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緊急CTの結果から水頭症ではないことは確認され入院したものの頭痛と嘔吐は結局その日だけでした。恐らく放射線壊死や脳内出血した箇所が見られるのでそれが影響して頭痛を訴え嘔吐したのだということでした。その後もごはんはもりもり食べるわわりとすぐに元気になったなーちゃん。先生たちもホッとしていました。ただ、現実は残酷で2日後のMRIの結果・腫瘍の増大・播種(2か所)・麻痺が今も進行していること以上のことからほぼ間違いなく再燃でしょうということ
随分ブログを書いてなかったです。書ける気持ちになれなかったのが本音です。娘は今も頑張って病気と闘っています。今日は学校へ行く前に大量に嘔吐をしたのですが、学校へ行くと言うので行かせました。昼前に小学校から連絡がありました。「ふらつきと頭痛があるのですぐに迎えに来てください」以前より小学校からのお迎えの連絡が多くなりました。どれだけ体調が悪くても、いつも笑顔で明るいみーたんです。それだけが救いです。集団下校の時は同級生だけで帰ります。集団登校のみ1年生から6年までみんなで登校
七夕の夜7月7日夜18:002年8ヶ月の闘病生活を終えて、愛しい息子が旅立ちました。18歳10ヶ月でした。昨日の夕方はサチュレーションも安定して、7LのMAXまで上げていた酸素を戻して、5Lに下げようと思っていました。本当に落ち着いて過ごせていたのです。午前中は訪問診療の先生方、訪看さんも同じ時刻に来てくださいました。落ち着いた様子を見て、安心していて、今までの息子の頑張りを思い返して、「こいのぼりも、レモネードスタンドも七夕もできたね。次は何する?」と話していたのです。次は海
いろいろ嫌な予感や、不思議な出来事が続いていましたが。全てが繋がるときが、来てしまいました2018年7月頃から始まった謎の体調不良。なんとなく、夜の眠りが浅かったり、寝汗(特に頭!)が多かったり。少し遊んだだけで、頭の汗がビッチョリになったり全ては「猛暑」で片付けられてしまうような症状でしたが。。。10月2日右手の震えに気づきました。この日はお兄ちゃんの学校の運動会が雨で延期になって、月曜日のこの日に運動会でした。ちゃーこも風邪気味で、咳をしていたのですが。
痛くないように、苦しくないように辛くないようにもぅ帰りましょ!って言ってくださったよく頑張ったただただ黙って、少し泣いたりもしたけど動かなくなった身体、出なくなった声全てを静かに受け入れる様に...なぜ自分がと思ってるのかもしれないけど弱音も吐かなかった強く賢く優しい子愛してるずっとずっと一緒だよブログはこれで終わろうと思います病気のせいで失ったモノはたくさんあったけど、その分、それ以上の幸せがありましたここからは家族で穏やかな時間を過ごそうと思いますこの先、誰もこの
はじめましてこの記事をご覧頂きありがとうございますあの子の49日法要でお坊さんがお経を唱えている時虫がふわふわ飛びながら、私に纏わりついてきましたあの子が他界してから、家の中に紛れ混んだり、纏わりついてきたりする虫がいると、もしかしてあの子だったりして?と思う様になりましたある日、ベランダに小さな雨ガエルが一匹いましたちなみにカエルは死ぬほど嫌いです普段は、もしいたらデッキブラシでちょっとおどかしてみたり、水をかけたりして追い払おうとしていましたその日は、もしかしてあの子が遊び
はじめましてこの記事をご覧頂きありがとうございますあの子の入院生活での悩みの1つが「暑さ」でしたPICUにいた頃は室内がキンキンに冷やされており少し肌寒さを感じ、あの子にはタオルケットだけでなく薄手の布団もかけられていました小児病棟ではそこまで冷房が効いておらずあの子の身体の下には熱が籠もってしまい暑がり汗をかいていました(私にとっては寒かったですが)その為、氷枕が身体とベッドの間に差し込まれなんとかしのいでいましたですが、氷枕が溶けると水滴で周りが濡れますしかも氷枕はす
朝7時ちょい過ぎに目が覚めた!昨日寝た時間を考えると早いお目覚めだけど、機嫌はいい。朝1番に「ママー、今日帰る日?」娘には何度か説明してあるし、話せば理解できる娘なので分かっているはずだけど、よく聞いてくる。すごーく帰りたいんだなと思います。今日ではなく明日の予定だということと理由も話したらあとは何も言いませんでした。いつもより早く起きて機嫌が良くてもやはり気だるい?気持ち悪い?ようで飲み食いはしません。お絵かきなどでずっと遊んでました。娘を可愛がってくれた担当看護師さん
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================私の仕事は土日祝もあり、子供たちがお休みの時に仕事に出ることもよくありました。基本は夫がみてくれますが、2人とも仕事の時はどちらかの実家にお願いすることもありました。娘は生まれた頃からほぼ人見知りなく、ママへの後
はじめましてこの記事をご覧頂きありがとうございます入院19日目、あの子は口をしっかりと開く事が出来なくなってしまいました気管切開手術までは気管挿管されて口は開きっぱなし、気管切開手術後しばらくは話せませんし、口が開けない事に気がつきませんでした病院からも特に伝えられておらず、あの子の状態を鑑みると重要なポイントではなかった様です口が開かない事はあの子が教えてくれました確かにわずかには開きますが、1センチ開くかどうか、、口の左側が開く(動かせる)のですが、右側が動かない様子顔の筋肉
はじめましてこの記事をご覧いただきありがとうございます入院17日目、この日は少し心配な事がありましたご飯(経管栄養)の時間にあの子が嘔吐してしまいました突然の事で焦りました看護師さんに伺ってみると、この日から栄養剤の種類が変更されたせいかもしれない、との事濃度の濃いタイプになったそうです与えるスピードを出来るだけゆっくりにして様子を見てみる事にしましたその栄養剤について調べてみると確かに嘔吐についても記載がありましたその他に便秘の記載も便秘で宿便が溜まりすぎると嘔吐してしま
はじめましてこの記事をご覧頂きありがとうございますあの子が倒れてから身体が動かなくなると便秘や排尿障害になりやすいと知りましたあの子のベッドの側に行くとあの子にかけられたタオルケットの下から管が見え、ベッドサイドに取り付けられていた透明な長方形のボックスとつながり、そこに尿が溜まっていましたあの子は自力で排尿できない為、尿道に管を差し込まれていました、、痛かったろうな、今も痛くないかな寝たきりの方は便秘になりがちだそうです腸内の動きがなくなり、いきむ力も弱くなるからだそうですが、、
改めてになりますが娘の心菜はDIPGという病気に命を奪われました。わずか5歳でした。DIPGは日本では広く脳幹部グリオーマと言われていてその文字の如く脳幹に悪性度の高いグリオーマができる脳腫瘍です。脳幹は生命を司る器官で多数の脳神経が出入りしているためそこにできた腫瘍を手術で取り除くことはできません。また、腫瘍に有効な抗がん剤などの薬剤もありません。40年50年前からずっと治療法がなく医学が発展していく中でも治療法も見つからず、進まず発覚と同時に余命1年を宣告される病です。
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================近所の小児科受診から数日間。やはり、今までの元気が感じられない娘。弟と楽しそうに遊ぶし、元気がないわけではない。でも、やっぱり何かが変。そんなある日の朝のこと。娘が起きてからいつものように2階から呼ぶので迎
先日、お世話になった訪問看護師さんたちが渚に会いに来てくれました。お花とお菓子もいただきました。ありがとうございました最後にお会いしたのはレモネードスタンドのお話をいただいたにこりのお祭りで会いましょう!この時↑が最後でした。闘病が終わってからも気にかけてくださり命日が近くなると会いに来てくださる。本当に有難いことです。いただいたお花💐ずっとずっと応援しています。たくさんの子ども達やそのご家族が救われますように
昨日もよく寝た娘ですが今朝もよく寝てました。起きたのは9時半頃。体が怠いのかな?放射線の副作用があるかもしれないけれど娘も表現しきれないので様子で判断するしかないところもあり。不安です。起きて、ご飯を食べよう!と話したら「冷やし中華がいい。」とのこと。連日ですが、看護師さんに娘をお願いして今日もコンビニへと走りました遅めの朝食の準備も整い、いただきます。まずはお薬から。ホルモン補充療法のコートリルとタンを柔らかくする薬を牛乳でゴクリ。クリア。続いては冷やし中華をいた
今朝は8:30前には起床。昨日より早い。気持ち悪いとは言わない。鼻もタンも大丈夫。朝ご飯は食べたいと言ったら食べさせてみることにしました。頭の傷のための抗生剤の点滴したりTVやYouTube見たり看護師さんと遊んだり私は途中で洗濯や朝食ワイワイと時間は過ぎていきます。途中「お腹すいた?」と聞くと頷いた!牛乳飲んで、よし!大丈夫!カニパン食べて、よし!大丈夫!美味しい!と最後まで食べて今朝は嘔吐ありませんでした!ああ、よかったあ。今日は私の実家から娘へプレゼント
よく頑張りました最期までいい子で、優しくて賢くてこれからもずっと一緒よずっと皆一緒大好きよ、まおちゃんずっと読んでくださり、ありがとうございました
※しばらく少し前の話になります。翌日も絶飲食とステロイドの副作用が辛いのか機嫌が悪いなーちゃん。「抱っこ!抱っこ!うわぁぁぁん!!」と泣き叫ぶなーちゃん。主治医にはステロイドの副作用で性格がガラッと変わる子は多いと聞いてはいたもののずっと泣くか怒るかしていて辛かった。正直変わってしまった娘のお世話も体力的にも精神的にもしんどかった。この日までまともに眠れていなかった為にヘトヘトだった。腕がしびれてはおろしまたすぐに抱っこ。それの繰り返し。本音を言う
私は特別に霊感があるわけでも、スピリチュアル興味があるわけではありませんでした。しかし、不思議なことに…ちゃーこには、お兄ちゃんとは違う「何か」を産まれた時から感じていましたちゃーこには「儚い」イメージがありましたちゃんと大人になれるのかな?大人になるところが、想像できないな。来年の今頃は、なにをしているかな?家族みんなで過ごせているかな?そんなことを思い、不安になることがしばしば。。。洋服を買う時も、ピッタリのサイズにするか、来年も着れるように大きくするか
初月命日次女が旅立って初めての月命日早いもので1ヶ月が経ちました。お通夜、告別式、春休みなどがあり本当にあっという間でした。告別式が終わった後すぐに春休みが始まったので私はまだ家に長時間1人でいた事ありません。三女は今日から給食開始~今日から本格的に1人?次女と2人?になる予定でしたがどうしても心が追いつかず三女に学校をお休みしていただき次女と3人で過ごしています。今日はあいにくの雨3人でまったり過ごそうと思います。
台風が近づいていた9月に入ったころ退院支援の方から往診医さんと訪問看護ステーションさんが近場で見つかりましたと連絡がありました。その名前を見た時鳥肌がたった。往診を担当してくださることになった「Kクリニック」さん訪問看護ステーション「N」さんこの後、お世話になるまずKクリニックさん。今年できたばかりの新しい病院でそう、このブログの「最初の違和感」で書いたなーちゃんの身体が脳幹グリオーマによって蝕まれていたあの七五三の前撮りを
2024.6.12今日からテモゾロミド開始となりました!5日間は約1ヶ月ぶりに5時起き生活です。前回、ふらつきが増えた事を書きましたがその後に2人で不安を吐き出しました。パパは症状があると口に出してしまう事で、私に心配をかけてしまう事と、その症状を自分で認めてしまう事になるから怖いんだと言いました。気のせいと思いたい、考えすぎなだけであってほしいとか、そんな事を考えるんだと。何だか話しを聞いてるうちに泣けてきちゃって症状が増える=いい事ではない。そう思うのは当たり前
朝は8時頃起床。昨日の寝る時間を考えると睡眠が足らない気がする。見てても眠たそうです。起きがけはやっぱり気悪いようで飲み食いはしません。食べる気が起きるまでは自由に過ごしてもらいます。マグネットボール色々な遊び方ができて楽しいです。娘は右手の精度があがってきています11時頃、ご飯です。今日はここでは初めての食パン。耳なしを(耳はママ。笑)ジャムをつけて、6枚切りの大きさ完食です!野菜ジュースと牛乳も。娘のタイミングで食べればOKなようです!今日の治療はベットで移動。
ちょっと前のことになりますが…5月30日に第3子が誕生しました。落ち着いてからこちらでご報告しようと思っていたら時間がたってしまい…ご報告遅くなりすみませんでした。ブログや各SNSを見ていて感じたことですが病児を持つ親や天使ママの場合、新しい命に関して悩むことが多い印象を受けました。かく言う私も、悩んだうちの1人です。もし参考になればと思い、ここまでの思いの経緯を記します。私たち夫婦は子供とワチャワチャ過ごすことが大好きでしたが・高齢であること・医学的に体外受精でないと妊娠が
皆様、こんばんは。本当は週末にupする予定でしたが急遽ブログあげてます。・・・というのも前々から前回放送された内容をさらに枠を拡大してなーちゃんの闘病中の事そして、それからの家族の事をより詳しく特集していただき深夜枠にはなってしまうんですが放送される予定だったのでそれのお知らせをブログにしようと思っていました。記者さんからは今日告知があります!とご連絡いただいていたので知ってはいたのですが放送日時のお知らせだけさらっと流して終わりだと思っていました
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
緊急入院の翌日脳腫瘍に対応してくれる病院に転院することになりました。転院には数日かかるかもと言われていましたが、翌朝には受け入れのお返事がありました。病気発覚は7月21日で、ちょうど夏休みに入る時。長期お休みの予約入院で病床は満床に近く、実際に受け入れは難しかったそうです。が娘の病気と病状を考えベットを確保してくれたそうです。それだけ、娘は緊急だったということです。移動前に入院と退院の手続きをすることになり娘と一緒に行きました。手続きを終え、病院内のコンビニへ。車椅子
こんばんは。最近はTwitterの方にすぐ報告しちゃうから何から書けば良いのか………。とりあえずご報告としては予想通り脊髄に播種がありました。でも予想よりかなり悪く広範囲に腫瘍があってこの増大スピードは厳しいです…と涙目でおっしゃった主治医。そっか、そっかぁ…宣告された時から残された時間についてはずっと頭から離れることはなくてでも大丈夫、まだ大丈夫まだ一緒にいられる。そう思って今日までやってきた。
2023年7月18日(火)今日のこと今日も外は暑くていいお天気でした。3連休が終わり、家は静まり返っていた。朝はゆっくり起き、息子にお線香を上げて、花の水を変える。供えていた夕飯のお肉が乾いている。チョコパンの消費期限も切れている。減らないお供え物を見て、悲しくなるけれど仕方がないね。スーパーにも行きたいけど、何を作ればいいのか何を買えばいいのか分からない。1人で外に出る勇気がまだ出ない。いつも息子のリクエストでご飯を作っていた。パート帰りにLINEをして、「スー