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東北は、あまりにも逃れた人々が多すぎていろんな氏族と婚姻を結びすぎているうえに、語らない、言わない、声をあげるのは、藤原家。「密かに」暮らしすぎ。山深くて迷う、目的をすぐ見失う。して、落馬する運命にされる。蘇我や物部といったあの時代の氏族も、東北へくると皆、一緒。それどこじゃなかった。北方の蝦夷が強かったから。東北に混在する物部氏と蘇我氏の歴史を。そうそう、三神合神社にいた聖徳太子みたいな像は、こんな雰囲気(これをもっとゆる~くした感じ)-----------
足鏡別王についてはその1で終わる予定でしたので、今回から息長氏に入っていきます。ご訪問ありがとうございます。さて、息長(おきなが)氏ですが、これまで何度となく息長氏は出てきました。もちろん学校では習いませんし、私からもちゃんとした説明もないし(^▽^;)、中にはネットなどで調べてくださった方もいらっしゃるかもしれないのですが、たぶんよくわからなかったと思います^^;実は「謎の氏族」なのです。まず、系譜が分かりません。古い順でいうと、第9代の開化天皇の子日子坐王の妃に「息長水依比売」が
足羽神社(福井市足羽1-8-25)福井県最古の歴史を有する神社で、御祭神の継体天皇は、歴代初の地方出身の人間が天皇に即位するという異例の経歴の持ち主です。継体天皇について日本書紀より第25代天皇の武烈天皇が崩御され、武烈天皇に子供がいなかったため、天皇の後継者が無くなり大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に第15代応神天皇の五世孫である男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけだします。大伴金村の率いる大連らはヲホトノ王を越前まで迎えに行き、固
『ご提示お願い致します。』おはようございます。天照から始まってるのはわかりますが、初代から今上まで一人も女系天皇は出ていないわけですが。それが強烈な先祖の意志の現れだと思い…ameblo.jpこの記事のコメントのやりとりで「実際継体天皇の時などは無理やり男系で繋いだわけで」というご意見を頂戴したので継体天皇について少し。よく男系固執は「男系維持の為に必死で継体天皇を探した」と言いますが当時、乎富等王(継体天皇)以外の皇族がいなかったというのはさすがにありえない。記紀をみ
ご訪問ありがとうございます。前回からヤマトタケル論に「継体天皇考」という一章を建てたのですが、これからヤマトタケルの「一妻系譜」と「上宮記逸文」の「一云」であげられている継体天皇の系譜とのかかわりを明らかにし、継体天皇とヤマトタケルの関係を考察しようと思います。さて、まず継体天皇の出自を明記した、唯一残っている「上宮記逸文」の「一云」の系譜について検証します。じつはこの系譜は、13世紀後半(鎌倉時代)に学者の家系であった卜部兼方が、「日本書紀」の講義のために、自家に伝わる家説に当時存在
謎の大王第26代継体天皇を祀る味真野神社福井県越前市池泉町21−18初の地方出身の天皇継体天皇御宮跡の石碑「日本書紀」によると第25代武烈天皇が崩御し後継者が無く大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に応神天皇(第15代)の五世孫の男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけます。越前まで迎えに行き固辞するヲホトノ王を説得し、継体天皇(第26代)として即位させたとあります。日本書紀にはそのように記載されていますが、真実は、越前の豪族によ