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五皇神社福井県越前市文室町20-12応神天皇から継体天皇の父彦主人王までの5代の皇子と継体天皇の御神霊を祭っています。また、継体天皇が味真野にいたころ、この地を学問所として開いたという伝承があります。ご祭神譽田別皇子(第15代応神天皇)継体天皇の父彦主人王までの5代の皇子稚野毛二泒皇子(応神天皇の子)太郎子皇子(応神天皇の孫)汗斯王子(応神天皇のひ孫)彦主人王子(応神天皇の玄孫)男大迹王子(第26代継体天皇)
自分の真の価値を知り、自分であることで福が訪れる☯まかねふくじーのです☯あじまの万葉マルシェに出店しせっかく味真野に来たので周辺のお庭などを散策してまいりましたよろしければ味真野の豊かな自然をご覧ください🌳こちら、日時計「恋人たちの聖地万葉の里」ということで、味真野苑の西側に継体大王(けいたいだいおう)と照日の前(てるひのまえ)の像がありますこの二人のエピソードは謡曲「花筐(はながたみ)」に語られています。ハート型がたくさんです
本日は旧暦では5月1日ですが、宣化天皇元年五月一日に「食は天下の本」との詔がありました。※暦は何度も改暦されていますので単純に旧暦にあてはめています。食は天下の本、黄金が万貫あれど飢えは癒せず、真珠が千箱あっても凍えは防げない。筑紫の国は遠近の国々が朝貢してくるところ、往来の関門とするところである。外つ国は潮の流れや天候を観測して船を出し貢を奉る。応神天皇(第十五代)の御世から今に至るまで、籾種を蓄え凶年に備えてきた。賓客をもてなし、国を安んずるにこれに選るものはない。我も阿
高向神社(福井県坂井市丸岡町高田1-7-1)御祭神継体天皇「歴代初地方出身者の天皇」「応神天皇から5代も離れた皇子の即位」という異例の経歴の持ち主であり、「謎の大王」とよばれ様々な考察がされています。継体天皇の育った地高向の宮ヲホトノ王(後の継体天皇)が三尾の地(今の滋賀県高島市)で生まれ、幼いときに父の彦主人王が亡くなります。「日本書紀」によると、母の振姫は三尾の地でヲホトノ王を育てる事に不安を感じ、自身の里である高向(今の福井県坂井市)に連れ帰り育て
国神神社福井県坂井市丸岡町石城戸町1今回は、越の三国臣の始祖といわれる椀子皇子(まるこのおうじ)を祀る国神神社に行ってきました。三国臣は北陸の大変強力な豪族でした。御祭神椀子皇子(まるこのおうじ)椀子皇子(まるこのおうじ)は、男大迹王(ヲホドノ王、後の継体天皇)の皇子です。父のヲホドノ王の意志を継ぎ、湿地帯であった坂中井平野の治水開拓を進めたことにより国土開発の守護神として厚く崇められました。三国の王椀子皇子が始祖と言われる三国臣の三国とは、
三国神社(福井県坂井市三国町山王6)北陸三大祭のひとつである三国祭が行われる神社で、御祭神の継体天皇は、「歴代ではじめて地方の出身者が天皇に即位する」という異例の経歴の持ち主です。また、三国町は、夏に北陸最大ともいわれる花火大会も開催される活気のある地域でもあります。継体天皇について日本書紀には、第25代武烈天皇に子供がなく、大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らは越前の国に第15代応神天皇の五世孫である男大迹王(ヲホトノ王)を見つけだします。越
『ご提示お願い致します。』おはようございます。天照から始まってるのはわかりますが、初代から今上まで一人も女系天皇は出ていないわけですが。それが強烈な先祖の意志の現れだと思い…ameblo.jpこの記事のコメントのやりとりで「実際継体天皇の時などは無理やり男系で繋いだわけで」というご意見を頂戴したので継体天皇について少し。よく男系固執は「男系維持の為に必死で継体天皇を探した」と言いますが当時、乎富等王(継体天皇)以外の皇族がいなかったというのはさすがにありえない。記紀をみ
足羽神社(福井市足羽1-8-25)福井県最古の歴史を有する神社で、御祭神の継体天皇は、歴代初の地方出身の人間が天皇に即位するという異例の経歴の持ち主です。継体天皇について日本書紀より第25代天皇の武烈天皇が崩御され、武烈天皇に子供がいなかったため、天皇の後継者が無くなり大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に第15代応神天皇の五世孫である男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけだします。大伴金村の率いる大連らはヲホトノ王を越前まで迎えに行き、固
地元旧跡巡り友人の佐藤由紀さんの行きたい場所リクエスト&母のオススメ旧跡巡りまずは徒歩圏内成田山では一番上座に座るらしい?多禰神社奉仕活動で草むしりしてたなぁお次は福井県坂井市丸岡町丸岡藩の護國神社國神神社へ春秋のお祭りでよく参拝していた場所丸岡城はほぼお隣なので天守の写真と茶屋でひと休みここはお蕎麦も美味しいJJバーガーを食べに坂井町まで来たし〜?よ〜し(๑•̀ㅂ•́)و✧北陸三大祭りが開催される三國神社も行っ
ハニワを沢山並べて祭祀場を再現していました。古墳の西側(方墳側)には水が溜められています。今城塚古墳歴史館で勉強してきます。安満宮山古墳で見つかった重要文化財の四神四獣鏡。魏の年号「青龍三年」(西暦235年)と書かれていますのでの魏(中国)より贈られたものではないかと言われています。今城塚古墳を造っていく過程を再現したもの円筒埴輪の復元過程。埴輪は破片が散らばった状態で発掘されるので、このように下の方から復元していくそうです。今城塚古墳には3つの石棺があったそうで、それぞれが九州熊
「西国街道」とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻等、淀川右岸を通り、大坂を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路のことで、京都から西宮までのルートは別名“山崎通”とも呼ばれていました。令和5年は、神戸三宮から京都(東寺口)まで歩きます。↓ウォーキングマップはこちら↓https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/saigoku/街道をあるく-西国街道-|歴史街道www.rekishikaido.gr.jp今回は本当の継体天皇が埋葬され
*古代越前の大豪族後に継体天皇になった人物も坂井の豪族でした。近くの福井市足羽山で採掘された笏谷石で石棺も作られていました。*平野をうるおす大用水昔は田に引く水が重要でした。*天下統一から丸岡藩誕生織田信長に特産の海藻を献上。
高槻市にある今城塚古墳に行ってきました。その巨大さから「継体天皇のお墓なのでは?」と言われている今城塚古墳ですが、公式に宮内庁が継体天皇陵と定めているのは西に約1キロほどの所にある太田茶臼山古墳です。もし本当に今城塚が正しい継体天皇陵ならば太田茶臼山古墳はいったい誰のお墓なのかという疑問は残りますね。あちらもかなり巨大ですから。宮内庁管轄外のため、古墳の中にも入ることができます。公園内にある今城塚古代歴史館にも入りました。入館料は無料にも関わらず、かなり貴重な出土品が多数展示さ
大阪府枚方市の樟葉に交野天神社があります。その神社の奥には貴船神社があるのですが、その貴船神社の辺りはその昔、継体天皇の樟葉の宮があったと伝わる場所です。交野天神社(枚方市楠葉丘/神社)-iタウンページ交野天神社(枚方市楠葉丘/神社)の情報ならiタウンページ。電話番号はもちろん、地図やルート案内まで全部無料!枚方市楠葉丘周辺の神社もすぐに探せます!itp.ne.jp交野天神社–大阪文化財ナビosaka-bunkazainavi.org継体天皇元年二月四日
例年より早く満開を迎えた岐阜県根尾谷の淡墨桜。雨で散る前に行ってきました。樹齢1500年余を誇る孤高の桜は、樹高17.3m、幹回り9.4mの大木で、「山高神代桜(山梨県)」と「三春滝桜(福島県)」とならんで日本三大桜のひとつに数えられます。蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色を帯てくることから「淡墨桜(うすずみさくら)」と名付けられています。㊟彼岸桜和名:エドヒガン。樹高:17.3m、幹囲目通り:9.4m、枝張り:東西22.4m南北24.
本巣市根尾の板所にある薄墨桜を見にいきました。この桜は、国の天然記念物になっている樹齢1500年程の巨樹で日本の三大桜の一つに数えるえられるエゾヒガンザクラ(一説にはウバザクラ)です。樹高17,2m目通り幹回り9,1mもあり、見ると圧巻されます。新聞の桜だよりによると、満開と報じられるようになったのでいきました。いった日は根尾の樽見に入ると町全体の桜が咲き、うすずみ桜も満開でした。駐車場は満車状態で、薄墨桜の回りは今までにない多くの人々が来ていました。今年は例年に比べると一週間ばかり満
皆様、ご機嫌YOです!天皇家は古事記では神武天皇から始まったとされています。ですがこれは勿論あくまで神話。まあおそらくモデルとなった「誰か」や、九州から近畿への勢力拡大とかはあったでしょうが、その「誰か」が神武天皇、あるいは天皇家と連なる人物であったかは定かではないと言うのが実際です。今回は、古事記や日本書紀で日本の始まりとされているそこら辺の時代の流れについて一緒に見ていきましょう。史実において天皇家の血脈がはっきりと今に繋がると確証を持たれているのが継体天皇です。僕もこの継体天皇
こちらの記事をご紹介しようと思って下書きに入れていました。続けてのリブログ、させていただきます<(__)>そんな折、今日ですがこちらの動画が上がってきました。10日前の配信です。この動画を観ていて、八幡神社が出てきたり、天神様が出てきたりでなんだかとても気になります。私は知識がまとまっていないので解らないまま、なぜか気になったこと、それは『アメノミナカヌシ孝元天皇』とこの体験の当初の体験この、孝元天皇と継体天皇のこの年代的な時期が被っている
先日、ちょっと茨木市に行くことがあったのでついでに近くにあったこちら太田茶臼山古墳へ。こちらは宮内庁が継体天皇の陵墓にしていしている古墳。-天皇陵-繼體天皇三嶋藍野陵(けいたいてんのうみしまのあいののみささぎ)www.kunaicho.go.jp宮内庁は継体天皇の陵墓としているのですが考古学的に継体天皇の陵墓とされているのはお隣、高槻市にある今城塚古墳。んじゃ、これは誰の古墳!?これだけの大きな古墳だもの。継体天皇の曽祖父のものする説があるそう。住宅地の中にぽつんと
26代継体天皇本名はオホドノ「継なぐ、体で」と書く一つの線と、別の一つの線を継ないで、新しい一つの線となる。継体天皇から新王朝となる。その証明が継体天皇という名だ。新王朝だとしても現在まで1500年継ながるのです。継体天皇は近江国で生まれた。幼い頃に父を亡くし母の故郷である越前国三国で育つ。5世紀末越前国を統治し、父の故郷の近江へも行き来し忙しく過ごしていた。506年オホドノ57歳のとき大和から、君命を受けた印の旗を持ち、神輿をかついだ群臣が訪ねてオホドノに言った「オホドノ
祭日とは天皇がお隠れになられた日、命日です。宮中祭祀では初代神武天皇祭と先帝祭として先帝以前三代の天皇の例祭が当日に行われていますが御歴代の天皇・皇后・皇親については沢山いらっしゃるため、春季皇霊祭、秋季皇霊祭(春分の日・秋分の日)にまとめて霊をお祭りされています。ただし100年毎には大祭として当日お祭りをされます。第二十八代宣化天皇は大和時代の天皇です。この時代は、古事記、日本書紀の時代です。御名は、桧隈高田皇子(ひのくまたかたのみこ)、建小広国押楯命/武小広国押盾尊(たけおひろくにお
東北は、あまりにも逃れた人々が多すぎていろんな氏族と婚姻を結びすぎているうえに、語らない、言わない、声をあげるのは、藤原家。「密かに」暮らしすぎ。山深くて迷う、目的をすぐ見失う。して、落馬する運命にされる。蘇我や物部といったあの時代の氏族も、東北へくると皆、一緒。それどこじゃなかった。北方の蝦夷が強かったから。東北に混在する物部氏と蘇我氏の歴史を。そうそう、三神合神社にいた聖徳太子みたいな像は、こんな雰囲気(これをもっとゆる~くした感じ)-----------
第二十六代継体天皇は古代、奈良時代の天皇です。御名は袁本杼命(おほどのみこと)、男大迹王(おおどのおおきみ)。御父は応神天皇の五世の孫、玄孫の彦主人王(ひこうしのおおきみ)、御母は越前の豪族三尾氏の娘で垂仁天皇の七世の孫、第十一皇子・磐衝別命(いわつくわけのみこと)の六世孫に当たる振媛(ふるひめ)。彦主人王は、男大迹王がまだ御幼少の頃薨去されましたので、振媛は実家の高向(福井県坂井市)に帰京して男大迹王の養育をされました。第二十五代武烈天皇は皇子も皇女もなく崩御されました。そこでお迎
さてさて……………………『山の辺の道』を歩く…………………次の目的地が近づく………………到着したのは……………【衾田陵】奈良県天理市中山町正式名は西殿塚古墳。形式:前方後円墳『山の辺の道から’22発見⑤〜衾田陵〜』さてさて…………我々はこのような道を進み、次なる目的地を目指す………全容が見えてきたぞーーーっいい天気になってきたし到着したのは…………集落東側の田畑に囲まれ…ameblo.jpもちろん【衾田陵】についてのココロ過去ブログもある詳細はこちらをご参照下さいませここ
根尾の西谷川を散策して、戻って途中にある名水御婆様の水にいきました。ここは国道157号線沿いの、根尾小学校近くにあります。このすぐ上に婆ケ神社があり、この神社の下より湧き出る水で、夏でも冷たい昔から枯れたことがない。御婆様の安産の水といわれている。この神社近くに後の代26代継体天皇が、皇位継承による迫害をおそれ、生後50日の幼少の身で従者に守られて尾張から美濃路にてこの地に来たといわれています。この幼少の天皇を献身的に身の回りの世話をし、後の継体天皇が、ご即位のためこの地を離れ都へ上が
「筑後遷都説」に対するS・K氏の疑問に答える一,当ブログにアップした「筑後遷都説」に対し,S・K氏より指摘・疑問が送られてきた。二,S・K氏の指摘・疑問①筑後川流域に磐井・他の豪族が住んでいた痕跡があることには同意する。②破壊された石人により,磐井の乱があったことは通説も認めている。③ただ,筑後川沿岸に九州の大王の宮・都があったことは文献上も,考古学上も全く認められない。④万葉集の読み方についても,「近江」は「おうみ」と詠まれ「水沼」ではない。⑤
謎の大王第26代継体天皇を祀る味真野神社福井県越前市池泉町21−18初の地方出身の天皇継体天皇御宮跡の石碑「日本書紀」によると第25代武烈天皇が崩御し後継者が無く大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に応神天皇(第15代)の五世孫の男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけます。越前まで迎えに行き固辞するヲホトノ王を説得し、継体天皇(第26代)として即位させたとあります。日本書紀にはそのように記載されていますが、真実は、越前の豪族によ
福岡県は全国3番目に神社の多い県です因みに意外なことに1位新潟県2位兵庫県京都府は18位だそうですよこちらは高住神社天照大神様が御祭神のおひとりです社殿の創建は529年継体天皇の命だそう継体天皇は聖徳太子の曾祖父にあたりますこれで大体の時代はわかりますよねこの日は寒い日でしたが寒いだけではない霊気がビンビン伝わります湧水が手水場?とても綺麗ですが指が一瞬で氷になんなのでしょう?凄いです天然の五百羅漢のような…しかも凍ってる苔もあります奥まで果てしなく苔の岩が
継体天皇継体天皇-Wikipediaja.m.wikipedia.org継体天皇の出現(2)図説福井県史古代4継体天皇の出現(2)www.library-archives.pref.fukui.lg.jp謎多き古代天皇、福井に残る痕跡朝鮮との結びつきも謎多き古代天皇、福井に残る痕跡朝鮮との結びつきも:朝日新聞デジタル古代、日本海側には広大な「こし(高志、越など)の国」があった。このうち今の福井県にあたる地域にはある天皇が長く暮らしたとされ、大陸や朝鮮半島
スベクヒャンの正体は実在した日本の皇室のお姫様だった?スベクヒャンの正体は実在した日本の皇室のお姫様だった?スベクヒャンは「武寧王の娘として実在した人物をモチーフにした」といわれています。ところが百済の武寧王にはスベクヒャンという娘も元になった人もいません。スベクヒャンの元になった人は誰だったのでしょうか?実は日本人だったのです。スベクヒャンの意外な正体を紹介します。korea.sseikatsu.net帝王の娘スベクヒャン帝王の娘スベクヒャン-Wikipediaja.m.wi