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円空上人(1632-1695)江戸時代前期の修験僧であり仏師。美濃の国、今の岐阜県に生まれ30歳の頃出家し、全国を行脚し仏像を彫り続けました。円空上人が彫った、独特な形をした仏像は「円空仏」として親しまれ、その数は全国で12万体に及ぶと云われています。この虫食いのような洞窟のある大きな岩は、その昔「熊石村の黒岩は、「隠れ座頭」と呼ばれる妖怪が住んでいたといわれています。岩の下には御影石の立派な石碑が建っていました。円空上人は八雲町熊石地区には1666年に訪れたようで
箱根湯本駅から中心街を抜けて、県道732号線を徒歩で進みます。ホテルはつはな前を通過し、西へ230m行くと道路脇に石碑があります。(2017.12.16撮影)箱根町須雲川須雲川左岸初花の滝落差30m別名/忍ヶ滝大変読み辛いですが、「初花ノ瀑夫勝五郎ノ仇討本懐祈願ノ為メ初花ガ垢離ヲ取ツタ滝トシテ傳ヘラル箱根振興會」とあります。この付近から対岸の湯坂山を望むと見えるはずですが・・・アップです。近年は、木々が茂り、殆ど見えなくなっています。木々の合間か
先ほど"ブログ休止宣言"を出したばかりなのに、もう新記事をUPしてしまうなんて、不謹慎かな。ちょっと書きたい事があるので、特別に上げますね。1975年にリリースされたユーミン(荒井由実)の3rdアルバム"COBALTHOUR"の9曲目に"雨のステイション"という曲があります。この"ステイション"とは文字どおり"駅"の事で、JR(当時は国鉄)青梅線の"西立川駅"の事だそうです。今の西立川駅の前には国営昭和記念公園があるけど、ユーミンが"雨のステイション"を発表した頃は米軍基地だったそうで
おはようございますm(__)mペコリ本日からは柳井市余田に鎮座されておられる名合八幡宮を参拝した時の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノパッ☆ここはとにかく参道が長かったです(´Д`)=3その始まりはこの一ノ鳥居から始まります(≧∇≦)ノ普通の道路が鳥居の下を通ります(≧∇≦)bこちらの鳥居は昭和十一年に建立された鳥居です(≧∇≦)bう~んと……………もう四年待てば紀元(皇紀)二千六百年だったのに待てなかったのかなぁ(・ั﹏・ั)💦こちらは御旅所ですね(≧∇≦)bウ~
前回記事はこちらです。錦川鉄道に初乗車♪|青春18きっぷローカル線旅!(ameblo.jp)川西駅を発車してしばらく進むとレールが分岐します。写真右側が岩徳線の線路ですしばらく進むと山陽新幹線の巨大な高架が出現しますちょうどここには新岩国駅があり、錦川鉄道も清流新岩国駅を設置しています「清流新岩国駅」は駅名としては非常に新しく、2013年までは御庄駅だったとのこと…。平野の中に伸びる単線線路の高架橋がどこか井原鉄道を連想させます。実際に錦川清流線(岩
午後1時頃ロイと東山湖を散歩今日の釣り客は30人程だったか???マーカー釣りのフライマンが5人いたが釣れたのを見たのは2人が1匹ずつのみ!!!!!ルアーマンも含めて殆ど釣れていなかった!!!!!・・・魚本当にいるの?????まだまだ綺麗なソメイヨシノは残っているが今盛りは事務所前から石碑に掛けてひっそりと咲く白い花の山桜こちらは八~九分咲きと言ったところか?????暖かくなったしそろそ
昨日から無性に行きたくなって(ネットで見つけて)雨が降らなかったら行こうと決めていたので朝起きて、空を見て晴れ!!!!!ってな訳で・・・私的には少し遠出をしてみました(と言っても電車で1時間ぐらい)信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)JR阪和線の快速でビューン和泉市にきたのは初めて境内も全然見えない所から真っ赤な鳥居が並んでいますこの辺りって地車庫が色々な所に有るお祭りが盛んな地域なんですね地車庫~恋しくは尋ねて来てみよ和泉なる信
今日は田中義一銅像と誕生地を紹介します。まずは萩市の遺構地図を掲載します。田中義一銅像は、萩市博物館東側の素水園に立っています。台座正面には題字の銅板。「田中大将像」とあります。高い位置にありますので、見やすいように銅像だけを拡大してみます。台座3面に銅板が掲げられており、義一さんの経歴などが記されています。背面の銅板には昭和6年(1931年)と記されていますが、左右側面は戦後に付けられた物と思われます。背面の銅板です。長いので訳しませんが(笑)、「田中大将
萩市東北部の大井八幡宮に残る征清紀念碑を見ていきます。なおこちらの神社には日露戦役紀念碑もあるのですが、今回見逃してしまいました(>_<)あらためて訪問したいと思います。萩市の遺構地図です。階段を上がって鳥居。参道が長いです。阿武巌夫(あんのいずお)選手生誕地の看板があります。阿武巌夫さんは、昭和7年(1932年)のロサンゼルスオリンピックに出場した陸上選手。山口県出身で初めて五輪に出場し、4×100mリレーで5位入賞を果たしました。厳夫さんはココ大井の出、と言うか
平安時代中期の「枕草子」(清少納言)、鎌倉時代後期の「徒然草」(吉田兼好)と共に日本三大随筆にあげられているのが「方丈記」。方丈記は、鎌倉時代初めに鴨長明が今の伏見区日野の山中の庵(いおり)にこもり執筆し、今から800年程前の1212年(延暦2年)に完成したとされる。この方丈庵は下鴨神社の摂社・河合神社に復元されているが、かねてから気にかけていた方丈庵の跡を求め日野の山中に入った。□方丈庵跡へのコース当日午前中の明智光秀の胴塚と小栗栖の明智薮のウォークを終え、地下鉄東西線の石田駅前のファ
今日は大嶺炭田に置かれた捕虜収容所について書いていきます。昭和12年(1937年)、日本は中華民国との戦争に突入し、大東亜戦争終戦の昭和20年(1945年)8月15日までの長い戦時下に入りましたが、戦争が進むにつれて青壮年は戦場にとられてしまい、銃後の労働力不足は深刻なものとなっていきました。この頃の大嶺炭田では、昭和11年(1930年)に日産の傘下に入った最大手の山陽無煙炭鉱が、昭和14年(1939年)から朝鮮人労働者を受け入れ始め、昭和18年(1943年)ごろには500人に膨れ上
公園として整備され、観光客で賑わう金沢城公園。実は、金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていない。というのも、この金沢城公園、以前は金沢大学のキャンパスだったのである。金沢城公園にある石碑。「金沢大学誕生の地」と記されている。城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったそうだ。そもそも、金沢城公園は時代とともに宗教・政治・軍事・学術の拠点として移り変わってきた歴史を持つ。幕藩体制が終わりを告げ、明治に入ると、金沢城跡には
火器都監跡地・石碑。正読図書館(종로)정독도서관-구경기고등학교-(종로)정독도서관-구경기고등학교-서울특별시종로구화동2번지정독도서관은종로구북촌길19(화동2번...m.blog.naver.com正読図書館正読図書館|三清洞・ソウル北部(ソウル)の観光スポット春は桜の名所!三清洞にあるソウル市の公共図書館-「正読図書館」の詳細情報。地図、行き方、口コミも紹介。www.konest.com北村韓屋村韓国伝統家屋が密集!北村韓屋村をぶらり散策|
これからは不定期に、金子みすゞさんの詩をアップして行きたいと思います。第一回は「積もった雪」です。上の雪さむかろな。つめたい月がさしてゐて。下の雪重かろな。何百人ものせてゐて。中の雪さみしかろな。空も地面(じべた)もみえないで。(引用:金子みすゞ「新装版金子みすゞ全集Ⅰ・Ⅱ」JULA出版局)もう雪の季節は終わってしまいましたが、心の中で反芻することが多いのが、“中の雪さみしかろな空も地面(ぢべた)もみえないで”というフレーズです。踏みつけら
普段は通勤通学の列車に乗り降りする人…ばかりでなく、駅前商業施設へ買い物に来る人たちで賑わう、街の中心駅前ですが、実は江戸時代の遺構が埋もれている所もあります。冒頭写真は千葉県市原市の五井駅西口(JR内房線)ですが、ここは1781(天明元)年に伊勢西条藩の藩主・有馬氏恕(譜代大名)が本拠を五井に移し、五井藩(1万石)とした際に築いた五井陣屋が存在した場所で、5代約60年間存続したのだそうです…その後、天保13(1842)年に下野吹上(現在の栃木県栃木市吹上町)に移封し終焉。実は3
2017年11月5日この日も、中山道鳥居峠を歩くさわやかウォーキングに参加しています。藪原駅をスタートし、藪原宿を抜け、鳥居峠に行く中山道を進みます。さっき、お茶とお漬物をご接待頂いた、林道が眼下に見えます。足元には、大きな朴木の落ち葉が堆積しています。朴葉の落葉を見ていると、朴葉寿司に、朴葉味噌料理が食べたくなってしまいます。空を見上げると・・・あの葉っぱが落ちてくるようです。落ち葉の絨毯を先に進みます。中山道も、あと少しで鳥居
不動山大学院(愛知県名古屋市天白区)『ふどうさんだいがくいん』と読む不動山大学院は、通称『八事のお不動さん』『八事の大学さん』と呼ばれ、地域の方に親しまれているようですまた、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊は『大青面金剛(庚申さま)』のようです▼寺院入口▼▼山門▼▼寺号標▼▼三猿額▼▲五七桐紋▲▲札所碑▲五七桐紋は、戦国の三英傑豊臣秀吉公の家紋であり、豊臣姓を名乗るようになったとき、当時の天皇から与えられた
映画「るろうに剣心」第一弾のロケ地でもある「倉敷美観地区」へ中途半端な時間に行ってきましたよ(それが目的ではないですが)先ずはなかはし「一」+「の」=「か」…この答えがないと一生読めん槗は橋の異体字……ん?旁の右の部分に点があるのかしら?因みに、前述の撮影がされたのはこの橋の周辺らしいです。先ず橋そのものを撮れよ常夜燈金毘羅大権現倉敷講中寛政三年(1791年)■書状集箱明治4年の郵便事業
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
久しぶりの更新いろいろと仕事をしたり、文化財めぐりをしたりしているうちになかなか更新できず…、久しぶりの投稿になります。今回は、以下のツイートから、石碑の文字を読みやすくする方法をご紹介します。処理して単純に出力しただけだけど、結構読める。ただ、もっと読みやすくなる処理があるらしいんだけど、どうしたら良いんだろう?pic.twitter.com/eBjLKFucq5—半兵衛歳三(@Hanbei1582)January25,2021ただ、私もまだ勉強中で、他にも方法は
今回は演習場時代に建立された忠魂之碑を見ていきます。明治18年(1885年)に陸軍が秋吉台上を使用し始めて以降数多くの部隊がここで演習を行いましたが、その中でも明治29年(1896年)に創設された山口歩兵第42連隊によって、昭和20年(1945年)の終戦まで継続的に使用されることになりました。美東町文化研究会発行の『戦後50年私の戦時体験』を読むと、歩兵42連隊に所属した方々の体験記が掲載されていますので、それに基づいて書いていきます。歩兵42連隊に入営して訓練を受けた半年後、
「ミミズ」が御神体という神社があると言うことで長野県まで足を運んで見ました。カーナビを目的地にセットしたにもかかわらず神社は見つからず、近所を散歩している年配のおじさんに神社のありかを聞いても地元も人もいやぁ知らねえナアとか言われちゃって、あんまり知られてないのかと思います長野県長和町和田中組(旧和田村)の旧中山道沿いに「蚯蚓神社(きゅうせんじんじゃ)」という神社があります道路沿いの左側に、このようなミミズの石碑が立っていました
令和3年4月14日(水)雨今朝は朝から雨だったので玄関前で素振りをしただけであった。先日いいねの300の上限の事を書き、この上限のコメントでいいねに上限がある事を知らないと言う方が何人かいたが、上限に達した時は、いいねをしようとするといいねの欄がこの様になり、この後は日付が変わるまでいいねを受け付けないのである。ロードバイクで行った所その334前回の続き津幡市内から戻っても、まだ走り足らないので家の近くを走りながら、かほく市役所の裏に行くと宇野気公園があって、そこには遊具があり、隅の方に
こんにちは。今日は以前から気になっていた愛知県あま市(旧甚目寺町)の晴明塚と小町塚をご紹介します。午前中から35度を超える中、頭からタオルをかぶり散策開始です。現在は住宅地になっているので田んぼの横に停めて歩きます。周辺は、大きなお屋敷や古いお家もポツポツあるのでその昔は、田畑か漁村の中の集落で新居屋郷といったそうです。発見!住宅地の中にポツリと。説明書きも立札も何もありませんが石碑の裏に何やら書いてあります。凄く読みにくいのですが、晴明が東下り