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2回目の手術が終わりました~〇遅い夕食、楽しみのはずが。。。3時間の安静タイムが終わり、点滴が外されました。消灯時間を過ぎているので、別室に案内されての夕食。いただきます!メニューは、自分ランキング上位に位置する「煮込みハンバーグ」でした。昼食以降、9時間以上何も食べていないので、お腹は空っぽです。目の前にはランキング上位の煮込みハンバーグがあります。。。なのに食欲が出ず。お腹はすいているんですが、ハンバーグを受け付けない結局、デザートのゼリーくらいしか入りませんでした。せ
網膜剥離2回目の手術。手術室のドアが開かれ、入室。〇エース先生がいない?車椅子で手術台まで運ばれ、スリッパを脱いで手術台に上がる。名前と手術を受ける眼の確認。(看護師さんが事前に眼と眉の間に目印をつけてくれていますが)そして、点滴を気にしながら仰向け状態に。あれ?エース先生がいない。手術の準備はどんどん進んでいきます。・心電図とパルスオキシメーターの接続・眼の周りを消毒・眼の部分だけ開いた布(スポンジ状?)を被せる・麻酔を点眼・眼を洗いまーす・眼を開いたま
麻美です〜〜💕フォロワーの皆さまいいね!やコメントを下さる皆さまお立ち寄り下さる皆さまいつも大変ありがとうございます〜〜☺️💕2023年も読者の皆さまに楽しんでいただけるような、そして何かのお役に立てるような内容を折り混ぜながら“麻美ワールド”をお送りして参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします〜☺️✨✨✨ブログの更新がかなり開いてしまいました〜😓😓😓昨年の冬至の日以来お友達とはお出かけをして無くて、今年の前半はイザと言う時の災害対策のお話しと、麻美的な視点のいつものブラン
今日も一日寒かったですね。ひと月前は入院中で、暖かな日も多かったのですが、このところはすっかり冬の温度になっていますね。きょうは母の亡くなった日です。丸11年になります。午前中にお墓参りを済ませてきました。命日の近くは、心の反応として沈みがちです。私もこの数日は夜中や明け方にふと目が覚めると考えるのは、亡くなった母や父のことで、コソコソと涙ぐんでいました。会いたいです。ほんとに会いたい!私は母の死に目も父の死に目も立ち会うことができなく、両親に「ありがと
東京は朝から寒く、先程は霰が降りました。朝は晴れていたのに、今はかなり曇っています。黄斑前膜の手術からひとつきが過ぎて、すこしずつ制限されていたことができるようです。ところで。11月の17日午前、私は翌日の黄斑前膜の手術にそなえてS病院に入院しました。娘も息子も夫も仕事があるので、ひとり、海外旅行用のスーツケースサムソナイトの1週間分用に荷物をつめて向かいました。家を出たときには、出勤する夫と一緒だったのですが、それを近所の方に見られてしまいました。もしかしたらGoTo
術後1日目夜は眠れたけど朝起きるとやっぱり眼が痛いです。朝起きてすぐ痛み止めを飲みました。朝からD先生とE先生が来て診察です。当ててるガーゼを外すと今回は空気ではなくシリコンオイルの為か、前回の手術の時のように水中の中から見ているような感じではなく、暗くて僅かに光を感じるくらいです。眼が腫れてほとんど開けられず、眼圧は空気を当てるのではなく先生が機械を眼に当てて測りました。病室に戻りこっそり鏡で眼を見てみるとびっくりしました。前回の手術の時も眼が真っ赤!と思ったけど今回は本当に白目全
さんちゃん修正5ヶ月酸素オフは寝ていても問題なくもうなくても全然いけそうです今日は2ヶ月前に硝子体手術をした大阪の大学病院に行く予定が‥なんと全国的に大雪で私は名古屋に住んでいるので大阪まで行くとなると滋賀県を通らないといけないけどそれはそれは滋賀県の雪が凄くて直前まで考えましたが診察を延期するのも嫌だし車では到底無理なのでなんとか動いてそうな新幹線で行く事に新幹線でも滋賀県を通るので速度を半分くらいに落としての運行だったので通常の倍の時間がかかったけど始発で行
私は約5年前に右眼の「黄斑前膜(黄斑上膜)」の手術を、今年2023年1月6日に左眼「黄斑円孔」の手術をしました。この病気、手術について知りたい人のために、私の体験を記録します。私自身の感想なので、個人差がありますことをお断りしておきます。手術する日の朝がやってきた「恋も二度目なら・・」という歌があるけれど、「手術も二度目なら・・・」でしょうか、初回の時とは比べ物にならないぐらい落ち着き払っていました。8時ぐらいから目薬点眼開始5分おき!手術開始まで続ける。9時20分抗生剤の点
ここから、今年(2023年)1月に手術した「黄斑円孔」について書きます。昨年9月頃から左眼の視力が急激に落ちて、黄斑前膜がひどくなったのかなと思い、臨時で眼科を受診しました。が、その時は前回(約1年前)の定期検査の時の画像とさほど変化が無いとのことでした。それにしても、運転も読譜もパソコン操作も不便なほどで、困り果てていました。ひたすら定期検査の予約してある12月を待ち、やっと主治医に診てもらうことができました。いつもの検査をひととおり終えて診察室に入ると、先生が、「大変、網膜に孔
手術の前日午後、大学病院に入院しました。数日前にはお決まりのPCR検査、X線撮影を済ませており、消毒のための目薬も自宅で始めていました。目薬とは術後そろそろ4ヵ月経過するという現在も縁が切れてません。今は1種類を朝と晩ですが、けっこう面倒くさいです。したかどうか、忘れちゃって・・・一番ランクの低い個室に入院しましたが、何故かその上のランクの個室に案内されました。が、途中で本来のランクの部屋に引っ越しさせられました。どっちでもいいけど。個室であれば。今回の入院は特に個室で良かった~と思った
あーちゃん、はーちゃんの未熟児網膜症の状況は修正44週までは治療はなく経過観察でした。28週未満で生まれた赤ちゃんのうち約80%が未熟児網膜症を発症し、約40%が治療や手術が必要で、43〜45週を超えると自然に停止すると言われています。あーちゃん、はーちゃんの場合は、44週まで治療が必要ない程度の進行でしたが、45-47週に急に進行しました。まず、あーちゃんは両目がレーザー手術(網膜光凝固術)をするレベルに進行し、レーザー手術を受けました。その後もあーちゃんは右目が進行し、はーちゃんは左
昨日、目の定期検診に行ってきました。術後3ヶ月までは1ヶ月おきに、2ヶ月おきに、と順調な経過のおかげで間隔があいています。次回は更に間隔あいて3ヶ月後になりました。一時は私大丈夫なんだろうか?と不安になった時もありましたが、落ち着きました。話が前後しますが、今回は術式と術後について書きます。○術式網膜剥離の手術は、網膜復位術・硝子体手術の2つがあるらしく、私は網膜復位術の方をしました。シリコンでできたバンドのようなものを網膜の亀裂がある部分に眼球の外側から縫い付け、網膜の亀裂や弱くな
きょうは午前中は晴れでしたが午後からは曇りがちの天気になりました。私はきょうは銀行やら買い物やら用事を済ませてきました。ところで昨日の続きです。コンタクトレンズの交換のために行った視力検査に愕然として自分で原因を探るべく、ネット検索。その結果、アムスラーチャートの見え方に異常があるとわかって、私はもう、これはとりあえずもう一度眼科にいって診て貰う必要がある、と思いました。2020年2月27日、2ヶ月前に私の視力障害を、ドライアイと診断した眼科クリニックを再
ということで。まずは、手術に至るまでの眼に関する経緯を。病名、症状に関して公的なリンク先がみつかりませんでしたので、詳細を調べたい方はご自身で検索等をおかけください。多くの眼科医さんのHPなどで詳しく紹介されています。小2で初めての眼鏡。社会人になって初めてのコンタクトレンズ。(この時既に度数は左10.5、右12.0でした)年季の入った強度近視のため、コンタクトレンズの処方箋をもらうという理由で三ヶ月に1回、地域の眼科に通院。20代後半で初めての網膜裂孔→レーザ
今日の東京は曇りがちで寒いです。でもこれが本来の気温なんでしょう。11月18日に黄斑前膜の手術をしてから3週間になりました。何も問題なく過ごしています。コンタクトレンズが入れられないのが不便です。昨日のつづきです。昨年から今年にかけて、ずっと見え方が変だった理由、それは右目の黄斑部分に膜が張っていたから、とわかったのはよかったことでした。じゃあ、これからどうするの?これが次に考えたことです。私のそのときの矯正視力は、黄斑前膜があっても1.2はありま
きょうは12月12日。12日は父の月命日なんです。あと8日で母の祥月命日でもあるし、なんとなく心がざわつく日々です。それに日付がかわれば、交流のあるブロ姉さんのお父様の御命日でもあります。コロナ禍のなかでは、なおさら身近な人の死への憂いも、大きくなるような気もします。私がかかっていた眼科医。きちんとした紹介状を書いてくれなくて、名刺に宛名などをメモ書きしたものをわたしてきて、それで大丈夫だと主張するので、仕方なく私はそれをもって大きな病院に行くことにしました。
今日は2回目の硝子体YAGレーザーを行いました。大きな後部硝子体剥離は高濃度水素吸入でも吸収されません。また、硝子体手術をするには気が引けます。そこで、YAGレーザーで大きな塊を小さくして気にならないようにするのが硝子体YAGレーザーです。1週間前には硬くて全く歯が立たなかったのですが、全回400mJで焼いたため、かなり柔らかくなっていました。本日561mjでほぼ完全に焼けました。フォーカスをきちんと合わせないと焼けません。中央だとよいのですが、周辺だと、ミラーでピントを合わせるのが
2回目の手術では、眼の中にガスではなくシリコンオイルを入れました。後日抜くための手術が必要ですが、長期間にわたって網膜を内側から押さえてくれます。〇概ねストライクは間違いシリコンオイルが眼内一杯に入っていたからだと思います。術後眼圧が高めで推移していました。過去に記事を投稿した時には、2回目の手術後の眼圧上昇のことを忘れていたようですね↓『検査と呼び出し①』受け慣れた検査でも、いまだに直前はドキドキします。しますよね?〇視力検査網膜剥離以前は、「なんで眼科に行くたび
きょうは午前中は天気で暖かな気がしたのに、午後からは雲が広がり寒くなってきました。今週は寒波がくるとのことですよね。でも気温の低下とコロナ患者の増加は比例するようで不安が増大します。4月8日に黄斑前膜について受診した病院の担当ドクターは、私の期待に反して、あまり患者に寄り添うような姿勢のある方ではありませんでした。それでもせっかく自分で調べて選んだドクターだから、と思う気持ちもあり、5月13日の午後からの再診に行く予定でいました。ところが当日朝食を終えたあと、通信添削の仕事
以前に書いたのと重複する部分が多いかと思いますが、どうぞ悪しからず・・・右眼の黄斑前膜を2018年3月に手術しましたが、その時点で左眼の黄斑前膜もあると診断されていました。そのため術後の右眼とともに左眼も1年に1回の定期検査をしていました。特に見え方が悪くなることもなく過ごしていたのですが、昨年9月頃から急速に視力が低下していました。それもだんだん悪くなる一方で、どのような見え方だったかと言いますと・・・運転時、標識の文字が見えない、信号が突然消える、パソコンの文字が拡大しても
いよいよ、退院後初の外来診察の日。お伝えしていた通り、この診察で網膜剥離の再発が見つかり、即日入院→翌日手術となってしまいます。〇いざ、外来診察に出動両親に送迎をお願いし、出発!道中、右眼だけで前の車のナンバーが視えるかどうかをチェックしたり、白内障手術のことを父親に尋ねたりしていました。『退院(1回目)~網膜剝離再発①』今回から数回にかけて、1回目の退院から再発再入院までを振り返ります。〇ガスが抜けた!網膜を内側から押さえるためのガスは、約2週間で抜けていきます。1
迎えに来てくれた看護師さんと病棟に戻りながら話しました。「長かったですね。お疲れ様でした。」と看護師さん。「今何時ですか?」と、聞くと「21:50です。」えーーー?!そんなに時間経ってたのー!?2時間くらいと思っていたけど3時間と分かりびっくりしました。手術の激痛からは解放されたけど、まだ全然痛いです。車椅子で病棟に向かう途中揺れのせいか痛みがだんだん強くなってきました。看護師さんから「ご家族さんが待ってますからね。」と言われたけど痛すぎて「それどころやない…」と言
令和6年3月7日月日が経つのは本当に早くて、前回の投稿から半年経ちました。左目硝子体手術から1年7カ月右目人工レンズ置換手術から1年6カ月前回の診察後特に変わったことはなく、今日は半年後の診察でした。そういえば…前回処方していただいた乱視矯正と老眼の、中近両用になるのかな?メガネ👓はとてもいいです仕事中はずっと使用し疲れもだいぶ軽減されました今日の診察では両方とも矯正で1.2裸眼視力は聞きませんでした。眼底写真を撮った後に診察網膜の状態も落ち着いているとのこと。「この前作
硝子体手術で目の中に入れた医療ガス目の中はまるで水中メガネで水の中を見ているかのように、ゆらゆらと揺れ動いています。例えるなら黒のミラーボールのようです。こんな感じです。私の手書きです。下手ですみません😣💦2024.3/13~3/17(入院中含む)入院中は充填したガスのせいで黒のミラーボールみたいな球体が前をふさいで全く見えません。光はキラキラとしてわかります。2024.3.18(手術して5日目)退院して初めての診察。まだ目も開きづらい。ガス60%は残っている。ガスで引き
いよいよ、手術のことを書こうと思います。【ご注意】痛みとか感覚、何が平気で何が苦手か、は、人により違いがあります。以下の内容はあくまで私個人の感覚となりますのでご理解のうえお読みいただけたら嬉しいです。※痛みや描写に弱い方向け・ざっくりとした感想※・所要時間は事前処置から終了まででだいたい3時間、手術自体は恐らく1時間程度でした。・麻酔注射は、あくまで個人の感想としては想像して(そしてびびって)いたより遥かに痛くなかったです。ずぅ~ん…あれ?終
皆様メリークリスマスです。私は今週から、スポーツジムと介護職に復帰しました。もっとも軽い運動しかしてはいけない身なので、大好きなマシーントレーニングはすることができず、ストレッチとかヨガとかが中心だし、介護職の仕事も見守りや軽介助の仕事に制限してもらうことにしました。でも家でじっとしていると鬱々としてしまうので、ジムや介護のパートに行くのは、私の心には良いことだと思っています。ところで。11月18日私は黄斑前膜の手術をしました。『黄斑前膜入院備忘録1』東京は朝
今日は一日外来の後、夕方に霰粒腫の切開が2人(5歳女の子、49歳女性)でした。手術の申し込みは、白内障3人、眼瞼下垂1人、黄斑上膜の硝子体手術1人でした。今日の霰粒腫の5歳の女の子は、2月頃から霰粒腫ができ、お近くの眼科で診断され、4月に当院へご紹介いただき、今日の処置になりました。あまり時間が経っていると、大きくなり過ぎたり、瘢痕化したりで処置がしにくいこともありますが、とてもよい時期にご紹介、受診いただいたので、すごく切開しやすく、5歳でしたが、全く泣かずに上手に処置を受けてくれまし
2回目の網膜剥離手術→シリコンオイル注入を受け、入院中のロレ助です。〇悪夢時々悪夢をみます。私の場合は主に2パターン。A:一生懸命走るんだけど、体が重い(重力10倍みたいな感じ?)ためちっとも前に進まない。気ばっかりあせるB:忘れ物、遅刻系。仕事のカバンを飲み会で忘れてきたり、10時のアポイントなのに、気づいたら30分前(移動に1時間以上かかる)だったりうつ伏せ中の短時間睡眠でも(だからこそ?)夢を見る時があります。今回はパターンBでした。内容は忘れ
ばね指が完治した頃私は極度の近視で老眼も出てきた50歳前位からはコンタクトレンズもだんだん合わなくなり眼鏡にする日が徐々に増えていったように思うある日、眼鏡の度数が合わないなぁ見にくいまた作り直し?それにしてもよく度が進むなあなんて感じでいましたいつも眼鏡は眼鏡屋さんに行くのですが何となく、眼科できちんと視力を測定してもらって『処方箋』を持って眼鏡屋さんに行ったほうがいいと言う記事を何処かで見て会社帰りに眼科に行くことに…コンタクトレンズをしていた時はサクッ
遅くなってしまいましたが手術当日の記事書きます!!当時メモったことを淡々と書いていきます。術名→硝子体手術14:00から手術予定でした。手術当日は、食事は11:00まで、飲み物13:00まで。11:00,11:30,12:00,12:30にミドリンPという目薬をさす。13:30ごろ、眼圧、体温測定。前の手術が長引いていて、15時過ぎに呼ばれる。手術服に着替えて、点滴を打ち、血圧を測る。血圧97/48点滴を腕に刺す、手の甲から🤚そしてしばらく待機、手術前に診察。裂孔が