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月命日もう11日ですが…2月の月命日は仕事がお休みでした。毎月、休み希望は出しているけど、人が足りない時は出勤しちゃう。家でゆっくりできる、お休みの方がいいのかな。毎日、朝と寝る前に息子の前に座る。何で遺影に話しかけているのかなーと不思議な気持ちで悲しくなる。普段から普通に話しかけてはいるけど。毎日、泣いたりはしないけど、急にドッと悲しみが襲ってくる時がある。段々と麻痺が進み、自分の体が動かなくなっていった頃。息子は何も言わずにいたけど、泣きたくて、悔しくて、本当に辛かったと
2024.5.21日曜日にパパの小学校からの友達数人が家に会いに来てくれました!この仲間達とパパはずっと定期的に会っていて、結婚式でも余興をしてくれたメンバーです。腫瘍が分かる前の2月半ばも一緒に飲みに行っていました。腫瘍が分かって最初は心配かけたくなくて連絡できなかったのですが、会えないまま自分に何かあったら後悔すると言って病気のこと伝えていました。すぐ県内3ヶ所の神社をまわってお守りと御札を持ってきて治療頑張れ!って言ってくれました。初期治療前に会って以来、2ヶ月
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
2022年4月4日昨夜。悪夢の始まった夜は全く眠れず勝手に時間が過ぎて翌朝が来ました。朝から花がっぱ見て笑ってるみくちゃん。みくちゃんは夜もよく寝れていたし朝も一見、元気。朝ごはんもお味噌汁にごはん入れてねこまんまにしたら食べやすい(飲み込みやすい)のかいっぱい食べてたね!パパが朝スライムを持って来てくれるのが楽しみで仕方なくて「楽しみ楽しみ楽しみ〜」って右手を横に動かす仕草をママと何度もやってたね。スライムきたーーーー!!スライム到着で大喜びのみくちゃん。「さわって
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
2024.5.16初期治療が終わって1週間になりました。目眩を自覚したのが2月の半ばなので、それから3ヶ月が経ちました。今もフワフワとした目眩は完全には消えていません。パパが言うには下を向いてていて、そこから上を向いた時や後ろを振り返った時にふらつきや目眩がまだ少しあるそうです。14日火曜日にMRI撮影と脳外科受診に行ってきました!前日は不安と期待と緊張でなかなか眠れず、寝た後も何度も目を覚ましてしまいました。その度にパパも起きていて、パパの不安も大きい事は分かっていたの
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
旅立ちから“1年”過ぎゆく日々はあっという間でした。今でも信じられない気持ちとあの子がいた日々は本当にここにあったのか不思議な、そんな、気持ち。未だに直視することができないアルバムや動画もありでも会いたい気持ちもありでも会えなくて。全然違う世界を歩きだしてるよ。ただ、ひとつ変わらなかったものはあの子への愛。愛は不変。ずっとずっと想っているよ。
2022年4月6日朝方。みくちゃん夜はよく眠れてるね。(病気による膀胱直腸障害で)便秘になってきており摘便とラキソ3滴でお通じあり。本日造影MRI。ST、OTが初回診察。PTがベッドサイドでストレッチ方法を教えてくれた(足首なども)。幼稚園へ電話(F先生へ状況伝えた)。その後I教頭より折り返し電話ありI教頭は電話口ですごく泣きながら「良くなった時は車椅子だとしてもどんな状況でも登園してきてください、待ってます!」と言ってもらえた。ありがたい...新体操のM先生にも電話
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
こんにちは。Twitterでは昨日報告ツイをしましたが・・・再燃後の放射線治療の評価(結果)を聞きに行ってきました。正直、心は無でした。どうなっていようと治す方法が無い以上できることをするしか無いですから。でも、診察室に入るとき主治医の暗い表情を見た時からあぁ、、、良くない事があったんだなとすぐに察しました。以下、結果として・再照射の脳幹部の腫瘍は縮小しているので照射の効果はあった。・播種部分も白い影が縮小しているので
毎日沢山の方にご覧頂き沢山のメッセージやコメントを頂き心から感謝申し上げます。お返事を書けずにおります事申し訳なく思っております。全て見させて頂き“見て下さっている方がいる!”と沢山お力を頂いております。本当にありがとうございます。今回はブログを書くことに決めたきっかけを書きますが、超個人的意見ですので、ご不快になった方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。。。今回はスルーして頂いた方が良いかもしれません。。。色々な意味でお許し頂けます方だけ
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ
※娘の最期にも触れている過酷な内容です苦しい方はご遠慮ください※※後半のところ補足しました※昨夜撮りためてあった「アンサングシンデレラ」を見ました。テーマは『在宅医療』物語は夫婦の話で旦那さんが奥さんを看取る姿が描かれていたけれど……見るもの、出てくる単語など娘の闘病生活との共通項が多くて、涙が止まりませんでした。ドラマで描かれていた投薬によって意識が薄れていく姿それをするかしないかの選択肢娘の場合7月13日の痙攣以降明らかに状態が落ちていきそこから痙攣止めの処方。
※現在まで書き溜めているのですがきちんと整理して書いていきたいのでゆっくり更新していきます。7月某日お姉ちゃんと2歳違いの次女が5歳を迎えてすぐ七五三の前撮りに行った日。なぜか、真っ直ぐ立ち続けるのが難しいようでお姉ちゃんに寄りかかったり右足がおぼつかない感じがした。今思えばこの日にはもう病魔に侵されていた。次女は人を笑わせるのが大好きな子で変顔だったりユニークなダンスをしたり面白いことをしたりするのが大好きでした。だから、歩くこともおしゃべりも普通にで
今のなーちゃんは喋ることもできなくなってほぼ寝たきり。うん、ううん、も難しく頑張って意思表示をしようとするけれど分かってあげられなくてお互いに苦しむ。寝返りもできないから夜中もうめき声で呼ぶ。食事や飲水も難しく嚥下障害も酷くなった。そんななーちゃん先日MRIを撮りました。予想通り、播種がありました。想定内。水頭症になってる。想定内。手術はできません。想定外…、、、あっという間に意識障害が出て傾眠になるまで早かったから手術はできないんじゃないかとはう
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
昨日は天使の日だったそうです。天使ママさんのブログで初めて知りました天使ママさんたちによって毎年イベントが開催されていたそうですが今年はコロナで中止のためそれぞれの場所で10時04分にシャボン玉をふいて我が子を想う。それをインスタLIVEで繋がりながら行える。ということで私も参加してみました!!夫は仕事のため息子と2人です。インスタLIVEで全国の天使ママと繋がりながらのシャボン玉同じ気持ちのママが沢山いるんだみんな頑張ってるんだみんな空を見上げながら我が子を想ってるん
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
2024.4.4放射線8日目計14.4Gyテモゾロミド内服7日目放射線宿酔は少し落ち着いてきました。疲労感や倦怠感はまだありますが午後からずっと寝込まなくなり、吐き気もあったりなかったりですが、週末より食べる量が増えました。頭痛はいつもの偏頭痛とそうじゃない後頭部のズキズキがあります。4月2日の放射線後に脳外外来を受診して来ました。最近思うのが、先生って本当にすごい。当たり前かもしれないけど、知識量が豊富で文献や論文を読み尽くしてるのか、私が調べてこんな治療はどうなん
主治医O先生からの説明(MRI結果)・腫瘍サイズが少しだけ大きくなってる・白いモヤモヤが小さくなってる→壊死が小さくなってる可能性(良いこと)・でも全体的な大きさが少し大きくなってるかな。・アバスチンは壊死には効いてるが、腫瘍の増大に対しては効いてないかなと。でも症状を抑える効果はあると思うので、アバスチン続けていく方向。・抑え切れてないけど抑えれてる部分もあるのでアバスチン続けていくのがいいと。・脳幹腫瘍じゃないが、一旦大きくなった腫瘍にアバスチン続けて腫瘍小さくなった人がち
2024.3.13パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって8日目。大学病院を受診しちょうど1週間。パパの目眩は強くなったような、変わりないような、そういう感じなようです。パパは今メチオニンPET-CTを撮っています。1時間かかるそうなので私は終わるまで待っているところです。この1週間を振り返ると、人生の中でも忘れられないものになりました。長かったような、短かったような、とにかく苦しい1週間でした。私の気持ちはジェットコースターみたいに上がったり下がっ