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月命日10回目の月命日。先月は、メンタル落ちずにいられたかな。先月のブログを読んでみるとお仏壇紹介で終わっているし。笑ゴールデンウィークは半分くらいは仕事で、忙しくしていました。休みに入り、泣いても翌日に響かないと思い切り泣けますね。寝る前に闘病中の姿を思い出しては泣けてきて、せっかくの「蒸気でほっとアイマスク」がビショビショになるという…人は誰もがいつかは命が消えるのだから…と考えるけれど、何もこの病気で、この年齢じゃなくてもと思ってしまう。昨日は夜中に起きて、眠れなくなり、ス
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
旅立ちから“1年”過ぎゆく日々はあっという間でした。今でも信じられない気持ちとあの子がいた日々は本当にここにあったのか不思議な、そんな、気持ち。未だに直視することができないアルバムや動画もありでも会いたい気持ちもありでも会えなくて。全然違う世界を歩きだしてるよ。ただ、ひとつ変わらなかったものはあの子への愛。愛は不変。ずっとずっと想っているよ。
7月13日(月)朝起きたものの、またも寝てしまいお昼近くに起きました。起きてからいつものようにご飯お米などをミキサーしたスープ風ご飯を順調に食べ進めていたのですが途中で突然嘔吐しました。前触れなく、久々の嘔吐に驚き、ご飯は終了。でも、アイスが食べたいというので時間を空けてアイスタイム。こちらは戻すことなく食べました。いつもよりボンヤリしている娘。嘔吐したこともあり疲れているのかな?とゆっくりと過ごすことにしました。異変が起きたのは18時過ぎ。本日2食目を一口食べた後、なんだ
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
今日は放射線治療初日。午後にスタートです。午前中に主治医がきてくれて手術の話の続きを。この前より様々な可能性を話してくれました。まず娘の傷を改めて見て、これは移植なしでもいけるかもしれないとのこと。ただ、1番簡単な手術をしたとして、術後の経過が良くなければ、次のステップに進まなければいけない。このパターンは治りにくかったり、繰り返す人もいる。その場合、途中でストップはできない。なので入院期間が延びてしまう可能性があり、それが、申し訳ないと。ならば、地元の形成外科で診てもらってし
※闘病記6の続きです。夫と交代でまた病室に戻るとそこには少ししょんぼりしたなーちゃんの姿がありました。パパとのお別れが寂しくて少し泣いていたようですただ、機嫌は悪くなくすぐに笑顔になってくれました。交代前より少ししゃべるようになっていて右側の違和感が良くなっているように感じました。放射線治療はまだ数回だったのでステロイドの服用の効果があったのかもしれません。(以前もお話ししましたがステロイド自体には腫瘍を小さくする効果はありませんのでむくみが
沢山の応援ありがとうございます!娘は頑張りました娘は走り抜きました皆様へ本当にありがとうございました。
随分前に図書館で予約していた本の順番が回ってきました。予約していた事はすっかり忘れていました。息子が亡くなって、間もない頃にグリーフケアの本を図書館で借りていたから、その時に予約したのだと思います。「亡くなった人が、あなたに知ってほしい40のこと」スピリチュアルテラーサトミさんの本です。スピリチュアルとか正直、信じておらず、拒否反応ですがせっかくなので読んでみました。(自分で予約したのにね…)スッと心に入り、響く言葉もあれば、流し読みした部分もあります。みえる人、の存在は信じて
娘の病状説明と今後の話。夫と私と私の兄の3人で聞きました。生検手術直後の簡易検査で「ローグレードグリオーマかも」の説明があったので少し期待をしてしまっていた分結果を聞いてドン底でした。(以前のブログでも触れましたが、だから手術直後は聞きたくないと伝えておいたのに...。今思い出しても医療現場では真摯に改善してほしい点です)腫瘍にはH3K27Mの遺伝子があり結果的にはグレード4橋発症の典型的な脳幹グリオーマ正式名称『びまん性正中グリオーマ』1年生存率10%未満と話があり
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================6月に入ってもグズグズが続いていた娘。進級当初の4月は、クラスのママと話すと「うちもだよ!」が多かったのですが、この頃になるとそんな感じなのは娘だけになりました。情緒不安定なのかな?と思って、娘の楽しみを見つけ
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま
こんにちは。前々回だったかなMRIで脳室に播種が見つかったと言いましたがその後、再びなーちゃんの右足の麻痺がやはり進行しています。(今は進行自体は止まったかなという感じはしますが再照射直後の方が動きが良かったです。)同じく脳室に播種をしてしまった方のお母様からご連絡頂き脊髄もMRIした方が良いかもしれないと連絡頂き主治医に相談したところ主治医も脳室に播種=髄液から転移(播種)している可能性は十分考えられるとのことで悩んでいたようです。前
※娘の最期にも触れている過酷な内容です苦しい方はご遠慮ください※※後半のところ補足しました※昨夜撮りためてあった「アンサングシンデレラ」を見ました。テーマは『在宅医療』物語は夫婦の話で旦那さんが奥さんを看取る姿が描かれていたけれど……見るもの、出てくる単語など娘の闘病生活との共通項が多くて、涙が止まりませんでした。ドラマで描かれていた投薬によって意識が薄れていく姿それをするかしないかの選択肢娘の場合7月13日の痙攣以降明らかに状態が落ちていきそこから痙攣止めの処方。
何をどこから書いていいのやら。4連休土曜日から状態が落ちた娘。体温調整も更に難しくなり朝は39℃台から冷して下げるも続き心拍150サチレーション80前半とか数値的には心配な感じになり指先も紫になりでも基準は見た目娘が穏やかかどうか飲み物は、飲む!なっちゃんオレンジ飲む!目が覚めてる時に「飲むよー!」と言うと舌を一生懸命に動かします。左側の目でお返事できなくなったらお返事できるところを探します。飲むかどうかのお返事は舌ベロ。かわいい。笑
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================発熱、嘔吐以降は目立った症状がなかった娘。グズリやすかったり、よく眠るようになったのは続いていました。家では夫と話し合い小児救急の方の言葉もあり娘をとことん甘えさせてあげようとなりました。保育園の先生とも連絡
病院から帰ってきました。昨日のMRIの結果は今日の午前中に夫と聞きました。腫瘍増大症状も進んでいたしそうなのかな、とは思っていたけれど画像を見るとショックなものです。主治医と今後の話諸々とせっかく見つけた治験も募集はまだでその話しても意味ないのかもしれないけれど海外では認可されているらしいとかあれやこれやもちろんもっと現実的な話もしてきました。ボロボロ泣く私。これは、いつものこと。ふと横を見ると夫も泣いていた。今まで先生との話で泣いたことなんてなかったのに。驚き
今回は、今思うと「おかしいな??」と感じることを綴りますちゃーこの発病は2018年10月、ちょうど幼稚園の年中さん2学期のことでした。・急激に体重が増えた!4月18kg→10月21kg(ちなみに前年は1年で体重3kg増加)幼稚園の制服がどんどんキツくなり、きれなくなりましたもともと、とーってもグルメな子で、食べることが大好き。美味しいものは「おいちぃー!」と言ってよく食べました好き嫌いもなくて、お野菜も大好きでバランスよくたべれます。強いて言えば、炭水化物が好きだっ
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
※しばらく少し前の話になります。翌日も絶飲食とステロイドの副作用が辛いのか機嫌が悪いなーちゃん。「抱っこ!抱っこ!うわぁぁぁん!!」と泣き叫ぶなーちゃん。主治医にはステロイドの副作用で性格がガラッと変わる子は多いと聞いてはいたもののずっと泣くか怒るかしていて辛かった。正直変わってしまった娘のお世話も体力的にも精神的にもしんどかった。この日までまともに眠れていなかった為にヘトヘトだった。腕がしびれてはおろしまたすぐに抱っこ。それの繰り返し。本音を言う
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
緊急入院の翌日脳腫瘍に対応してくれる病院に転院することになりました。転院には数日かかるかもと言われていましたが、翌朝には受け入れのお返事がありました。病気発覚は7月21日で、ちょうど夏休みに入る時。長期お休みの予約入院で病床は満床に近く、実際に受け入れは難しかったそうです。が娘の病気と病状を考えベットを確保してくれたそうです。それだけ、娘は緊急だったということです。移動前に入院と退院の手続きをすることになり娘と一緒に行きました。手続きを終え、病院内のコンビニへ。車椅子
診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われましたが…この時にスタンドから先輩の応援をしていて、「見えにくい」「ダブって見える」と感じたそうです。12月10日メガネを作る12月下旬眼科に行く複視、右目が内側に寄っていることから、「急性内斜視」と言われる。最近、スマホやタブレットの見過ぎで、子どもに増えていると。目の緊張を取る目薬をさしてから寝る、老眼鏡を100均で
2024.4.15放射線15日目計27Gyテモゾロミド内服18日目今週も放射線が始まりました!15日目。今日で予定量の半分が終わりました。最初はどんな副作用が出るか分からず不安で、副作用が出たと思ったら結構辛くて、今は最初に比べて症状は落ち着いてきたように思います。残りあと半分。何事もなく通院で行えますように。脱毛や皮膚の炎症は今のところありません。最近はテモゾロミドの副作用なのか、宿酔の影響もあると思いますが、吐き気が1番強い症状で食べれはするけど気持ちが悪い。吐くま
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
こんばんは少し日にちが空いてしまいましたというのも退院→通院に切り替え→放射線治療終了→MRIの流れだったんですが…放射線治療終了したタイミングで夫がコロナになってしまい私達家族は濃厚接触者となり病院に行けずMRIが延期になりました😭(今のところ家族は無症状で明日まで自宅待機です)今日記事にするPICC(末梢静脈挿入型中心静脈カテーテル)も抜去予定が延びなーちゃんには不便な思いをさせてます😫早く終息して安心して病院に通える日々になってほしいものですでは、
以前ブログでも少し触れましたが娘が旅立った当日保育園でお別れ会を開いていただきました娘が旅立つ2日前に園長先生と電話をしていて「いつこられる?いつでも連れてきてね!」と言っていただけたので次の日は通院日だからアクシデントがなければ明後日連れていこうと決めていました通院の日「限界は近づいてきているけど、今すぐどうこうではない」と言われ「明日保育園行っておいで!」と言われだったのに次の日の朝には旅立ってしまった娘朝、園長先生に電話私「先生、今日娘を連れていこうと思って
いろいろ嫌な予感や、不思議な出来事が続いていましたが。全てが繋がるときが、来てしまいました2018年7月頃から始まった謎の体調不良。なんとなく、夜の眠りが浅かったり、寝汗(特に頭!)が多かったり。少し遊んだだけで、頭の汗がビッチョリになったり全ては「猛暑」で片付けられてしまうような症状でしたが。。。10月2日右手の震えに気づきました。この日はお兄ちゃんの学校の運動会が雨で延期になって、月曜日のこの日に運動会でした。ちゃーこも風邪気味で、咳をしていたのですが。
仕事の関係各所にメール連絡。朝がきたらこの先しばらくは慌ただしくなるだろうから、できるうちにと夜中に作業。途中寝たのか?覚えていないのだけど、多分少しは寝たと思います。連絡が一段落した明け方、気が緩んだのか、急に涙がでてきました。昨夜は泣かなかったのに、泣きました。でもまだやることがある。同居している86歳の養父のこと。ご飯、通院、これからどうしよう。4月に動けなくなり救急搬送されて入院ということもあったので、目が届かないことが心配でした。私の養父のなので、夫に迷惑はか