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三田市から武庫川に沿って下ると、武田尾の渓谷を経て大阪の西に出る。丹波や播磨とも接する北摂・西摂の地には、史跡や文化財が少なくない。ニュータウンができて、ここ20年ほどで三田の町の姿は大きく様変わりをしました。桑原から少し北西へ行った三輪には、三輪神社と三田焼の窯跡がある。三輪神社は、三田市内のみならず北摂でも屈指の古社である。奈良時代に、大和国の大神神社から分祀されたと伝えられ、国造りの神様であり、人々の暮らしの守り神でもある大己貴命が祭られている。2005年
島根県は出雲市。鰐淵寺は島根半島の西側、北山の山中に位置する古刹です。山陰屈指の紅葉スポットですが、紅葉だけではなくお寺の周辺が大自然に囲まれており、境内では神秘的な雰囲気が感じられます。松江生まれの武蔵坊弁慶が様々な伝説を残している場所としても有名で、室町時代頃までは修験道の霊地として知られていた場所です。前編は本堂と摩多羅神社をご紹介。摩多羅神は以前調べたときに、丁禮多(ていれいた)爾子多(にした)のニ童子と共に三尊からなり、これは貪・瞋・癡の三毒と煩悩の象徴
石上神宮から山手に向かうと石上神宮の元宮と言われている神社と滝があります。近年パワースポットとして脚光を浴びているようです。力強い滝の姿と趣きのある古社があればパワーがあるように思えるのは不思議ではありません。山の空気と水の通り道には酸素も多くの生き物は元気になります。そういう場所に神社を建てます。だから神社のある場所はたいていパワーがあると言えます。ただ、大切なのは地元で神社を守っていただく人に敬意を払うことだと思います。こんな綺麗な場所をいつまでも守ってい
国道424号の紀の川市立荒川中学校辺り県道3号のかつらぎ桃山線に入り柘榴川を源流辺りまで辿ると稲村明神社があります。神社の手前には小さな集落があり長閑で穏やかな雰囲気に包まれています。その集落の守り神の如く現れた巨大な磐座は古来より人々の信仰を集めて今でもその力が漲っています。そもそもこの和歌山や熊野にはプリミティブな磐座信仰が盛んで数々の巨石がありますがどんなに奥地でも地域の方々の信仰の深さを感じます。私も日頃の感謝と地域の皆さんへの感謝を込めて柏手を打ち
丹波篠山にある篠山富士との異名を持つ八上山のふもとに弓月神社がある283年に来日した秦氏の王弓月君と関係が推測される。弓月と言えば大酒(大避)神社の御祭神の秦の始皇帝、弓月王、そして秦酒公の三柱弓月国とは古代シルクロードの途中にあった国とされ朝鮮半島の百済を経由して古代ヤマトの国へ渡ってきた渡来人の故郷と呼ばれております。弓月王はシルクロードにあったユダヤ系キリスト教国弓月国出身と思われる。丹波は秦氏が住んでいた証拠がたくさんある。ここには家紋が三つ木瓜
三重県津市美杉町川上伊勢、伊賀、大和の国境に近く、村里をへだたること半里、山岳美と渓谷美を兼ね備えた雲出川水源の霊地です。川上山若宮八幡宮近畿地区最古といわれている社は太古より修験業山の自然の磐座である高宮に鎮座する国津神・天津神・八百萬神を崇尊したことに始まるそして、この地は磐之媛皇后の御領地として仁徳天皇が開拓され、履中天皇の御代(5世紀頃)郷民が天皇・皇后の御遺徳を慕って、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓に御社を設け、御魂を祀ったと伝わる中世は修験道の霊
出雲大社の北側に広がるここには黄泉の国へとつながる猪目洞窟があるのですが、出雲の海岸沿いから、県道23号線を西南に走る山脈を越えると、鵜鷺岬という海岸線に出ることができ、その間にもう一つ聖地があります。鷹取山と竜山、太々山の狭間の「御陵神社」見た目では古びた鳥居があるばかりです。山間に奇怪な巨岩が露出する山が見えました。神社名は「ごりょう」ですが昔は「みさきぶろ」「みさきぼう」「みさきぼ」などと呼ばれその意味は不明ネットで調べてみると穂日の子孫の出雲臣果安は
兵庫県中東部に位置する丹波篠山市は2019年(令和元年)5月1日より、市名が「篠山市」から丹波篠山市に変更された。兵庫県丹波篠山市後川上後川は「しつかわ」と読む。後川はその丹波篠山市でも最も山深いところにある集落谷間に開けた狭い平地に沿って、細長く複数の集落があり丹波篠山市は古くは春日大社の荘園だったことから春日神社が多く存在する。そのなかのひとつ龍神春日神社を訪れてみました。奈良春日大社より勧請し、原谷の奥で祀っていましたが、上村と中村に分けて当地に遷座し
京都府北部に位置する綾部市京都府のやや北部に位置し、市街地を由良川が流れる。市内にJR山陰線と舞鶴線が横断し道路は国道27号線が縦断する。高速道路は舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道が交わる交通の要衝となっている。京都府綾部は古代には丹波国漢部(あやべ)郷と呼ばれ、「綾部」(あやべ)は、江戸時代初期までは「漢部」(あやべ)と記されていた。古代には綾織りを職とする民が居住していたとことに由来。漢部は朝鮮半島から渡来した漢氏(あやうじ)が支配した部(べ)であったと
国道250号を車で、山陽電車「八家駅」を目指し八家の交差点を南側へ八家川沿いを「小赤壁」公園に向かう木場東公園から公園には、途中案内標識を頼りに道なりに行くと到着する。木庭神社はこの公園内にある。長さ900mの海食崖が連なる岸壁の上に小赤壁公園があり三国志で有名な赤壁からその名をつけられた長閑な小春日和というより今年の11月は暑い日も多く例年なら厳しいはずの海辺の風も心地よい。太陽が瀬戸内を照らし屈折した光が様々な色を奏でる例え温度が高くてもこの季節独特の色彩
阪急宝塚線山本駅宝塚山手台住宅への玄関口とされるいわゆるベッドタウンです。滝に向かう途中道標はあるものの住宅街にある参道のため参道かどうか少し不安になります。地元の高齢のご夫婦とすれ違うと軽く会釈をされ参道だと確信します。高齢者でも健康的にお参りできてハイキングが楽しめる場所のようです。大聖不動尊の門を潜ると少し空気が鎮まり渓流の美しさが続いてきます。そして大きな岩を超えると美しい滝に出会えます。こう言った場所は心霊スポットだったりパワースポットだったり様々な
洋服のボタンの付き方は男女逆です。男性服はボタンが右、女性服は左についています。諸説ありますが、13世紀14世紀ヨーロッパ。ボタンが付いてる洋服は、宮廷で着用されます。もちろん着るのは上流階級の人達です。中世ヨーロッパの上流階級の習慣として。男性は自分で洋服を着替えます。右利きが多かったので、ボタンは右にあった方が着替えやすい。上流階級の女性の身分にもなると、自分で服を着る、のではなく、使用人に着せてもらいます。ですから、右利きの召使からすると向かって左にボタンがあるほうがボタンが留め
但馬国一之宮粟鹿神社の東稲土川沿いを上流に進むと害獣避けの柵があります。その柵を越えて渓流をさらに進むと鳥居が見えてきます。あまり人が訪れる様子も無くひっそりと滝を見下ろすよう浄丸神社が立っています。岩肌を流れる渓流の碧に苔の翠、そして山の緑に囲まれて落差の低い滝の音が心地よい。岩を縫うように進み神社の下から絶景を眺めてしばし心を休めます。まだまだ知らない美しい神社の風景があるんですね駐車場はありません、地域の皆さんに迷惑にならないようなお詣りをお願いします。
ときに歴史は権力者によってねじ曲げられることがあります。例えば権力者にとって都合良く性格や性別まで変えられ後世に伝わることがあります。天照大神を女神とする古事記、日本書紀からその名を記されることなく消えた瀬織津姫命。数々の神社によってのみその神秘的な存在感を示しています。ご夫婦で祀られることも殆んどありません。そしてもう一柱、大国主神の子でありながら大国主神の系譜を記した箇所に記載を消された建御名方命もまた歴史からその存在を消されています。しかし、常にそれらの背
淡路島の西側にある海岸線サンセット通りの名前がつくほど晴れていればどこからでも美しい夕陽を見ることができる最近では有名なスイーツ店やお洒落なカフェなどできて賑わっています。そんな場所に淡路島最古の神社があると聞き早速訪れた西濱大明神淡路市明神の明神岬国生みの神イザナギ、イザナミを祭る西濱大明神は、県指定文化財として保存されているイブキ群落があり、奇岩が転がる景勝地淡路島の超パワースポットとして紹介されています。そこに子宮のような形をした岩場があり胎内くぐり
JR西日本越美北線(九頭竜線)九頭竜湖駅から国道158号を大野市に向かう途中左に川を挟んで右手明神鳥居が建ち国道沿いからもよく見える荒島岳登山口付近に鎮座する小さな神社。白龍神社がある熊の出没の注意喚起の看板を見て鳥居をくぐると木の皮が何者かによって剥がされている木があり見たことの無い獣の足跡も国道から近いこの場所にただならぬ気配を感じました。熊が冬眠から覚めて木の皮を剥がすという習性を何かの本で読んだことがあり少し恐怖感があります。早朝にお詣りしてはい
小浜市から京都へ抜ける国道162号線沿いにあるこの地域点在する名所に不思議なお導きを感じ土御門家の墓所を後にして調べてみたら福井県おおい町名田庄納田終が陰陽師ゆかりの里だとされている陰陽師とは、朝廷の役所「陰陽寮」に仕える役職で、古代中国の陰陽五行説に基づき、天文・暦・占いなどを司る、今でいう公務員です。その教えを今でも守っている重要な場所を知ることになり墓所から徒歩5分位の場所に天社土御門神道本庁に辿り着いた。中国泰山の神であり、日本では陰陽道の神とされる
広島県の西部に位置し日本三景のひとつである厳島を有する廿日市市その厳島神社の御祭神市杵嶋姫命に纏わる祠が津田町という地域に残っている。西広島バイパス宮内交差点から県道30号線を吉和方面に車で約30分で津田町に出ます。道が少しカーブした場所で、山を背負った民家があり看板が出ていなければ見逃してしまいそうな祠「帯掛明神と重なり岩」がある「重なり岩」と呼ばれる花崗岩で、2つの岩は重なり合っており、今にも落ちそうに見えながら落ちたことが無い伝説があり、「落ちない岩」と