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愚痴です。左前頭葉の腫瘍ということで主治医からは性格の変化(怒りっぽくなる、鬱々する)や言語機能の低下はあらかじめありえるリスクとして聞かされていたんだけどいまのところは旦那、、特に変わらず、、変わらずわからずやで私の話には耳を傾けない頑固親父旦那のまま、、頭痛やボーッとする不調が消えて回復を感じてるので本人はこのまま元の生活に戻れるイメージしか湧いていないんだよなぁ、、放射線治療前に一度数日退院する予定なんだけど仕事に行くと言ってる、、やめてぇ。「放射線治療の
今日は新年度初のPTAの委員会があり今年引き受けてしまったことをちょっと後悔しながら雨の降るなか学校へ。ほんとなら去年一年間やったので在校中に一回やるノルマはもう達成してる。だからやらなくても良かったんだけど2月の最後集まりの時に人手が足りないと言うのでなら少しでも力になれたらと思って継続したんだよね、、『PTAの集まりで。』この前今年度最後のPTAの集まりがあって一人一人発言する機会があったんですがみんな頭良さそうというか賢そうというか内容が活動の反省点だったり今後の課題だっ
4/19手術翌日・11時頃、ICUから一般病棟に移ったと病院から電話あり・面会時間に会いに行くと丁度検査に行くところだったようで車椅子に乗ろうとしてた・私を見つけて「ちょっと、、マスクちょーだい」と弱々しいけど声をかけてきた・検査から戻ってきたところで「私のことわかるー?」とちょっとからかって話しかけたら呆れた顔で「分かるに決まってんだろ、、」と。・ちゃんと会話ができててホッとする。・血圧が80しかなくて手が冷たくて白くてフラフラしてた声も弱々しい・しんどそう
●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを書き留めておきます。最近、毎月このフリですね。苦笑●お義母さん(奥さんのお母さん)は5年前に亡くなられているのですが、コロナ禍もあって納骨が出来ず、遺骨はお寺でずっと保管してもらっていまし
4/18(木)9時少し笑って「どうせ寝てるだけで終わるんだから〜」と言って手術室へ入っていった旦那主治医からは早くて夕方だけど2〜3時間のびることもあるので自宅が近いなら自宅で待っていていいとなので家で待っていた17時頃には今にも病院から電話がくるかもとソワソワ19時過ぎ病院から電話がきた「すみません。まだ終わってません。もうしばらくかかります。」不安で落ち着かない外は雨が降ってる21時40分病院からもうすぐ終わりますと電話ダッシュで病院に向かう真っ暗で雨
今日は術後MRIの説明とか受けた。左前頭葉に6センチの腫瘍があったんだけど術前術後の比較画像みせてもらったらそこだけすっぽり脳が無くなってたでも後ろの方?おでこ側じゃない方?に少し白いのが残ってる。腫瘍は9割取れたらしい残ってる部分については多く出血して触れなかったと。でも最初先生は82%を目標に取り除くって言ってたしそれより多く取れたならよかったなぁと思った(手術でどれだけ取り除けるかで予後が変わるって見た気がする)その中でオプチューンについても軽く説明受けて実物
こんにちは。命日を終えて、数日経ちました。みなさん、とても素敵なコメントありがとうございます。2年目なのに覚えていてくれてる方がいて、お供え送ってきてくれたり線香あげに来てくれたり東京からお花を送ってくれたり我が家では三回忌という法事はしなかったので、とてもありがたい気持ちでいっぱいです次男も喜んでくれてるような気がします。お墓にも、たくさんの綾鷹が置いてありましたサッカー部の子が来てくれたんだと思います命日が過ぎて2年経ったらやりたい事がありました。次男が撮っていた風景写
さっき説明を受けていた部屋に入ると主治医は「先程は流してしまいすみませんでした。本人もいたので、、」と「先生、、はっきり聞きたいです。」そう私が伝えると主治医は険しい顔になり「はい。」と言った内容がもうほんと記憶が薄いというか聞きたいと言ったの私だけど聞きたくない話しかなくて頭の中パニックだったから細かく覚えてないけど・夫の余命は19ヶ月。2年はないくらい。・本人にはハッキリ言わなかったが仕事復帰は厳しいと思う。•主治医がみてきた経験を考えてもこの病気の予後は
このブログもいっそカテゴリ変えたほうがいいかな、、今日も記録と気持ちの吐き出し。今日会いに行ったら体調良さそうでたくさんおしゃべりした夫は「1%も心配してない」「俺は自信しかない。」って相変わらずで笑ったよね調子も良さそうでコンビニで買ったお団子も一本食べてたからほんとに大した事なくて夫だけは特別でなんとかなるのかもしれないとか思ってたら着替えてる途中に発作。ズボンに温かいのを感じて夫が失禁してることに気づくナースコールを押した。来てくれるまで不安で仕方
夫が食べず、話さなくなってから、16日目。2023年2月28日夫は朝からよく眠っている。いつもより深く眠っている気がする。声をかけると頷くが、目は開けない。昨日の薬を処方された時「翌日まで少し眠気が残るかも」と言われたのでそのせいだと思った。息子の幼稚園のサッカー大会を見に行く予定だったので、1階へ降りてテレビでも見ていてもらおうと思っていたが無理だった。階段までなんとか連れて行ったが、歩幅がかなり狭く、支えないと歩けない。けど、、、結
今日はちょっとした事件があった、、夫の病気のことはリアルタイムで気持ちを吐き出すために書いてるけど今日のことは色々問題ありそうだからいつかそのうち書くかも今日は結婚記念日だった私もさっき思い出したそれよりも旦那にとっては重要な坊主になるというイベントがあったので全然気づいてなかったこれまで弱気な発言はなかった旦那だけどハゲにするのは本当に嫌だと嘆いていたのでちょっぴり凹んでた基本長めの髪で茶髪ヘアセットへのこだわりのある旦那からしたら確かにきついよなぁ。今日
夫が食べず、話さなくなってから、10日目。2023年2月22日この話はわたし的には本当に衝撃で悲しく、書くことを躊躇しましたが、脳腫瘍の人の症状として「こういうこともあるよ」とお伝えするべきだと思ったので、包み隠さず書きます。〜〜〜〜〜〜夫はこの日も仕事を休み、リビングで何も話さず食べずゴロゴロとしていたが、夜は早めにベッドへ向かった。22時ごろ、物音がしたので様子を見にベッドのある二階へ。部屋に近づくにつれ、猛烈な匂いがする
8月23日に亡くなった愛する奥さん。R6.2.23で命日から半年経過しました。世の中は何事もなかったように時は流れていますが、僕は世間の流れに取り残されているような感覚が続いています。僕がブログを書き始めたのは、まだ小さいチビ(病気発覚当時はまだ幼稚園児)にお母さんの闘病をいつか知ってもらうための記録的なブログですが、もう一つのきっかけは誰かの参考になればと思い、始めたものでした。今回の記事は、奥さんの脳腫瘍が発覚し、約2年の闘病の末、天国への旅立ち。この全ての過程を、後日になって冷静
うちの夫の場合、前兆はこれと言って思い当たることがありませんでした。2023年2月13日、あの日は夜勤明けで小雨が降っていたので、夫を車で駅まで迎えにいきました。前日、夜勤へ出勤する時はいたって普通、、、だったような気がします。しいて言えば、電車に乗る前に珍しく財布を忘れたと電話があり、駅へ届けに行ったぐらい。今思えば、それが前兆、、、??夜勤が終わり、迎えの車の中で夫は無口。最近口内炎ができしゃべりずらそうにしていたし、疲れているのかな、と思いましたが、
夫が食べず、話さなくなってから、6日目病気になる前の夫はかなりのキャンプ好きでテントもギアも揃えて、毎月ファミリーキャンプ&ソロキャンを楽しんでいました。〜〜〜〜〜〜〜2023年2月18日(土)この土日の連休は、6歳の息子と二人でキャンプに行く予定にしていた。私と14歳の娘は試験勉強があるのでお留守番の予定。前日に引き続き、さすがに様子がおかしい夫を行かせるのは心配で、ずっとずっと夫に「やめたら」と言っていたけど、「大丈夫」と言って荷物を車に詰め込み、結局出
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月12日手術から42日後あたりこの日は、13年前に死産した双子の赤ちゃんの命日です。夫にも動画でそのことを伝えると、伝わっているかどうかはわからない
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日午前7時過ぎ、手術が始まった。本当は2日後に、他の大学病院からも医師が集まり最新技術のもとなるべく脳の大事な部分を傷つけないように手術が行われるはずだった。昨日の今日で、こんなに急激に腫瘍が大きくなるとは。。。「何かありましたらすぐお呼びしますので」と言われていたので待合のロビーで医師や他の患者が自動ドアで出たり入ったりするた
2023年3月31日の診断日が金曜日だったため、土日を挟み、不安で不安で仕方ない。その日の夜、左脚が上がりづらくなる。ソファに座って両脚を上げると、左だけ意図せず下がってきてしまう。左だけ。あれ?左手の痺れも増してくる…【脳腫瘍良性特徴】調べまくるもいまいちわからず。腫瘍の形がはっきりしていないものが悪性と出てきたけど、ロムに入っているCT画像をみても分からず…不安で不安で、近くの救急脳神経外科の夜間に行くことに。子どもを母に預けて夫と向かいました。深夜の病院は何度
夫が食べず、話さなくなってから、8日目。2023年2月20日一昨日、昨日とキャンプへ行っていたのでお風呂に入っていない。「入ったら?」と何回も促してようやく入れたけど、なかなか出てこない体と頭を洗ってあげ、拭いてあげた。この日の出勤は昼からで、行く気はあるけどやっぱり用意ができない用意ができないというか、何をしたらよいかわからない感じでうろうろ。。。結局会社へお休みの連絡を入れた。だいぶ声が弱々しい。この電話以降は、やっぱりほとんど発語はない。夜
今日は午前中手術の説明があった今日まで散々色んなこと調べてたくさんのブログ記事も読んでいたので先生が話すことは自分が何度も見た内容とあまり変わらなかった。夫の腫瘍は6センチで左前頭葉にある言語や認知力の低下、性格が変わったりする介護が必要になる可能性もあるそうならないようできる限り最善をつくすつもりだけどどうなるかはわからない今後の放射線治療の過程で悪くなる可能性もあるし術後リハビリで今くらいの状態に戻れるかもわからないみたいな感じだったかな左前にあるのは紹介
2023年7月10日からのオプチューン開始に向けて。※時差投稿ゲノム診断で腫瘍がメチル化ではなかったため、テモゾロミドが効くタイプではなく(明確には、怖くて聞けなかったのが事実ですが)、「効かないわけではなく、すごく効きやすいタイプではなかった」と言われ、そう受け取りました。「じゃあ飲んでも意味ないんじゃないか?」と主治医に質問したところ、「意味ないわけじゃないけど、平行してオプチューンを処方しようと考えてる」と言われ、前に、術後説明の際に、こういう治療があるとオプチューンを聞いて
夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑
見送ってきました。今日は手術の件数が多いみたいで手術室の前でいろんな家族が「いってらっしゃい」とか「がんばってね」とか一言伝えてから手術室に入っていく中旦那は迷いなく手術室に入っていこうとするので看護士さんも「えっ」って反応してました。「ちょっとー!何か一言ないの?」ときくと「どうせ寝てるうちに終わるんだからー」と少し笑って行ってしまいました。
●この日は振替休日。近所のうどん屋さんで昼食を食べて、午後は家でゆっくり家族団欒していたが、奥さんが「体調悪いから少し横になる」と言う。夕方、頭痛がかなり酷く、見るに耐えないくらい苦しんでいたので、すぐに家から近くの大きなS病院へ僕の運転で連れて行くことにした。(結果的に明日に受診予定だった脳神経系の病院はキャンセルした)●祝日だったので救急窓口で診察してもらう。前日作成していた病状を細かく書いた説明文書を受け付けに渡したところ、事が重いと判断されたのかすぐに診察室に通される。●診察して
2023年4月21日※時差投稿です4/13の術後、4/21に退院し、・4/25-抗がん剤テモゾロミドGW休みがあるため、ズレて、・5/8-放射線開始→土日を除く平日連日通いで60Gyを30日かけて実施しました。初回放射線まで空くため、再発してしまうのではないか、と不安で不安で先生に伝えたところ「先にはじめても休みで中断することになるなら、連続の方が良いという判断です」と言われ、気持ちを落ち着かせた記憶です。それまでに、あてる位置がずれないようにするためのかぶるマスクをつくりまし
夫が食べず、話さなくなってから、7日目。昨日、キャンプに行く前に夫に無理やりおにぎりを1つ食べさせた。それ以外は何も飲まず食わず。身体が本当に心配しかもテントの準備片付けには人一倍詳しく口うるさい夫が、今日はテントのたたみ方がわからない結局中途半端に畳んで受付の方に返した。私たちが片付けをしている間、息子は周辺の子供たちとお友達になって遊んでいた。夫が突然「息子は上の子と下の子の間でうまいことやりながら遊んでいる。中間管理職向きだなっ」と笑いながら冗談を言
夫が食べず、話さなくなってから、41〜43日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月23日手術から22日後嬉しいことに、また病院のスタッフさんが動画を送ってくれたベッドで横になっている夫の首を支えながら私の写真を見せて「これ、奥さん。〇〇さん(←私の名前)。わかる?」夫は最初は写真をチラッと見て、目を閉じてしまったでも、次の瞬間、大きく2回うんうんとうなずいたのだ!!!!「奥さんの名前、〇〇さん
夫が食べず、話さなくなってから、47〜48日目。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!手術から27日後あたり携帯のカメラ越し面会でのできごと。夫の名前をしつこく呼んでいたからか、また「うるせーよっ」が始まった。途中「もう切る。バイバイ」と言ったり、睨むような顔をしたりイライラしてい
夫が食べず、話さなくなってから、44〜46日目。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!手術から25日後あたりこの頃になると日に日に回復してきて、表情もしっかりしてきた。話す回数も増えてきているみたい。担当医師が「今日の天気は?」と聞くと「雨さむい」と言ったりしている(←実際には雨は降って
食べず、話さなくなってから、3日目。夜勤明けの休みの日も、結局ほとんど何も口にせず、何もしゃべらず、ゴロゴロとしているか寝ていた。私は一日中「うつ病」を検索。上の娘は、そんなパパを少し心配そうな感じ。夜勤明けの休みが明けたこの日、朝から出勤の予定だったが、起きられず用意ができなかった休みの連絡を会社に入れた。久しぶりに聞く夫の声。割としっかり喋っている。少し安心した。この日は1日中寝ていて、全く何も口にしなかった。