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毎日沢山の方にご覧頂き沢山のメッセージやコメントを頂き心から感謝申し上げます。お返事を書けずにおります事申し訳なく思っております。全て見させて頂き“見て下さっている方がいる!”と沢山お力を頂いております。本当にありがとうございます。今回はブログを書くことに決めたきっかけを書きますが、超個人的意見ですので、ご不快になった方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。。。今回はスルーして頂いた方が良いかもしれません。。。色々な意味でお許し頂けます方だけ
2024.3.10パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって5日目。目眩を自覚してもうすぐ1ヶ月。症状に変化はなく、新たな症状もなし。うまく言葉には出来ませんが、今は次から次へといろんな感情が出てきています。否定、怒り、悲しみ、絶望、恐怖、どれも今まで生きた中で1番強い負の感情です。だけど、今隣にいるパパは立ち上がった時に目眩はあるものの、それ以外は普通で、だから泣いて暗くばっかりいられなくて、それじゃ時間はもったいなくて。ただ、どこかでこんな状況で笑っ
こんばんは🌕あっという間に4月が来てしまいました。こんなにワクワクしない春は人生で初めてかもしれない胸をギュッと掴まれるようなそんな時季になってしまいました。それでも、生きている限り時間は進むわけで。春休み前半は、長女がスイミングの春期講習に通いました。渚の異変をハッキリ感じた例のスイミングスクールですね。相変わらず複雑な気持ちを抱えつつもあの日ここに来なければ発覚が遅れ治療がズレていた可能性もあったと思うと運命だったの
以前もアメブロでご紹介したかもしれませんが数年前からもう1つブログを始めています。ここなとママの377日ママはとっても幸せでしたcocomamadiary.com基本的には私の気持ちを中心にかいています。始めたのは今から2年以上も前。心菜が旅立ってから1年のころでした。アメブロやSNSはリアルタイムの出来事を綴っていたので「心菜に生きていてほしい」という気持ちがいちばんでした。だからどうしても希望的観測が強くなり不安な気持ちは封印しがちでした。旅立ちから1年たったころ「私
来月3歳になる末娘宛てに3歳児健診の案内が届きました。我が家の住む自治体は日が決まっているわけではなく視力検査など、健診項目のいくつかを自宅で練習をして、それができるようになったらかかりつけの小児科で検診を受けます。各検査はそれなりの理解力が必要なので3歳後半で受ける人が多いようです。心菜もそうでした。正確には後半...というより4歳間近で受けました。心菜の場合は理解がという点より私が日々やることに追われ遅くなったのですが2月4日が誕生日で1月に入
2024.4.15放射線15日目計27Gyテモゾロミド内服18日目今週も放射線が始まりました!15日目。今日で予定量の半分が終わりました。最初はどんな副作用が出るか分からず不安で、副作用が出たと思ったら結構辛くて、今は最初に比べて症状は落ち着いてきたように思います。残りあと半分。何事もなく通院で行えますように。脱毛や皮膚の炎症は今のところありません。最近はテモゾロミドの副作用なのか、宿酔の影響もあると思いますが、吐き気が1番強い症状で食べれはするけど気持ちが悪い。吐くま
2024.3.13パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって8日目。大学病院を受診しちょうど1週間。パパの目眩は強くなったような、変わりないような、そういう感じなようです。パパは今メチオニンPET-CTを撮っています。1時間かかるそうなので私は終わるまで待っているところです。この1週間を振り返ると、人生の中でも忘れられないものになりました。長かったような、短かったような、とにかく苦しい1週間でした。私の気持ちはジェットコースターみたいに上がったり下がっ
2024.5.12初期治療が終わって3日が経過しました。吐き気は段々とですが薄れてきています。もっと日数かかるかと思っていたので一安心です。ただ、テモゾロミドが終わる2日前に出てきた発疹がいまだにあって痒そうです。膨隆疹ではなく、所々に小さい発疹がある感じです。今1番辛い症状になります。14日のMRIの時痒くて大人しくしていられるか不安と言ってました。それまでおさまってくれたらいいんだけど。。。薬剤師の友達にも聞いてみましたが、やっぱり薬による可能性は色々あるみた
娘の病状説明と今後の話。夫と私と私の兄の3人で聞きました。生検手術直後の簡易検査で「ローグレードグリオーマかも」の説明があったので少し期待をしてしまっていた分結果を聞いてドン底でした。(以前のブログでも触れましたが、だから手術直後は聞きたくないと伝えておいたのに...。今思い出しても医療現場では真摯に改善してほしい点です)腫瘍にはH3K27Mの遺伝子があり結果的にはグレード4橋発症の典型的な脳幹グリオーマ正式名称『びまん性正中グリオーマ』1年生存率10%未満と話があり
できる限り早めにしたい手術というこで、執刀医がいる日の最短で組み込まれた手術。時間は手術室が空いた瞬間に呼ばれるオンコール。予想より早めのオンコールだったので夫はギリギリ。でも、間に合った!良かった!手術室まで3人で向かいました。「手術終わったらご飯食べようね!チャーハン!パンでもいいかな!」って。可愛すぎる。終わったら好きなもの食べようね!麻酔をかける部屋へは1人しか入れなかったので、娘のご指名でパパが一緒に。パパの話ではものものしい雰囲気に泣いたそうですが、麻酔ですんなり
何をどこから書いていいのやら。4連休土曜日から状態が落ちた娘。体温調整も更に難しくなり朝は39℃台から冷して下げるも続き心拍150サチレーション80前半とか数値的には心配な感じになり指先も紫になりでも基準は見た目娘が穏やかかどうか飲み物は、飲む!なっちゃんオレンジ飲む!目が覚めてる時に「飲むよー!」と言うと舌を一生懸命に動かします。左側の目でお返事できなくなったらお返事できるところを探します。飲むかどうかのお返事は舌ベロ。かわいい。笑
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================近所の小児科受診から数日間。やはり、今までの元気が感じられない娘。弟と楽しそうに遊ぶし、元気がないわけではない。でも、やっぱり何かが変。そんなある日の朝のこと。娘が起きてからいつものように2階から呼ぶので迎
こんばんは。あれからなーちゃんはやはり自力でおトイレができなくなったので訪看さんにお願いして導尿や摘便していただきました。どんどん弱っていく姿に恐怖しかなかったですが先日、放射線科の先生にご相談して照射前に服用する吐き気止めのお薬を処方していただきました。その日は照射後だったので間に合わず嘔吐してしまいましたが帰宅後、服用して(先生から今日は帰宅後でも良いと言われたので)しばらく様子見てからちょっとずつアイスやたまごぼーろなどの食べやすいものを
沢山の応援ありがとうございます!娘は頑張りました娘は走り抜きました皆様へ本当にありがとうございました。
娘が休日救急受診で「十中八九脳腫瘍」と言われてから今日で1年です。「ママ、グーができない」と左手を見せてきた前日の夜。何かが変だと感じて3ヶ月決定的なことはなく病院を受診する程のこともなく1回嘔吐して発熱した時は夜間電話相談に電話した。ずっと抱えていた心配事やモヤモヤを話して言われた言葉は「お母さんがもっと甘えさせてください。」だった。そうか、私か。ああ...と思ったよ。でも、やっぱり何か変だと思ったから数日後に近所の小児科を受診した。
*アメーバー限定外しました*この先に棺の写真がありますご了承いただける方のみお進みください2歳半の息子絶賛イヤイヤ期お友達には超絶ジャイアンなのにお姉ちゃんの時だけは自ら、嬉しそうに必ず子分でしたみんなでいると無関心を装い騒いでますが家族になるとお姉ちゃんから離れませんある朝は朝イチでお姉ちゃんの布団をめくりずっと手を繋ぐある朝は起きた途端に暴れだし娘の枕元の写真を絶叫しながら倒しにいってた夫と私はただただ静かに見守りました
夫も息子もお休み中のためみんなでお出掛けしてます。夫が娘に見せたかった景色。とてもキレイで娘が行きたがっていた地元の遊園地(再照射の後に沢山行く予定だったのにコロナでお休みだった)の観覧車も見えたので娘は大興奮だったと思いますプールへも!息子もホントに頑張ってくれていて。息子にとってお姉ちゃんは生まれた時からいる遊び相手。娘は大人と遊んできた上の子だから「パパー!ママー!」と甘えたり、かまってほしかったりだったけど息子はお姉ちゃんがいてくれればそれで楽しくて親には興味
先日、娘が入院していた時に一緒に入院していた女の子のママと会いました。1年前は頑張って闘病していた2人。今はお空で一緒です。…悔しいね。脳腫瘍の疑いで娘が転院した時、隣のベットがちいちゃんでした。同じ歳で同じ女の子。入院とステロイドの副作用で不機嫌だった娘もちいちゃんにだけは積極的に絡んでいきました。勝手に仕切りのカーテン開けて、話しかけて入院初心者だった私は“迷惑かけちゃう”とすみませんの嵐。でも、ちいちゃんもちいちゃんママも温かく迎えてくれました。ちいちゃんママは
GW明けから、やや過活動傾向やばいやばい動けないことはあっても、過活動傾向は初めてのパターン私にしては予定を入れている出勤のある日は、午前中は体力気力を温存していたでも、明けてからは1日中動いてる最近は、夕食に新しいメニューにチャレンジしているおかしい…今日みたいに、まったりしてこそ私らしいのにママ友からのLINEで、今朝は小学校のPTA作業があると知った私が最後に参加したときを鮮明に思いだしたすっかり記憶の彼方に消えていた行事なのに娘が倒れる1ヶ月ほど前マ
目が霞む。背中が熱い。それだけ、それしかないのに。普通に朝がくると、あれ?と忘れてしまってる。夢じゃないとわかり涙が出る。悔しくてたまらない。悲しいんじゃない、悔しい。当たり前に孫は笑ってるから。あと7回で放射線治療が終わる。終わった次の日にはユニバを約束してる。それまでに目が見えなくなったらどうしよう。立てなくなったらどうしよう。不安しかない。4日前に孫を自宅に泊まらせてたら、娘夫婦は孫を迎えに来なくなった。
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
皆様、こんばんは。本当は週末にupする予定でしたが急遽ブログあげてます。・・・というのも前々から前回放送された内容をさらに枠を拡大してなーちゃんの闘病中の事そして、それからの家族の事をより詳しく特集していただき深夜枠にはなってしまうんですが放送される予定だったのでそれのお知らせをブログにしようと思っていました。記者さんからは今日告知があります!とご連絡いただいていたので知ってはいたのですが放送日時のお知らせだけさらっと流して終わりだと思っていました
実は3年前の5年生の時にある日突然息子が頭が痛いとのたうち回るというか、、、ベッドの上で布団に頭を擦り付けて痛い痛いと言っていて、、、鎮痛剤を飲ませても今ひとつですぐに病院連れて行きMRIを撮りました。しかしとくに異常がないという事で、、、でも痛みがおさまらず、、、公立の病院に検査入院しました。どれだけ血液とられていたか、、、心電図も脳波もCTも、、、5日間入院しました。結局原因がわからないまま様子見ということに、、、その後「ママ、、、な
ちょっと前のことになりますが…5月30日に第3子が誕生しました。落ち着いてからこちらでご報告しようと思っていたら時間がたってしまい…ご報告遅くなりすみませんでした。ブログや各SNSを見ていて感じたことですが病児を持つ親や天使ママの場合、新しい命に関して悩むことが多い印象を受けました。かく言う私も、悩んだうちの1人です。もし参考になればと思い、ここまでの思いの経緯を記します。私たち夫婦は子供とワチャワチャ過ごすことが大好きでしたが・高齢であること・医学的に体外受精でないと妊娠が
8月1日から9月7日まで放射線IMRTリニアック1.8グレイ×28回合計50.4グレイ最初の二週間は通院でだんだん副作用が出てくる後半から入院と計画していました。しかし7月末の頭の重い感じと車の振動が嫌だということで本人の希望により初日から入院となりました。主治医からすれば一ヶ月延期した放射線治療です。そしてドクターから最終確認「同時にテモダールの処方はどうされたいですか?」私は答えました、、、「いたしません」と。ダブルの副作用は受け入れられませんでし
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
リブログがうまく反映できなかったので直接リンク張りますが悪夢の日―1―今日は渚の病気が発覚したあの悪夢の日でした。重複する箇所があるかと思いますが自分の気持ちの整理と振り返りの為にしばらく去年の事を今の私が書いてみようと思います。2022年8月1日コロナが猛威を振るっていてどこもかしこもコロナコロナで家に籠っていた気がします。私自身がコロナ禍に滅入っており(元々心配性+神経質な性格)当時は自律神経失調症と言われていて軽めの抗不安薬を頓服と
自宅に戻ってきてからボチボチと過ごしています娘が大好きなコストコのチーズフライいつも沢山食べてましたこちらは6月7日のことをまとめたものこの日以来我が家の食卓にチーズフライは並びませんでした。久しぶりのチーズフライ美味しく食べられたかな?もちろんなっちゃんオレンジも!たまに息子に飲まれちゃうので。笑その時はすぐに足します娘が食べたがっていたチョコケーキも夫と息子と私の3人で食べました。弔問の時にみんな持ってきてくれて娘はチョコケーキに囲まれましたそれを息子がどんどん食
ワールドカップルを息子と2試合ほど自宅のテレビで観戦しパパは空港に向かいました。私も日本を出て25年異国で会社を立ちあげ店舗も構えフィリピン人のヘルパーを雇いスタッフも雇い子育てしながらサッカー応援しながら仕事も出張もこなしていました。だからそれなりに強いといえば強い。主人とぶつかり合うことも多かった。主人からすればどうも思い描いていた日本女性とは違っていたみたいだ。その鉄のような女房がずっとずっと泣いてこんなにも弱々しくなっているさっきまで息子の前
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================「なんとなくママっ子になったなあ」そんなことを感じ始めた3月、4月娘は元々朝は1人で起きられないタイプ。起きたら2階から大きな声でパパやママを呼んで、迎えにきてもらって、おトイレを手伝ってもらって、抱っこへ