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4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
先日、お世話になった訪問看護師さんたちが渚に会いに来てくれました。お花とお菓子もいただきました。ありがとうございました最後にお会いしたのはレモネードスタンドのお話をいただいたにこりのお祭りで会いましょう!この時↑が最後でした。闘病が終わってからも気にかけてくださり命日が近くなると会いに来てくださる。本当に有難いことです。いただいたお花💐ずっとずっと応援しています。たくさんの子ども達やそのご家族が救われますように
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
今日は残されたもう一人の娘長女について少しだけお話ししようと思っています。彼女のプライバシーに配慮しつつきょうだいを幼くあるいは若いうちに亡くされた立場の方その親の気持ちなど参考になれたらとあくまで一個人としての記録として残せたらなと思い書き記します。4月に入って新学期を迎えクラス替えや新しい担任の先生など繊細な長女にとって慌ただしい日々が始まりました。幸いにも新しいクラス、先生も雰囲気が良いようで長女はとても安心して通っています。相
昨日は心菜の月命日でした。本当は31日ですが31日がない月は末日。「さて、今月は何日が月命日でしょーか!」ふざけながら質問してくる心菜の姿が浮かび「31日とは心菜らしいな」と思ったものです。いつもは忘れん坊なパパも心菜の月命日の買物は絶対に忘れません。毎月心菜が好きだった物や心菜が好きそうな物を買ってきます。でも、それは「4年前」の心菜の好みで「今」ではありません。だから「あの頃」の好みが並ぶと最近は悲しくなる時があるんです。生
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ
ちょっと感情が大荒れしてXではボロボロ呟いてる私ですがアルバムの整理始めました。基本的にはしまうまプリントさんでフォトアルバム作るんですがiPhoneでも画質の良いスマホでもないので旅行した時やイベントの時はデジカメを持参しています。・・・といってももうだいぶ古いSONYサイバーショットDSC-WX350なんですがスマホで撮るよりかは良いです。いい加減買い換えた方が良いのだろうか特にこだわりも不満も無いので家電はわりと長く使うタイプですただ
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================6月に入ってもグズグズが続いていた娘。進級当初の4月は、クラスのママと話すと「うちもだよ!」が多かったのですが、この頃になるとそんな感じなのは娘だけになりました。情緒不安定なのかな?と思って、娘の楽しみを見つけ
2022年4月6日朝方。みくちゃん夜はよく眠れてるね。(病気による膀胱直腸障害で)便秘になってきており摘便とラキソ3滴でお通じあり。本日造影MRI。ST、OTが初回診察。PTがベッドサイドでストレッチ方法を教えてくれた(足首なども)。幼稚園へ電話(F先生へ状況伝えた)。その後I教頭より折り返し電話ありI教頭は電話口ですごく泣きながら「良くなった時は車椅子だとしてもどんな状況でも登園してきてください、待ってます!」と言ってもらえた。ありがたい...新体操のM先生にも電話
こんばんは。最近はTwitterの方にすぐ報告しちゃうから何から書けば良いのか………。とりあえずご報告としては予想通り脊髄に播種がありました。でも予想よりかなり悪く広範囲に腫瘍があってこの増大スピードは厳しいです…と涙目でおっしゃった主治医。そっか、そっかぁ…宣告された時から残された時間についてはずっと頭から離れることはなくてでも大丈夫、まだ大丈夫まだ一緒にいられる。そう思って今日までやってきた。
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================娘のもとに戻り、すぐさま入院の説明です。必要な物を聞いて夫に連絡。娘の病室までの移動は車椅子です。なるべく楽しくしたいと思い「車椅子、鮎川くんと同じだね~♪」と笑いながら向かいました。鮎川くんとは娘と
昨日のダリア奥の隠れ気味のダリアは、咲ききれていなかったけど、朝にはまん丸になっていた始めて買ったダリアまん丸だと、ガーベラが多かった我が家ダリアの茎は、ガーベラと違ってしっかり堅め保水スプレー剤も購入してしまったわ少し気温がさがってきたから、長持ちするといいな鉢植えも枯らしてしまう私土いじりも苦手だし、そもそも虫が苦手だから植物の扱いが苦手フラワーベースもなかった我が家娘がいなくなって、たくさんのフラワーアレンジメントをいただいた数日経って、元気なまま
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================情緒面以外の変化として、時期も含めてはっきり覚えているのはお菓子のグミを食べなくなったことです。4月初旬の出張のお土産に、ご当地グミを買ってきました。グミは以前から好きでしたし、パッケージが可愛くて娘も大喜び!
闘病記シリーズも結構長くなってきたので今回から自己紹介を作ってみました。よろしくお願いします。自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在症状は改善。週に1~2、リハビリと訪問看護師さん、月に1~
麻痺の進行、止まってなかった。また、あっという間に自立歩行できなくなった。その速さに現実をつきつけられる。例外は無い病気なんだなって。今日は検査入院の為にPCRとそして自立歩行ができなくなったので入院する時の部屋の相談し(車イスが必須なのでトイレや洗面が近い部屋にしていただきたく)照射というスケジュールでしたが突然、照射の前に激しい嘔吐。激しい嘔吐はあの日以来…再燃したあの日が蘇って頭が真っ白になる。ぐったりしていたので照射は中止。慌てて小児科に戻りました
前回の遊園地が終わった後脊髄への照射もようやく終わりました。始業式のブログでも書きましたが現在でもやはり歩けるまでには至らず。残念でなりません。また奪われた身体機能や体力のせいで今はまた寝たきりの時間が増えてきました。脳幹の再照射後はその子たちや症状にも寄りますがわずかに生存期間が延びるだけ。・・・そういうことなんでしょう。書きたくない、言いたくもないだけど、現実を見つめることも大事なことで。娘が少しでも長く笑っていられる日がきますよう
ちょっと色々あって疲れてます。なーちゃんの状態も波があってでも、落ちてる時間の方が(傾眠傾向)圧倒的に長くなってきて段々死神の足音が近づいてきてるようなそんな気持ち。ママきらい〜!ババァ〜!ぶさいくー!なーんて軽口を叩く悪ガキなーちゃんでしたがママ、そばにいてママといたいママが良い…って言って私の腕を不自由ながら一生懸命つかんでくるんです。言葉も段々出にくくなってるのに頑張ってかすれた声でゆっくり、ゆっくり私を呼ぶ娘。こんなこと今まで一度も無かっ
2022年4月9日(土)ラキソ4滴お通じなしみく食べたもの朝:昨日のたこ焼き残り5個とクレープ少し昼:クレープ一個完食夕:チャーハン1/2今日は土曜にてリハビリなし。じいじに(ままの父)「一度外のお風呂にでも行ってきたら」と言われて全くそんな気分ではなかったけど土曜でパパが付き添い交代しにくる時間はママはどちらにしてもここにいられないから(1人しか病室にはいられない規則)じいじと病院近くの大きなスーパー銭湯へ。入ると、子供用の小さな洗面器とお椅子が目に入り涙が溢れ
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
沢山の応援ありがとうございます!娘は頑張りました娘は走り抜きました皆様へ本当にありがとうございました。
夢を見た。渚はいなかったけど私は何故か彼女の靴を持っていた。場所は小学校の下駄箱。多分、入学式。一生懸命訴えてる。みんなとは一緒に入学できなかったからせめて靴だけはここに置いて写真を撮らせてほしいって。でも、みんな困っていた。あぁ、駄目か・・・ってガッカリしたところで目が覚めた。起きたら泣いてた。久しぶりだった。目が覚めて泣いていたのは。ここ最近は、明るくいようと
何をどこから書いていいのやら。4連休土曜日から状態が落ちた娘。体温調整も更に難しくなり朝は39℃台から冷して下げるも続き心拍150サチレーション80前半とか数値的には心配な感じになり指先も紫になりでも基準は見た目娘が穏やかかどうか飲み物は、飲む!なっちゃんオレンジ飲む!目が覚めてる時に「飲むよー!」と言うと舌を一生懸命に動かします。左側の目でお返事できなくなったらお返事できるところを探します。飲むかどうかのお返事は舌ベロ。かわいい。笑
7月13日(月)朝起きたものの、またも寝てしまいお昼近くに起きました。起きてからいつものようにご飯お米などをミキサーしたスープ風ご飯を順調に食べ進めていたのですが途中で突然嘔吐しました。前触れなく、久々の嘔吐に驚き、ご飯は終了。でも、アイスが食べたいというので時間を空けてアイスタイム。こちらは戻すことなく食べました。いつもよりボンヤリしている娘。嘔吐したこともあり疲れているのかな?とゆっくりと過ごすことにしました。異変が起きたのは18時過ぎ。本日2食目を一口食べた後、なんだ
こんにちは。少し遅くなりましたが春休みに叶えた夢について書いていこうかな、と思います実はこの春休み中はまだ脊髄への照射は終わってませんでした。ただ、採血の結果が問題なかったことそしてもう時間がないこと主治医からは今が一番お出かけできるときだと思いますと言われていたのでなーちゃんの体調を考慮しつつ行けるなら行くぞ!と県内の遊園地へ向けて出発しました。その日は春休み入ってすぐで県外に住む妹家族(共働き)も繁忙期なのに無理して遊び
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
来月3歳になる末娘宛てに3歳児健診の案内が届きました。我が家の住む自治体は日が決まっているわけではなく視力検査など、健診項目のいくつかを自宅で練習をして、それができるようになったらかかりつけの小児科で検診を受けます。各検査はそれなりの理解力が必要なので3歳後半で受ける人が多いようです。心菜もそうでした。正確には後半...というより4歳間近で受けました。心菜の場合は理解がという点より私が日々やることに追われ遅くなったのですが2月4日が誕生日で1月に入
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================私の仕事は土日祝もあり、子供たちがお休みの時に仕事に出ることもよくありました。基本は夫がみてくれますが、2人とも仕事の時はどちらかの実家にお願いすることもありました。娘は生まれた頃からほぼ人見知りなく、ママへの後