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2024.5.12初期治療が終わって3日が経過しました。吐き気は段々とですが薄れてきています。もっと日数かかるかと思っていたので一安心です。ただ、テモゾロミドが終わる2日前に出てきた発疹がいまだにあって痒そうです。膨隆疹ではなく、所々に小さい発疹がある感じです。今1番辛い症状になります。14日のMRIの時痒くて大人しくしていられるか不安と言ってました。それまでおさまってくれたらいいんだけど。。。薬剤師の友達にも聞いてみましたが、やっぱり薬による可能性は色々あるみた
娘の病状説明と今後の話。夫と私と私の兄の3人で聞きました。生検手術直後の簡易検査で「ローグレードグリオーマかも」の説明があったので少し期待をしてしまっていた分結果を聞いてドン底でした。(以前のブログでも触れましたが、だから手術直後は聞きたくないと伝えておいたのに...。今思い出しても医療現場では真摯に改善してほしい点です)腫瘍にはH3K27Mの遺伝子があり結果的にはグレード4橋発症の典型的な脳幹グリオーマ正式名称『びまん性正中グリオーマ』1年生存率10%未満と話があり
できる限り早めにしたい手術というこで、執刀医がいる日の最短で組み込まれた手術。時間は手術室が空いた瞬間に呼ばれるオンコール。予想より早めのオンコールだったので夫はギリギリ。でも、間に合った!良かった!手術室まで3人で向かいました。「手術終わったらご飯食べようね!チャーハン!パンでもいいかな!」って。可愛すぎる。終わったら好きなもの食べようね!麻酔をかける部屋へは1人しか入れなかったので、娘のご指名でパパが一緒に。パパの話ではものものしい雰囲気に泣いたそうですが、麻酔ですんなり
何をどこから書いていいのやら。4連休土曜日から状態が落ちた娘。体温調整も更に難しくなり朝は39℃台から冷して下げるも続き心拍150サチレーション80前半とか数値的には心配な感じになり指先も紫になりでも基準は見た目娘が穏やかかどうか飲み物は、飲む!なっちゃんオレンジ飲む!目が覚めてる時に「飲むよー!」と言うと舌を一生懸命に動かします。左側の目でお返事できなくなったらお返事できるところを探します。飲むかどうかのお返事は舌ベロ。かわいい。笑
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================近所の小児科受診から数日間。やはり、今までの元気が感じられない娘。弟と楽しそうに遊ぶし、元気がないわけではない。でも、やっぱり何かが変。そんなある日の朝のこと。娘が起きてからいつものように2階から呼ぶので迎
こんばんは。あれからなーちゃんはやはり自力でおトイレができなくなったので訪看さんにお願いして導尿や摘便していただきました。どんどん弱っていく姿に恐怖しかなかったですが先日、放射線科の先生にご相談して照射前に服用する吐き気止めのお薬を処方していただきました。その日は照射後だったので間に合わず嘔吐してしまいましたが帰宅後、服用して(先生から今日は帰宅後でも良いと言われたので)しばらく様子見てからちょっとずつアイスやたまごぼーろなどの食べやすいものを
沢山の応援ありがとうございます!娘は頑張りました娘は走り抜きました皆様へ本当にありがとうございました。
娘が休日救急受診で「十中八九脳腫瘍」と言われてから今日で1年です。「ママ、グーができない」と左手を見せてきた前日の夜。何かが変だと感じて3ヶ月決定的なことはなく病院を受診する程のこともなく1回嘔吐して発熱した時は夜間電話相談に電話した。ずっと抱えていた心配事やモヤモヤを話して言われた言葉は「お母さんがもっと甘えさせてください。」だった。そうか、私か。ああ...と思ったよ。でも、やっぱり何か変だと思ったから数日後に近所の小児科を受診した。
*アメーバー限定外しました*この先に棺の写真がありますご了承いただける方のみお進みください2歳半の息子絶賛イヤイヤ期お友達には超絶ジャイアンなのにお姉ちゃんの時だけは自ら、嬉しそうに必ず子分でしたみんなでいると無関心を装い騒いでますが家族になるとお姉ちゃんから離れませんある朝は朝イチでお姉ちゃんの布団をめくりずっと手を繋ぐある朝は起きた途端に暴れだし娘の枕元の写真を絶叫しながら倒しにいってた夫と私はただただ静かに見守りました
夫も息子もお休み中のためみんなでお出掛けしてます。夫が娘に見せたかった景色。とてもキレイで娘が行きたがっていた地元の遊園地(再照射の後に沢山行く予定だったのにコロナでお休みだった)の観覧車も見えたので娘は大興奮だったと思いますプールへも!息子もホントに頑張ってくれていて。息子にとってお姉ちゃんは生まれた時からいる遊び相手。娘は大人と遊んできた上の子だから「パパー!ママー!」と甘えたり、かまってほしかったりだったけど息子はお姉ちゃんがいてくれればそれで楽しくて親には興味
先日、娘が入院していた時に一緒に入院していた女の子のママと会いました。1年前は頑張って闘病していた2人。今はお空で一緒です。…悔しいね。脳腫瘍の疑いで娘が転院した時、隣のベットがちいちゃんでした。同じ歳で同じ女の子。入院とステロイドの副作用で不機嫌だった娘もちいちゃんにだけは積極的に絡んでいきました。勝手に仕切りのカーテン開けて、話しかけて入院初心者だった私は“迷惑かけちゃう”とすみませんの嵐。でも、ちいちゃんもちいちゃんママも温かく迎えてくれました。ちいちゃんママは
GW明けから、やや過活動傾向やばいやばい動けないことはあっても、過活動傾向は初めてのパターン私にしては予定を入れている出勤のある日は、午前中は体力気力を温存していたでも、明けてからは1日中動いてる最近は、夕食に新しいメニューにチャレンジしているおかしい…今日みたいに、まったりしてこそ私らしいのにママ友からのLINEで、今朝は小学校のPTA作業があると知った私が最後に参加したときを鮮明に思いだしたすっかり記憶の彼方に消えていた行事なのに娘が倒れる1ヶ月ほど前マ
目が霞む。背中が熱い。それだけ、それしかないのに。普通に朝がくると、あれ?と忘れてしまってる。夢じゃないとわかり涙が出る。悔しくてたまらない。悲しいんじゃない、悔しい。当たり前に孫は笑ってるから。あと7回で放射線治療が終わる。終わった次の日にはユニバを約束してる。それまでに目が見えなくなったらどうしよう。立てなくなったらどうしよう。不安しかない。4日前に孫を自宅に泊まらせてたら、娘夫婦は孫を迎えに来なくなった。
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
皆様、こんばんは。本当は週末にupする予定でしたが急遽ブログあげてます。・・・というのも前々から前回放送された内容をさらに枠を拡大してなーちゃんの闘病中の事そして、それからの家族の事をより詳しく特集していただき深夜枠にはなってしまうんですが放送される予定だったのでそれのお知らせをブログにしようと思っていました。記者さんからは今日告知があります!とご連絡いただいていたので知ってはいたのですが放送日時のお知らせだけさらっと流して終わりだと思っていました
実は3年前の5年生の時にある日突然息子が頭が痛いとのたうち回るというか、、、ベッドの上で布団に頭を擦り付けて痛い痛いと言っていて、、、鎮痛剤を飲ませても今ひとつですぐに病院連れて行きMRIを撮りました。しかしとくに異常がないという事で、、、でも痛みがおさまらず、、、公立の病院に検査入院しました。どれだけ血液とられていたか、、、心電図も脳波もCTも、、、5日間入院しました。結局原因がわからないまま様子見ということに、、、その後「ママ、、、な
ちょっと前のことになりますが…5月30日に第3子が誕生しました。落ち着いてからこちらでご報告しようと思っていたら時間がたってしまい…ご報告遅くなりすみませんでした。ブログや各SNSを見ていて感じたことですが病児を持つ親や天使ママの場合、新しい命に関して悩むことが多い印象を受けました。かく言う私も、悩んだうちの1人です。もし参考になればと思い、ここまでの思いの経緯を記します。私たち夫婦は子供とワチャワチャ過ごすことが大好きでしたが・高齢であること・医学的に体外受精でないと妊娠が
8月1日から9月7日まで放射線IMRTリニアック1.8グレイ×28回合計50.4グレイ最初の二週間は通院でだんだん副作用が出てくる後半から入院と計画していました。しかし7月末の頭の重い感じと車の振動が嫌だということで本人の希望により初日から入院となりました。主治医からすれば一ヶ月延期した放射線治療です。そしてドクターから最終確認「同時にテモダールの処方はどうされたいですか?」私は答えました、、、「いたしません」と。ダブルの副作用は受け入れられませんでし
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
リブログがうまく反映できなかったので直接リンク張りますが悪夢の日―1―今日は渚の病気が発覚したあの悪夢の日でした。重複する箇所があるかと思いますが自分の気持ちの整理と振り返りの為にしばらく去年の事を今の私が書いてみようと思います。2022年8月1日コロナが猛威を振るっていてどこもかしこもコロナコロナで家に籠っていた気がします。私自身がコロナ禍に滅入っており(元々心配性+神経質な性格)当時は自律神経失調症と言われていて軽めの抗不安薬を頓服と
自宅に戻ってきてからボチボチと過ごしています娘が大好きなコストコのチーズフライいつも沢山食べてましたこちらは6月7日のことをまとめたものこの日以来我が家の食卓にチーズフライは並びませんでした。久しぶりのチーズフライ美味しく食べられたかな?もちろんなっちゃんオレンジも!たまに息子に飲まれちゃうので。笑その時はすぐに足します娘が食べたがっていたチョコケーキも夫と息子と私の3人で食べました。弔問の時にみんな持ってきてくれて娘はチョコケーキに囲まれましたそれを息子がどんどん食
ワールドカップルを息子と2試合ほど自宅のテレビで観戦しパパは空港に向かいました。私も日本を出て25年異国で会社を立ちあげ店舗も構えフィリピン人のヘルパーを雇いスタッフも雇い子育てしながらサッカー応援しながら仕事も出張もこなしていました。だからそれなりに強いといえば強い。主人とぶつかり合うことも多かった。主人からすればどうも思い描いていた日本女性とは違っていたみたいだ。その鉄のような女房がずっとずっと泣いてこんなにも弱々しくなっているさっきまで息子の前
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================「なんとなくママっ子になったなあ」そんなことを感じ始めた3月、4月娘は元々朝は1人で起きられないタイプ。起きたら2階から大きな声でパパやママを呼んで、迎えにきてもらって、おトイレを手伝ってもらって、抱っこへ
実はこの事を発病直後から感じ、、そしてある種の確信がありました。なんで今、、今日、、急にこれを書こうと思ったのか自分でもわかりません。このところ、、、小児科脳幹グリオーマの闘病ブログを書かれていらっしゃる方が多く10万人に0.3人のこの憎い病気、、とんでもないその病気に気づく事がなかなかできない、、小児科のお医者様も、、脳外科医もドクター人生の中で一生に一度出会うか出会わないかの病気です。Yuyaは典型的なDIPGとは違いました。通常のDIPGは脳幹の「橋」という部分に病
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================発熱、嘔吐以降は目立った症状がなかった娘。グズリやすかったり、よく眠るようになったのは続いていました。家では夫と話し合い小児救急の方の言葉もあり娘をとことん甘えさせてあげようとなりました。保育園の先生とも連絡
ちょっと感情が大荒れしてXではボロボロ呟いてる私ですがアルバムの整理始めました。基本的にはしまうまプリントさんでフォトアルバム作るんですがiPhoneでも画質の良いスマホでもないので旅行した時やイベントの時はデジカメを持参しています。・・・といってももうだいぶ古いSONYサイバーショットDSC-WX350なんですがスマホで撮るよりかは良いです。いい加減買い換えた方が良いのだろうか特にこだわりも不満も無いので家電はわりと長く使うタイプですただ
こんばんは少し日にちが空いてしまいましたというのも退院→通院に切り替え→放射線治療終了→MRIの流れだったんですが…放射線治療終了したタイミングで夫がコロナになってしまい私達家族は濃厚接触者となり病院に行けずMRIが延期になりました😭(今のところ家族は無症状で明日まで自宅待機です)今日記事にするPICC(末梢静脈挿入型中心静脈カテーテル)も抜去予定が延びなーちゃんには不便な思いをさせてます😫早く終息して安心して病院に通える日々になってほしいものですでは、
再燃してから治療を現在もしていますが、大学病院が計画していた治療も後しばらくで終わります。前回は国が負担してくださり、今回の治療費は全て大学病院が負担してくださったので助かりました。毎週毎週痛みに耐えながら頑張ってくれました。ですが次の治療がまだ決まっていません。数ヶ月前から主治医には次はどうしていくのか何度も聞いていますが、まだどうしていけばいいか決まらない状態だそうです。脳幹にある腫瘍が、いつ突然大きくなるか不安な気持ちでいっぱいです。不安な思いは消えず、あと残り2回の治療で一旦
娘の病気が発覚してから再燃を伝えられるまでの期間より再燃を伝えられてから今までの方が長くなりました。昨年の7月21日に緊急入院して生検手術を経て8月8日に確定診断11月19日には今までで1番小さくなっていた腫瘍を確認できたのに12月18日には増大し始めてた8月19日から放射線を30回頑張って11月11日には治験手術も頑張ってくれたのに酷だなただ再燃から今までの方が長いとはこれは、娘の頑張りの賜物だと思いますさすが、娘です。再燃してからは12月26日からアバスチンを2
高校時代に付き合ってたぐっちが去年9月に亡くなっていたと入院前に知ったよ。すっごい久しぶりに高校の先輩からLINEがあって。いつも娘と21時までには寝てる生活送ってたし音も出さない設定にしてるから気付いたのが4時で。そんな時間なのに返信したら先輩は起きてて。読んだとき、信じられなくて。?????がたくさん。でもホントのことだった。2022.9〜脳幹グリオーマって脳の悪性腫瘍で闘病していたんだけど2023.9に亡くなったそうです。と。ほんとにぐっちはいい人で。背が高く