ブログ記事5,241件
排便・摘便の話なので苦手な方はご注意ください。週2回の訪看さんには主に排便のケアをお願いしている。母は脳以外の内臓機能は極めて元気で、昏迷状態中もお腹は良く動いていた。そのため数日間寝ている間に下りてきた便が出口付近で固まってしまう。固まった便で栓がされてしまうので摘便で掻き出さないと詰まってしまう。柔らかい便であればさほど苦労はしないが固い便の場合、看護師さん一人で体を押さえながら摘便するのは大変だ。なので体を側臥位で押さえるお手伝いをする。摘便中、「痛い。痛い。」「もう
4/19手術翌日・11時頃、ICUから一般病棟に移ったと病院から電話あり・面会時間に会いに行くと丁度検査に行くところだったようで車椅子に乗ろうとしてた・私を見つけて「ちょっと、、マスクちょーだい」と弱々しいけど声をかけてきた・検査から戻ってきたところで「私のことわかるー?」とちょっとからかって話しかけたら呆れた顔で「分かるに決まってんだろ、、」と。・ちゃんと会話ができててホッとする。・血圧が80しかなくて手が冷たくて白くてフラフラしてた声も弱々しい・しんどそう
2023年12月中旬頃付き添いができなくなったので面会時間は15分だけ。その15分間娘は力強くママの手を握っていた(寂しいよね…心細いよね…ママも一緒に居たいよ…いつもそんな思いだった)付き添い出来なくてゴメンネ看護師さんに頼んでいるからもう少し待っててねといつも娘に言ってた。娘は大部屋に移ってからだんだん元気がなくなっているのを感じた。面会に行くといつもウトウトしている。声をかけると一瞬目をあけるけどまたウトウト…(手は力強く握ってた)いつもウ
覚醒し始めた母は妹とバトンタッチ後、さらに覚醒度を上げた。介護ベッドで背中にクッションを当て側臥位でテレビの相撲を見ている写真がLINEで届く。それが介護ベッドでなければソファーで寝ながら相撲を見ている母にしか見えない。食欲も戻り、またヨーグルトやプリンなどを食べられるように。週明け私が実家へ行くとベッドの背もたれを起こした母はしっかりと起きていて、「ただいま」と言ったら「おかえり」と声を出して言ったので驚いた。会話らしい受け答えをしたのはいつぶりだろうか。さらに夜、私が缶のジン
今日は新年度初のPTAの委員会があり今年引き受けてしまったことをちょっと後悔しながら雨の降るなか学校へ。ほんとなら去年一年間やったので在校中に一回やるノルマはもう達成してる。だからやらなくても良かったんだけど2月の最後集まりの時に人手が足りないと言うのでなら少しでも力になれたらと思って継続したんだよね、、『PTAの集まりで。』この前今年度最後のPTAの集まりがあって一人一人発言する機会があったんですがみんな頭良さそうというか賢そうというか内容が活動の反省点だったり今後の課題だっ
こんにちは、ダイスケです。今日は2024年4月24日です。ここ最近、暖かいせいもあり汗をかいてオプチューンで頭皮の肌荒れが目立つようになってきました。今の所分かってきた肌荒れ対策で効果のあった出来事を書いてみます。1.頭を洗う時は優しく洗う。気持ち良いからといってタオルに石鹸つけて痒いところをゴシゴシ洗うと後でそこが痛んでくるし、滲出液も出てさらに悪化してしまう。ほどほどに優しく洗うのが良いようです。2.素直に皮膚科でステロイド外用薬(ローションタイプ)を出してもらう。軟膏や
こんにちは。命日を終えて、数日経ちました。みなさん、とても素敵なコメントありがとうございます。2年目なのに覚えていてくれてる方がいて、お供え送ってきてくれたり線香あげに来てくれたり東京からお花を送ってくれたり我が家では三回忌という法事はしなかったので、とてもありがたい気持ちでいっぱいです次男も喜んでくれてるような気がします。お墓にも、たくさんの綾鷹が置いてありましたサッカー部の子が来てくれたんだと思います命日が過ぎて2年経ったらやりたい事がありました。次男が撮っていた風景写
●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを書き留めておきます。最近、毎月このフリですね。苦笑●お義母さん(奥さんのお母さん)は5年前に亡くなられているのですが、コロナ禍もあって納骨が出来ず、遺骨はお寺でずっと保管してもらっていまし
2023年4月24日手術から11日、退院から3日退院後検診。※時差投稿・傷の確認→◯・熱→×依然として夕方から上がり、深夜39度近くまであがる。ただ、辛くはない。熱だけ。<原因>脳に置いてきたギリアデルが2週間から1ヶ月はまだ溶け切ってないから、その副反応だと思うとのこと。調べると腫瘍熱というのと同じ症状なので、他に腫瘍があるのか?まだ残ってるのか?と不安ばかりでしたが、主治医の言う通り、ある日突然出なくなりました。後半は、熱が出るイコール、がん細胞死ぬ!と思い直して
水分を摂る事ができなくなって4日目、妹が目をつぶった母におはようと声をかけ指でまぶたを開けてみたそうだ。するとしばらくそのまま目を開けてキョロキョロしており、だんだん焦点が合ってきたらしい。そして妹とバトンタッチをして母の様子を見ていると時々うっすら目を開けるようになった。もうすこしはっきり目を開けたら水分をとらせてみようと思う。翌日朝方に様子を見てみると目をしっかりと開けていて、視線も動く。喉乾いた?と聞くと少し頷いたように見えた。頭を起こし野菜ジュースをコットンにしみこませた
寝たままの母の手を握りながら色々と母のことを考えるようになった。母は明るく面白い人で社交的でもあったので仲良くしている人は多かった。だが、かなり常識外れで傲慢さもあったので母を嫌いな人も多かったろうと思う。かくいう私も、子供のころは友達のお母さんたちとは様子が違う母が恥ずかしかった。大人になってからは母がもしただの知り合いだったら絶対に仲良くならないタイプだな・・・と思っていた。性格の合う合わないだけではなく詳しくは書かないが家族として裏切られたりしたこともあり嫌いだと思うこともあっ
こんにちは、ダイスケです。今日は2024年4月23日、火曜日です。主治医と今後について話をしてきました。4月5日のMRIに写っていた腫瘍増大画像ですが、放射線の擬似増悪、免疫療法の擬似増悪、放射線壊死、再発、それぞれの可能性について一通り話しをして、どれもありうるという事で、どちらにしても期間を置いて画像検査するしかないという結論になりました。ただ、再発については主治医も期間が早すぎるということで、大分懐疑的だったのでその言葉で少し安心出来ました。少し先ですが、5月末にMRI
今日は術後MRIの説明とか受けた。左前頭葉に6センチの腫瘍があったんだけど術前術後の比較画像みせてもらったらそこだけすっぽり脳が無くなってたでも後ろの方?おでこ側じゃない方?に少し白いのが残ってる。腫瘍は9割取れたらしい残ってる部分については多く出血して触れなかったと。でも最初先生は82%を目標に取り除くって言ってたしそれより多く取れたならよかったなぁと思った(手術でどれだけ取り除けるかで予後が変わるって見た気がする)その中でオプチューンについても軽く説明受けて実物
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
さっき説明を受けていた部屋に入ると主治医は「先程は流してしまいすみませんでした。本人もいたので、、」と「先生、、はっきり聞きたいです。」そう私が伝えると主治医は険しい顔になり「はい。」と言った内容がもうほんと記憶が薄いというか聞きたいと言ったの私だけど聞きたくない話しかなくて頭の中パニックだったから細かく覚えてないけど・夫の余命は19ヶ月。2年はないくらい。・本人にはハッキリ言わなかったが仕事復帰は厳しいと思う。•主治医がみてきた経験を考えてもこの病気の予後は
2023年4月21日※時差投稿です4/13の術後、4/21に退院し、・4/25-抗がん剤テモゾロミドGW休みがあるため、ズレて、・5/8-放射線開始→土日を除く平日連日通いで60Gyを30日かけて実施しました。初回放射線まで空くため、再発してしまうのではないか、と不安で不安で先生に伝えたところ「先にはじめても休みで中断することになるなら、連続の方が良いという判断です」と言われ、気持ちを落ち着かせた記憶です。それまでに、あてる位置がずれないようにするためのかぶるマスクをつくりまし
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います話は少し戻ります2023年2月1日医師に言われた言葉「3月3日に治療が全て終わり当院で出来る事は無くなります」同時に伝えられたこと退院後は2週間おきに投薬の
4/18(木)9時少し笑って「どうせ寝てるだけで終わるんだから〜」と言って手術室へ入っていった旦那主治医からは早くて夕方だけど2〜3時間のびることもあるので自宅が近いなら自宅で待っていていいとなので家で待っていた17時頃には今にも病院から電話がくるかもとソワソワ19時過ぎ病院から電話がきた「すみません。まだ終わってません。もうしばらくかかります。」不安で落ち着かない外は雨が降ってる21時40分病院からもうすぐ終わりますと電話ダッシュで病院に向かう真っ暗で雨
父、一人介護2度目の木曜日。11時半に訪看さんが来る予定なので安心していた。お昼すぎに父からLINEで「母、またうんち失敗。自分でおむつを引っ張り出してしまった。」と連絡が・・・10時半頃、母は左手で便のついたオムツを引っ張って外してしまったらしい。父ではどうにもできず訪看さんに電話をし予定より早めに来てもらいオムツの処理から汚れたシーツの取り換えまですべて行ってもらったそうだ。すべて終わって安心して家族LINEで連絡してきたようだ。母も汚れたオムツを取り換えてもらえず相当気持ち
主治医は脳腫瘍について丁寧にわかりやすく図を用いて説明してくださりました以下、主治医より説明を受けた内容(覚えている範囲で)・脳腫瘍自体、珍しい病気・脳腫瘍の種類は、良性と悪性を合わせて120種類程度存在する・良性は脳との境界線がはっきりしているため、手術で取り除きやすく完治が見込める・悪性は染み渡るように広がっているため、正常な脳と混在しており、現在の医学だと手術ですべて摘出するのは不可能・腫瘍の種類は、一度手術で組織を採取して検査しないと断定で
こんにちは、ダイスケです。今日は2024年4月19日、金曜日です。午前中はリモートワークで仕事。11時30分で仕事が終わったので天気も良いし、軽くサイクリング。近所の渓谷まで1時間乗ってきました。野鳥の鳴き声と川の音で癒されました。そういえば、4月頭くらいから気になっていた湿疹が良くなってきました。フィコンパという薬の薬疹疑いで飲むのをやめて10日経ちますが、ようやく落ち着いてきたようです。ただ、完全に元に戻るには21日ほどかかるようなので、まだもう少し先となりそうです。腫瘍
母がおむつ替えの時など右腕をかなり痛がるので心配になり急遽訪問診療の医師に来てもらう事にした。家族が腕に触るとあんなに痛がるのに先生が診るとあまり痛がらない。原因も痛い箇所もいまいち分からず。とりあえず骨に異常はなさそうだ。右足はそれほどでもないが右手はかなり麻痺が進んでいるようで自力ではほぼ動かせなくなっている。麻痺する感覚とはどういう感じなのだろう。痛いという事は麻酔をかけた状態とは違うということか。右腕の上げ下げで特に痛がるので着替えや清拭などヘルパーさんにお願いしている作業
年明け間もなくして要介護2の認定が下りた。だが認定員が調査に来た時から母の状態はかなり悪化しており要介護2ではないことは明らかだ。ケアマネさんよりすぐに区分変更申請しますとの連絡をいただいた。1/12に再度認定員が調査に来ることになった。介護生活約1か月でなんとなく1日の流れの用なものができてきた。ここでは書かないが、今後のことで心配事が複数ありそれをひとつひとつ解決していかなければならない。1日の流れが出来てきたので介護の合間に手続きなどを妹と進めていく。妹は本業もあるのに大変だ
今日は、とても風が強い家の最寄り駅の隣に大きなソメイヨシノがありホームに立ってたら桜吹雪🌸この頃、何を見ても主人の最期の時に繋げてしまうまだ、主人、存命です。でも、昨年11月に再発と知り術後からは、歩けなくなり自分で何も出来なくなり話せなくもなりもう、脳は半分なくもう、寝たきりの骨と皮しかない身体になり緩和ケアに入りました意識レベルも、どんなものか昏睡ではなく、昏迷状態と聞きましたがこちらの声はわかってるのかも、手を触ってもわかっているのかも、何も返事はなく
2023年4月14日※時差投稿です手術が終わり、2分くらい夫と会ったあと、麻酔が完全に切れた後は、ただひたすら痛くて痛くてたまらなかったです。脳は神経がないから痛くないはずとか、そんなに痛がる人初めてとか言われましたが、嘘でしょ?!?!時計が壊れているのかと思うほど時間が経つのが遅かったです…そして、翌日くらいから、腫れが。さらに、夕方になると熱が38度くらい出るように。夕方までは36度台、夕方以後37.8-38.5程度になり、それが術後1、2ヶ月続きました。追加で扁桃腺
正月三が日が過ぎ、1月4日は私も妹もどうしても実家には居られないため母が寝たきりになってから初めて父一人で1日過ごさなければならなかった。父から「訪看さんに浣腸をしてもらってかなりの量の排便があった。看護師さんに飲む栄養剤を医師に処方してもらうと良いと言われた。」とLINEで連絡がきた。「痛がった」と父のメモにあるので自力排便ではなく摘便をしたのだろう。次の日の朝5時ごろ、父から「夜中1時いきなりうんち。準備不足だった」とLINEが届く。前日の浣腸で出きっていなかった分が出てしまったの
見送ってきました。今日は手術の件数が多いみたいで手術室の前でいろんな家族が「いってらっしゃい」とか「がんばってね」とか一言伝えてから手術室に入っていく中旦那は迷いなく手術室に入っていこうとするので看護士さんも「えっ」って反応してました。「ちょっとー!何か一言ないの?」ときくと「どうせ寝てるうちに終わるんだからー」と少し笑って行ってしまいました。
夫の脳腫瘍発覚前主な症状は寝てばかりってことと頭痛だったんだけど時々変な発言があってそれも気になってた夫の変な発言(これがせん妄というのは最近知った)1️⃣息子はいつ○○に転校すんだっけ?○○は夫の職場の最寄駅。転校の予定はないし急にそんなこと聞かれて「何言ってんの?」と答えたふざけてんのかなと。2️⃣今日は息子の学校に行くんだっけ?これは病院に連れてく日の朝。「何言ってるの。病院に行くんでしょ。」って答えたらそっかーと。布団から起き上がらせるのも大変でスイッ
倒れてから1年半の闘病の末、母が急死しました。深夜、施設からの電話で反応が無いと言われ10分足らずで到着しましたがすでに亡くなっており臨終に立ち会えませんでした。前日も当日もケアのために夕方まで施設に行き、マッサージもしたけど私を見ても娘と認識していなさそうで、すぐ眠る以外は気になるところもなかったので突然過ぎて気持ちの整理もつかないまま葬儀を終え、施設退所しました。3ヶ月ごとのMRI検査の結果を聞きに受診する予定だったのにその前に亡くなり、せめて検査結果を聞きに行きたいと思っています。お
去年の10月から、書いてなかったんだね〜いっぱい、色々あったコメントいただいて、ホント、そう思いたい。脳外科のドラマ、始まりましたね。言葉、言葉に、気持ちに突き刺さるものあるんだけどなんで、ああ最後はハッピーエンド?風に終わるのだろうまあ、TVドラマだからしょうがないか…ね