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五皇神社福井県越前市文室町20-12応神天皇から継体天皇の父彦主人王までの5代の皇子と継体天皇の御神霊を祭っています。また、継体天皇が味真野にいたころ、この地を学問所として開いたという伝承があります。ご祭神譽田別皇子(第15代応神天皇)継体天皇の父彦主人王までの5代の皇子稚野毛二泒皇子(応神天皇の子)太郎子皇子(応神天皇の孫)汗斯王子(応神天皇のひ孫)彦主人王子(応神天皇の玄孫)男大迹王子(第26代継体天皇)
足鏡別王についてはその1で終わる予定でしたので、今回から息長氏に入っていきます。ご訪問ありがとうございます。さて、息長(おきなが)氏ですが、これまで何度となく息長氏は出てきました。もちろん学校では習いませんし、私からもちゃんとした説明もないし(^▽^;)、中にはネットなどで調べてくださった方もいらっしゃるかもしれないのですが、たぶんよくわからなかったと思います^^;実は「謎の氏族」なのです。まず、系譜が分かりません。古い順でいうと、第9代の開化天皇の子日子坐王の妃に「息長水依比売」が
謎の大王第26代継体天皇を祀る味真野神社福井県越前市池泉町21−18初の地方出身の天皇継体天皇御宮跡の石碑「日本書紀」によると第25代武烈天皇が崩御し後継者が無く大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に応神天皇(第15代)の五世孫の男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけます。越前まで迎えに行き固辞するヲホトノ王を説得し、継体天皇(第26代)として即位させたとあります。日本書紀にはそのように記載されていますが、真実は、越前の豪族によ
ご訪問ありがとうございます。前回からヤマトタケル論に「継体天皇考」という一章を建てたのですが、これからヤマトタケルの「一妻系譜」と「上宮記逸文」の「一云」であげられている継体天皇の系譜とのかかわりを明らかにし、継体天皇とヤマトタケルの関係を考察しようと思います。さて、まず継体天皇の出自を明記した、唯一残っている「上宮記逸文」の「一云」の系譜について検証します。じつはこの系譜は、13世紀後半(鎌倉時代)に学者の家系であった卜部兼方が、「日本書紀」の講義のために、自家に伝わる家説に当時存在