ブログ記事351件
石便り1152…我孫子市岡発戸にある八幡神社の、1733(享保18)年の庚申塔の三猿
2025年3月27日西村慎太郎です。昨日、大字酒田の熊野神社境内地に安置されている「蠶大明神」を見てみましたが、町民の原中さんより末森の香取神社に安置されている蚕神の石造物についてご教示頂きました!!🤩それが以下のふたつです。最初は「蝅供養塔」。弘化4年(1847)6月吉日の建立で、願主は今右衛門のようです。もうひとつは次の石造物。「蠶養神」。明治13年(1880)旧暦3月13日の建立。施主はセメントに埋もれちゃっていますが、「二十九人」や「世話人」として「田村」
石便り1151…我孫子市岡発戸にある八幡神社の、1692(元禄5)年の庚申塔の三猿
石便り1150…佐倉市ユーカリが丘5-6-2付近の庚申塚にある、1745(延享2)年の庚申塔の三猿
石便り1149…佐倉市宮ノ台5-23の庚申塚にある、1792(寛政4)年の庚申塔の三猿
石便り1148…佐倉市宮ノ台5-23の庚申塚にある、1860(万延1)年の庚申塔の三猿
石便り1147…佐倉市土浮727南方(草ぶえの丘西方)の路傍にある、1761(宝暦11)年の庚申塔の三猿
石便り1146…佐倉市先崎にあるみどり台霊園の、1730(享保15)年の庚申塔の三猿
奈良まほろば検定(*^_^*)③の答え:ウの橘寺(*^_^*)橘寺境内にある、善面と悪面2つの顔をもつ石造物です。その姿形から猿石と同じ場所から掘り出されたと考えられています。無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめられた悪面の対比が目を引きます。これ、なんと!当たった(>☆<)byなんと!おじさん
石便り1145…佐倉市先崎にあるみどり台霊園の、1691(元禄4)年の庚申塔の三猿
石便り1144…佐倉市先崎にある先崎地蔵尊の、1733(享保18)年の庚申塔の三猿
石便り1143…佐倉市青菅にある青菅会館の、1848(嘉永1)年の庚申塔の三猿
石便り1142…佐倉市青菅にある青菅会館の、1750(寛延3)年の庚申塔の三猿
こんばんは🤗吉香神社の散策も本日で最後です(≧∇≦)b本日は吉香神社の神門内と周辺の石造物について書いていきますねヽ(=´▽`=)ノ✨まずは吉香神社神門内にある石造物から(≧∇≦)ノ神門内にも手水鉢がありましたよ((o(´∀`)o))ん!何か違うような(´-`).。oO「水用?」おそらく用水でしょうね🤔普通用水は拝殿前に置かれているものですが…………………………随分離れた所にあるのは何故?(´-`).。oOこちらはΣ(゚Д゚)💦?日露戦争の戦利品があったのかなぁ🤔反対側の
石便り1141…佐倉市小竹にある小竹三叉路野仏群の、1740(元文5)年の庚申塔の三猿
星石って何?力石については興行型と祭祀型に大きく分ける事ができると既に説明しているが、祭祀型は種類が多くて研究された事例は少ないようである。その中で今回は「星石」について述べてみたい。この「星石」は力石の世界で調べるよりも考古学やら生物学で調べたが早いと思われる。考古学の世界では「星石」という呼び方はされていないが、太古の昔、現在も現存する石まて貝の先祖たちによって棲みかを作る為に開けられたものというのが分かっている。石まて貝によって開けられた石が各地に残っていて、これを縄文時代の頃から人
石便り1140…鎌ケ谷市粟野にある粟野保育園前の、1840(天保11)年の庚申塔の三猿
石便り1139…鎌ケ谷市軽井沢2008付近路傍の、1817(文化14)年の庚申塔の三猿
石便り1138…鎌ケ谷市鎌ケ谷にある八幡神社の、1795(寛政7)年の庚申塔の三猿
石便り1137…鎌ケ谷市佐津間1143地先の、1774(安永3)年の庚申塔の三猿
石便り1136…鎌ケ谷市佐津間1143地先の、1846(弘化3)年の庚申塔の三猿
石便り1135…鎌ケ谷市鎌ケ谷にある鎌ヶ谷大仏の、1732(享保17)年の庚申塔の三猿
石便り1134…鎌ケ谷市中佐津間にある大宮神社の、1702(元禄15)年の庚申塔の三猿と二鶏
石便り1133…鎌ケ谷市道野辺にある妙蓮寺西山霊園の、1821(文政4)年の帝釈天庚申塔の三猿
石便り1132…鎌ケ谷市南鎌ケ谷にある清長庵の、1796(寛政8)年の庚申塔の三猿
石便り1131…鎌ケ谷市南佐津間12地先の、1871(明治4)年の庚申塔の三猿
石便り1130…三郷市戸ケ崎にある道六神の、1714(正徳4)年の庚申塔の三猿
石便り1129…三郷市戸ケ崎にある道六神の、年記不明の庚申塔の三猿
石便り1128…三郷市戸ケ崎にある道六神の、1822(文政5)年の庚申塔の三猿
石便り1127…三郷市戸ケ崎1-1-2地先にある、1764(明和1)年の庚申塔兼道標の三猿