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小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
月命日10回目の月命日。先月は、メンタル落ちずにいられたかな。先月のブログを読んでみるとお仏壇紹介で終わっているし。笑ゴールデンウィークは半分くらいは仕事で、忙しくしていました。休みに入り、泣いても翌日に響かないと思い切り泣けますね。寝る前に闘病中の姿を思い出しては泣けてきて、せっかくの「蒸気でほっとアイマスク」がビショビショになるという…人は誰もがいつかは命が消えるのだから…と考えるけれど、何もこの病気で、この年齢じゃなくてもと思ってしまう。昨日は夜中に起きて、眠れなくなり、ス
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
今のなーちゃんは喋ることもできなくなってほぼ寝たきり。うん、ううん、も難しく頑張って意思表示をしようとするけれど分かってあげられなくてお互いに苦しむ。寝返りもできないから夜中もうめき声で呼ぶ。食事や飲水も難しく嚥下障害も酷くなった。そんななーちゃん先日MRIを撮りました。予想通り、播種がありました。想定内。水頭症になってる。想定内。手術はできません。想定外…、、、あっという間に意識障害が出て傾眠になるまで早かったから手術はできないんじゃないかとはう
※現在まで書き溜めているのですがきちんと整理して書いていきたいのでゆっくり更新していきます。7月某日お姉ちゃんと2歳違いの次女が5歳を迎えてすぐ七五三の前撮りに行った日。なぜか、真っ直ぐ立ち続けるのが難しいようでお姉ちゃんに寄りかかったり右足がおぼつかない感じがした。今思えばこの日にはもう病魔に侵されていた。次女は人を笑わせるのが大好きな子で変顔だったりユニークなダンスをしたり面白いことをしたりするのが大好きでした。だから、歩くこともおしゃべりも普通にで
2024.5.9放射線30日計54Gyテモゾロミド内服42日今日で無事に初期治療が終わりましたーー!パパよく頑張りました!!その一言に尽きます!放射線とテモゾロミド両方から次々と出てくる副作用に、気持ちも体も大変だったけど、最後までやり切ってくれした。パパはもちろん私も達成感でいっぱいです。そして、私はとてもホッとしています。家族で一緒にいたいという想いを主治医が汲んでくれ、今回通院で初期治療を行わせてもらいました。症状を見逃さないように、病院よりストレスな
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
さっき、口から出てきた言葉明日からがんばろう♪曜日で捉えるといつもと変わらない出勤しない日々でも、世間的には祝日続きしんどいつもりではなかったけど、しんどかったんだと思う明日からがんばろうなんて言うんだもん昨日は片耳に違和感があり、入浴中から片耳が聞きづらかった片耳塞いでTVの音量で試してみたら、倍以上の差が…突発性難聴!?よりにもよって祝日かよって感じだった3時間くらいで回復してきたけど、未だに少し聞こえにくいストレスかな何も予定もなく、かといって、賑
以前もアメブロでご紹介したかもしれませんが数年前からもう1つブログを始めています。ここなとママの377日ママはとっても幸せでしたcocomamadiary.com基本的には私の気持ちを中心にかいています。始めたのは今から2年以上も前。心菜が旅立ってから1年のころでした。アメブロやSNSはリアルタイムの出来事を綴っていたので「心菜に生きていてほしい」という気持ちがいちばんでした。だからどうしても希望的観測が強くなり不安な気持ちは封印しがちでした。旅立ちから1年たったころ「私
「DIPGが治る未来に立ち合いたい」と思い早数年。そんな中で最近思うこと何ごとも形になるまでは多くの人の想いと行動がありそれが積み重なっているのであろうと。なんで?どうして?私もいっぱい思ってきたし今も思っているところもある。けれどDIPGの未来を考えるようになってから「目に見えていることは、きっと1割にも満たない」と感じ始めるようになった。「今」はここまで何十年間の労力の積み重ね。だから「未来の今」のために歩みを進
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
2022年4月4日昨夜。悪夢の始まった夜は全く眠れず勝手に時間が過ぎて翌朝が来ました。朝から花がっぱ見て笑ってるみくちゃん。みくちゃんは夜もよく寝れていたし朝も一見、元気。朝ごはんもお味噌汁にごはん入れてねこまんまにしたら食べやすい(飲み込みやすい)のかいっぱい食べてたね!パパが朝スライムを持って来てくれるのが楽しみで仕方なくて「楽しみ楽しみ楽しみ〜」って右手を横に動かす仕草をママと何度もやってたね。スライムきたーーーー!!スライム到着で大喜びのみくちゃん。「さわって
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
こんにちは。Twitterでは昨日報告ツイをしましたが・・・再燃後の放射線治療の評価(結果)を聞きに行ってきました。正直、心は無でした。どうなっていようと治す方法が無い以上できることをするしか無いですから。でも、診察室に入るとき主治医の暗い表情を見た時からあぁ、、、良くない事があったんだなとすぐに察しました。以下、結果として・再照射の脳幹部の腫瘍は縮小しているので照射の効果はあった。・播種部分も白い影が縮小しているので
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
※しばらく少し前の話になります。翌日も絶飲食とステロイドの副作用が辛いのか機嫌が悪いなーちゃん。「抱っこ!抱っこ!うわぁぁぁん!!」と泣き叫ぶなーちゃん。主治医にはステロイドの副作用で性格がガラッと変わる子は多いと聞いてはいたもののずっと泣くか怒るかしていて辛かった。正直変わってしまった娘のお世話も体力的にも精神的にもしんどかった。この日までまともに眠れていなかった為にヘトヘトだった。腕がしびれてはおろしまたすぐに抱っこ。それの繰り返し。本音を言う
月命日もう11日ですが…2月の月命日は仕事がお休みでした。毎月、休み希望は出しているけど、人が足りない時は出勤しちゃう。家でゆっくりできる、お休みの方がいいのかな。毎日、朝と寝る前に息子の前に座る。何で遺影に話しかけているのかなーと不思議な気持ちで悲しくなる。普段から普通に話しかけてはいるけど。毎日、泣いたりはしないけど、急にドッと悲しみが襲ってくる時がある。段々と麻痺が進み、自分の体が動かなくなっていった頃。息子は何も言わずにいたけど、泣きたくて、悔しくて、本当に辛かったと
その後、外来で夫と主治医と今後の話し合いが行われました。治療方針が決まり頭痛や嘔吐などその他異常が無いことで主治医は退院を早めてくれた。退院日が週末だったこともあり往診医さんに来ていただいて変わりがないか診察が可能であればという条件付きだったが往診医さんは快く引き受けてくださった。結果、日曜に来ていただいたが特に問題なし。本当に良かった。そして、この日の夜なーちゃんが寝た後長女への告知をすることを夫婦で決めていた。
明日は娘が通う予定だった小学校の入学式です。・小学校に入学する!・もう保育園は居場所ではない!と、しっかりメッセージをくれた娘#Radiotalk#ココママチャンネル☆みんなのきもち☆@momoemicocohttps://radiotalk.jp/talk/521999夫とは「娘が初めて築いた社会生活である保育園だけはちゃんと卒園させてあげよう。あとは無理に成長させることはしないでおこうね。」と話をしていたのですが今回は娘自身がメッセージをくれたので入学式の日は、さ
2024.4.22放射線20日目計36Gyテモゾロミド内服25日目今週も放射線が始まりました。今日で3分の2が終わりました!あと10回。無事に何とか終わりますように。放射線に毎日通っていると同じ時間帯の患者さんは何となくわかってきて、いつも勝手に「今日もお疲れ様です。頑張りましょうね。」と心の中で声をかけています。私は待ってるだけなのでつい周りに目がいきますが、治療を受けるパパは全然わかってないと思います。滞在時間も治療を合わせて10分ほどなので。最近見なく
緊急CTの結果から水頭症ではないことは確認され入院したものの頭痛と嘔吐は結局その日だけでした。恐らく放射線壊死や脳内出血した箇所が見られるのでそれが影響して頭痛を訴え嘔吐したのだということでした。その後もごはんはもりもり食べるわわりとすぐに元気になったなーちゃん。先生たちもホッとしていました。ただ、現実は残酷で2日後のMRIの結果・腫瘍の増大・播種(2か所)・麻痺が今も進行していること以上のことからほぼ間違いなく再燃でしょうということ
朝イチでCTシュミレーション。朝ご飯は抜き。ニューロと共に向かいました。CT室で鎮静をかけて機械のベットへ。まずは照射で使うマスクの型どりです。前回は鎮静までであとは託していましたが今回は型どりまで立ち合わせてもらえました。こうやって作るんだー、という感心よりも温めた材料お顔にのせて型とれるまでギュっと顔にして、冷やして娘、熱くないかな、痛くないかな、冷たくないかなの心配ばかりでした。その後放射線科の看護師さんとお話。話が終わった頃にはすっかり鎮静から覚めていた娘。
先日、お世話になった訪問看護師さんたちが渚に会いに来てくれました。お花とお菓子もいただきました。ありがとうございました最後にお会いしたのはレモネードスタンドのお話をいただいたにこりのお祭りで会いましょう!この時↑が最後でした。闘病が終わってからも気にかけてくださり命日が近くなると会いに来てくださる。本当に有難いことです。いただいたお花💐ずっとずっと応援しています。たくさんの子ども達やそのご家族が救われますように
皆様、娘と私達家族を想って予想以上の暖かいコメントを多数いただきまして心よりお礼申し上げます。驚きと共に辛かったけどこんな現実があるんだよと皆様に知っていただく事ができ子どもたちを救う活動ができたら…と思っていたので渚の頑張りは今も頑張っているお友達やそして増えてほしくはないけれど統計上、毎年50人〜のお子さんが罹患する病気なのでその子達やそのご家族を孤独にさせず支援していくことができるんじゃないかなと思うとここまで諦めずに闘い抜いた娘を誇りに思います。
MakeAWishさんからパンフレットが届きました。MakeAWishは難病の子供たちの夢を叶えてくれる団体で娘は昨年ディズニーリゾートの旅を叶えてもらいました。昨年のウィッシュチャイルド達が載っているパンフレットを見ながら、色々なことを思い出しました。病院からMakeAWishを紹介してもらったのは、確定診断の説明直後の8月8日。それだけ娘の状況は深刻なのだと釘を刺されたようで、最初は正直辛く、拒否に似た気持ちもありました。でも、MakeAWishの『難病の子供た