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大避神社:兵庫県赤穂市坂越1299(大避明神播磨名所巡覧図絵出典*1)上宮太子、天下少し障ありし時、神代・佛在所の吉例に任せて、六十六番の物まねを、河勝に仰せて、同じく六十六番の面を御作にて、卽ち、河勝に與へ給ふ。橘の内裏、紫宸殿にて、これを勤ず。天下治まり、國静かなり。上宮太子、末代のため、神楽なりしを、「神」といふ文字の偏を除けて、旁を残し給ふ。これ、日よみの申なるが故に、申楽と名附く。即ち、楽むを申すによりてなり。または、神楽を分くればなり。かの河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古
三種の神器ダイヤモンド結界の解明が一気に進みました。三種の神器ダイヤモンド結界の鬼門・北東(丑寅)に石切劔箭神社が配され、物部氏の祖神が祀られたのも、いよいよこれで納得ができるところとなります。そして、裏鬼門・南西(坤)に同じく物部氏の祖神が祀られる弓削神社。西ノ山古墳・被葬者の隼別天皇(母は物部氏・秦氏族(辛嶋氏)・桜井田部連(嶋)氏)と、弓削(物部)道鏡禅師、そして、石切劔箭神社の穂積氏(木積氏/物部氏の宇摩志麻遅命が祖・孝元天皇后の欝色謎命(うつしこめのみこと)の流れ)。
太秦(うずまさ)、京都の西のほうの郊外にある地名ですね。帰化人の「秦(ハタ)」氏の本拠地なので「太秦」(太は、本拠地の意味)と書きます。これを「ウズマサ」と読みます。大和をヤマト、飛鳥をアスカと読むように、この時代の地名の読み方は「当て字、当て読み」が多いです。太をウズとは読まないし、秦をマサとは読みません。聖徳太子の後援者として知られる「秦(ハタ)氏」は、秦の始皇帝の子孫を自称する帰化人の氏族であり、さなざまな最新技術をひっさげて、この国に渡ってきた人々です。何故、秦と書いてハタと読むの