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今日は手術当日の事を書きたいと思います。あの日の事を思い出すと正直しんどいです。でも忘れられない日。頑張った次女のためにもしっかり、記していきたいと思います。次女の病気が分かった日から日記を書き始めました。次女の言葉を一語一句忘れたくなくて残しておきたくて書き始めましたその数は太い日記帳が10冊近くになります。書いてるとほとんどが祈りと次女へのメッセージ的なものになってしまっていますが‥‥。次女の経過と共に闘病を通し感じたことした方が良いなと思ったこと
入院4日目夜中何度も看護師さんが次女を起こし意識確認をしてくれました。次女は寝付きは良い方なので幸いにも確認後は直ぐに寝られたようでした頭痛や嘔吐があり水頭症の悪化や脳への圧力の可能性もあるので薬や点滴で脳への圧力を抑えていました。そのお陰もあり4日目は1日元気に過ごすことが出来ました。プレドニンはずっと飲んでいたので吐き気が無いときは食欲がモリモリ。特に食事制限もなく食べたいものを食べさせて大丈夫との許可がおりていたので下のコンビニに行きたこ焼きやコーン
入院3日目やはりほとんど寝られず朝を迎えました。天井を見るたびに「現実なんだ」と思い知らされ打ちのめされる気がする。次女はなかなか起きなくて心配になり何度も何度も呼吸を確認しました。午前中はお風呂の許可がでて入ることに。泡で遊んでいる次女の姿を見ていると愛しくてたまらない。午後からは私の両親が来てくれました。両親は朝長女を中学校に送ってくれた後に自分の家に帰り(実家)家の仕事をし夕方長女が帰る時間になったらまた長女を中学校に迎えに行ってくれて
入院病棟へそして報告長い間脳外科の待合い椅子で待っていました。どれくらい待っていたでしょう1時間くらい?実際は1時間もかかっていなかったかも知れませんが体感としては長く長く待ち続けた気がします。次女は待っている間に待ち疲れて次女は涙を流しながら寝ました。暫らく待ちやっと病棟の看護師さんが迎えにきてくれ病室に案内され脳外科の入院病棟に行きました。次女は泣きつかれてまだ寝ていたので私は次女を抱っこして移動しました。大切な愛おしい次女を絶対に失うもんか!
市民病院からの電話人生が一変した日の朝それは次女が小学2年生になったばかりの4月9日。市民病院でMRI検査を受けた翌日のことでした。午後から長女の中学校の入学式の日でもありました。いよいよ中学生か~感慨深いなぁ長女の行く中学校はいくつもの小学校の生徒が集まるマンモス中学校。いいお友達ができるかなとか心配性な私は入学が嬉しい反面長女の事が心配や不安でいっぱいでした。しかし不安もあったけれど子供の成長が嬉しくて入学式を楽しみに心待ちにしていました。うち
スケーリングの危険性スケーリングとは歯に付着した歯石を取る治療法のことを言う日本の歯科界では決して歯石が付着しない方法をお教えしない!私も当初は普通に歯石を取るには当たり前と考えておりましたしかし、連続的に歯石を取っているといろいろな問題が発生することを知ったのだ確かに、スケーリングによって炎症を起こしている歯茎にさらに傷をつけてしまう!その結果、菌血症と言って血液中に歯周病菌が大量に入り込んでしまうのであるその歯周病菌が全身に周りいろいろな病原を作るこ
入院準備小学校に次女の病状の説明をした後自宅に着き慌ただしく入院準備をしました。家には父がいてくれてまだ長女と母は中学校の入学式から帰って来ていないと言うことでした。今日言われたことを父に簡単に説明し私は入院準備をして急いで病院へと出発しました少しでも…1分1秒でも早く次女に会いたかった。不安であろう次女の元に戻りたかった。病院に着くと次女は思ったより元気にしていました元々天真爛漫で前向きな次女。初めてみる電動ベッドに興味しんしんでこうやったらベッ
手術終了12時間半を超える手術次女本当に良く頑張った!そして手術をしてくださった医師スタッフの皆様もありがとうございました。手術が終わり呼び出しがったので夫と向かいました。次女と会えるのかと思っていたら違った。医師からの手術報告でした。医師の話医師からの話。途中簡易病理に出したが悪性の可能性が高い部分的にドロドロでバキュームで吸引しながら摘出した。全摘出は無理だった。少し残っている状態。神経や脳幹辺りに残っている悪性の上衣腫の可能性が高いよって今後
脳外科での話病院に到着し重い足取りで脳外科に着きました。名前を言い待合室で待つことに。この時、ずっと名前を呼ばれなければいいなと思いました。このままずっとずっと名前を呼ばれなかったらなって。話を聞くのが怖くて怖くて堪らなかったから。だけど、暫く待つと呼ばれてしまいました。当たり前のことなのだけれど…。心臓の音が聞こえそうなほどにバクバクしていました。緊張しながらドアをノックし診察室に入りました。脳外科のT先生。今までの経緯を改めて聞かれて耳鳴りから始まったこ
4月22日朝になっても鼻血が痰になり口から出てくる。緊急で耳鼻科の先生がHCUまで来て診てくれました鼻に止血剤(ボスミン)を染み込ませた綿を詰めて翌日までそのまま入れておくことに息が苦しそう朝御飯も昼御飯も沢山は食べられないけど少しずつ食べることができるようになりました次女にマッサージやお世話をしながら私は次女に言いました。「パパやママがおじいさんおばあさんになったらこんな風にお世話してね」すると次女は「絶対にしてあげるね」と言ってくれた。本当
入院5日目おそらく病名は退形性上衣腫(良性)再発率が高いこと再発したらもう治療(放射線)はできないこと化学療法は意味がないこと医師からの話がずっと頭の中をぐるぐるしていました。再発しない可能性にかけ大丈夫だと信じて祈るしかないのだけれど。この日も次女は薬のおかげか凄く元気でした。脳圧を下げる薬で水頭症による吐き気も頭痛もなくプレドニンを飲んでいるから食欲もモリモリで。元気な姿が嬉しかったのだけれど手術が終わったら暫くこんなに元気な次女を見られないのか
以前、”娘"(実の娘でも養女でもなく、単に”私の娘”と呼び、本人も私を”お母さん”と呼び、子供たちも私を”おばあちゃん”と呼ぶ)の緊急手術(盲腸)のお見舞いに行った病院へ、今度は自分の体調不良でかかるとは。1月の終わりから左腕の痺れに悩まされていまして。鍼治療や整体、痛いマッサージなどに行っていたけど、こりゃ西洋医学にも診てもらうべ、となり。と言うよりも、藁をもすがる思い、でした。痺れは時々だけど、肩甲骨の痛みがひどくなり。急に思い立ったのは、買い物に行った時に街のクリ
昨日の続きです。ハードな内容が続いてしまいます。手術のあと医師からの話が終わり部屋から出ると長女と両親が待っていた。話が終わったのが22時半は過ぎていた(そう)どうだったかと父から聞かれ聞かれ夫は、私の両親に心配かけないように簡単に安心させるような事を伝えた。私は夫に「隠すのはやめよう全部話してみんなで闘っていこう」と言った。いづれ分かることだし誤魔化していても無理だし隠すのは違うのではないかと思ったからだちゃんと知ってもらってみんなで闘いたかった。祈
前回の続き『頭に新たな悩みの種』先月の脳外科でのこと。右目半分の視野欠損の発作は今も相変わらず続いていますが(月に1〜3回程度)体調は悪くないですなので、いつも通り気負うことなく診察に行った…ameblo.jp主治医の外来日ではない日に臨時受診したので別の先生に診ていただき、「MRIを撮りましょう」となりました。先生「脳梗塞がないか、脳の血管もみておきましょう。今日は単純で撮りますね。」私「わかりました。よろしくお願いします。」と返事をしたものの、え?脳梗塞?脳の血管?今まで撮っ
医療センターから大学病院へ紹介状を書いてもらい3日後に受診しました。初めての大学病院。で、で、でけー!!!!あまりの大きさにビックリしました🤣そして待ち時間も…なげー!!!!笑これから母子ともにお世話になります。🙇🏼♀️お世話になる産科の先生との初対面。良い先生だといいな。と思いながら呼ばれた番号の部屋へ。第一印象は…とても物腰の柔らかそうな優しそうな先生😊エコーも丁寧に1つずつ見て、説明してくれて「とても見やすい所に居てくれて、いい子ちゃんですね〜」と言ってくれて
【5月19日】前日、急遽借りたウィークリーマンションに引っ越したが、落ち着く暇もなく早速今日からクリニックにてIMRT治療が始まる。(IMRTについては過去ブログ参照してください)クリニックで治療の前に9時から〇病院受診。夫は昨日と今日こちらに泊まって明日帰ることになっていた。今日は〇病院の脳外科受診とクリニックの予定。明日はクリニックを紹介してくれた〇病院のJ医師の受診とクリニック。そして明後日からクリニックのみになる。〇病院の脳外科の先生。早口で方言もある。