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夫が食べず、話さなくなってから、47〜48日目。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!手術から27日後あたり携帯のカメラ越し面会でのできごと。夫の名前をしつこく呼んでいたからか、また「うるせーよっ」が始まった。途中「もう切る。バイバイ」と言ったり、睨むような顔をしたりイライラしてい
今日はちょっとした事件があった、、夫の病気のことはリアルタイムで気持ちを吐き出すために書いてるけど今日のことは色々問題ありそうだからいつかそのうち書くかも今日は結婚記念日だった私もさっき思い出したそれよりも旦那にとっては重要な坊主になるというイベントがあったので全然気づいてなかったこれまで弱気な発言はなかった旦那だけどハゲにするのは本当に嫌だと嘆いていたのでちょっぴり凹んでた基本長めの髪で茶髪ヘアセットへのこだわりのある旦那からしたら確かにきついよなぁ。今日
みなさん、おはようございます。ゆきちです。今日夜中の2時ぐらい、オプチューンのアレイを無意識に剥いだのか、髪が伸びてアレイが剥がれたのか、いきなり頭にバチバチ電撃が走り焦って止めました。結構痛かったです。。。焦りました。アレイの接触不良時はエラーが出て自動的に止まるという認識でしたので。エラー停止のディスク個数分は頭から外れていたはずなんだけどなー。ただ今回、初回にも関わらず、1日長く付けていたのも原因の一つにあるかと思います。なので、私の場合の髪の伸び方からすると、無理して4日が
夫が食べず、話さなくなってから、37〜40日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月22日手術から21日後コロナ禍なのでオンライン面会は2週間に1度、15分しかない。夫の様子が知りたいし、夫に家族の声を聞かせたい!!携帯が使える人はこんなもどかしい思いをしないんだろうな。。看護師さんに、ご迷惑を承知で相談してみたところ、病室へ携帯を持ってきてもらったら、目が開いているときに繋いでくれるとのこと(神だ・・・)とはいえ、
2023年3月31日クリニックのCTで脳腫瘍と診断2023年4/3頭頂葉、右前頭葉の膠芽腫と診断左手脚に軽い麻痺と、痺れ2023年4/13手術、4/21退院→麻痺は解消し痺れのみ少し残り2023年4/25から、テモゾロミド、2023年5/8から、放射線IMRT標準治療終了後、2023年7/10からオプチューン開始2023年9月再発の兆候も偽性増大か不明で治療継続2024年5月現在、働きながら維持療法の、・23日1クールでテモゾロミド・オプチューン90%以上維持し
みなさん、こんにちは。ゆきちです。なぜか今日は無性にお酒が飲みたくなって、午前中のオプチューンウォーキングテストから帰ってきてお昼からハイボール飲んでます。今のところ娯楽がお酒か音楽かゲームです。今日はそこそこ日が差していたんですが、1時間歩いてオプチューンエラーは無し。被っていた帽子はスリコのバケットハット。ただそれなりに汗はかいたので、それなりの温度だったのかなと思います。UVリバーシブルハットスリコ¥880(税込)この帽子の評価(オプチューン用としての評価です)価格
夫が食べず、話さなくなってから、9日目。2023年2月21日この頃私はネットでずっと「うつ病」のことを検索していた。うつ病になると「一日中寝ている。眠りたいだけ寝させておけば良い」「認知症のような症状が出ることがある」などの情報を見て、夫は絶対にうつ病なんだと思っていた。もしそうだとすれば3ヶ月ほど会社を休めばまたいつもの日常が戻ってくる、と信じていた。午前中に近くの心療内科の予約が取れたので、夫の両親と連れて行き血液検査をする。これまでのことを一通り話す。「おそら
色んな悪性腫瘍の中でもこれは最悪のやつって名前は覚えてたんだけど夫それだったんだけどそんなことある??膠芽腫余命だいたい19カ月。2年はないくらいと。夫は知らない。だって仕事復帰のこと考えてる私も信じられない思考がまとまらない意味わからない。
今年のGWは天気が良くて気持ちが良い!!治療があったり、アウトレット行ったり、義妹家族が泊まりに来たり、子ども達とアスレチックやら、海鮮食べに行ったり、義理実家に泊まりに行ったり…予定ぎっしりでした。基本はこのオプチューンスタイル。キャップ🧢+薄手のストール+日差しがあるところは、日傘を。本体はウエストポーチへ。日傘が壊れたので遮光、遮熱の日傘を探し中です。
夫が食べず、話さなくなってから、20〜26日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月5日手術から4日後待ちに待ったオンライン面会。目を開けている!!!手を動かしている。こちらの声掛けに反応しているように見える。けど、、、タブレット越しの私たちのことは認識しているのかどうかわからない大きな声で一方的に話しかけた。会話はできない。目はうつろ。無表情。全く別人の夫がいる。そんな夫を見て、子どもたちは黙っている右手は動いているが、左
更新しないと書きましたが、再び投稿することに。前回記事のとおり、母が亡くなる三日前に受けたMRIの結果を聞きに病院で家族面談を受けました。聞きたかったことは次のとおり。①再発していたのか②死亡の遠因が膠芽腫なのは間違いないがその日の夕方の胃ろうでも問題なく、呼吸がおかしいなどの兆候がなくいきなり亡くなった直接の原因は何が考えられるか。③脳出血の7ヶ月後に脳腫瘍が判明したが、脳出血で倒れたのが2022年9月、6〜8月に2回ほど頭痛がある、初めて足が攣ったなど言い、倒れるより1年以上前から
夫が食べず、話さなくなってから、18日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月2日【手術の翌日】10時半ごろ病院へ。先生からCTの画像を見せてもらう。右前頭葉にあった6センチ大の腫瘍は95%以上取れたと言われた。右脳の後頭部に脳梗塞の後がある。意識は戻っても良いレベル、と言われるが戻っていない。昨日は瞳孔が6mm開いていて絶望的な状態だったが3mmに戻ったとのこと。少しだけタブレット越しに面会ができた!!!(コロ
2019年8月26日、84歳の母に悪性脳腫瘍(膠芽腫)がみつかり、治療しても翌年夏までもつかどうか、このままなら余命3ヶ月程と告げられましたが、超高齢の母にとってあらゆることを考え悩んだ結果、母には余命を告げず、積極的な治療をしない自宅療養(緩和ケア)を選びました。〔前編〕発覚から入院中の話です。『膠芽腫発覚から旅立ちまで(前編)』2年前の今日(2019年8月26日)、母に脳腫瘍がみつかり、「おそらく悪性脳腫瘍(膠芽腫)で余命は3ヶ月程」と言われた日。衝撃すぎたあの日から2年が経ち、当時
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!再び食べなくなった。生きることを諦めたの?2023年5月3日手術から63日後この頃になると、相変わらず食事など拒否だけどコミュニケーションが
8月23日に亡くなった愛する奥さん。R6.2.23で命日から半年経過しました。世の中は何事もなかったように時は流れていますが、僕は世間の流れに取り残されているような感覚が続いています。僕がブログを書き始めたのは、まだ小さいチビ(病気発覚当時はまだ幼稚園児)にお母さんの闘病をいつか知ってもらうための記録的なブログですが、もう一つのきっかけは誰かの参考になればと思い、始めたものでした。今回の記事は、奥さんの脳腫瘍が発覚し、約2年の闘病の末、天国への旅立ち。この全ての過程を、後日になって冷静
夫が食べず、話さなくなってから、7日目。昨日、キャンプに行く前に夫に無理やりおにぎりを1つ食べさせた。それ以外は何も飲まず食わず。身体が本当に心配しかもテントの準備片付けには人一倍詳しく口うるさい夫が、今日はテントのたたみ方がわからない結局中途半端に畳んで受付の方に返した。私たちが片付けをしている間、息子は周辺の子供たちとお友達になって遊んでいた。夫が突然「息子は上の子と下の子の間でうまいことやりながら遊んでいる。中間管理職向きだなっ」と笑いながら冗談を言
食べず、話さなくなってから、4〜5日目。前日仕事を1日休んで、この日は夜勤。なんとか用意をしていく気にはなっているみたいだけど、結局いつも家を出る時間には出られない。いつもは駅まで歩いていくけど車で送って行った。夫は、いつも通り仕事ができるのだろうか、、、本当に、本当に、心配、、この後の仕事中のことはわからないけど、後から同僚の人に聞くと「あきらかに様子はおかしかった。食べるのが異様に遅かった」と。。。なんか、変なことをして会社の人に迷惑
夫が食べず、話さなくなってから、41〜43日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月23日手術から22日後嬉しいことに、また病院のスタッフさんが動画を送ってくれたベッドで横になっている夫の首を支えながら私の写真を見せて「これ、奥さん。〇〇さん(←私の名前)。わかる?」夫は最初は写真をチラッと見て、目を閉じてしまったでも、次の瞬間、大きく2回うんうんとうなずいたのだ!!!!「奥さんの名前、〇〇さん
夫が食べず、話さなくなってから、44〜46日目。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!手術から25日後あたりこの頃になると日に日に回復してきて、表情もしっかりしてきた。話す回数も増えてきているみたい。担当医師が「今日の天気は?」と聞くと「雨さむい」と言ったりしている(←実際には雨は降って
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月1〜5日手術から35日後あたりコロナ禍なのでがんセンターでも面会は基本禁止。携帯を使うことができない夫の代わりに、看護師さんが時々動画を送ってくれる。
今日のお昼も娘と昼とんたん🍜してお腹いっぱいつるとんたん全8種オールスターのおうどん詰め合わせ8人前うどんギフトご贈答Amazon(アマゾン)6,940円右手だけで作ると鍋をこぼす時めちゃくちゃ神経集中して、落としたら死だ!と思いながらコンロから流しに移動させてます。落としたらリアルに絶叫もんだね先日、悪性脳腫瘍になった脳外科医(岩田隆信先生)のドキュメンタリーをYouTubeで見つけて見ようとしたんだけど、開始数分で号泣へのカウントダウンが始まって最後まで見れなか
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月22日手術から52日後夫は先週から食べることや投薬、リハビリを拒否し続けている。抗がん剤の影響かとも取れるが、夫の意志でそうして
みなさん、こんにちは。ゆきちです。私はまだ仕事を再開していません。基本平日はのこの時間帯は家族は仕事と学校でいないので、夕方ぐらいまで一人です。私は病気後、この時間が嫌いになりました。この時間中に、私の色々な負の感情が凝縮してしまいます。独りなんで。その感情は書きません。書いちゃうと取り込んでしまいそうなので。以前はウォーキング、軽い筋トレ等で気を紛らわしていましたが、毎日同じのは飽きるのと、今はお側にオプチューンという頼もしい味方がいる為、以前のように気軽に外に出れなくなってしま
脳腫瘍とは関係なくて申し訳ないのですが携帯のデータフォルダを整理してたら家族旅行の写真がたくさん出てきたので今現在も脳腫瘍と戦っている父にエールの気持ちも込めてたまーに写真をアップしたいと思います病気が発覚する10ヶ月くらい前の家族旅行の時の写真ですパーキングエリアなのでまだ目的地に到着する前ですが気分は絶好調で腕組みしてポーズを決めてる私とお父さん人ってどうしても忘れちゃったり記憶が薄れちゃったりするからこうやってデータとして見返せるのは嬉しい限りです
悪性脳腫瘍、膠芽腫で大切な母を亡くしました。家族としての立場で考えたことを記したいと思います。今から闘病する方、支える方の参考になれば幸いです。0.長い前書き母の闘病時期は2014年末から2018年夏です。(あと数年も経つと画期的な薬ができていて、このブログがなんの参考にもならない状態がきているといいのですが)同じ膠芽腫であっても悪性度や場所によっても経過は変わるでしょうし、タイミングによっては同じ治療をしても必ず奏功するわけではないでしょう。脳腫瘍の場合、腫瘍内出血を起こしたりすると、あ
こんにちは、ダイスケです。今日は2024年5月7日、火曜日です。病院に診察に行ってきました。5月4日からふわふわする眩暈に悩まされています。主治医にふわふわする眩暈について質問、確認してみました。可能性ですが、小脳への播種が考えられなくもないとのことです。眩暈でも、グルグル系とフワフワ系があって、フワフワは嫌な眩暈、小脳の可能性が高まるそうです。ただ、通常はもっと時間が経ってから発生するらしいです。今の段階では眩暈以外の症状が出ていないので判断が難しい所で、今急いでMRIやっても
愚痴です。左前頭葉の腫瘍ということで主治医からは性格の変化(怒りっぽくなる、鬱々する)や言語機能の低下はあらかじめありえるリスクとして聞かされていたんだけどいまのところは旦那、、特に変わらず、、変わらずわからずやで私の話には耳を傾けない頑固親父旦那のまま、、頭痛やボーッとする不調が消えて回復を感じてるので本人はこのまま元の生活に戻れるイメージしか湧いていないんだよなぁ、、放射線治療前に一度数日退院する予定なんだけど仕事に行くと言ってる、、やめてぇ。「放射線治療の
食べず、話さなくなってから、3日目。夜勤明けの休みの日も、結局ほとんど何も口にせず、何もしゃべらず、ゴロゴロとしているか寝ていた。私は一日中「うつ病」を検索。上の娘は、そんなパパを少し心配そうな感じ。夜勤明けの休みが明けたこの日、朝から出勤の予定だったが、起きられず用意ができなかった休みの連絡を会社に入れた。久しぶりに聞く夫の声。割としっかり喋っている。少し安心した。この日は1日中寝ていて、全く何も口にしなかった。
さっき説明を受けていた部屋に入ると主治医は「先程は流してしまいすみませんでした。本人もいたので、、」と「先生、、はっきり聞きたいです。」そう私が伝えると主治医は険しい顔になり「はい。」と言った内容がもうほんと記憶が薄いというか聞きたいと言ったの私だけど聞きたくない話しかなくて頭の中パニックだったから細かく覚えてないけど・夫の余命は19ヶ月。2年はないくらい。・本人にはハッキリ言わなかったが仕事復帰は厳しいと思う。•主治医がみてきた経験を考えてもこの病気の予後は
はじめまして。じゃすみんといいます。夫が2023年2月末に自宅で倒れ、グリオブラストーマ(膠芽腫グレード4)、余命14ヶ月と診断を受けました。主人の病状は、手術後重度の認知障害を発症。要介護5。寝たきり、胃ろう、暴言、せん妄あり。それから半年後の8月から自宅介護を開始しました。現在は在宅介護を始めて7ヶ月が経とうとしています。夫はまだ懸命に生きています。当時の様子を振り返りながらその様子をリアルにブログで残したいと思います。振り返りの記録が現在に追いつきましたら、自分の心の整