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年末年始は課金にお金が消える男、蕨です。今回は県道40号(伊集院蒲生溝辺)線の吉田地区の旧道(前身)の一部分、荒落旧道の入り口とそこに架かっていた石橋について探索しました。地図赤線実線部が今回取り上げる主役になります。場所は思川を上流に向かったところにある宇都谷と呼ばれる地域になります。いきなり脇道に逸れますがこの宇都谷という地域にはとある史跡があります。西郷や小松らともか関わりのあった武士、桐野利秋の開墾地です。西郷の自決を見届けた一人でもあります。彼は西郷の死後も必死で新
宮経山延台寺の次は群生山大運寺へ。今回はタイミングが悪く御朱印はいただけませんでしたが参拝の記録として残します。山門横の石碑。境内。御本堂。御本堂前の法然上人像。石塔など。
●レイキ創始者臼井先生のお墓参り@西方寺に参拝しました!40代から本気で人生を変えて自分を生きる専門家羽賀由恵です♡今日3月9日はレイキの創始者臼井甕男(うすいみかお)先生の命日です。おかげさまで、先日、晴れてレイキを伝える人として師範になれたこともあり✨『ついに!レイキを伝える人へ♡師範なれましたー!!』●ついに!レイキを伝える人へ♡師範なれましたー!!40代から本気で人生を変えて自分を生きる専門家羽賀由恵です♡うるう年4年に一度
今日は下関市豊北町阿川を訪れます。日本海海戦図で場所を確認します。昨日エントリーした長門市通浦と同様に、ここ阿川浦にも日本海海戦でのロシア兵乗組員、常陸丸に乗船の日本兵の遺体が流れ着きました。共同墓地にはそれぞれの墓碑が建てられています。日本海海戦、常陸丸事件については以下のリンクをご覧下さい。・日本海海戦の説明→→→・長門市通浦の記事→→→阿川浦に到着後、墓碑の場所が分からなかったので通りかかった方に教えて頂きました。浜に車を置いて歩いて現地に向かっていたところ
今回から7月6日のこととなりますたぶんこの日の散策で巡ったこと書いてたら来年になるんじゃないかと⁉(^^;どうも記事が現実時間に追い付かない(;^_^Aたぶん記事の量的には来年春の分くらいまであるので、季節感は損なわれてくる(充分損なわれているでしょうが)と思いますが、それを踏まえ楽しんで貰えれば幸いです( ̄∇ ̄*)ゞ今回から伏見区散策となりますが、他府県の方が伏見と言えばすぐ思い浮かばれるのは伏見稲荷じゃないかと思います伏見稲荷は伏見区で一番北(上)になります(かなり東福寺寄り)
5回に亘ってお送りした大嶺炭田のレポートも本日で終了です。今日は美祢市歴史民俗資料館に収蔵される海軍時代の遺構を見ていきます。美祢市街地にある資料館にやってきました(・∀・)炭鉱関係以外にも伊佐の薬売りや化石の展示などがあります。大嶺炭田コーナー。坑道を模した入口を入っていきます。炭鉱で使用された道具がたくさん展示されています。そしてココに来たお目当ての一つ目はコレ。海軍煉炭です。2つとも海軍マーク入りです。大正6年(1917年)6月造(6-6の刻字)
おはようございます。(*--)(*__)ペコリ春日神社の続きです(*^ー^)ノ境内にはたくさんの石造物がありました。(人´з`*)まずはこちらですo(*゚∀゚*)oワクワク竹原翁頌徳碑です(゜∇^d)!!この地に貢献された竹原要治さんの徳を讃える石碑なんですね~*。・+(人*´∀`)+・。*そして昨日スルーしたこちらの石造物o(*゚∀゚*)oワクワクまずは狛犬様から阿形ん(-_・)?なんで、前の方にズレているんですかね~( ̄~ ̄;)安定が悪そうに思えますがσ(´
2021年8月18日。浪江町大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊前々回は権現堂城跡の西台墓地入口にある3基の石碑のうち「故従四位中村藩主相馬充胤公」の碑について、前回は一番手前にある「殉難諸士之碑」についてを検証してみました。今回は3基の真ん中にある「相馬充胤公三十年・戊辰殉難者五十年招魂記念碑」について検証して、何故、西台墓地入口にある3基の石碑の建立について、今後どのような研究課題があるかを述べたいと思います。「相馬充胤公三十年・戊辰殉難者五十年招魂記念碑」は大正6
公園として整備され、観光客で賑わう金沢城公園。実は、金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていない。というのも、この金沢城公園、以前は金沢大学のキャンパスだったのである。金沢城公園にある石碑。「金沢大学誕生の地」と記されている。城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったそうだ。そもそも、金沢城公園は時代とともに宗教・政治・軍事・学術の拠点として移り変わってきた歴史を持つ。幕藩体制が終わりを告げ、明治に入ると、金沢城跡には
史跡などを訪問すると、説明のための掲示や、石碑があったりします。GoogleKeepを使うとOCR(自動文字認識)で説明文が簡単にデジタル化・テキスト化することができます。GoogleKeepをスマホアプリとしてインストールしておいてください。インストールするとこんなアイコンになって表示されます。まず、スマホで説明文を写真に撮ります。例えばこんな感じです(実際は細かい字もあるので、写真は4032×3024ピクセル)。次に、スマホでGoogleKeepを立ち上げで、(1
白岩山賢居院(愛知県新城市)『けんきょいん』と読む賢居院は、臨済宗南禅寺派の寺院であり、参道入口から100mほどで、鳳来寺境内入口(石段道)があります▼石燈籠▼▼寺院入口▼▼石碑▼▼石燈籠▼▼境内▼▲▼参道▲▼▼▲参道▼▲▲地蔵尊▲▲石碑▲▼地蔵尊と手水鉢▼▲本堂▲▼石燈籠▼▼扁額▼▼本堂正面▼▲書院入口▲▲吊
2017年11月5日この日も、中山道鳥居峠を歩くさわやかウォーキングに参加しています。藪原駅をスタートし、藪原宿を抜け、鳥居峠に行く中山道を進みます。さっき、お茶とお漬物をご接待頂いた、林道が眼下に見えます。足元には、大きな朴木の落ち葉が堆積しています。朴葉の落葉を見ていると、朴葉寿司に、朴葉味噌料理が食べたくなってしまいます。空を見上げると・・・あの葉っぱが落ちてくるようです。落ち葉の絨毯を先に進みます。中山道も、あと少しで鳥居
妻の実家の近くをウォーキングしました40分程歩きましたが、写真を撮りながら歩いたのでそんなに距離を歩いていません。でも、汗びっしょりになりました。黒田城跡とは、愛知県一宮市木曽川町にあり現存せず、黒田小学校の片隅に碑がある安土桃山時代にあった城初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城です。JR東海道線の脇にある。山内一豊公の生誕の地とされている。(岩倉の神明生田神社にも誕生の碑があるどちらか不明)山内家の家紋がついている大正6年(19
アクセスありがとうございますいいねボタンはありませんのでご興味ない方トバシテ下さい!テーマがバラバラですみませんm。。mあまりにも衝撃的だった第38回の呪詛シーン素人が呪詛を行うのは危険だと当時の人々も知っていたから私設陰陽師(公務員じゃないフリーランスの陰陽師)等が繁盛したんだろうし(呪い返しの危険を冒して自ら呪うよりは代価を払ってプロに任せた方が良いと皆が判断)自宅でみずから呪詛というのは現実にはあまりなさそうに思いますオカルト関係の人を買収して「呪
秋吉台は美祢市中・東部に広がる日本最大級のカルスト台地です。現在は国定公園となっていますが、明治時代から大東亜戦争終戦の昭和20年8月まで、旧日本陸軍が戦闘訓練の演習場として利用していました。ではまずは歴史から。陸軍が秋吉台上を使用し始めたのは明治18年(1885年)と言われています。最初に広島野戦砲兵隊が、明治22年(1889年)には下関要塞砲兵連隊が実弾射撃場として使用し、明治32年(1899年)ごろから山口歩兵第42連隊が戦闘訓練の演習を開始しました。明治42年(1909年)
阪急宝塚線のとある駅名標寺社好きさんには堪らんでしょ3駅続けて寺社名♡日付けが変わったので昨日の事摂津八十八ヶ所に行く途中で発見コレは絶対帰りに行くぞーと。。。そんな、みー散歩の帰り道摂津の記事は又、後日順番が逆になりますがとっても綺麗な紅葉だったので早くUP売布神社駅を下車目的地は売布神社(めふじんじゃ)途中マンホールの蓋宝塚だからスミレス~ミレのは~な~咲く~頃緩やかな坂を登っていくと案内板&石褾この道は巡礼街道と呼ばれてい
加賀百万石の城下町・金沢。この歴史と伝統が息づく街には、至る所に緑豊かな緑地があり、市民の憩いの場となっている。今回紹介するのは此花町緑地だ。こちらは金沢駅から徒歩5分程度の位置にあるのだが、その立地からは考えられないほど広い緑地である。此花町緑地大きなビルが立ち並ぶ中、まるで街にぽっかりと穴が空いたように存在する広場だ。広々としたグラウンドの他、遊具や散策に適した細道があり、休日には家族連れの姿をよく見かける。特にサッカーをしている子供たちや、細道で自転車の練習に勤しんでいる子供た
久しぶりの更新いろいろと仕事をしたり、文化財めぐりをしたりしているうちになかなか更新できず…、久しぶりの投稿になります。今回は、以下のツイートから、石碑の文字を読みやすくする方法をご紹介します。処理して単純に出力しただけだけど、結構読める。ただ、もっと読みやすくなる処理があるらしいんだけど、どうしたら良いんだろう?pic.twitter.com/eBjLKFucq5—半兵衛歳三(@Hanbei1582)January25,2021ただ、私もまだ勉強中で、他にも方法は
6kmランした後に、布引の滝を見に登りました。ランの後のお気に入りのコースです✨王子公園から向かい、車道を登るんだけど…かぉなり急な坂です💦「おんたき」の石碑道中に布引の滝を詠んだ和歌の石碑が建っています。明治時代の初期に36首の石碑を建てたけど、現在は26首らしいです。16首を見付けたので、こちらに掲載します。源経信白雲とよそに見つれど足曳きの山もとどろに落ちつる滝津瀬遠くから見たら白雲だと思っていたが、近づくと大きな音で轟き落ちる滝でした。こちら⬇️は和歌の石碑
購入する予定の土地の安全性について調べているうちに、この地の秘めたる歴史にドンドンハマってゆくルカ‥ワクワク今回は、家づくりから、ちょっと脱線!ルカの地元の秘めたる歴史について書きたいと思います土地を決定するにあたって、気になる事を調べて行くうちに見つけた秘めたる、地元の歴史‥この事について書かれている本がある‼︎と、とある不動産屋さんのブログで紹介されていました‥それがコチラ‥名草姫の伝説ルカの地元、和歌山‼︎一昔前は、近畿のお荷物。そして、ルカの地元はさらに寂れた市の端の端
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
火器都監跡地・石碑。正読図書館(종로)정독도서관-구경기고등학교-(종로)정독도서관-구경기고등학교-서울특별시종로구화동2번지정독도서관은종로구북촌길19(화동2번...m.blog.naver.com正読図書館正読図書館|三清洞・ソウル北部(ソウル)の観光スポット春は桜の名所!三清洞にあるソウル市の公共図書館-「正読図書館」の詳細情報。地図、行き方、口コミも紹介。www.konest.com北村韓屋村韓国伝統家屋が密集!北村韓屋村をぶらり散策|
小幡緑地の東園でここ2、3年のうちに人が2人は自殺している・・・・という噂を東園のすぐ近くに住んでいる方に聞きました。東園の存在は、前に一度地図で見て知っていましたが、すっかり忘れていました。そもそも、愛知県守山区にある小幡緑地公園は、3箇所に点在している公園なのです。本園、西園、東園と住宅地などを隔てて3つに分かれていますが、どれも小幡緑地なのです。私は本園にはよく行きます。犬の散歩や気分転換など駐車場があるので行きやすいし広いのでなんだかんだ運動できます。しかし、そんな小幡緑地に
空き地の真ん中にあって四方を高いフェンスに囲まれた石碑。勝田神社から東、直線距離にして650メートルほどの米川沿いにあって、異様な雰囲気を醸し出しているこの場所は、江戸時代に鳥取藩が置いた伯耆郡の刑場跡。所在する地名から「車尾(くずも)刑場跡」と呼ばれている。犯罪抑止を目的とした見せしめにするため、伯耆街道(鳥取往来)近くに置いたのであろう。「合葬之碑」と刻まれた裏には、寄進鳥取刑務所教誨師一同明治39年3月建立平成8年10月再建と、ある。
先日、老舗不動産会社様から石碑と馬頭観音の撤去依頼を頂きました。庭先に鳥居と馬頭観音が祭ってあり、家の解体をするにあたり先だって撤去して欲しいとのご依頼でした。以前は、霊園や石碑などの撤去依頼を頂いたことはありませんでしたが最近は、世代が変わったので家の建て直しの為の撤去依頼を頂く事があります。もちろん神様や故人のお名前が彫ってある石碑などは魂もそこにある為神主様にお願いして、お祓いをしております。今回頂いた撤去依頼は、どうにか人力で壊せる大きさでしたが大きなものと
今日から大嶺炭田の遺構を紹介していきます。なお炭鉱の概略については前回の記事をご覧ください。美祢市大嶺町の麦川地区に置かれている海軍マーク入りキーストンを紹介します。美祢市街地から西に国道435号線→県道38号線を車で走ると、道沿い右手側にM字型のモニュメントが見えてきます。隣に駐在所と郵便局が並んでいますので分かりやすいかと思います。正面から。中央に付いているのが海軍マーク入りキーストンです。キーストン(キーストーン)とは、石やレンガでアーチ型に組み立てた場合のアーチの
エミネンスレコードクエストで「行雲流水」をやりました。マホガニーシールドを装備してブンガール浦(S)にある石碑を訪れよってやつですね。青魔道士だと装備できないので、ナイトにジョブ変更しました。マリグナスソードは取ったけど装備していなかったので、どれくらい威力があるか楽しみです。青魔道士カジャソードD156隔240命中+35アイリス+R15D143隔240青魔道士は上記の二刀流でやっています。マリグナスソードD183隔26
前回からの続きです(令和元年9月16日のことです)玄関を出て、庭園の裏沿いにある通路の先へ行きますするとこんな広場があり、この先は天皇陵来たとこを真っ直ぐ行くと墓地に続きますその墓地の入り口に石碑桑原冨春軒(くわばらふしゅんけん)塔桑原という人は立花という生け花の中の様式の一つの家元だったようですその横に顕彰碑かな?天皇陵の方へ行ってみます慶光天皇廬山寺陵慶光天皇陵(追尊天皇)閑院宮典仁親王、世襲親王家、閑院宮第二当主第119代光格天皇は典仁親王の子明治17(1884