまり気
本当に消えてしまいたい時ってあるよね誰と一緒にいても孤独ってあるよね弟が死を選んだようにそこに居場所が無かったら寂しいよね私が母の代わりになってもっと話しを聞いてあげられていたら良かったのにね私も寂しいから本当は1人だからもう生きている意味なんてないんだよね本当は弟と、一緒にぴーちゃんと一緒にそばで死んであげたかったいのちの電話BOXまだあったよ8年位前に福井に旅行で東尋坊行ったよね今日見に行ったね!あの時はまだ生きていた君こんな事になるなんて思ってもみなかった
午前中からぐんぐん気温が上昇していく初夏のようなさいたま市内。2024年4月13日(土曜日)、公共施設の集会室で対面の集いを開催しました。母子像『ずーっとね。02』/Y様作背景桜写真/ミナ様参加者は28名様。うち初参加者は3名様。はじめに全員の自己紹介、近況・現在の心境等のトークに、じっくり一時間あまりをかけて一巡。日本人にとって「春」という季節は特別なのですね。纏わる思い出に目を潤ませながら話し出す方々が多いように思いました。一巡後、受付で配られ
パパが私達に残したものは悲しみや憎しみや罪悪感だけではない。新車で1年しか乗っていない車のローンの残額は一括で支払わされた。パパのiPhoneとiPadの残金の支払い。私がボロボロのiPhoneを使ってる中でパパが自分だけ不倫相手とお揃いで変えたiPhoneの支払い等で15万円。パパが死んだ時の病院の処置等の医療費の支払い。これは仕方ないものだけど、自殺は保険がきかない事を初めて知った。私にとっては結構な金額だった。パパの個人のクレジットカードの支払い。何回も請求書が
パパが遺書を残さずに死ぬなんてやっぱり考えられない。パパのiPhoneを開いた。ロックは外されていて、LINE以外のアプリは初期化されていた。急いで寝室に置いてあるパパのiPadを開いてみた。iPadを開いた瞬間【Hello】の文字。iPadが買ったばかりの状態に戻ってる。一気に血の気が引いた。何で………?もう疑問しかなくて頭が混乱した。そういえば、パパが死んだ日の朝、起きると隣でパパが起きていた。iPhoneを操作していた。まだ起きてたのか。そんな事を思っても深
家を出た瞬間に家の前の橋を眺めている人がいた。嫌な予感がして川の下に降りた。目の前の橋の下から人の足が見えた。嘘だ。違う。違う。違う。そう思いながら橋の下へ走った。首を吊っている旦那だった。声にならない悲鳴を上げながら川に飛び込んでパパの足を支えた。誰も見てるだけで助けてくれなかった。何で助かるのに皆何もしないの?誰か切るもの持ってきてよ。誰か。誰か。誰か。助けて。川から飛び出して自分の家に戻り工具をあさってハサミを取り出して橋に戻って父親に切ってもらった。パパが
同じく去年の7月。結婚してからずっと残業だと時間をごまかして遊んでいた事を認めて仕事から真っ直ぐ帰って来てくれるパパになった。その頃にパパがiPhoneを変えた。私もボロボロのiPhoneを使ってて寿命はきてたけどパパは自分だけ。iPhoneを変えた時に古いiPhoneを売ったお金を全て自分の小遣いにした。そんな喧嘩もあってパパの給料が振り込まれる通帳も私が管理すると言った。翌日パパに通帳を提出させた。出されたのは新品の通帳。「磁気で壊れて交換してもらった」そう言
9月に入り、またある事に気付いてしまった。家にあったゴムがかなり減っている。私は思った事はすぐに口に出す。出勤前にパパに率直に疑問をぶつけた。「ゴム減ってると思うんだけど」「浮気してる?」「最近iPhone頻繁に持ち歩いてるけど何かやましい事ある?」気になっていた。トイレにまでiPhoneを持っていく。iPhoneを使う時間が増えた。iPhone変えてからロックがかかった。「最近仲が悪くて欲求不満で、1人で手を汚さないようにしてました」友達に相談したら「それ絶対に浮気
不倫相手から聞いたパパとの社内のダブル不倫の内容。不倫相手からもらったパパとのLINEのトーク履歴の内容。私とパパのLINEのトーク履歴の内容。全てを時間をかけて今までじっくり照らし合わせてみた。本当に嘘で埋め尽くされていた。パパは何者なのか分からなくなった。朝は不倫相手と車を連ねて出勤。昼休みもずっと一緒。会社内でも本当に仕事をしてるのかっていうくらい、休憩でもないのに数分おきに1日中LINEを送り合う。仕事が終わっても残業と嘘をついてデート。ラブホやら車やらでエッチ
パパと付き合ってから絡んでいたパパの友達グループがいる。その人達にLINEでパパが死んだ真相が不倫だった事を話した。それでもパパの後輩に言われた。–先輩は私に不満があったから不倫に逃げた婿という環境が辛いって事が分かってたなら何か出来たんじゃないかちゃんと支えになってあげてたのか–みんなパパを尊敬していたと言った。優しいパパが大好きだったと。パパはそんな人間じゃないって。自分がもっと相談に乗っていたら。もっと遊びに誘ってあげていたら。だからパパが残した息子をパパ