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たま〜にしかブログアップしないうちに、このブログもがん闘病ブログではなく、別の闘病ブログに変わりつつあります💦いつも支えてくださってる癌ブロ友さんやこれまで読んでくださっているブロ友の皆さんには、何が何だか?どうしたの??っと戸惑わさてしまっているかもしれません💦昨年、下歯辺りの顎の痛みをきっかけに、脳の左眼奥に、くも膜下出血を引き起こす元となる動脈瘤が見つかり、手術して食い止めるか、破裂するかわからない爆弾を抱えて経過観察とするか、、、さあどうする!?のところまできました。過去ブ
ケロ子です。いつもいいね、フォローを頂きありがとうございます。皆さんのいいね、フォローが私たちの励みになります。旦那さんの病気の発症についてはこちらからどうぞ→発症時の日記2016年12月医師の告知主治医の新田先生からMRI検査の結果で新たな腫瘍と思われる影が見え始めた。ステージが進みそうとの事。東北大学病院で行われている、CED治験を受けてみてはどうか?と勧められた。最近学会で効果が高いと期待されている治験との事。可能性のあるものはすべて試したいのでぜひご紹介くだ
術後、5ヶ月が経ちました。術後、初飛行機に乗りました担当医からは、術後、2ヶ月の検診で飛行機はOKが出ていましたとは言え、飛行機に乗って耳がおかしくなったらどうしようと不安はありましたしかも、今回の飛行は、おひとりさま何かあったときに頼る人がいません結果…着陸態勢になった時に、耳の閉塞感を感じましたが、痛みがある訳ではなく、すぐに空気も抜けたので全く問題なかったです耳の閉塞感は腫瘍が見つかる前から飛行機に乗ると
三叉神経痛がありまして、あとは、感覚がない範囲が広がってきていますね。そして、オペを決心してお願いしてきました。前のブログで書いた、癌が転移した友達にも勧められて。けど、、、電話の声は明るかったけど、、髪は抜けているし足は痛くて腫れているらしい。。声だけ聞いたら病気の人とは思えない。人間声に力がなくなったらもうおしまいだな、って思う。(家族が亡くなる少し前からそうだったから)でも、、励ましてくれる一方で何だか嬉しそう?😅と思ってしまった。病気仲間が増えて嬉しいのかなぁ。私には
術後の生活だ~第2弾~って感じで、ダラダラ思い出したこと書いていきます。実際は手術してから8ヶ月が経っています。ほぼ普通の生活に戻ってます。術後に発覚した、脱毛は傷口以外にはフサフサ生えてきてます水頭症で手術した脳天も、長くなり気にならなくなってきました。男性ならほぼ目立たない長さだなと思います。ただ、引っ張ったりすると軽く痛みますが、術後よりも、頭の感覚(麻痺感)が少し戻り、そろそろいいかなと梅雨前に美容室に再び行くことに。天然パーマの私はいままで約20年間、半年に一回は縮毛
母の病理解剖は朝の1時間程で、謝礼として5千円頂きました。私「時給5千円だよー。人生最後にお母さん出世したなー」。コブラは私の言葉が気に入らないのかしかめ面をしました。頂いた母の高額バイト代は母の為に使おうと近所の花屋に向かいました。花屋「去年も葬儀のお花のご注文を頂きましたよね?」私「はい、前回は父で、今回は母です。両親の葬儀はもうないと思います」。お花見しながらアチラへ行くのも良かろうとピンク色の花をお願いしました。私「直ぐ燃やしちゃうので開いちゃったお花
更新サボりました闘病するのはすごくしんどいことなんですが、それを吹き飛ばせるような面白い内容ないかな…なんて考えると、どうも時間が過ぎてしまうもので…と言い訳しておきます前回のブログ後、先生にお会いして、野菜スープの公開の許可をいただきました。私が毎日飲んでいる野菜スープは・カボチャ(8分の1)※ワタ(種)も含めます・ニンジン(2分の1)・キャベツ(4分の1)※芯も含めます・セロリ(2分の1)※葉も含めます・トマト(2分の1)・玉ねぎ(2分の1)・豆苗
こんばんは今日は病院だった!!眼科とMRIの結果を聞きに脳外科を受診まず眼科から。30分前には受け付けを済ませて待ってたら、すぐに検査で呼ばれた。前回やってくれた人はものすごく時間かかったけど、今回の人はスムーズで有り難かったそこから診察までが1時間以上待った途中でパニック発作おこしそうになって焦った検査の結果、複視は前回よりも多少良くなってるって言われたよまだ変動してるからプリズム眼鏡とかは作らなくて様子見でいいよって言われた。あと私は左に首を傾けると複視がマシになるんだけ
⚪︎52歳シングルマザー⚪︎18歳の息子と母の3人暮し⚪︎ステージ4トリプルポジティブ⚪︎2015/10乳がん治療開始⚪︎2016/4FECドセタキセル8回終⚪︎2016/5左乳房全摘リンパ節郭清⚪︎2016/7ホルモン剤スタート⚪︎2016/8放射線30回終了⚪︎2017/4ハーセプチン終了⚪︎2019/1骨、肺、リンパに転移⚪︎2019/2ハイパーサーミア6回⚪︎2019/5肝臓、卵巣にも転移⚪︎2019/5ホルモン剤中止⚪︎2019/7
こんにちはぴょんぴょんですこの度、ブログをお引っ越し致しました。また見て頂けましたら幸いです手術日が近づいています…。しかし、まだ少し気持ちが揺れていますさて、時は戻ります…ドキドキの脳外科の診察…2時間待ちました私の番号が表示され、いざ診察室へ…「話は聞いてますか?」「聞いてると言えば聞いてるし、聞いていないと言えば聞いていないです」この先生は、今後私の担当医になるお方です執刀医とは別です。笑わないし冷たい印象で、THE脳外科医って感
2019年8月26日一年前の今日は絶対に忘れられない日朝早く起きて、朝食を普通に済ませ、母を連れて10時に予約していた医療センターの脳内科を訪れた。何でもないわけもないだろうし、いろいろ思うこともあり、お互いに口には出さないけど少し緊張していた(と思う)。先生の質問を受け、最近の様子を話す母。ふむふむ、と聞いている先生。「娘さんにお聞きしますが、、」と私にも質問をしてくる先生。母の話のフォローをしながら、こんなことがあったなどと話す私。時間にしてどのくらいだったか、、
更新が空いてしまいました実は、緊急で脳外科を受診してきました朝の起床時に、手術側の目が腫れぼったくなり何だか瞼が重たく感じていましたすぐに治る日もあれば、1日中続く日も…元々奥二重ですが、綺麗な二重に。整形いらずでこれはこれで良いのですがネットで検索すると、〇枕があっていない(低い)〇うつ伏せで寝ている〇塩分の取りすぎ〇寝る前の水分のとりすぎなどなどそういえば枕を新調したもののめちゃ低くて失敗したと思っていたところでしたけ
ケロ子です。AM2:0012月2日の医師から聞いた余命半年の言葉が頭から離れない。旦那さんの症状は入院してからだんだん悪くなっているようにも見える。毎晩気が気でなかった。しかし、旦那さんの前では常に笑顔でいないと、旦那さんを不安にさせてしまう。今いる病院の医師は余命半年~1年以内と言っている。この余命が、この病院の治療の限界という事なのだろう。私は絶対にあきらめたくなかった。旦那さんが寝ている間に、何とか治療のめどや希望を見つけておきたかった。半年なんかで終わらせてたまるか
『なぜ母は寝たきりになったか①』私がなぜ義妹のことを体調が悪くなるほど精神的にキツくなったのかとても長〜い説明をこれからボチボチと書いて行こうと思います実母の病気や私の癌の話などの説明が出て…ameblo.jpその頃の私は20代前半で最近よく聞くヤングケアラー(18歳未満)では無いのですが若者ケアラー(20代、30代)と言うらしいです母は、少し遠距離の母の故郷で倒れてしまいました。母の義姉のお通夜のときに私は、少し遠距離ということもあり伯母さんのお通夜お葬式には欠席してい
こんにちは、Mama’sBody白金高輪店の山本です。昨日やらかしてしまいました・・・夫の帰りが遅い日だったので(深夜帰宅確定日)、子供3人と私で近場に夕食を食べに行っていました。その帰り、3歳の子供が「つかれたー」というのでおんぶをしてあげてたんです。おんぶひもはしていませんでした。家の前に着き、「さぁおりようねー」といって手を緩めたところ頭からアスファルトに落ちてしまいました。ゴンという鈍い音のすぐ後に泣き叫ぶ子供。久しぶりにおんぶしたから忘れてました
本日、大学病院に行ってきました。先週のMRI検査の結果を聞きに。脳外科の先生と話したところ、左からに3㌢程の腫瘍があり、その周りが腫れていて炎症が起きていること。より詳しく調べるために今週金曜日に造影剤入れたMRI検査をすることになりましたまずは1週間、薬を処方され、明日明後日はリンデロン朝3錠、タケキャブ1錠。夕方リンデロン3錠それ以降はリンデロン2錠ずつです。最近、LINEの文章がおかしい時があること。会って話してもたまに聞こえなかったり、喋る時に呂律がまわらないことがあること
初療室から移動し脳のMRI検査をしました。相変わらず膝上がブルブルしていたのですが検査技師の方が私の膝裏に足を曲げておけるように三角の台を入れてくださり足が安定しました。私は閉所恐怖症ではありませんがMRI検査中のあの狭さには慣れません。まして今の体調が普通ではありませんので一度も目を開けませんでした。検査を受ける前に具合が悪くなった時は声を出すよう言われていました。その後検査中にまた息苦しくなってきました目を開けたら自分がパニックになり更に苦しくなるだろう
大学病院にて更に細かい検査が始まりました。娘の担当は小児科の医師が3人つきました。「小児科医と脳外科医が一体となりチームを組んで、みーたんの治療にあたります」小児科の医師達が言ってくださいました。「脳の手術は専門家の力が、どうしても必要になるので、脳外科の先生から説明がありますので待ってて下さい」聞くのが怖くて娘を連れて逃げたい気持ちで、いっぱいでした。看護士に脳外科の先生から来てくださいとの事で、カンファレンス室の扉を開きました。脳外科の医師の第一声が「最初から最後まで良いこと
脳外科の先生から話本当は、両親のみの話が原則ですがお願いして両家の両親にも同席して話を聞きましたみんな同じレベルで息子くんの病気,症状を把握してもらいたかったし今の私じゃなにか聞き漏らすかもしれないと『恐らくですが、息子くんは、上衣腫だと思われますその中でもグレードが悪い退形成性上衣腫の可能性が高いです病理検査をしないと断定出来ませんが…今、手術をしないと余命3ヶ月です水頭症も合併症ででてます』ちょっと待って余命って思いながらもさらに、手術の仕方や手術をすることのリ
今日も診察に行ってきました。診察室に入ると担当の先生2人に研修医らしき人たちが2人けっこう圧倒されます。前回の診察で少し気になることがあったんですが、とりあえずガーゼをとって切除部分の診察。やっぱりかわってない……人工真皮が貼られていた部分側頭部のところはキレイに貼られていたんですが、頭頂部のところが黒くなっていたんです。そこのところが、どーも壊死してしまったらしいのです先生が言うにはそこの場所はもう頭蓋骨?だったらしいんですが、血流がうまくいかなかったのか原因
次の日D大学病院へD大学病院は昔夫が眼科でお世話になったことがあります当時とあまり変わらないそのときは私が夫に付き添い今日は夫が私に付き添いです受付で初診の手続き紹介状やデータを提出し脳外科の受付へ向かい順番を待ちますやっと名前が呼ばれ診察室に入りS先生と初対面『こんにちは~はじめまして~』気さくな先生『やっぱりね〜腫瘍はっきり写ってるね~』画像には白く写る大きな腫瘍が…なにこの大きな腫瘍『大きいよね~これ取ってしまわないことには〜脳幹までいっちゃ
こんばんは今日はMRIの結果を聞くために大学病院へ行ってきた術後3ヶ月のMRI。予約時間より20分過ぎて呼ばれたちょこっとだけザワザワ感がきたけど、やり過ごせた結果は問題なしまじまじと手術前の画像と比べたら、腫瘍すごく大きかったんだなっと思った。脳にベッタリくっついちゃってるやつはもう仕方ないから、これからは半年ごとに経過観察していきましょう❗ってなったよ次のMRIは8月診察は9月複視の症状が何も変わってないから、今日ついでに眼科も受診してってなった。予約外だったから待ち時間
生検手術が終わり、オペ室から小児病棟までベッドに乗せた状態で移動します。娘は意識朦朧のなかでも辛そうで移動中、吐いてばかりいました。ちょっとした振動の刺激で嘔吐してしまうのです。大学病院だけあって病棟までの距離がすごく遠い。オペには小児科の医師達と脳外科の医師達が連携して手術をしました。小児の手術は成人(大人)と違い、とても難しいです。手術時間が長くなってしまった理由を説明され納得できました。術前に娘に合わせて作っていた管?が予想よりはるかに娘の身体の中が細かったみたいで、それが
こんにちは。過去を振り返って書いてます11月5日東京の病院から紹介してもらった地元のN病院へ初めて行った。2週間に1回アバスチンを投薬してもらうのと、何か緊急を要する時に診ていただくという目的で東京の先生から紹介してもらった。東京の先生もさすがにアバスチンを投薬するだけで、東京に来るのは大変だろうということと緊急に体調が悪くなった時はあわてずN病院に連絡して対応してもらえるリハビリはJ病院で行っているが、脳外科でも外科と内科があり、J病院は内科がなくアバスチンができなかった。1
こんばんは。moiです。続きです。救急車が到着搬送先が決まるまで長いこと長いことその間、夫に報告。ようやく病院に到着。息子はぱっちり目を覚まして変わった様子がない状態。頭をうってから3時間は様子みることに。処置室でずっと抱っこしてました。ミルクも飲んで通常な息子をみながら安心したり急変したらどうしよう、、、と感情がぐるぐる先生からも酸素濃度や瞳孔も大丈夫そう。とりあえずレントゲン撮っておきましょうね。CT撮ってもいいけど様子見る限り大丈夫そうだからな〜赤ちゃん
翌朝は、面会時間にあわせてICUに行き息子くん会いに行きましたすでに起きてて動きたくてたまらない様子それくらい元気があるのだと少し安心しましたその時には色んな管が抜けていてこんなに早いものかと驚きました髄液も上手く流れてると水頭症も緩和してて色々と驚いているところさらに小児病棟へ移動(個室ではありましたが1日でICUを出るなんて)この時は、点滴とサチレーションのモニターと酸素だけ手術前に赤ちゃんは回復や治りがはやいと聞いてたけどすごい荷物整理をして落ち着いたこ
はろ〜本当に昨日の夜の頭痛ヤバかった本当に殺して欲しかったいや〜しんどかったまじで泣いてた痛過ぎて自然に涙が流れてたよ昨日はいつも行ってる循環器内科内の脳外科に行きました🏥行ったのは8時半頃…血圧は良いね✨頭痛が酷い中待たされて待たされて待たされてCT検査をして…待たされて待たされて待たされてやっと診察主治医は副院長先生なんだけどあいにく居ない日で初めましての先生…副院長に会いたかったなぁ〜なんて思ったけど初めての先生も良い感じで私の病歴や怪我歴を聞いて
母を看取るのが心細くなりコブラを呼んでしまいました。もう少し踏ん張るべきでした。相変わらず母は瞼を閉じていましたが、母の意識がある時コブラを呼ぼうか相談すると母は腕を払う仕草をしました。私「こないだも来てくれたし、お金勿体ないし、もうええって事か?」母は小さく頷きました。母は正しかった。コブラが来てくれた事やコブラを送り出してくれた叔父に感謝しますが、コブラにとって見舞いとは代理ミュンヒハウゼン症候群に通じる目立ちたがり屋のコブラの欲を満たす行為だったと思わ
ケロ子です。いつもいいね、フォローを頂きありがとうございます。皆さんのいいね、フォローが私たちの励みになります。旦那さんの病気の発症についてはこちらからどうぞ→発症時の日記2016年12月医師の告知旦那さんの調子が4月に入ってから急に落ちてきている。退院してから、3月の間は1人で歩けていたのに、4月に入ってからはフラフラと立ち上がりすらしんどい様子だ。最初は3月にリハビリを手配できなかったからなまったのかと思われたが、それどころではなかった。歩行自体が1人ではとてもできない
今日は、投与後8日目。子宮体がんの手術して、約一月後、化学療法開始している。まだ1回目ですよ。本日の体調は、昨日よりも手指の感覚が鈍い。なんか気持ち悪いね。パソコン打っていても、いつもと感覚がちがって。感覚がイマイチな分、結構力を入れて打っているかも。便の方は、なんかパッとしない。表現しにくいんだけど、私の今の状態は、10月に手術して、お腹を大きく切ったので、お腹に力を籠めるのが、ちょっと怖い。そこに固めなわけで、大変だわ。