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2025年3月27日西村慎太郎です。昨日、大字酒田の熊野神社境内地に安置されている「蠶大明神」を見てみましたが、町民の原中さんより末森の香取神社に安置されている蚕神の石造物についてご教示頂きました!!🤩それが以下のふたつです。最初は「蝅供養塔」。弘化4年(1847)6月吉日の建立で、願主は今右衛門のようです。もうひとつは次の石造物。「蠶養神」。明治13年(1880)旧暦3月13日の建立。施主はセメントに埋もれちゃっていますが、「二十九人」や「世話人」として「田村」
日々、衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるくそのご案内と準備をしています。「横あるき」のFUKUです。ここは広島県東広島市、JR西条駅から車で30分ほど北東に位置する山間の山城跡。頭崎(かしらざき)城の山です。登山道入口は数か所ありますが、やぶになりかかっているところもありました。畑と民家のあぜ道を沿っての山際にひっそり入口があったりします。獣除けのフェンスと扉。こういった柵があるときは、慌てず扉をさがします。真正面にあれば、回すと
前回のつづきです。長渡[ふたわたし]港に到着後、大金神社を目指して歩きました。今回の網地島へ行く目的は、大金神社に参拝することでした。私は神社やお寺に参拝する際、現世利益(神仏の加護や願いを叶えてもらう)目的では行っていません。神仏など目に見えない方々にご挨拶したり、感謝を伝えたりするために参拝しています。昨年、大金神社に初参拝した際、神様から「来年も来なさい」とメッセージをいただきました。今年はいつ参拝することになるのかなと思いつつ、流れに身を任せて
鬼の雪隠[せっちん]は、鬼の俎[まないた]から転げ落ちた横口式石槨の蓋石。明日香村平田にある石造物で、欽明天皇檜隈坂合陵の陪塚に治定され、宮内庁により管理されています。646年(大化2年)薄葬礼の規制に合わせた横口式石槨の蓋石。・・・・・ということになるのでしょう。今は白菜畑に佇んでいます。石英閃緑岩製。背後の通路状部分は何なんでしょう。整備当初は、岩の上から覗き見ることができたんでしょうか。現在は鎖を掛けられ立入を制限している様子
110.近世五井の街並み形成史試論~房総往還と川岸の役割を軸に~五井の街並みが本格的に形成され始めたのは16世紀末、徳川家康の関東移封以降のことと思われる。それまでの五井は養老川の氾濫原として一面に芦原が広がる低湿地の所々に松林や竹やぶが生い茂る低い砂山や池沼が点在しているような、人家のまばらな土地に過ぎなかったようだ。実際、私の記憶でも60年ほど前まで駅周辺の町中ですら池や蓮田が点在するような土地であった。天領や譜代大名、旗本の領地としての歴史が長い五井周辺は関東でも有数の暴れ川と
石便り1150…佐倉市ユーカリが丘5-6-2付近の庚申塚にある、1745(延享2)年の庚申塔の三猿
昨日は四天王寺の四石の紹介をしましたが、今日はその他の石造物を少し紹介したいと思います。四天王寺には丸池という亀がいっぱいいる池があります。この池には主とも言うべき大きなスッポンがいて、いつも天気のいい日には他のミシシッピアカミミガメに混ざって甲羅干しをしています。その丸池のそばの釈迦如来の石仏の近くに仏足石があります。石の具合から相当年期が入っているのが窺えます。次に中心伽藍の東門あたりにこのようなものがあります。白鳳時代の排水溝だそうです。地下にはかな