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暑くなりましたね😭お庭の玉石の処理と石碑の据え直し作業でした。来週から墓じまい、墓移動、新規お墓施工になります!
5/10母の日今日は生垣刈り上げの予備日だったので特に予定はなかったが、いつも通りに5時過ぎに起きて血圧測って、ゆっくりした。朝ランできないしね。ただ、外へ出てウォームアップエクソサイズと6:30からのラジオ体操はしたああ、両親宅の納屋へ行ってちょっと片付けするわと、走れないしウォーキングで行ったいい天気だ、立山連峰も映える昨今は、バエるか?弟君が納屋の横の雪囲いの木材を保管するところの改造を行っておりそこで出た廃材をほったらかしにしていたので整理こ
①グーグルアースを見ていると、祠、記念碑、石碑が目につく。調べると下記の内容と、人霊、過去のカルマ、トラウマ、亡くなった人との契約破棄、石碑に使われている石、石の中に入っている霊的存在を月のデーターベースに転送せよとのことでした。もしやこの日本や世界の石碑、石の中にいる人霊、知的生命体など転送するにはグランドポータルアートだとわかり、今日の朝方みたグランドポータルのアートはこれを示していました💦あわわ、大変な浄霊作業だ。『アートタワー、アート、図形、緑の日本と世界
土浦市本郷周辺の神社散策その3は稲荷神社を二社。まずは新平稲荷神社。なおこの稲荷神社がある場所は本郷ではなくお隣の永井という地区。鳥居は道路に面した小高い場所にあり遠くからでも目につきやすい。ちゃんと額束に社号が印されている。狛狐を従えた石祠。絵的におさまりが良いね。なかなか恐ろし気な表情。石祠の中には陶器の稲荷狐がかわいく鎮座。御由緒についてはネット探したレベルではほぼ見当たらない。ところで土浦市神立(旧・荒川本郷)にある天禄稲荷神社を新平稲荷と呼んでいて
かながわの景勝50選の石碑を見つけました‼️
名鉄名古屋本線下り線路側にソレがあった+何か石碑みたいなモノがあんな所にあるではないか!ソノすぐ脇を名鉄電車が通っている何の石碑なのか?気になる~!気になる~!+まるで電車に「見てくれ!」って言っているように線路側に何やら文字が刻んである近くに行ってみたいなぁ...+何の石碑なのか?興味津々で近付いてみた金山橋由来天下茶屋釜跡???ど~ゆ~事?+
前回はこちら日吉神社の後、歩いて姫路城外濠跡石碑に行きました。途中で慶雲寺と固寧倉を見ました。姫路城外濠跡石碑です。その後、歩いて姫路駅まで行き、エンディング動画の撮影の後、ジャンカラ姫路駅前町店でカラオケに行きました。続きはこちらにほんブログ村
今日は曇り時々晴れ。今朝は上空に雲が多いものの、雲の合間から透き通った白い空が見えていて、朝日が射し込んでいた。今朝の気温は16℃で湿度が高く、南よりの風が吹いている。今日からコートを脱いで出勤することにした。家を出ると、外はシメシメとした空気がヒンヤリとしていて、風が幾分涼しく感じられる。近くのアパートの欄干や近くの電線にはムクドリが止まっていて、鳥の鳴き声が賑やかに聞こえていた。本格的な子育てシーズンの到来である。日野駅から電車に乗って東京に向かう。途中、新宿駅の前で急停車した。新宿駅構内
歴史のある石造物は?歴史を紐解く由緒ある石造物が路傍から追いやられる現状は、何か大切な心を失っているような気がする…。中村南にはどのような石造物があるのか探索してみよう!由緒ある石造物は?▶道標も兼ねた庚申塔『歴史を語る貴重な石造物!中村南!道標も兼ねた庚申塔!』道標も兼ねた庚申塔!隣の中野区との区境付近の中村南にある庚申塔(読方=こうしんとう)!おそらくこちらの付近の旧家の方が大事にしてきたと思われる。保存…ameblo.jp▶地蔵尊と聖観音像
みなさま、こんばんはバンビです今日も暖かかったから家の窓を開けていたのですが夜になって閉めようと思ったらまさかの網戸じゃない方も開いてたと言う…虫とか入ってたらどうしよう暖かいとか言いながら今日も極暖とあったかインナーのWの私ですこんな冷え性、寒がりの私に昨日、整骨院で、お風呂上がりに水を全身浴びると良いと言う話を聞いて早速やってみようと思ったものの足と手を浴びただけで無理ってなったのに全身なんか絶対に無理心臓止まったらどうするのと思ったワタクシですさて、ずっ
ヤフーニュースの記事東日本の震災でも一時話題となりましたが、先人が残したメッセージ。科学や情報が発達した現代でも計り知れない自然災害。過去の津波到達地点は石碑などで示されている事も多い。先人からの石碑や言い伝え、古文書などどの様な世の中になったとしてもそこからのメッセージを受け取るか、取らないか。もしかしたら大きな分かれ道になるかもしれませんね。ヤフーニュース記事↓↓↓津波石碑は見ていた「言霊」が地震災害の伝承を風化させたか大阪特派員堀洋(産経新聞)-Y
ふらっと桜川市へ寄ってみたらこんな標識に遭遇。これは素敵な取り組み(ローマ字書いてなかったら”げしゅく”と覚えてしまいそう)。橘川と言う小川に架かるたちばな橋。なんか好きな眺めだわ。石碑、うーん…保存はされてるか。その上には神社があった。石の町と言うだけあり石碑がいっぱいある。手水舎も石柱。八坂神社とあるが参道からは外れている。参道の階段を登ると拝殿(本殿?)。みたところお稲荷さんっぽい。それにしても全体に構造的歪みが出ててちょいと危ない感じ
≪深川の出世不動尊!寺号:不動寺!本尊に吃驚!浄土宗「長専院」!≫浄土宗長専院にやって来ました。寺号:不動寺霊厳寺の別院、深川の出世不動尊徳川四天王の一人榊原忠次(寛文五年没1655)が開基!昭和三年(1928)不動寺を合併!住所:東京都江東区三好1丁目6-3御本尊:阿弥陀如来もとは近江三井寺にあったそうです。不動寺長専院境内には大きな石碑があります。本殿でお詣りを致しましょう!!鐘を鳴ら
チャレンジし続けましょう。〈今日も一日お元気で365日11日〉マッターホルンの麓に、登山家たちの墓地があります。そこの石碑に「愚か者の目には、ここにいる人たちは死んだように見える」と記されています。彼らは、頂上を目指して登り、死んでいったのです。ですから、山に挑み、希望と言う橋を渡り、人生を生きたのです。死んでもなお生きる人がいるものです。田中信生著今日も一日お元気で365日
一休寺の前に一休坂があります。その一休坂の先には薪神社という神社があり、そこに能楽発祥の碑がありました。ただこういう碑があるだけ
こんにちは今日は曇り空のTOKYOさてさて、昨年12月の北海道旅『2025/12【北海道旅】小樽・ルタオ本店の最上階の展望台からの眺め』おはようございます今日は昨日とは打って変わって朝からスッキリ快晴のTOKYOさてさて、昨年12月の北海道旅『2025/12【北海道旅】小樽・六花亭小樽運…ameblo.jp12月の北海道、小樽は雪こそありますが風もなく、思っていたほど寒くなくカイロも出番なしといった感じでした小樽のメルヘン交差点の常夜灯そして、ふと見かけ
1️⃣唐の大宗がともに戦った6頭を石像として作らせたのが「昭陵六骏」。それぞれ名前もある。うち二つは1914年に盗まれ、現在はペンシルベニア大学考古学人類学博物館が収蔵している。「飒露紫」だけ人も彫られている。これは唐の大宗でなく、名将の丘行恭。唐の太宗は自ら馬に乗り、戦場を偵察する習慣があった。少人数を連れて行った時、「堤」があった。高すぎて馬は乗り越えられず、遠回りできないほど長い。敵が攻めてきたとき、乗っていた飒露紫の胸に矢が放たれ、太宗は馬から落ちた。名将の丘行恭が自分の馬に乗る
寒い。毎日厚手の服着て寝てる。現在体感温度2度。1️⃣《石台孝経》西安碑林の石碑はほとんど展示室の中にあるが、これは外にある。立派な屋根付き。碑林という扁額は林則徐が書いたと言われている。碑に一画足りないのは異体字。九成宮醴泉銘の「魏」も一画足りない。《石台孝経》は石4面を合わせた方柱状。孝経を書いている。孝経は儒教の十三経の一つ。拓本。肥厚体の艶やかな隷書。24年の秋に故宮で儒教に関する展覧会で拓本が展示された。本文中の「民」、「治」は太宗(李世民)、高宗(李治
この石碑を移設します。昭和5年5月建立と彫刻されています。当時は、周りに何も無かったんでしょうね。現在は、マンションや住宅、生活道路等々。とてもじゃないけど、魂が静かに眠る場所ではなくなりました。解体のブログは、前に投稿してます。一旦、弊社に持ち帰り洗浄や切削など加工を施します。移設場所は、福岡市西区にある鷲尾愛宕神社の近くです。立派な馬の銅像。午年に見れて良かった。眺めが良いです。右奥には、福岡タワーが見えます。4月6日(月)設置工事移設場
西安碑林のHP。西安碑林博物馆西安碑林博物馆,位于陕西省西安市碑林区三学街15号,占地面积3.19万平方米,陈列面积4900平方米,隶属于陕西省文物局,主要以孔庙、碑林、石刻艺术室和石刻艺术馆等组成,是一座以收藏、研究和陈列历代碑石、墓志及石刻造像为主的地方专题性博物馆。www.beilin-museum.com地址:陕西省西安市碑林区三学街15号票务咨询:029-87253331开放时间:8:30开馆,17:30停止检票,19:00闭馆。请携带有效身份证件入馆参观。上の紹
道標は道の分岐点に設置され、各々の行き先やその行き先までの距離等を示す石碑であり、今でいうところの道路標識の役割を担っています。現在も道路上には青地に白文字の案内標識があり、カーナビゲーションが普及した現在でも車で目的地へ向かう際には大変重要な道路標識の一つとなっています。案内標識は地中から支柱が伸び、道路上に標識部分が横に張り出している形状が一般的ですが、道標は石でできていますので、石柱型となっています。また、道標には行き先の他に設置者名や設置年代が併せて刻まれていて、どのような方々
市立博物館友の会の企画で、身の回りでちょっと気になるものを紹介してもらおうという企画を始めました。その一環で、こんな場所があります。松戸駅東口から市役所方面に歩くと、壁の一部が途切れて観音像が立っています。地蔵像ならともかく、寺の境内でない路傍に立つのが不思議に思いながら通り過ぎていました。立ち止まって手を合わせる人もいて、像の周りは清掃が行き届き、常に花も供えられています。この企画をきっかけに、自分なりに今流行りのAIで調べてみると、何でも昭和28年に当地で発生した崖崩れの犠牲になっ
一条视频,带你看西安碑林博物馆的19组碑林国宝!動画はここ。文章ではここ。この二つを訳す。1大夏石马中に入って戟門をくぐったら左手にある馬の石像。十六国時代の大夏・真興六年(424年)五月刻。一枚の花崗岩から彫られている。高さ約2m、全長2.25m。前足の石屏に「赫連勃勃真興六年(424年)の銘文あり。赫連勃勃(かくれんぼつぼつ。381—425)は五胡十六国の夏の開国皇帝。統万城(現在の陝西省靖辺県白城子)に拠って大夏王と称した。一時は長安を攻略していた。この石馬はその時期に作られ
観音堂には普門と書かれた扁額が掲げられていました。真言宗には普門院と言う名のお寺がありますが横浜市にも普門院と言う御縁のあるお寺があったので確認したら…そちらも高野山真言宗(東照山)でした。観音経のことを普門品ふもんぼんとも言うそうですが普門とは…観音様が悩み苦しむ人々(衆生)のために三十三の姿に変身して慈悲の門を開いて救っている(救済)…と言うことのようです。観音霊場は各地にありますがなぜ大抵、三十三ヶ所なのか不思議に思っていましたが、そういうことなのですね。
田畑を背に川沿いに枝を広げるセンダンその下に祀られた庚申塔4基の庚申塔を見て右端は享保元年(西暦1716年)に作られたもの右から2番目の庚申塔は宝永二年(西暦1705年)三番目の庚申塔は享保七年(西暦1722年)左端は参拝塔「成田山月参」で文政十三年(西暦1830年)のもの江戸時代に盛んだった「庚申講(こうしんこう)」という民間信仰に基づき、地域の平穏や健康を願って建立された石碑です最初からこの場所にあったのかどうかわからないそうですが今でも花が手向けられ
三原で、気になる石碑を見付けたRieruです例のレトロな建物の近くです。『三原のレトロな建物は!』三原の続き〜『三原城船入櫓跡〜三原港周辺で気になったものは!』三原の続き〜『三原港で休憩した件』三原の続きです『三原城船入櫓跡石垣へ!』いつか東北旅したいな〜…ameblo.jpこの通りの⋯これ!敷石記念碑とあります。少し埋まっている感じがしますね。側面にはお名前。裏にも。明治29年2月成功⋯何が成功?敷石を敷いた記念?例の地図には、船を綱手でつなぐための“もやい柱”が記念碑に
鳴尾の義民碑(北郷公園=兵庫県西宮市)阪神甲子園球場から北東1kmほど、北郷公園(兵庫県西宮市甲子園三番町10-41)の一角に立派な義民碑が建っています。googlemap北郷公園(画面中央)戦国末期に当たる1591年、稀に見る干ばつに苦しんだ鳴尾(なるお)村(現兵庫県西宮市)の農民は、隣りの瓦林村から断りなく密かに水路を引いたことで、両農民はもとより周辺の村々をも巻き込んだ大乱闘が巻き起こり、大阪奉行所でお裁きを受けた末に極刑に処せられた鳴尾村の農民25名の遺徳を顕彰す
柏の民芸うどん柏十余二店の駐車場のすぐ隣りにある小さな神社。民芸で一緒に食事をした友人家族と分かれて、気になったので参拝、見学。「高田原開拓碑」というものがありました。次のように記されています。「明治二年より入植開拓せり初期入植者は自作農たるべき筈の処大隈及鍋島等の所有となりて八十余年昭和廿二年来の農地改革により初志貫徹すべて入植者の有に帰す」柏、流山、野田などには江戸幕府の広大な牧場が広がっていました。小金牧と呼ばれています。明治維新後、牧場跡に開拓民が入