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ご訪問ありがとうございます。今回は継体天皇の姻族を中心に、天皇の地盤を考えてみたいと思います。目次お田植えとご養蚕継体天皇の後宮妃たちの出身地(和珥氏)妃たちの出身地(三尾氏)妃たちの出身地(坂田郡の王族)尾張氏との関係目次を開くお田植えとご養蚕9日に継体天皇は詔勅を出して「朕が聞くところによると、士オトコがその年に、耕作をしないことがあれば、天下は飢えることがあり、女メノコがその年に、糸を紡がないでいると、天下は凍えることがある。それゆえ帝王が自ら耕作し、農業を勧め、后
ご訪問ありがとうございます。ちょっとややこしい話が続きましたが、継体天皇の出自について、「上宮記逸文」が「古事記」より古く、かつ「日本書紀」はこの逸文の系譜か、それと同系統の史料を踏まえて編纂されているということがわかってきました。少しまとめておくと凡牟都和希王が皇統の万世一系化に伴い、応神天皇と同一視される過程で神功皇后も応神天皇の母神であった大帯比売に凡牟都和希王の母の息長比売が加えられ、息長帯比売になった、とわたしは見ています。ホムダワケは仁徳天皇から、ホムダワケとオオササ
ぱんだの福井県神社巡り(´Д`)。本日は福井県福井市の足羽山に鎮座する足羽神社の紹介第二弾です。今回は境内にある石碑を中心に見ていきたいと思います。足羽神社史料収蔵庫こちらは史料収蔵庫だそうです。どんな史料があるのかな(´Д`)。足羽神社足羽宮碑こちらは足羽宮碑です。文政十三年(1830)に継体天皇崩御1300年を記念して建立されました。亀の上に立つ珍しい碑であり、雨乞いの信仰を伝えています。足羽神社紫洲流吟道之碑灯籠を備えた立派な碑がありました(´Д`)。
前に今城塚古代歴史館で、ハニワ作り教室をやっていました。それが焼き上がったそうなので、取りに行きました!▼前の記事『【行くなら今!】〜今城塚古墳の前に今城塚古代歴史館へ〜』【お知らせ】百舌鳥編の投稿はお休みしてこれから数週間は今城塚古墳の投稿になります。今城塚古墳のとなりの今城塚古代歴史館でハニワ作り教室があると知って4月に予約…ameblo.jpやってきました。今城塚古代歴史館!前の写真よりこっちの方が良いですね(笑)この日は勾玉作り教室がやっていました。教室のスタッフの方に言う
継体天皇の皇女です。6代目の伊勢斎宮です。母親は息長真手王(おきながまておう、近江、今の滋賀県米原市を拠点とした豪族)の娘、麻績娘子(おみのいらつめ)。母の姉妹には押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、34代舒明天皇の父)、菟道磯津貝皇女(うじのしつかいのひめみこ、のち伊勢斎宮)などを産んだ広姫皇后(30代敏達天皇の最初の皇后)もいました。異母兄弟姉妹はたくさんいます。父帝には正妻の皇后手白香皇女(父親は24代仁賢天皇)はじめ7人の妃がいました。皇后はちなみに29代欽明天皇の
今の皇室は、実は出雲王国の末裔である大江家の血筋にもあります。大江磐代(おおえいわしろ)が、閑院宮・典仁親王(東山天皇→直仁親王→典仁親王)の側室となり、もうけた皇子が、光格天皇となって、以後、仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇と今上天皇まで男系が続いているのであります。大江氏には二流あり、いずれも東出雲王国の登美(富)家の流れとなります。登美(富)家・本家・・野見宿禰→土師氏→大枝諸上(諸土)→大枝本主→大江音人(大江家)磯城登美(富)家・・磯城県主→中原家→大江(中原)広元
ご訪問ありがとうございます。実は次回の継体天皇の出自について30年ぶりくらいに岡田精司氏の「継体天皇の出自とその背景」を読み返しましたところ、「上宮記逸文」の分析において、同じ論旨になっているところが多々ありましたので、前回と前々回にその点を加筆致しました。ご了承を御願い申し上げます。さて、前回の凡牟都和希王がめちゃくちゃ難問でしたので、今回はさらりと(^^;)目次「上宮記逸文」の検証母々㤙己麻和加中比賣雄略天皇の母系一族「上宮記逸文」の検証まずは読み下し文を再掲します。前
[大和国高市郡]植山古墳推古天皇・竹田皇子の合葬墓とされる(初葬墓)石棺は阿蘇ピンク石製の刳抜式家型石棺*写真は「歴史に憩う橿原市博物館」展示物より◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(33)GWを挟み、毎年のことながら新しい読者が少々増えました。この企画物記事の主題を簡単にお話ししておくことにます。5~6世紀頃(古墳時代中期~飛鳥時代の初頭)にかけて、畿内の古墳から「阿蘇ピンク石製」石棺が出土します。真の継体天皇墓とみられる今城塚古墳や、推古天皇・竹田皇子の合葬墓(初葬