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伊豆の国市江間にある、江間公園に行きました。北条義時の館があった場所です。江間公園として整備されています。北条義時・姫の前夫婦の碑北条義時・姫の前が婚姻した、9月25日に合わせ建立されました。トリックアート大河ドラマ鎌倉殿の13人放送が終わって2年が過ぎました。久しぶりに、北条義時が過ごした地で思いを馳せました。
前の日に友人とお千代保稲荷に参拝した後近くのコメリに車の汚れ落としを買いに行きましたが売り切れで南濃町のコメリに行きました目的の商品はここにありましたが途中の水路の所に車が停まってる場所が気になったので行って来ました揖斐川の堤防道路から降りると直線で走ってて気持ちがいいです水門の後ろには石碑と祠が並んでます近くに釣り人は1人だけです小魚が沢山いますがあたりません水門の後ろには川が流れていてグーグルで調べると何と大江川でしたこちらも小
お出かけblogゆっくりボチボチと更新中ぶらりドライブ⑦(9月7日)この日は北薩〜宮崎県えびの市〜湧水町とあちこちに出没(順不同で更新しています♪)姶良郡湧水町松尾城跡この場所、行った事あるorないで、またまた意見が分かれました行ってないぞ〜また私以外だな特に大きな何かが残されているわけじゃないみたいだけど、登って行きます大好きな石垣を見ながら無造作に積まれているようで、実はちゃんと計算されてるんだよね🪨階段の先には沢山の木🌲義弘公お手植えの木🌲ふむふむ本丸が見えな
全駅制覇の旅八高線(電化区間)編その3↓前回『全駅制覇の旅八高線編(電化区間)編その2』全線制覇の旅八高線編(電化区間)編その2前回↓『全駅制覇の旅八高線(電化区間)編その1』全駅制覇の旅八高線(電化区間)編その1今回は八王子から高崎…ameblo.jp多摩大橋を渡り終えて多摩川を上流方面に歩きますここでは戦後すぐに八高線多摩川鉄橋列車衝突事故が発生しました。その石碑が立っています。また、ここでは鯨の化石が発見されています。事故当日は大雨で川が増水していたらしく遺体が
--------------------------------------------2024年「あれを見よ深山の桜咲きにけり真心尽くせ人知らずとも」「だれが見てくれようとくれなかろうと、ただただ真心を尽くしていこうじゃないか」己がどうあるべきか、考えさせられます。1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon(アマゾン)
◆谷島屋書店・連尺店◆市役所の南、連尺交差点近く。売場面積200坪の総合書店。長きに渡り谷島屋の本店機能を努めて来た連尺店は、本店の看板を平成20年に降ろし、連尺店として新たな道を歩み始めました。充実した学習参考書売場は、学生の強い味方です。北に浜松城、東に中心市街地の有楽街が位置する連尺交差点(浜松市中区)のそばで営業し、150年の歴史を数える。県内最古の書店チェーン谷島屋の本社・連尺店の前には、来店客を迎えるように石碑が立つ。派手さや豪快さはないが、静かに存在感を放つ「谷島屋書
昨日は大津絵の日でした昨日も暑かったのよ、36℃て教室終わって、その足でカーブスへカーブス終わって帰り道に寄り道室町二条下ルにある和カフェ「然花抄院」の横に新しい石碑ができたとのことで見てきたよ中宮定子二条宮跡お父さんの道隆のお屋敷、ドラマの中でも火事で燃えたところ大河ドラマ見ている最中で身近過ぎて・・去年の佐々木酒造の家康の石碑といい、今年の中宮定子といい、大河ドラマの影響はすごいで、このカフェで冷たいものでも、と、思ったが、ここ、高いのですよやっぱ
法螺貝の音を聴いてきたやま山田です。(´∀`*)まずは湯殿山神社から。その独特な御神体は、撮影が禁止されておりますので。仙人沢の赤い鳥居と、撮影禁止区域手前にある石碑をパチリ。ついでに往復のバスチケットね〜。\\\\٩('ω')و////次の神頼みに向かいます。
どうも、わらびです。前回~に引き続き永田川の旧河道を探索していきますヨ。===↓他の関連探索はこちら===・永田川旧河道群①鹿倉-諸平(永田川旧河道連続探索パート①)・永田川旧河道群②皇徳寺地区(永田川旧河道連続探索パート②)・永田川旧河道群③山之園地区(永田川旧河道連続探索パート③)・永田川旧河道群④中山地区(永田川旧河道連続探索パート④)・永田川旧河道群⑥向川原地区(永田川旧河道連続探索パート⑥)・旧・大城戸橋(永田川旧河道に残る旧橋)========
どうも、わらびです。前回~に引き続き永田川の旧河道を探索していきますヨ。===↓他の関連探索はこちら===・永田川旧河道群①鹿倉-諸平(永田川旧河道連続探索パート①)・永田川旧河道群②皇徳寺地区(永田川旧河道連続探索パート②)・永田川旧河道群③山之園地区(永田川旧河道連続探索パート③)・永田川旧河道群⑤七村地区(永田川旧河道連続探索パート⑤)・永田川旧河道群⑥向川原地区(永田川旧河道連続探索パート⑥)・旧・大城戸橋(永田川旧河道に残る旧橋)========
⛩️きょうのアテ⛩️🏮居酒屋ふかざけ🏮いらっしゃ〜い🥰『【京都ランチ・桂川】コスパに驚き♡重くないロースカツ定食「松のや」』⛩️きょうのアテ⛩️🏮居酒屋ふかざけ🏮いらっしゃ〜い🥰『【居酒屋ふかざけ】祝♡「新しい門出」』⛩️きょうのアテ⛩️🏮居酒屋ふかざけ🏮いらっしゃ〜い🥰『【京…ameblo.jp❤️おそるおそるインスタもやってます❤️https://www.instagram.com/p/C_vEZUaz9cP/?igsh=MzRlODBiNWFlZA==izakayafuka
雨降りで撮り鳥に出られなかった間に早春賦の石碑を見に行きました。安曇野を訪れた吉丸一昌さんがその情景を思いながら書かれた歌詞です。名前しか知らないので、吉丸一昌さんと、中田章さんの顔らしいレリーフがある石碑もありました。早春賦の曲を奏でる太陽光電池のオルゴールが設置されていました。ただ石碑があるという認識で道祖神ぐらいのものを想像していったので、立派な巨石を使った石碑に、オルゴールまであってちょっと得した気分でした。
曹洞宗のお寺陽光山斬心月院境内に入って左手には延命地蔵菩薩本堂の前に石仏が並んで慰霊堂と石碑本堂には本尊の金銅釈迦如来像が安置されています。臨済宗のお寺片岡山智光院境内に入ると直ぐ左手に小さな祠があります。このお寺はもと桂昌院と号し桂昌院殿心月智光尼が開基となって寛永7年(1630)上野車坂下に創建され、元禄11年(1698)浅草新寺町へ移転して宝永2年(1705)には開基者の法
三重県津市北畠氏の霧山城つづきです。麓の城館、庭園、詰城を制圧し、地獄の登山道を進撃。そして現在は霧山城跡の南曲輪群を占拠中。これより北曲輪群へと侵攻して行きます。南曲輪群(鐘突堂)から北曲輪群方向へ下りた道を振り返る。実はこれ登って来た道と勘違いしており(木の階段とちゃうかったのに)、鐘突堂へ登って来た道とは別に北曲輪方面側に下りる道があるはずなのにのう?とモヤモヤしながら下りたわけでして・・・下りて反対側を見ると道があったワープ道であったこの先が鐘突堂の登り
昨日は父の七十五日でした。七十五日はお墓にある白木の位牌をお寺に納める日です。白木の位牌と七十五日の塔婆を持ってお寺さんで読経をあげて頂きます。昨日はお天気も良くて菩提寺からの眺めも清々しかったです。階段の途中にお地蔵さまが建ってて古い塔婆はここに納めるそうです。いつ頃?とお聞きしたところ三回忌が過ぎてから納めて下さいとのことでした。本堂が見えてきました。毎朝鳴らすという梵鐘高台にあるので良く響きわたることでしょう。十一面観音菩薩が祀られている観音堂帰りに御住職様から
以前奉賛した植樹事業。神社の石碑に名前がある人がとてもカッコよく思えたのでやりました。予定では半年後か春先だった気がしたけど、遅れているようで2〜3度「もう少しかかります」という内容の丁寧なお葉書頂いてました。ついに石碑ができたみたい!先週お手紙届きました。まだ神社に行ってないけど、参拝ついでに見にいくぞ♡こちらの御神木が大好き♡↑去年の七五三頃の写真子宮頚がんの時も、子宝に恵まれない時も、息子が生まれてのお宮参り、初詣などかなりお世話になってます(^^)
平安京一条大路は、平安京の北限を東西に走っていた大路。北極大路とも呼ばれ、道幅は約30メートルあったのだという。賀茂祭では、賀茂斎院を出発した斎王が一条大路を進んで下鴨神社に至り、その後、上賀茂神社へと向かった。そのため、一条大路沿いには貴族の桟敷が設けられ、多くの車が集まってきた。Heian-kyō'sIchijōŌjiwasamajorroadthatraneasttowestalongthenorthernedgeofthecity.Als
引き続いて4月25日~5月4日に行ってきた、松前江差道南旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ丹羽駅と北檜山駅の駅名看板。種川駅と今金駅の駅名看板。北住吉駅と花石駅の駅名看板。茶屋川駅の駅名看板。さよなら列車の乗車記念とフリーきっぷ。元函館バスのバス停ですかね?廃止路線のやつとか?元高校だなと実感しますね。せたな町生涯学習センターから北檜山にあるせたな町情報センターへ。しかしながら、訪問日の数日前に営業時間が変更となり展示
どうも、わらびです。最近やっと身の回りが落ち着いてきました。夏の暑さも落ち着きを見せ…見せ…?外に出やすい季節になり始めていますネ。というわけで(?)今回は鹿児島市南部の谷山地区を流れる二級河川、永田川の下流域に存在する旧河道群を一気に探索していきます。そこそこ長いので複数パートに分かれての投稿になります。===↓他の関連探索はこちら===・永田川旧河道群②皇徳寺地区(永田川旧河道連続探索パート②)・永田川旧河道群③山之園地区(永田川旧河道連続探索パート③)・永田川旧河道
いつもブログを見て頂き…ありがとうございます(づ ̄³ ̄)づ♡(ӦvӦ。)2024年8月31日(土曜日)8月最終日ですね〜(;・∀・)子供の頃から…後半追い込み型の俺…8月31日と言えば…一生懸命夏休みの宿題をやってましたね~(苦笑)今年は…9月1日が日曜日ですから…一日得してますね〜(笑)台風が迷走&停滞してます。今までに見た事のない動きをしている台風の影響で…楽しむどころじゃなかった8月最終週でしたが…学生の人達には…宿題を終わらせる為には…良かった
8/22-23に宮城県丸森町へ出かけました。養蚕がうまくいくように、人々は神様に祈りました。これまでに多くの蚕影大神の絵や蚕神の石碑などをみてきましたが、丸森町には沢山の猫神さまがおられるとのこと。蚕の天敵、鼠を退治してくれるということから猫が大切にされたそうです。隊長が大変な労力を使って調査してくれ、ぐるりと巡ってみることになりました。猫碑に興味津々、丸森町を訪ねるのは初めてなのでどんなところかも楽しみです。詳細はこちら『丸森町の猫神①そして蛇神・鶴供養』昨年から絹遺産や養蚕信仰に
今日の18時頃、帰宅途中に空を見てみると虹が見えた。あの虹の橋のたもとにはレオやネネ、最近旅立った茶々もいるのかな…なんて思ってしまう。そんな諸般の事情により、しばらく間が開いてしまいましたが南鳥島ネタの最終回をお送りします。日本最東端を目指してこのような道を歩くオッサンであったが、もうすぐ日本最東端!というところで道が閉鎖されていたのである。国土交通省により「日本最東端の辺りをアジサシ(という鳥の種類)のコロニー(繁殖地)とするから立入禁止とするのでご協力をよろ
まちの移り変わりを見つめる庚申塔!こちらの庚申塔はまちの移り変わりをどのように見つめてきたのだろうか?地元から愛されている!石造物の概要は?△ゆうゆうロードの五叉路にある種類:庚申塔型:駒型総高:105cm造立年:明和2年(1765年)詳細は?〈上部棹石部〉[右面]下練馬村内羽根沢講中廿四人[正面]青面金剛像[左面]明和二乙酉歳十月十八日[青面金剛像詳細]上部:月雲日雲中部:青面金剛像
歴史のある石造物は?歴史を紐解く由緒ある石造物が路傍から追いやられる現状は、何か大切な心を失っているような気がする…。栄町にはどのような石造物があるのか探索してみよう!由緒ある石造物!石造羽根沢五叉路の庚申塔江古田ゆうゆうロード(栄町46-1)江古田ゆうゆうロードの五叉路にある庚申塔。花や飲物が絶えずお供えされており、地元から愛されている。▶関連記事を見てネリ!▷とぼけた邪鬼と躍動感のある三猿が可愛い庚申塔!石
少しテレビでは放送されていないネタが続いたのでここからはテレビで放送されたネタをUPして行きます題して「少しだけみどり市ブログ」です1行ったのは6件だけだったのでねまずはNHK「のど自慢」で紹介された。。。。「岩宿遺跡」ですこの碑の前で家族さん2,3組が写真を撮ってましたよ📷近くにちょっとした施設(アトラクション?)もありました寄らなかったけどw
戦争が終わり78年が過ぎた*戦争経験者も戦争の記憶も無くなってきた*名古屋城の外堀には知名度のない忘れ去られた戦争遺蹟がある*第三師団軍馬軍犬軍鳩慰霊碑*茂みの奥深く石碑が見える馬と犬のレリーフが刻まれている土台には第三師團の文字軍馬軍犬軍鳩慰霊碑鳩も...石碑の裏側愛知縣畜産組合聯合會が代表者となり昭和十四年(1939年)に建立されたよう
ダーリンと三笠を徘徊…ダーリンは三笠で育っているのでとても詳しいすごく古い神社⛩️へ行ってみた幌内神社というらしい階段は苔が生えていてあまり人がきてないのかなぁ階段登って行くときはなんか怖い感じしたんだけど登りつめて鳥居をくぐった時パァーっと何か空気が変わったの神社の灯籠が崩れているのに怖いという感覚はなく何かわからないけど落ち着く感覚…特に緑の苔や草が生えているところはとても神聖な感じでトトロがいそうな感覚になります一番奥にある石碑に
2024年8月19日。西村慎太郎です。先日、北幾世橋の大聖寺を訪れました。境内の駐車場の脇に忠魂碑が安置されていました。裏面に年代が刻まれていて大正4年(1915)4月28日建立、揮毫しているのは第二師団長陸軍中将仁田原重行。以前のブログでも書きましたが、現在、浪江神社に安置されている忠魂碑を揮毫した人物です。仁田原についてや浪江神社の忠魂碑については以下のブログをご覧ください。『調査日誌(勉強中)125日目-大正2年の忠魂碑-』2021年7月15日。浪江町大字権現堂につ
照井山善應寺の次は木田余にある曹洞宗の木田山寶積寺へ。山門をくぐり御堂へ。御本堂。不動堂。六地蔵石幢。石仏、石塔、石祠など。御朱印。
静かな住宅街の真ん中で平屋の看板建築を見つけた続きです。あまり驚いたので、本来の道探しはすっかり忘れこの先はどうなっているのかと進みました。すると間もなく…諏訪公園という標識!ああ、ここだったのか、諏訪公園。以前、地図で見て、行ってみたいけれど辿り着ける気がしないとぼんやり思っていた所です。諏訪神社の横にある小さな公園は「諏訪の森公園」でしたがこちらはとても大きいです。しかも矢印の指す方を見ると…公園は上の方にあるみたい。