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術後の抗ガン剤3クールが終わったところで腫瘍マーカーの下がりが停滞していたのでCTを撮ったら肺に転移が見つかり急遽手術をすることになりました退院の話も出ていた中でいきなり飛び込んできた手術の話に娘は『また痛い思いをするの!?』と泣いて本当に可哀想でしたが頑張ってくれました無事に手術も終わり経過は順調です一筋縄ではいかない事は分かっているつもりでしたがこんなにも早く再び手術になるとは思ってもみませんでしたどうかこのまま腫瘍マーカーが下がってくれますように!!!!中学
春からの娘の幼稚園について。週5勤務なので保育園の方がいいんだけど、枠が無さそうなので、とりあえず幼稚園を確保することに。見学した幼稚園は3件。遠方からしょっちゅう行けないので、同日に3件ぶちこんだ。娘も、もちろん連れて行く。娘の印象も聞きたいし、なにより、「がん治療中だけど、この通り元気です!普通に園にいそうでしょ?心配いらないですよ〜〜」とアピールするため。笑白血球が減らない治療だからこそできる作戦だ。娘と2人だけで見学にいければ楽なんだけど、それを許す息子ではない
5日目〜7日目の休薬のあと、8日目〜11日目の4日間はテセロイキンとユニツキシンの組み合わせで投与。どちらもキツいので、ダブルパンチを受けるような期間になる。またこの投薬には3本ルートが必要なので、2本出ているCVカテーテルでは足りず、おててから点滴を入れる。CVカテーテルってこんなん。娘もこんな感じで、2つ口があるタイプ。短期入院ならみんなやってるだろうけど、娘は、手から点滴が継続で入ることは初めて。改めてCVカテーテルさん、いつもありがとうと思った。あなたのおかげで、毎
5年間で抗がん剤治療は20コース以上。大量化学療法による自家移植を一回。同種移植(臍帯血)を二回もして、毎回、寛解まで持ち込む事ができたのに、これでも出てくる神経芽腫というしつこい病気。難しい病気。二度目の臍帯血移植を終え、この年、ユニツキシンという神経芽腫の新薬がこのタイミングで承認されました。何年も、何十人もの子どもたちやそのご家族が、この新薬の承認を待っていたと思います。再発予防である新薬、抗GD2抗体を2コースしていたのに、腫瘍マーカーが上がり始めました。画像を撮ると
箇条書きみたいな記録です(つまんないです)しばらくはテセロイキン(リンパ球増やす)のみの4日間。これだけでも熱が出たり、倦怠感や食欲不振がある。1日目。10時半から解熱鎮痛剤と吐き気止めが点滴で入り、11時からテセロイキンの24時間連続の点滴が始まった。解熱鎮痛剤と吐き気止めは以後6時間おきに投与される。しばらくはあまり副作用はなかったが1日目の夜からだるそうにしていた。熱はなし。2日目。朝。起きると顔がパンッパンに浮腫んでいた。それから倦怠感と食欲不振。朝ご飯はほ
3歳入院中の遊び【百均ビーズ】女子が大好きキラキラ・カラフルビーズこちらはセリアでこちらは全てダイソーダイソーのビーズケースに入るだけビーズを入れて準備完了!!こっちのビーズは全てセリア↓こっちは全てダイソー↓出来るだけ転がっていかない(丸じゃない)形が良ければセリアの方が種類豊富かも今回セリアは大型店舗に行ったので種類多くて真ん中のカラフル丸ビーズ以外星、花、ウサギなどの形ビーズ多かった転がって行かないようにお盆と絵の具のパレットも試しに家で喜ぶかな〜と思っ
4月10日は、きょうだいの日しぶたねさんから、贈り物が届きました。きょうだいも頑張ってますよね。忘れられがちな存在。こうして、気に掛けて下さる取り組みがありがたいです。新年度が始まりましたね。息子は中学1年生、史織は小学5年生になりました。
4日間のテセロイキン単独投与のあと、3日間は休薬期間!点滴も外れてすっかり元気になった娘はプレイルームでもはしゃいで回り、部屋でもひたすら工作をしていた。そしてこの時の娘に訪れていたのは実験ブーム…。「じっけんする!」「ざいりょうをかってきて!」と何度も言うので病院内の売店で、実験できそうなものをかき集めてきた。片栗粉、重曹、食紅、糸寒天など。重曹とレモンジュースでしゅわしゅわ遊びをしたり片栗粉でスライムを作ったりも楽しそうだったが、特に熱中していたのが、ゼリー作り。
抗GD2の2クール目について。6クール中、1番キツいと噂の2クール目。それ以降は、大抵みんな身体が慣れて副作用が和らぐらしい。お子達、すごいね…初めての偶数クール。テセロイキン(リンパ球増やす)とユニツキシンの組み合わせ。奇数クールでは好中球さんが増やされていたが、偶数クールではT細胞さんとかB細胞さん達、リンパ球チームが増やされるらしい。娘のお気に入りはT細胞さんテセロイキンは熱が出たり倦怠感があるので奇数クールより副作用がきついようだ。奇数クールのフィルグラ
抗GD2の1クール目が終わってから、一時退院中。次の治療開始まで2週間の間、一度だけ外来の診察があった。そこでCTとMIBGシンチの結果が聞けるので今回も夫に仕事を休んでついてきてもらった。◾️CTの結果特に変化はなし腫瘍部分は、大きくも小さくもなっていない。◾️MIBGシンチの結果(MIBGシンチ=神経芽腫があるところに、物質が集積して光って見える)集積が少し強くなっているところと、弱くなっているところがある。強くなっているところについては、それが良くない、進行してい
お風呂で遊べる【シリコン粘土】お家時間【シリコン粘土】って知ってます??紙粘土、小麦粘土、【シリコン粘土】!!【シリコン粘土って??】・3歳から遊べる・小麦粘土より硬さがある・ベタつかない、粉々にならない、手が汚れにくい・好きな形を作ってオーブンで数十分焼くだけ・出来た作品は保存可能・作品は水で遊べるおもちゃに・出来た作品の感触はぷにぷに・発色が綺麗・混ぜるといろんな色が作れて、色の勉強になるエジソンシリコンねんど6色+1Amazon(アマゾン)1,584〜2,
8000Hz以上は日常生活にあまり登場しないらしい。だから普通に過ごせるよ、と耳鼻科の先生からは言われた。具体的にはどんな音ですか?と聞くと、体温計(メーカーによる)ピアノの1番高いところの音とのことちょ、体温計て。ほぼ毎日登場するでしょうがと早速つっこみたくなった。とりあえず娘は病院の体温計は聞こえてるみたい。聞こえる体温計を使えばいいか…8000Hz以上の音ざーっと調べたところ8000Hz以上はこんな感じだった言語だとイギリス英語、ロシア語アメリカ英語とイギリ
18日に通夜、19日に葬儀と、無事に史織を見送る事ができました。史織の事を想って、祈って下さっていた皆様、心よりお礼申し上げます。葬儀の日は、史織の涙なのか、皆さんの涙なのか、大阪は朝から雨が降っていましたが、最期、見送る時間には雨は止んでいました。ありがとうございました。14日に息を引き取り、お葬式まで5日間もあったので、家で一緒に過ごせる時間もありましたし、その間にも、沢山お友達が会いに来てくれました。そして、お葬式の準備もしっかり出来る時間もありました。史織は、きっと、
2022年11月一時退院の間に、息子の日曜参観がありました。娘も行きたいと言い、朝が苦手な娘は、眠い中、早起きし、久しぶりに地元の学校へ行きました。自分のきょうだいの授業参観って、普通なら同じ学校に通っているきょうだいは、そうなかなか見れないと思うので、お兄ちゃんの頑張っている姿が見られる良い機会だと思い、参観日は連れて行くようにしています。息子も私たちの姿を見ると嬉しそうにしてくれます。いつか反抗期になって、来ないで。と言われるのかなぁ…なんて、思ったりします。色んな先生
小学校へ無事入学し、2学期を迎え、運動会も無事終えた10月末、臍帯血移植から2年が過ぎて、アメリカでの治験から1年が経ったタイミングで、時々足の痛みを訴えたりし、腫瘍マーカーが上がり、画像検査で多発骨転移がわかりました。再再発。骨髄もMRD(微小残存病変)で僅か陽性。幸い、中枢神経からの再発はありませんでしたが、もう、初発の時にやれる事はやった。やれる事はあるの??娘は学校にも慣れ、友達もたくさん作り、好きな人までできて、みんなと同じような日常生活を取り戻していました。そん
陽子線が終わり帰ってきたあと。「いつまでいる?」「いつ入院するの?」と息子はまず確認してきた。「息子くんの運動会のあと(3週間後)くらいに入院するよー」と言うと「え!長いね!そのあとは?ずっと帰ってこないの?」「たぶんね、入院は2週間くらい」「え!みじか!」と喜んでいた。抗GD2抗体療法(ユニツキシン)はいわゆる、免疫療法だ。抗がん剤は、増殖するもの全て破滅しなさい作戦(私の理解)だが、これは、がん細胞に目印をつけて増強した免疫細胞で集中攻撃しちゃうぞ作戦だ。(私の
2月28日ついに17歳になりました!!!!!!病気から14年たってますが、元気にしてます!!!!!ようやく昨日から学校も昼過ぎから行けてます!期末受けてなんとか三年生にあげてくれそうです!!!まだわかんないですが💦でも!きっと大丈夫!!!!頑張ります!誕生日はフグを食べに行きました!食欲もだいぶ戻ってきてます!!!!さ!頑張るのみ!!!更新してなくてごめんなさい!元気です!次の治療はMIBGかも知れません。まだわかんないですけど。
2月14日。昨年から私にとって、この日はバレンタインデーだけじゃなくなりました。あの瞬間は、今でも思い出すと胸が抉られるようで苦しくなりますが、痛い事から解放されたんだあの時、悲しみと一緒にそう感じたんだった。よくがんばったんだよ。そう思うようにしていますし、そう思います。今はどこで何してるかな?歩けるようになって、走り回ってるかな。そっちの世界というのがあるなら、たくさんのお友達と楽しく過ごせてるといいな。そう願います。ここ数ヶ月は、史織という娘が存在していたこと自体が不
夫は娘の手術が終わる前に、仕事がある単身赴任先に戻ってしまった。まぁ、確かに、術後の娘は意識がはっきりしてないだろうから、娘にとっては、夫がいてもいなくても変わらないだろう…(私が心細いだけ)手術開始から約6時間。待合室の案内板で、娘が麻酔回復期に入ったことが分かった。ようやく娘の手術が終わったらしい。6時間というのは、あらかじめ聞いていたくらいの時間だ。つまり、無事に成功?したんだろう。外科の先生が待合室に顔を出して、別室に通された。「無事に終わりました」以上。かと思
昨日退院しました。昨日はギリギリご飯食べれたけど、今日は起き上がれないみたい。1週間辛いかな。。。とりあえず、年内治療おつかれさまでした!がんばったね!
気が付けば1月も終わりですね。全然ブログも書けてないです。1月は何したかなぁ。って振り返ってみると、お餅つき。ちゃんとしました。史織が大好きだったお餅つき。昨年は何回しただろうってぐらいしました。あの時は必死でした。今年はやるか迷っていました。『餅つきやらないと史織に怒られるよ!!』と、Uちゃんのママから言ってもらったから、無事にお餅つき、やり終えました。(餅つき当日、Uちゃんのママの夢に史織が出てきたそう)みんなで史織の分、捏ねました。やっぱりつきたてのお餅は美味しか
はなやまです元気です!!🩷編み物に夢中で、更新が滞っておりましたすみません…結果をご報告していなかった、造血幹細胞採取ですが、無事目標量以上の量を採取できましたやったー鎮静をかけていただき、足の付け根の太い静脈からルートをとってストレッチャーで採取室に運ばれて8時間ほどストレッチャー生活固くて腰が痛かった……でも前回のように頭が痛くなったり手足が信じられないくらい痺れたりというのはなく、なんなら途中で昼寝をかますほどの余裕っぷり(鎮静が抜け切ってなくてポヤポヤしてたの
【2023年2月13日の出来事】自宅で赤血球の輸血が始まり、1時間ぐらい経過した23時頃、今朝と同じように、右の肋骨の辺りの痛みを訴えてきました。そこの箇所はシンチでも病変が確認されていて、数ヶ月前にも痛みを訴えていた場所でした。肺に近いので、放射線照射は難しいかもと放射線も出来ないでいた場所でした。ロキソニンの坐薬を使い、様子を見ていました。しかし、痛みの上に、次はまた、『足がゾワゾワする。手もゾワゾワする。』と、また急変の時に起きた現象が起きました。また貧血??だけど、今
手術の日程が決まった。(3日前)だけどこの時点ではどんな手術をするかはなーんにも知らなかった。(こんなボケーとしてるやついない)まぁいずれ説明があるだろうと思ってたら、手術2日前の夕方に外科の先生が来てくれてICへ。まとめると、リスクが少なく取れるところだけを取る。神経芽腫は原発巣摘出が生存率に影響しないので、無理には取らない。という方針のようだった。全部取れるものと勝手に思っていたので、想像していたのと違っていた…手術2日前のことである(2回目)夫に説明したときの紙原発
治療再開!!全部で6クール、約半年間の治療が始まる。休みは1ヶ月もなかったけど、娘も私もとてもリフレッシュできたと思う。きっと息子と夫も!また頑張りますまずは1クール目。1,2日目1,2日目はフィルグラスチム(グラン)の皮下注射1本のみなので、外来で通った。2日間とも、娘は意外にも全く泣かなかった。腕を差し出して動かず、じぃっと針をよく見ていた…だけど痛くなかったわけじゃないらしい。ごめんなさい、これが14日間続きます…3日目4日目からの点滴に備えて入院。薬剤師さん
2019年3月CTを撮り、結果を待っていました。脳梗塞かな…こどもも脳梗塞になるの?と、色々考えていると、『お母さん、ちょっといいですか。』先生からの呼び出し。嫌な予感…『再発の可能性があります。頭に腫瘍があり、CTだけでは断言できないですが、頭蓋骨ではなくて、脳内にある可能性もあります。』…1人で聞いていた私は泣くのを堪えながら話を聞き、質問しました。『治療法はありますか?』と。『まずは取り除けるか、脳外科とも話をします。放射線もしていないので、放射線という選
ユニツキシンの投与が終了して、あとは1日1回フィルグラスチムの皮下注射があるだけ。お腹の不調が治ると、いつも通りの活発な娘に戻った。元々ユニツキシンの投薬が終わればすぐ退院する予定だったけど、(そして毎日注射のために通院する作戦)画像検査(CTとMIBGシンチ)が入ったのでそのまま病院に居残ることになった…。早く帰れないのは残念だけど、画像検査も、もちろん大事!陽子線が終わってからどうなっているのか、しっかり診てもらわないと。そんで今回は検査結果の話を真面目に聞くぞ(?)M
スカスカな髪の毛を気にして、外出時には帽子を必ず被ってた息子くん。小学生の時はまだ登下校の際、黄色い帽子を被っていたので良かった。中学生になり、頭は完全に無防備。そして、身なりが色々気になるお年頃。風が強い日に通りすがりの人が自分を二度見する。そんな視線に苦痛を感じ始めました。風が強い日は小、中学生が登校を終えた時間に遅刻して学校に行く日が次第に増え、外出時に被っている帽子を登下校の時も被る様になったので、ウィッグを作る事を提案しました。2月初旬、アデランスにて採型。本日、受取り
ユニツキシン3日目、4日目は、2日目とほぼ同じ感じだった。(雑)熱は39度くらい。6時間おきの解熱鎮痛剤で下がったりまた戻ったりの繰り返し。痛みは主に足首。温めたり手でさすると楽になっていた。それでも遊ぶ気力はあるらしく廊下を散歩したり、保育士さんにも遊んでもらった。そしてユニツキシン4日目の深夜、夜中の2時に治療の薬は全て終了。これで熱も下がり、痛みも引くでしょう〜あとはのんびり過ごすだけ〜と思っていたが、予想を裏切られた。前日にうんちが出ないことで渋々飲ませた下剤(ピコ
手術、するの?しないの?と散々やきもきしていた私たち。『手術するかどうか』移植後で娘がヒィヒィ言っているとき。主治医の先生(小児科)から次の手術について少し話があった。自家移植後のCT、MIBGシンチの画像をみて、手術をするかどうか…ameblo.jp『手術について夫と話す。』手術できると思っていた。するかしないか先生が迷ってるなんて…親としてはどう受け止めれば?とりあえず夫に相談する。夫も、もちろん手術できると思っていた。そうよね…ameblo.jp大量化学療法後のCTとMIBGシンチ