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城を観る今回は...(撮影2021/09/05)岩倉城(尾張国)〜石碑岩倉城跡〜岩倉城跡のッ石碑ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
鎌刃城続日本100名城76番目のお城です残すところ1/4を切りました2022年4城目の新規攻略続日本100名城になりますここはやまびるがどうとか、雨の後の攻略は難しいなど、色々と難所があるようですが、時は今ということで前日が雨の翌日に攻略しました2022年11月21日11:14それではスタート先ずは駅前で電動レンタサイクルを借ります。東口階段降りて外に出てすぐ右にある観光案内所です荷物は預かってくれないため、駅の2Fにあるコイ
先日、ある女性(仮名ユリさん)の祓いを手がけた時のこと...ユリさんは、神仏大好きっこ視えない世界の色んな事に興味があり、全国各地を旅歩いていますこういう方が、ここ数年爆増しましたね~コロナが早く根絶するといいのになぁ...そんなユリさん...大量の未成仏霊に憑りつかれてる?!しかもその未成仏霊達は、因縁まみれで魔物化し真っ暗で巨大な霊団になっているのですこえー普通に生きていて、これほどの霊団に憑りつかれることはまずありませ
宇城市豊野町下郷に所在する国指定重要文化財の浄水寺碑附天保二年修理記念碑です。宇城市HPによると、浄水寺跡は、奈良時代末期(8世紀後半)に奘善という僧によって創建された寺院跡です。浄水寺跡の敷地内には、寺院の創建時期である奈良時代末期から平安時代にかけて建立された石碑が4基残されています。この時期に作られた石碑は少なく、記録に残っているだけでも、全国で23基しか存在していなかったことが分かっています。また、現存しているのは17基のみで、そのうち4基が浄水寺跡に残されています
不動山大学院(愛知県名古屋市天白区)『ふどうさんだいがくいん』と読む不動山大学院は、通称『八事のお不動さん』『八事の大学さん』と呼ばれ、地域の方に親しまれているようですまた、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊は『大青面金剛(庚申さま)』のようです▼寺院入口▼▼山門▼▼寺号標▼▼三猿額▼▲五七桐紋▲▲札所碑▲五七桐紋は、戦国の三英傑豊臣秀吉公の家紋であり、豊臣姓を名乗るようになったとき、当時の天皇から与えられた
【19年11月3日探索・20年5月16日公開】群馬県甘楽郡南牧村大字小沢11年ぶりに見た昭和8年架橋・長瀞橋を見て、そこからさらに約700m、県道45号線を進んだ。現在地はここ弁天橋の手前を左に入って行く。目的地は、この先にあるはずの磐戸鉱山の跡だ。左折るといきなり坂道がキツイ。この沢沿いを進んでいく。沢の名は弁天沢という。沢の底面が特徴的なんだが、人工的に石を埋め込んでいるような造りはあまり見かけたことがない。これも砂防事業の一環であるよう
今回から7月6日のこととなりますたぶんこの日の散策で巡ったこと書いてたら来年になるんじゃないかと⁉(^^;どうも記事が現実時間に追い付かない(;^_^Aたぶん記事の量的には来年春の分くらいまであるので、季節感は損なわれてくる(充分損なわれているでしょうが)と思いますが、それを踏まえ楽しんで貰えれば幸いです( ̄∇ ̄*)ゞ今回から伏見区散策となりますが、他府県の方が伏見と言えばすぐ思い浮かばれるのは伏見稲荷じゃないかと思います伏見稲荷は伏見区で一番北(上)になります(かなり東福寺寄り)
官幣大社石碑と参道踏み切り下の写真がどの場所であるかは、香椎にお住まいの方であればお分かりでしょう。JR九州鹿児島本線香椎参道の踏み切りです。踏み切りの後ろの方に香椎宮の鳥居が確認出来ます。JR九州鹿児島本線香椎参道の踏み切り今日はこの踏み切りと赤⇒の場所に建っている石碑についてレポートします。写真を撮った場所の後方数十メートルの場所に、JRと平行に西鉄貝塚線の電車が走っていました。二つの踏み切りで同時に遮断機が降りると、
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
あるところで…気になっていた絵画藤田嗣治画伯のリトグラフお話しを聞いて…👀❕オドロキの新発見でした7歳~11歳までの少年期を熊本市西区の熊大附属小学校で過ごされたのだそうです晩年はフランスに帰化レオナールフジタとして81歳まで戦争画も残っていて…この時代に生きて不遇の時もある不世出の画伯七曲りの高台熊本市西区稗田の住宅街に小さな石碑があって『こ々に藤田嗣治画伯少年期を…』明治27年~31年あまりに分からなかったら親切なご近所の方がご案内して下さって…今年は没
この日は堀坂山(757m)に登ったので、帰りに道沿いの乙女の滝に立ち寄った。増水時の写真はここにある。新しい石碑があって驚いた。乙女の滝(右岸から)広域地図滝の位置(地理院地図)ヘアピンカーブ上の写真をアップ入口付近新しい石碑正面から
おはようございます(*--)(*__)ペコリ寒い冬なのにこの景色を見ると夏の音楽が聞こえて来る私です(*´∀`*)ポッ海沿いのカーブを~♪夏の~クラクション~♪誰もいない海~♪二人の愛を確かめたくって~♪海岸で中井貴一が腰を震る物語~♪あ!失礼海岸で若いふたりが恋をする物語~♪しかし…………………………こちらも過疎側には進む集落です(´Д`)ハァ…あちらこちらで今は使われていないみかん運搬用のモノレール(?)を見かけました(;´・ω・`)そんな場所のそばにひと
昨日から無性に行きたくなって(ネットで見つけて)雨が降らなかったら行こうと決めていたので朝起きて、空を見て晴れ!!!!!ってな訳で・・・私的には少し遠出をしてみました(と言っても電車で1時間ぐらい)信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)JR阪和線の快速でビューン和泉市にきたのは初めて境内も全然見えない所から真っ赤な鳥居が並んでいますこの辺りって地車庫が色々な所に有るお祭りが盛んな地域なんですね地車庫~恋しくは尋ねて来てみよ和泉なる信
妻の実家の近くをウォーキングしました40分程歩きましたが、写真を撮りながら歩いたのでそんなに距離を歩いていません。でも、汗びっしょりになりました。黒田城跡とは、愛知県一宮市木曽川町にあり現存せず、黒田小学校の片隅に碑がある安土桃山時代にあった城初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城です。JR東海道線の脇にある。山内一豊公の生誕の地とされている。(岩倉の神明生田神社にも誕生の碑があるどちらか不明)山内家の家紋がついている大正6年(19
久しぶりの更新いろいろと仕事をしたり、文化財めぐりをしたりしているうちになかなか更新できず…、久しぶりの投稿になります。今回は、以下のツイートから、石碑の文字を読みやすくする方法をご紹介します。処理して単純に出力しただけだけど、結構読める。ただ、もっと読みやすくなる処理があるらしいんだけど、どうしたら良いんだろう?pic.twitter.com/eBjLKFucq5—半兵衛歳三(@Hanbei1582)January25,2021ただ、私もまだ勉強中で、他にも方法は
2017年11月5日この日も、中山道鳥居峠を歩くさわやかウォーキングに参加しています。藪原駅をスタートし、藪原宿を抜け、鳥居峠に行く中山道を進みます。さっき、お茶とお漬物をご接待頂いた、林道が眼下に見えます。足元には、大きな朴木の落ち葉が堆積しています。朴葉の落葉を見ていると、朴葉寿司に、朴葉味噌料理が食べたくなってしまいます。空を見上げると・・・あの葉っぱが落ちてくるようです。落ち葉の絨毯を先に進みます。中山道も、あと少しで鳥居
公園として整備され、観光客で賑わう金沢城公園。実は、金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていない。というのも、この金沢城公園、以前は金沢大学のキャンパスだったのである。金沢城公園にある石碑。「金沢大学誕生の地」と記されている。城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったそうだ。そもそも、金沢城公園は時代とともに宗教・政治・軍事・学術の拠点として移り変わってきた歴史を持つ。幕藩体制が終わりを告げ、明治に入ると、金沢城跡には
京都市上京区にある二条公園の一角にある「鵺池」は、弓の名手である源頼政が怪鳥「鵺」を退治した際に使用した矢の鏃を洗ったと伝わる池です。『平家物語』によると、近衛天皇の代に毎夜黒雲が立ち込めて御所を覆い、天皇を怯えさせていました。源頼政は怪しい姿を発見し弓矢で射殺したところ、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎、鳴き声がトラツグミという怪鳥「鵺」であったとされています。頼政は郎党の猪早太とともに弓矢で鵺を退治し、その弓矢の「やじり」2本を神明神社に奉納したといわれています。頼政の「やじり」は社宝
美祢市秋芳町秋吉にある忠魂碑を紹介します。なお本ブログでは忠魂碑を戦争遺跡のカテゴリーから外していますが、ここの忠魂碑は砲身を使った特殊な形をしていますので取り上げることにしました。忠魂碑は、秋吉中学校や自住禅寺の背後にある丘陵地、通称「岡山」(標高137m)の山頂に立っています。山頂へは忠魂碑参道を通って上がります。この標柱は戦後に秋吉遺族会によって設けられました。到着です。忠魂碑の左側に秋吉村(当時)の戦病死者の墓標があります。また前面にはコンクリート製のベンチがい
長野県の中央に修那羅峠と呼ばれる険しい峠道があります。東筑摩郡筑北村と小県郡青木村を結ぶ険しい山道に、地元の方がショナラ様と呼ぶ「修那羅山安宮神社」があります。この神社は別名「オートバイ神社」と呼ばれています。杉の木立の間を歩いて神社に向かいます。真冬だけどそんなに寒くない晴天の師走。冬枯れの木立から日差しがこぼれてきます。
先日、老舗不動産会社様から石碑と馬頭観音の撤去依頼を頂きました。庭先に鳥居と馬頭観音が祭ってあり、家の解体をするにあたり先だって撤去して欲しいとのご依頼でした。以前は、霊園や石碑などの撤去依頼を頂いたことはありませんでしたが最近は、世代が変わったので家の建て直しの為の撤去依頼を頂く事があります。もちろん神様や故人のお名前が彫ってある石碑などは魂もそこにある為神主様にお願いして、お祓いをしております。今回頂いた撤去依頼は、どうにか人力で壊せる大きさでしたが大きなものと
箱根湯本駅から中心街を抜けて、県道732号線を徒歩で進みます。ホテルはつはな前を通過し、西へ230m行くと道路脇に石碑があります。(2017.12.16撮影)箱根町須雲川須雲川左岸初花の滝落差30m別名/忍ヶ滝大変読み辛いですが、「初花ノ瀑夫勝五郎ノ仇討本懐祈願ノ為メ初花ガ垢離ヲ取ツタ滝トシテ傳ヘラル箱根振興會」とあります。この付近から対岸の湯坂山を望むと見えるはずですが・・・アップです。近年は、木々が茂り、殆ど見えなくなっています。木々の合間か