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ちょうど20年前、福知山線列車事故が起きた。運転手を含め107名の方がお亡くなりになった。本当に悲惨な事故で、、今でもテレビの映像をはっきりと覚えている!この事故が私の記憶に鮮明なのは私の父が他界してちょうど1週間後の事故だからだ。ということは、、父が亡くなりもう20年経ったということか、、😑💦ところで昭和38年11月9日鶴見駅ー新子安間で起きた「鶴見脱線事故」をご存知の方はおられるだろうか、、?私はまだ生まれていなかったのだが。父から何度もその事を聞かされて
2018年4月25日現在、JR西日本・宝塚線(福知山線)の脱線事故から13年経った。死者107名、負傷者562を出す歴史的な大惨事であった。現在、電車が衝突した9階建てマンションは、最高4階まで階段状に残して屋根をかける工事を進めている。2018年夏に完成する。追悼慰霊式は2019年に行う。JR宝塚線脱線事故跡(3D、北から南へ見下ろす)、グーグルアースでは被害マンションは改修前の姿JR宝塚線脱線事故跡(2D)、グーグルマップでは被害マンションは改修途中兵庫県尼崎市久々知3丁目27参考
2005年4月25日午前9時18分に起こったJR脱線事故。娘が小学生で、新年初の参観日の日だったのでよく覚えている。この日、私はテレビをつけながら参観日に行く前に家事を片付けておこうと忙しくしていた。そんな中突然テレビ画面に速報。画面にはあの悲惨な事故現場が映し出されていのだ。私は電車で実家に帰省する時は私鉄を利用していたが稀にJRを利用する事もあった。あの悲惨な事故が起きた路線は私がJRで実家に帰省する際利用する路線だったのです。もしかしたら自分や家族が犠牲になっていたかも
記事をお借りします。事故で重傷を負った元タカラジェンヌ「乗ることで日常を取り戻したい」…JR福知山線脱線19年【読売新聞】JR福知山線脱線事故で重傷を負った元宝塚歌劇団員・川井みな子さん(兵庫県宝塚市)は25日午後、現場付近を通る福知山線の電車に乗車する。昨年4月25日に続き、2回目だ。事故後、恐怖感から利用を避けてきたといい、「乗ることwww.yomiuri.co.jp最後の「追悼のあかり」JR福知山線脱線事故から20年(ABCニュース)-Yahoo!ニュース事故から20年。最後の
福知山線の脱線事故から20年たちました・・・列車がマンションのビルに「く」の字になって巻き付いたような現場の映像は今でも目に焼き付いています。もう20年たったとは思えないかんじです・・・まるで昨日のような感じですから・・・あのような人為的な事故があってから鉄道会社も職員の管理も徹底してやっているようですが・・・やはり事故が起こる前からちゃんとやってほしかったですね・・・
南部縦貫鉄道七戸駅構内イベントに向けて線路の整備進行中安全対策として木製の枕木をPC枕木へ交換を行なっていますPC枕木とはコンクリート製の枕木のことです木の枕木は10年から15年ほどで痛むのとレールを締結する犬釘が緩むためメンテナンスが大変なのですそしてそのメンテナンスを怠ると・・・レールの幅が広がり脱線事故につながりますレールバス愛好会では10数年前より安全対策として枕木のPC化を進めています現在工事も順調に進みイベントまでに体験乗車で運転する2番線のPC化が完了する予定です
2024年5月28日未明、馬込車両検修場にて脱線事故を起こした5500形の5507編成のうち、総合車両製作所に入場していた2両が廃車のため搬出された。牽引はお馴染みの丸池海運さん、今回の輸送には初めてボルボのトレーラーヘッドを投入してきた。2023年6月に脱線事故を起こした後、修理を行えるかどうかの判断を行うため製造元に入場していた同車であるが、残念ながら修繕不可と判断され廃車という結末を迎えることになってしまった。2018年の落成からわずか6年にも満たない短い車生となってしまった。仕事終
おはようございます。花蓮貨物駅の構内には、横倒しにされたDR3000形ディーゼル自強号が2両留置されています。2016年6月に富源駅構内で発生した脱線事故の該当車両ですが、このうち横倒しにされているのはDR3047形とDR3094形の2両です。横倒しにされているのには、実は理由があり、台鐵と花蓮縣政府の横転事故復旧作業用教材として活用するためなのです。この場所とは別に、踏切事故救出訓練場があり、そこにはDR2800形が1両留置されています。
1951年の今日4/24、横浜の桜木町で列車火災事故があった。架線の部品交換作業員の単純なミスがそもそもの原因のようだが、おかげで架線が垂れ下がり、そこへ列車が接触して火災が発生し、106人もの死者と、それに近い人数の負傷者をだしたもの。そして2005年のあした4/25は、福知山線の脱線事故から早くも20年になろうとする。こちらも運転士の心理的な「あせり」が原因での速度超過が原因だった。阪神大震災を実際に経験、または福知山線脱線事故を、地元ゆえに「すぐそこ」で起きた
1984年10月19日(金)、山陽本線・西明石駅構内で、寝台特急「富士」の脱線事故が発生しました。客車14両中13両が脱線しました。オハネフ25-205(左)、オハネフ25-107(右)山陽本線は、この西明石駅で下り線は複々線から複線に、上り線は複線から複々線と変わる駅です。山陽本線の複々線区間は、特急、貨物列車が走行する列車線と、快速や普通電車などが走行する電車線に分かれています。この切り替え区間、列車線を走行する列車は100km/hの速度で通過しますが、電車線を走行する
事故から20年の月日が流れました・・・・明日で20年・・・テレビのニュースで見た目を疑うような大参事・・・大事故でした(一一)もう19年もなるんかぁ・・・(一一)こんな大きな鉄道事故はなかった(一一)いまだに後遺症や精神的に苦しんでる方も多くおられるようです・・・。私たちが身近に使う電車・・・その分、衝撃が走りました。107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から19年を迎えます。数年、コロナウイルスの影響で大きな行事はなかったようですが?今年はどうされたんや?ちなみに!平成17年4月25
O2カスタマーには超イケメンな高校生クンもいます。今日おはなしする高校生くんは熊本市内までバスで通学するFくん。早朝の混雑するバス車内で頭のおかしい人が女子高校生を中心にまわりに迷惑をかけまくる人がいてじょうずに、おおげさに立ち回ることなく車外に誘導して、下車させせんぱい、かっこいい~~~~っと後輩の女子のなかで、評判になっている彼がいます。そんなエピソードを、まったくの第三者からめぐりめぐって・・僕の耳に届きました☆かっけーーーーーーーーーー。こん
先日、相模湖駅で脱線した中央線E233系T30編成ですが、修理が完了し出場していました。ただ、営業運転には就いておらず、回送列車扱いで車内に計測機器を積み込んで、何やら測定していました。先日の脱線のメカニズムのデータ取りかも知れませんね。いったん新宿駅で見かけた後、T30編成はすぐに高尾方面に出発していきました。帰社する方向が同じ方向なため、後続の快速に乗車。すると、東小金井駅の2番線にT30編成が停車しているのを見つけました。1号車クハE233-30の車体の角の部分。相模
JR枠のところでしたがストックに置き換えました。今回は雑談話です。ちょっと興味深いお話を持ってきました。今回は、関西で新快速を横目に走っている207系について解説します。207系は現在黄土色のようなモダンな色の帯を巻いて走っていますが、登場した際は青色の爽やかな感じでした。というか関西を走る列車たちはほとんどあの色でした。ではなぜ人気の塗装を変えたのでしょうか。それはある事故が関連していました。皆さんご存知ですよね。2005年に発生した福知山線脱線事故が関連しています。怪我人
今日で福知山線脱線事故から20年になります。●ATS-SW停止信号の600m以上手前の地上子を通過すると警報ベルが鳴ります。「この先停止信号🔔」5秒以内に確認ボタンを押してブレーキを操作するとチャイムに切り替わります。「確認できたね😀信号の手前で停まってね」5秒以内に操作しない場合と停止信号より先へ進もうとした場合は非常ブレーキが作動します。「確認しないなら一旦停まれ💢」「直ぐそこ停止信号やし一旦停まれ💢」速度照査機能も付いています1個目の地上子を通過するとタイマーがスター
兵庫県尼崎市の福知山線塚口駅-尼崎駅間のカーブ区間において脱線事故が発生し、乗客と運転士の計107名が死亡して562名が負傷してから、本日で丁度20年となります。このカーブの制限速度は70km/h(事故後は60km/hに変更されました)だった所を、116km/hものスピードで突進し、1~5輌目が折り重なりようになって脱線してしまいました。写真を見てもらってもお分かりの通り、完全にペシャンコになってしまった車輌もあったりして、こりゃ助からないでしょうね…(泣)。この運転手は、以前から
(寝台特急「富士」脱線事故・1)では、脱線の原因と経緯について書きました。今回は、その続きです。西明石駅構内へ足を運んでみると、機関車次位に連結されていたオハネフ25がホームに激突して大破していました。オハネフ25-104進行方向右側が原型をとどめていない程、大破しています。幸いだったのは、大破したのは寝台側ではなく、通路側だった事です。オハネフ25-104さらに駅構内の先にけん引していた機関車が停止していました。EF65-1099機関車は脱線する事
(寝台特急「富士」脱線事故・1)(寝台特急「富士」脱線事故・2)では、脱線の原因と経緯や他の寝台特急の回送について書きました。今回は、その続きです。15時00分いよいよ、脱線した車両の復旧のために、線路内にクレーン車2台が入りました。2台のクレーン車で客車1両ずつを吊り上げて、線路へ復帰させてゆきます。しかし、ホームに激突して大破したオハネフ25-104は、ホームに食い込んでクレーンでの吊り上げすら不可能でした。そこで、現地解体が行われる事になりました。16
福知山線脱線事故と言えば尼崎脱線事故が有名ですが、その以前にもう一つの脱線事故を起こしていました。(衝撃画像注意!)それは1995年12月25日夕刻に藍本駅構内で、快速列車が停車しようとしたらブレーキが掛からず、安全側線に突っ込んだもので、幸い犠牲者は出なかったものの、負傷者を出しました。この時脱線事故を起こしたのは当時の主力車両だった207系で、脱線した原因が1986年の西武新宿線田無駅と昨年2月の東急東横線元住吉駅のそれぞれの追突事故と同様、ブレーキに雪が挟まり、ブレーキが効
JR福知山線脱線事故私は当時大学1年でした。あの日は私は1限目から授業だったので、事故があった時はすでに大学にいたのですが私がよく使う駅も通る路線だったのでめっちゃびっくりしたことを覚えています。事故を起こした電車の行き先は「同志社前」名前のとおり同志社大学の最寄り駅が終着駅でしたあの路線を使ったことがある人は知ってるかもしれませんが最初は7両編成なんですが、途中で後ろ3両が切り離されてしまうため、同志社大学に行く多くの学生は1〜4両目に乗ってる人が多く、当時私と同年代だった被害者