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今朝の夢おはようございます。今朝の夢に息子が出てきました。二度寝してよかった!息子と私が地球滅亡を救うメンバーに選ばれた。苦労して、何とか逃れる事ができ、会議室のような所で休んでいる。そこの大きなスクリーンにまた地球が危ないと映し出される。メンバーとして、また息子と私が選ばれたと書かれている。すぐ近くにお父さんと小さな娘さんの親子もいて、選ばれている。息子と「またーーーー。もう救ったしーーーー」と言い合う。「もうみんな死んじゃうんなら良くな〜い?」と言いながら、床に大の字にな
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
2022年4月6日朝方。みくちゃん夜はよく眠れてるね。(病気による膀胱直腸障害で)便秘になってきており摘便とラキソ3滴でお通じあり。本日造影MRI。ST、OTが初回診察。PTがベッドサイドでストレッチ方法を教えてくれた(足首なども)。幼稚園へ電話(F先生へ状況伝えた)。その後I教頭より折り返し電話ありI教頭は電話口ですごく泣きながら「良くなった時は車椅子だとしてもどんな状況でも登園してきてください、待ってます!」と言ってもらえた。ありがたい...新体操のM先生にも電話
母の日の今日は仕事でした。帰りに自分にご褒美スイーツとか花を買おうかと思いましたが虚しいのでやめました。胃腸の調子が悪いせいもあるけど…それでも嬉しいサプライズが!!夫が仕事帰りに寄った閉店間際のショッピングモールで無料で配られていたそうです。ちょうど夫が行ったタイミングで配っていたなんて、息子からのプレゼントかもー息子からプレゼントをもらえなくても、気付かないところで危機を回避されていたり、少し楽しいことがあったりするのかもしれないと朝は思っていました。何でも自分の心がけ次第でハ
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
旅立ちから“1年”過ぎゆく日々はあっという間でした。今でも信じられない気持ちとあの子がいた日々は本当にここにあったのか不思議な、そんな、気持ち。未だに直視することができないアルバムや動画もありでも会いたい気持ちもありでも会えなくて。全然違う世界を歩きだしてるよ。ただ、ひとつ変わらなかったものはあの子への愛。愛は不変。ずっとずっと想っているよ。
昨日に引き続きお休み中の娘。TVばかりになってしまうので、タブレット学習してます保育園の2月お誕生会の時の写真。いい顔してるな娘と写真見ながら「この時は左手で持てたね。」って話してみました。「うん。でも今は持てないだよね~。」って答えてくれた。「そうかあ。じゃあ、持てるようになるように頑張ろうね。」って、私。うなずく娘。分からないんです、何が正解か。保育園行くのも、休むのも何を話していいかとか。迷ってばかり。苦しくて夫に話した時は「正解はないからね。」って言
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
2024.4.28テモゾロミド内服31日目放射線お休みの三連休中です。連休でもテモゾロミドは続くので吐き気や便秘とは変わらずお付き合い中です。昨日は小学校の授業参観に行ってきました。高校も同じ日だったのですが、長女から、弟の方に行ってきてと言われたのでお言葉に甘えました。高校も授業参観があるなんて知らなかったので、次は被らないといいな。高校の方は親の参加率は低かったようです。パパも小学校の授業参観に行こうかなーと軽い気持ちで次男に言ったみたいですが、「パパ、髪ハゲげ
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
今のなーちゃんは喋ることもできなくなってほぼ寝たきり。うん、ううん、も難しく頑張って意思表示をしようとするけれど分かってあげられなくてお互いに苦しむ。寝返りもできないから夜中もうめき声で呼ぶ。食事や飲水も難しく嚥下障害も酷くなった。そんななーちゃん先日MRIを撮りました。予想通り、播種がありました。想定内。水頭症になってる。想定内。手術はできません。想定外…、、、あっという間に意識障害が出て傾眠になるまで早かったから手術はできないんじゃないかとはう
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
よく頑張りました最期までいい子で、優しくて賢くてこれからもずっと一緒よずっと皆一緒大好きよ、まおちゃんずっと読んでくださり、ありがとうございました
※現在まで書き溜めているのですがきちんと整理して書いていきたいのでゆっくり更新していきます。7月某日お姉ちゃんと2歳違いの次女が5歳を迎えてすぐ七五三の前撮りに行った日。なぜか、真っ直ぐ立ち続けるのが難しいようでお姉ちゃんに寄りかかったり右足がおぼつかない感じがした。今思えばこの日にはもう病魔に侵されていた。次女は人を笑わせるのが大好きな子で変顔だったりユニークなダンスをしたり面白いことをしたりするのが大好きでした。だから、歩くこともおしゃべりも普通にで
今日は雨で肌寒い1日でした。今日のスタートは訪問リハビリから先生とPTさんが診察に来てくださいました。誤嚥性肺炎になったことは伝わっていて、今後、痰が増え過ぎてしまったり、浮腫みが出るようなら点滴の量を500mlとかに減らしてもいいのでは?と言われました。訪問診療の先生がお詳しいと思うので、相談してみてね、と。リハビリは変わらず、排痰マッサージや可動域を狭めないためにリハビリをしていきましょうという感じでした。点滴の量は今も少なめの1000mlなので、往診医に伝えると現状はコレでいいと
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
2024.5.9放射線30日計54Gyテモゾロミド内服42日今日で無事に初期治療が終わりましたーー!パパよく頑張りました!!その一言に尽きます!放射線とテモゾロミド両方から次々と出てくる副作用に、気持ちも体も大変だったけど、最後までやり切ってくれした。パパはもちろん私も達成感でいっぱいです。そして、私はとてもホッとしています。家族で一緒にいたいという想いを主治医が汲んでくれ、今回通院で初期治療を行わせてもらいました。症状を見逃さないように、病院よりストレスな
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ
初めまして。主人がびまん性橋神経膠腫と診断されました。病気、治療に関して情報がほしくてブログを始めました。2024.3.7パパの脳幹に腫瘍があるとわかって2日が経過しました。こんなに辛い2日間は今までの人生で初めてでした。まとまりのない文章になると思いますが、記録用として自分の気持ちを形に残したいと思います。パパが体に異変を感じたのは2月の中旬。何だか目眩がする、立った時にふらつく。それが始まりでした。偏頭痛でかかりつけの脳外科を受診し、立ち上がった時に限局して起きている
2022年4月6日本日のMRI結果を踏まえて主治医OよりIC・所見は脳幹グリオーマで間違いないと思う・一刻も早く治療すべき・治療は放射線治療(30回)ラジエーションのみでいくのがスタンダードで週5日×6W(土日休み)・生検はやらない(調べたら確定診断できるけどリスク。そんなことやってたらオペの準備で放射線治療開始が2〜3Wとか遅れてしまうし)・放射線で一旦症状が改善するが、必ずまた悪くなる。→その時に化学療法(点滴でアバスチンや内服のテモダールをやっていくかも。・明日放射
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま