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広島県の西部に位置し日本三景のひとつである厳島を有する廿日市市その厳島神社の御祭神市杵嶋姫命に纏わる祠が津田町という地域に残っている。西広島バイパス宮内交差点から県道30号線を吉和方面に車で約30分で津田町に出ます。道が少しカーブした場所で、山を背負った民家があり看板が出ていなければ見逃してしまいそうな祠「帯掛明神と重なり岩」がある「重なり岩」と呼ばれる花崗岩で、2つの岩は重なり合っており、今にも落ちそうに見えながら落ちたことが無い伝説があり、「落ちない岩」と
LeGrenierのワークショップ【食べ痩せビストロ】4月29日(月・祝)一目覚める体の力①一エステサロンLeGrenier(グルニエ)の神奈木流体バランス法10周年の集大成手と足から顔の老け感をなくす方法の根幹を伝授し加齢により衰えてしまった体の力を目覚めさせ食べても太りにくい体づくりを目指す目覚める体の力副題を変えながら3回教える一回目のワークショップ[日時]2024年4月29日(月・祝日)18時から[場所]エステサロンLeGrenier[内
開店10周年を迎えると開店当初から通われているお客様に彼氏ができてお子さんができてサロンに幸せいっぱいの笑顔が増えて大勢の家族ができた気分になります。どのお客様も悩んで悲しんだ分だけ大きな幸せに繋がることができることを証明してくれました。親子三代でウチに訪れるご家族をはじめご家族同士のご来店も多くなってきました。沢山座っていただけるためにテーブル大きくしてみました。皆さんの笑顔のご来店。心よりお待ちしております❤️✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳
寂地峡には大分県の宇佐八幡宮から勧請された宇佐八幡がある現在地に奉遷した際に「宇佐」の地名を賜り、岩国市錦町宇佐となる。神社に向かって左側にある、県内有数とされる大杉は、目の高さの幹周り約7.5m、高さ約60mもあり、宇佐八幡宮を奉遷した当時、すでに樹齢数百年のスギがあったと伝えられており、そのため樹齢は約900年と推定されています。その他、ヒノキ、ウラジロガシ、シラカシ、ユズリハ等の大樹もあります。この貴重な社叢は、1978年(昭和58年)に「宇佐八
西中国山地国定公園の三大渓谷の一つとされる。寂地川の寂地峡は錦川支流の宇佐川にあり、その昔、この川には大蛇が棲み木々をなぎ倒したり毒気を含んだ息を吐いて草花や作物を枯らして住民を悩ませていた。そこに寂地坊という旅の僧が現れ祈祷を行い大蛇を見事に退治した。寂地の名はその僧に由来する。碧豊かな清流を育む山は犬戻峡と竜ヶ岳峡の二つに分かれている。犬戻峡は犬戻十八滝が名所で、幾つもの滝が連続する。特に五竜の滝は環境省の日本の滝百選にも選ばれている名瀑。対して竜ヶ岳峡は
その年齢だからこそ確かな言葉が欲しかった。30代前半でご来店当初その頃は顔にも身体にもコンプレックスを感じていて「どうせ私なんか」って後ろ向きになってしまういっそのこと一人で何もかもできて一人がちょうどいいなんて少し人嫌いを演じるように自分にいい聞かせてました。だから結婚は諦めかけていました。でも可愛いお顔立ちだし施術をしたら綺麗になるって私には確信がありました。綺麗にして気持ちを前向きにしたいそんな想いを手に込めて施術しました。1年通われた頃にはお顔もスッキ
府道26号京丹波三和線の三ノ宮小山の山中にあります。今から千年ほど昔の平安時代中期、大江山に住む酒呑童子を討伐に向かう源頼光の一隊京から大江山への道のりで半分の距離の丹波国舟井郡三ノ宮村。この村の峠を越えれば酒呑童子の住む大江山のふもとへと至る。頼光の相手はなんといっても鬼勅命という重圧があり部下の渡辺綱ら頼光四天王もそんな頼光の心を感じ一隊は京からの道中、様々な神社や寺院に必勝祈願をしていた。因みに金太郎のモデル坂田金時もこの一行にいました。三ノ宮村の人々
私の考案した神奈木流体バランス法健やかで麗しくを目指して今年で10年目口コミだけでコロナ前は3ヶ月待ちなんてヒートした時期もありましたが最近は少し穏やかに仕事できているいい意味で無理しない仕事になってます。10年を振り返るとお客様の沢山の方々の笑顔と涙を見てきたように思います。出会いから結婚、そして誕生入学や卒業、成人など人生の節目に大きく関わっている方も少なくない何度も妊活を試みて着床しなかったのにウチの施術一回でお子さんを授かった足が悪くてお医者さんから見放さ
京都府のほぼ中央部に豊かな緑と清らかな水が流れる自然豊かな静かな京丹波町山々に囲まれた盆地として、昼夜の寒暖差が大きく、分水嶺に位置することから水が綺麗なことで知られその環境から、丹波栗や黒豆などこの地ならではの特別な農作物ができることでも知られている。土師川支流猪鼻川に沿うように民家が並ぶ谷間の山麓の斜面を削った高台にある熊野神社府道から見えて立ち寄ってみた古くから熊野大権現と親しまれ本殿の隣に「木之本はん」と彫られた石碑があります。木之本はんとは、近江
鳥取県の南東部に位置する八頭郡若桜町兵庫県や岡山県と接し、町域には山地が多く、観光業が主産業である。氷ノ山は夏は登山客、冬はスキー客が集まり、町全体が豪雪地帯となる「若桜」という名称は日本書紀及び古事記の履中天皇の項に「伊波礼若桜宮」に奉仕した「若桜部」(わかさくらべ)に因んでいるといわれている。「若桜部」は平安時代の天皇直属の天皇を支える集団で、その「若桜部」がこの地に居住し地名として定着したようです。扇ノ山の中腹に広がる諸鹿渓谷の諸鹿七滝の「大鹿滝」は
口コミだけの集客で今年は開業10年理論的に身体に向き合うことで結果を出してきました。その経験を踏まえてSTOP美容整形ハイフやプチ整形はいわば美容整形のゲートウェイって以前書いたと思うけど、眼瞼下垂の手術も美容整形の入口になっているってことも少なくありません。今年のお正月に近所のスーパーで異常に目が開きっぱなしの男性を見ました。まるで目を閉じない拷問を受けているような違和感がありました。加齢と共に瞼が垂れてきて目つきが悪くなるから目を見開くように眼瞼下垂の手術をしようって安直に考
因播国境を戸倉トンネルで抜ける国道29号は山中に人家はほとんどなく若桜方面から進んで落折川沿いの長い洞門を抜けると、平家落人伝説がある鳥取県八頭郡若桜町落折の集落今でこそ交通量が多いが、かつて山にとざされ隔絶されていた土地全国各地には源平合戦で敗れた平氏の落武者達が源氏の追っ手から逃れ、隠れ住んだという地が多く存在します。この落折集落は「平清盛」の弟平経盛とその配下20余名が逃れて平氏再興を狙っていたという伝説が残されています。現在も集落内には隠れ住んでいた
昨年の春に能登半島一周して能登の自然と文化に触れてきました。食文化には興味のあるモノが沢山あります。海産物だけでなく塩の結晶や能登ワインなど淡路や丹後の御食国に負けない素晴らしさがあります。更に朝市で有名な輪島には堅牢な塗りと加飾の優美さを特徴とする輪島塗りがある能登旅行で朝市を30年ぶりに訪れ若干寂れ感のある雰囲気でしたがご高齢のお姉様方の元気なことタイムスリップしたような懐かしさそんな旅行でした。2024年1月1日能登半島の地震地震の多い場所でもかつて無い大地
29日は西天満のアルゼンチンタンゴバーCafetindeBuenosAiresにてlegrenier忘年会でした。ご参加いただいた皆様お客様による見事なオペラと素敵なダンスパフォーマンススタッフによる手作り料理ご満足いただけましたでしょうか?料理担当の私は前々日から仕込み総勢34名のパーティー料理って⁉️想像を遥かに超える量でした。最高で15名までは経験しましたが今回は当初20名ほどの参加と聞きメニュー考えていたら知り合いが韓国料理をしてるって聞いて8人前ほど
京都府北部に位置する綾部市京都府のやや北部に位置し、市街地を由良川が流れる。市内にJR山陰線と舞鶴線が横断し道路は国道27号線が縦断する。高速道路は舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道が交わる交通の要衝となっている。京都府綾部は古代には丹波国漢部(あやべ)郷と呼ばれ、「綾部」(あやべ)は、江戸時代初期までは「漢部」(あやべ)と記されていた。古代には綾織りを職とする民が居住していたとことに由来。漢部は朝鮮半島から渡来した漢氏(あやうじ)が支配した部(べ)であったと
深く入り込んだリアス式海岸北部は若狭湾に開いています。五老ヶ岳から眺める風景は、近畿百景の選ばれている舞鶴湾戦後は大陸からの引揚げの拠点平桟橋には13年にわたって約66万人の人々が祖国への帰還を果たした岸壁の母が有名。舞鶴クレインブリッジを渡り海岸沿いに降りて右折京都府舞鶴市佐波賀の舞鶴東港に南面した海岸通り沿いに宮谷神社がある田辺城城主の牧野英成(ひでしげ)が茶堂を建てて船で通った程に惚れ込んだ名水があります。歴代の田辺藩主にも名水として好まれ、この名水に「
舞鶴港入口東面舞鶴湾に面し魚釣りも楽しめる舞鶴親海公園や海上プラネタリウムなどがある観光スポットその海岸通り沿いに鎮座する神社。千歳大将軍社ご祭神や由緒は不明ですが境内にはタブノキの御神木覆屋の中の本殿には「瀬之宮」の扁額が掛かっています。瀬之宮は舞鶴市成生岬の北北西方、約10km沖の日本海にある無人島冠島にあります。冠島は1924年(大正13年)にオオミズナギドリ繁殖地として、島全体が国の天然記念物に指定されている禁足地冠島(雄島)は全島がタブノキを主とする
舞鶴湾の入口の海に面した大浦半島西端に位置する。大丹生と呼ばれる地域村中を大丹生川(イギス川)が流れ古くは千歳の出村であったという。舞鶴湾に面して鎮座する大丹生神社鳥居の額には「山王宮」とあり神社庁は「大丹生神社」となます。風光明媚な湾内に大きな鎮守の杜人の姿も無く閑かな佇まいは時空を彷徨っているようなそんな錯覚さえも感じます。境内左に舞堂が配され、中央の石垣上に社殿がある社殿前には構え獅子が置かれ、左右には境内社があり手前のご神木には大きな瘤がある子宝の守り
岡山県の山間部にかつて大野村がありました。現在の美作市桂坪・川上・笹岡・滝・野形に当たる。往古は笹岡村が英多郡讃甘郷に属し、それ以外は同郡大野郷に属した。その後荘園が発達するとそれぞれ讃甘荘、大野荘と呼ばれるようになりました。この大野の名は天平3年に藤原広嗣および下道真備と僧正・玄昉が筑紫で謀叛を起こし、大野東人がこれを平定し、その功労としてこの地が大野氏に与えられたことに因んだと伝えられるこの地域にある大野神社聖武天皇の724年の創建。御祭神は須佐之男命
岡山奈義町の陸上自衛隊日本原演習場の西に大吉という地名がある。「だいきち」ではなく「おおよし」と読みます。何か縁起の良い地名です。かつてこのあたりは広戸と呼ばれていました。国人広戸氏が治めていためその名残りで廣戸神社がある。770年に京都府の岩清水八幡宮を広戸村の奥津川の宮谷に勧請し、広戸八幡宮と称しました。その後大吉に社殿を移し、現在の場所に移転。尼子氏の植えたと伝承の「尼子杉藤」があり、出雲国富田城主尼子経久が作北の地に侵攻し、尼子の武将三好安芸守が
京都府北部を流れる代表的な河川「由良川」は豊かな水量を誇り、アユの漁場としても有名。綾部や福知山など、京都府北部の代表的な町を流れ、若狭湾に注いでいます。由良川河口のほど近くに古代に神がよりついて開かれた舞鶴市神崎と呼ばれる地域があるかつて細川藤考(幽斎)が治めた丹後田辺藩にあり白砂青松が続く海水浴場の外れ、塩浜(塩田)だったとされるこのあたりからは多数の製塩土器が出土しています。また北前船の母港としても栄えた地でもあります。そんな地域に洞穴遺跡を思わすよう
津山の奥座敷”として親しまれる津山市上横野の横野滝吉井川の支流・宮川の支流横野川水域にあり、津山市中心部から車で20分ほど上流に上がります。津山から近いこともあり、夏は避暑地として、秋は紅葉スポットとして、人気があるようです。二の滝の脇には雨乞い・眼病に霊験があると言われる龍神宮がある。横野滝よこののたき津山市上横野横野滝は吉井川の支流・横野川の源流近くにある一の滝(落差8メートル)、二の滝(15メートル)、三つの滝つぼを持つ三の滝(36メートル)の総称。二の滝
藤の花が咲く頃になると多くの人が訪れる白毫寺の東戸坂の集落の外れに風森一ノ宮神社がある名前になんと無く惹かれて訪れた神社です。古来、風は神霊の乗り物として信じられてきた。乗ってくる神は心地よい風を吹かせるだけでなく、ときに悪風、魔風を操って人間の生活や生命を脅かした。人々は風の神の災いを防ぎ、被害が軽くすむことを願って祈るようになった。台風や季節風に悩まされた地域は必ず風の宮が祀られています。様々な現象を起こし脅威を与える風を神格化したのが天御柱命この
またには仕事のハナシしないとね。エステサロンLeGrenier(グルニエ)がマッサージにこだわって製薬会社と開発したオールインワン美容クリームLeGRENIERBeFACE私自身のこだわりが沢山詰まった商品特にこだわった点は滑らかなクリームが数回の摩擦でしっとりクレイな肌触りになること滑らかなままでは肌に馴染まずベタ付いてしまうのでマッサージでリンパを流しやすくが生んだ素晴らしいテクスチャーになりました。そして簡素なパッケージで極力コストを抑えることがで
明智光秀の丹波攻めで有名な黒井城の城下町として栄えた春日町大奥の実権を握っていた春日局生誕の地でも知られている。県道709号を三春峠に向かうその途中にある、上三井庄その集落の氏神様にあたる美登内神社大穴牟遅神が因幡の八上比売に生ませた木俣神をお祀りしている安産の神様として知られている出雲市斐川町直江に結と云う地名があり、昔は60才に木股年と云い、山に捨てる姥捨ての風習があった。それは姥捨ての意味では無く隠居した方達の役割なのかここの地名は上三井庄三井は御井と同
春日から福知山の三和町へ抜ける三春峠の麓に鎮座する於久雲神社とても珍しい名前の神社です。石柱に風之神於久雲神社とあり何のことやら解りません。調べてみたら御祭神が櫛岩間戸神とあるこの名前どこかで見たようなそういえば同じ丹波に櫛石窓神社がありますね。この櫛岩間戸神の別名が天石門別神であり天石門別神の伝説の中に天照大神が岩戸から新殿に遷座のち豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させたとあり両神は天太玉命の子。門番と言えば風神と雷神つまり風之神ということは
大阪河内長野市と和歌山伊都郡かつらぎ町との府県境を大阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線が通っている。大阪府と和歌山県境の和泉山脈東の紀見峠と西の鍋谷峠に間に位置する蔵王峠峠までを結ぶ堺かつらぎ線の一部区間の峠付近で道幅が極端に狭くなっている。北側から林道が分岐して三国山や鍋谷峠方面へ通じて峠の北側には滝畑ダムがあり、周辺はキャンプ場になっているその蔵王峠すぐの東側に古社「葛城蔵王権現社」がある。参道には朱塗りの鳥居が連なる。境内には修験道の本尊である葛城蔵
県道127号を南下し、紀ノ川を越えて南岸の県道13号に入り左折。しばらく走ると左側の紀ノ川の中洲の船岡山に厳島神社がある。紀の川に浮かぶ小島で平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、舟遊びを楽しんだことでも知られている。景勝地として万葉集に13首の歌が詠まれその中に背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむとあり当時から神聖な島とされていた。近年、紀の川の水防対策工事で発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡が検出されたが、
兵庫県南東部、六甲山地の北側かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相でしたが1980年代から住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として発展を遂げた。今日では農村と都市の二つの顔を併せ持つ田園都市三田市のJR福知山線藍本駅直ぐ南に酒滴神社があります。参道に県内最古の石鳥居があり貞観年間に創建された古社で、祭神である素戔鳴尊は酒が湧出る泉の場所を住民達に告げた伝承が社号「酒滴神社」の由来。江戸時代中期に建てらた本殿は三田
コロナ禍のマスク生活で一気に広まったプチ整形。最近は洗顔で擦らないとか摩擦レスって言うのはボトックスなどフィラーの流行りに対応してるのかって思います。だって考えてみて、お顔は身体より日中紫外線などに晒されている分身体より弱い訳無いじゃん。そんなことより美容整形だけど、ハイフやプチ整形はいわば美容整形のゲートウェイ。簡単に考えずに長い目で様々な視点から検証されることが必要です。かといって美容整形を完全否定する訳ではありません。コンプレックスの克服で性格が明るくなった