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旅行は1日目移動日2日目ディズニーランド3日目移動日の2泊3日娘の体調を考えて余裕を持って組みました宿泊はランドホテル決め手はディズニーの目の前で、何があってもバギー1つで移動可能なことかわいいお部屋にしましたお部屋に入ったら息子が大はしゃぎ娘も声を出して笑ってくれました台風女の私ですがディズニー当日は晴れ風もあり暑くも寒くもない最高のコンディションでした!同行看護師お二方が出発前に晴れ女です!とおっしゃっていて、その言葉通りになり台風女、助けられました!!直前の
2022年4月6日朝方。みくちゃん夜はよく眠れてるね。(病気による膀胱直腸障害で)便秘になってきており摘便とラキソ3滴でお通じあり。本日造影MRI。ST、OTが初回診察。PTがベッドサイドでストレッチ方法を教えてくれた(足首なども)。幼稚園へ電話(F先生へ状況伝えた)。その後I教頭より折り返し電話ありI教頭は電話口ですごく泣きながら「良くなった時は車椅子だとしてもどんな状況でも登園してきてください、待ってます!」と言ってもらえた。ありがたい...新体操のM先生にも電話
このGWにディズニーに行くことに決めました。私はもともとディズニーランドが好きで以前は年に1回は必須のペース。心菜が0歳の時から行っていました。でも心菜と最後に行ったディズニーランド以来どうしても行けずに数年が経ちました。『夢の国へ③』旅行は1日目移動日2日目ディズニーランド3日目移動日の2泊3日娘の体調を考えて余裕を持って組みました宿泊はランドホテル決め手はディズニーの目の前で、何があって…ameblo.jp子どもたちには何度か「ディズニー行きたい!」と
来月3歳になる末娘宛てに3歳児健診の案内が届きました。我が家の住む自治体は日が決まっているわけではなく視力検査など、健診項目のいくつかを自宅で練習をして、それができるようになったらかかりつけの小児科で検診を受けます。各検査はそれなりの理解力が必要なので3歳後半で受ける人が多いようです。心菜もそうでした。正確には後半...というより4歳間近で受けました。心菜の場合は理解がという点より私が日々やることに追われ遅くなったのですが2月4日が誕生日で1月に入
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
※しばらく少し前の話になります。また、メッセージをくださった方の中にメッセージを受け取らない設定にされてる方がいらっしゃってお返事ができない方がいます。返事が届いてない場合ご確認お願いいたします。放射線治療2日目やはり機嫌は悪いしこの頃から更に口数が減った。抱っことおやつと嫌!しか言わなくなった…。どんどん赤ちゃん返りをしているような気がしてまた私は絶望の谷間に落とされた。しかも土日動いていた指はまた動かなくなっていた。そして、母(ばぁば)に預けていた長女が
春ですね🌸ホーホケキョを一回も聞かないまま5月になろうとしています実家にいたときは毎日ホーホケキョ聞いてたのにな庭にウグイスが来るような木でも植えようかなそういえば今年は実家につばめも帰ってこなかったです毎年必ず2組は帰ってきてたのに何かあったんだろうか、、?楽しみにしていてひながかえるとそーっと覗きに行ってたのになつばめが来る家は栄えるって昔聞いたけどうちの実家ももう終わりなんだろうか?じいちゃんが死んでからこんなのが多いな急に家中にがたがきて水道に冷蔵庫に車庫
娘が眠った後に病室で夫とこれからの話をしました。細かなことは覚えていませんがこれから娘の病気にそれぞれどう向き合うか、ということは話しました。私は、祖父母やおじおば、養母など年齢の割には多くの闘病と旅立ちを経験してきました。実母も体が弱く、私が子供の頃は入退院を繰り返していたので、なんとなく病気や病院に対して冷静なところがありました。夫はあまりそういう経験がなく、男性ゆえに現実を受け止めることの弱さも持っていたので夫に完全に向き合わせてしまうと、この人は壊れてしまう、と思いま
朝イチでCTシュミレーション。朝ご飯は抜き。ニューロと共に向かいました。CT室で鎮静をかけて機械のベットへ。まずは照射で使うマスクの型どりです。前回は鎮静までであとは託していましたが今回は型どりまで立ち合わせてもらえました。こうやって作るんだー、という感心よりも温めた材料お顔にのせて型とれるまでギュっと顔にして、冷やして娘、熱くないかな、痛くないかな、冷たくないかなの心配ばかりでした。その後放射線科の看護師さんとお話。話が終わった頃にはすっかり鎮静から覚めていた娘。
主治医O先生からの説明(MRI結果)・腫瘍サイズが少しだけ大きくなってる・白いモヤモヤが小さくなってる→壊死が小さくなってる可能性(良いこと)・でも全体的な大きさが少し大きくなってるかな。・アバスチンは壊死には効いてるが、腫瘍の増大に対しては効いてないかなと。でも症状を抑える効果はあると思うので、アバスチン続けていく方向。・抑え切れてないけど抑えれてる部分もあるのでアバスチン続けていくのがいいと。・脳幹腫瘍じゃないが、一旦大きくなった腫瘍にアバスチン続けて腫瘍小さくなった人がち
自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在麻痺が進行。来週検査入院予定。皆様こんにちは。少しお久しぶりになってしまいました。お伝えしたいことが2点ございまして今日はブログ記事を2つ更
娘の病状説明と今後の話。夫と私と私の兄の3人で聞きました。生検手術直後の簡易検査で「ローグレードグリオーマかも」の説明があったので少し期待をしてしまっていた分結果を聞いてドン底でした。(以前のブログでも触れましたが、だから手術直後は聞きたくないと伝えておいたのに...。今思い出しても医療現場では真摯に改善してほしい点です)腫瘍にはH3K27Mの遺伝子があり結果的にはグレード4橋発症の典型的な脳幹グリオーマ正式名称『びまん性正中グリオーマ』1年生存率10%未満と話があり
以前もアメブロでご紹介したかもしれませんが数年前からもう1つブログを始めています。ここなとママの377日ママはとっても幸せでしたcocomamadiary.com基本的には私の気持ちを中心にかいています。始めたのは今から2年以上も前。心菜が旅立ってから1年のころでした。アメブロやSNSはリアルタイムの出来事を綴っていたので「心菜に生きていてほしい」という気持ちがいちばんでした。だからどうしても希望的観測が強くなり不安な気持ちは封印しがちでした。旅立ちから1年たったころ「私
娘が休日救急受診で「十中八九脳腫瘍」と言われてから今日で1年です。「ママ、グーができない」と左手を見せてきた前日の夜。何かが変だと感じて3ヶ月決定的なことはなく病院を受診する程のこともなく1回嘔吐して発熱した時は夜間電話相談に電話した。ずっと抱えていた心配事やモヤモヤを話して言われた言葉は「お母さんがもっと甘えさせてください。」だった。そうか、私か。ああ...と思ったよ。でも、やっぱり何か変だと思ったから数日後に近所の小児科を受診した。
七夕の夜7月7日夜18:002年8ヶ月の闘病生活を終えて、愛しい息子が旅立ちました。18歳10ヶ月でした。昨日の夕方はサチュレーションも安定して、7LのMAXまで上げていた酸素を戻して、5Lに下げようと思っていました。本当に落ち着いて過ごせていたのです。午前中は訪問診療の先生方、訪看さんも同じ時刻に来てくださいました。落ち着いた様子を見て、安心していて、今までの息子の頑張りを思い返して、「こいのぼりも、レモネードスタンドも七夕もできたね。次は何する?」と話していたのです。次は海
入院日の朝。病院のほど近くに宿泊していたので、朝9時過ぎに出発で充分に間に合いました。1月一泊二日以来の京都の病院車イスで向かいます。昨年11月の治験入院12月の治験1ヶ月後検査入院(再燃が確認された時)この時は歩いていたなと思うと苦しくなるけれど今だけ!ここから!という気持ちで京都に来たのでそんなことは言ってはいられません!コロナの影響で面会制限がありますが入退院日だけは付添の私と夫もOKです。大量の荷物は夫にお願いして娘と私は手続きを済ませ病棟へ向かいました。馴
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================ここまでと時系列は前後するところはありますが、その他のことも記していきます。ママっ子が強くなってきた娘。朝はほぼママの抱っこで1階へそして朝はご機嫌斜めが多い着替えや支度は甘えてくるが続きました。5月
麻痺の進行、止まってなかった。また、あっという間に自立歩行できなくなった。その速さに現実をつきつけられる。例外は無い病気なんだなって。今日は検査入院の為にPCRとそして自立歩行ができなくなったので入院する時の部屋の相談し(車イスが必須なのでトイレや洗面が近い部屋にしていただきたく)照射というスケジュールでしたが突然、照射の前に激しい嘔吐。激しい嘔吐はあの日以来…再燃したあの日が蘇って頭が真っ白になる。ぐったりしていたので照射は中止。慌てて小児科に戻りました
7月13日(月)朝起きたものの、またも寝てしまいお昼近くに起きました。起きてからいつものようにご飯お米などをミキサーしたスープ風ご飯を順調に食べ進めていたのですが途中で突然嘔吐しました。前触れなく、久々の嘔吐に驚き、ご飯は終了。でも、アイスが食べたいというので時間を空けてアイスタイム。こちらは戻すことなく食べました。いつもよりボンヤリしている娘。嘔吐したこともあり疲れているのかな?とゆっくりと過ごすことにしました。異変が起きたのは18時過ぎ。本日2食目を一口食べた後、なんだ
ちょっと色々あって疲れてます。なーちゃんの状態も波があってでも、落ちてる時間の方が(傾眠傾向)圧倒的に長くなってきて段々死神の足音が近づいてきてるようなそんな気持ち。ママきらい〜!ババァ〜!ぶさいくー!なーんて軽口を叩く悪ガキなーちゃんでしたがママ、そばにいてママといたいママが良い…って言って私の腕を不自由ながら一生懸命つかんでくるんです。言葉も段々出にくくなってるのに頑張ってかすれた声でゆっくり、ゆっくり私を呼ぶ娘。こんなこと今まで一度も無かっ
ちょっと前のことになりますが…5月30日に第3子が誕生しました。落ち着いてからこちらでご報告しようと思っていたら時間がたってしまい…ご報告遅くなりすみませんでした。ブログや各SNSを見ていて感じたことですが病児を持つ親や天使ママの場合、新しい命に関して悩むことが多い印象を受けました。かく言う私も、悩んだうちの1人です。もし参考になればと思い、ここまでの思いの経緯を記します。私たち夫婦は子供とワチャワチャ過ごすことが大好きでしたが・高齢であること・医学的に体外受精でないと妊娠が
お昼ご飯を食べた後はジャングルカーニバルでボール投げをしました残念ながら私、長女、次女&夫で挑戦しましたが獲得ならずあの限定クッション可愛かったなー参加賞のピンバッジをもらって帰りましたそのあとはアリスのティーパーティーキャッスルカルーセル等子どもが好きそうなアトラクションに乗ってシンデレラ城を見学してちょっと疲れたのでワールドバザールでアイスを食べるともうあっという間に夕方パレードを見るために早めに予約を取っていたのでクリスタルパ
闘病記シリーズも結構長くなってきたので今回から自己紹介を作ってみました。よろしくお願いします。自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在症状は改善。週に1~2、リハビリと訪問看護師さん、月に1~
仕事の関係各所にメール連絡。朝がきたらこの先しばらくは慌ただしくなるだろうから、できるうちにと夜中に作業。途中寝たのか?覚えていないのだけど、多分少しは寝たと思います。連絡が一段落した明け方、気が緩んだのか、急に涙がでてきました。昨夜は泣かなかったのに、泣きました。でもまだやることがある。同居している86歳の養父のこと。ご飯、通院、これからどうしよう。4月に動けなくなり救急搬送されて入院ということもあったので、目が届かないことが心配でした。私の養父のなので、夫に迷惑はか
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
MRI撮影の翌日に結果の話がありました。緊急入院先で結構ハッキリ話をしてくれたのでそれをもとに、前日までの間に色々ネットでと調べていたので、かなり覚悟をきめて話し合いにのぞみました。見せてもらった娘の画像はパッと見、腫瘍が3つあるように見えましたが実際には脳幹部と、脳幹から張り出しているものがあるだけで腫瘍としては1つだということでした。脳幹部グリオーマの丁寧な説明の後に主治医からの見解(脳外科や放射線科とのカンファレンスの見解)が語られそれは覚悟していた方向とは違
沢山の応援ありがとうございます!娘は頑張りました娘は走り抜きました皆様へ本当にありがとうございました。