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「栃木県三都物語~栃木市編~」です9今週も栃木市にやってきましたよー🚙まず最初のネタはこちらどんテレ東「よじごじDays」で紹介された「日光例幣使街道碑」です日光例幣使街道とは京都~日光東照宮を結ぶ街道なんです昔の人は歩いて行ったんだから凄いよなー。。。。
昨日から無性に行きたくなって(ネットで見つけて)雨が降らなかったら行こうと決めていたので朝起きて、空を見て晴れ!!!!!ってな訳で・・・私的には少し遠出をしてみました(と言っても電車で1時間ぐらい)信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)JR阪和線の快速でビューン和泉市にきたのは初めて境内も全然見えない所から真っ赤な鳥居が並んでいますこの辺りって地車庫が色々な所に有るお祭りが盛んな地域なんですね地車庫~恋しくは尋ねて来てみよ和泉なる信
秋吉台は美祢市中・東部に広がる日本最大級のカルスト台地です。現在は国定公園となっていますが、明治時代から大東亜戦争終戦の昭和20年8月まで、旧日本陸軍が戦闘訓練の演習場として利用していました。ではまずは歴史から。陸軍が秋吉台上を使用し始めたのは明治18年(1885年)と言われています。最初に広島野戦砲兵隊が、明治22年(1889年)には下関要塞砲兵連隊が実弾射撃場として使用し、明治32年(1899年)ごろから山口歩兵第42連隊が戦闘訓練の演習を開始しました。明治42年(1909年)
昨日より続く。日本人書家の個展と日本の子ども100人弱の展覧会があるので、日本から6人やってきた。その方達と书院门へ。降りたところでスイカジュース販売。スイカはフットボールくらい長い。书院门の入口。ここでみなさん、筆、文鎮などを買う。どんどん東へ。西安碑林博物馆に到着。パスポート不要。10元を払い入る。縦に長いので、どんどん中へ。「碑林」は林則徐の字。この↑中に↓玄宗皇帝の書いた字「石台孝経」。石碑については後日記事にする。書道関係のスポットを中国
静かな住宅街の真ん中で平屋の看板建築を見つけた続きです。あまり驚いたので、本来の道探しはすっかり忘れこの先はどうなっているのかと進みました。すると間もなく…諏訪公園という標識!ああ、ここだったのか、諏訪公園。以前、地図で見て、行ってみたいけれど辿り着ける気がしないとぼんやり思っていた所です。諏訪神社の横にある小さな公園は「諏訪の森公園」でしたがこちらはとても大きいです。しかも矢印の指す方を見ると…公園は上の方にあるみたい。
前回の様子はコチラを⬇️春になり再開いたしました🎋かぐやの里氣功🤗💓一緒に参加するM氏を乗せて🏃♂️とくしまマラソンのため⚠️通行止めの北岸堤防の北側を走り山川町バンブーパークへ🚙🎶晴れ渡り風も心地良い🎋かぐやの里で若返り氣功🤗瞑想中は風でそよぐ竹&葉の擦れあう音が渓流の水音の様に聴こえます😌♬強めの風に鹿威しの如き🎋カコーン♪微かに鳥の囀りも♬🐦️今日は竹に耳を当てて👂️音を聴いてみると😳一本毎に違う🤯‼️なんて発見も❣️瞑想用の音楽を止めて竹林🎋かぐやの里だけの自然音にそれはそ
空き地の真ん中にあって四方を高いフェンスに囲まれた石碑。勝田神社から東、直線距離にして650メートルほどの米川沿いにあって、異様な雰囲気を醸し出しているこの場所は、江戸時代に鳥取藩が置いた伯耆郡の刑場跡。所在する地名から「車尾(くずも)刑場跡」と呼ばれている。犯罪抑止を目的とした見せしめにするため、伯耆街道(鳥取往来)近くに置いたのであろう。「合葬之碑」と刻まれた裏には、寄進鳥取刑務所教誨師一同明治39年3月建立平成8年10月再建と、ある。
西安旅行に行き、観光スポット「大雁塔」へも行った。大雁塔は「652年に三蔵法師がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔」。詳細はwikiへ。土曜日だったので人がたくさん。右は三蔵法師。大雁塔(大慈恩寺)は南門から入る。入場料30元。書道をやっている人なら絶対に見るべき、褚遂良の雁塔聖教序の石碑がここにある。「大唐三蔵聖教之序」碑と「大唐三蔵聖教序記」碑を合わせて「雁塔聖教序」という。塔に入るのに25元。塔の中に入れて、上にも上が
【19年11月3日探索・20年5月16日公開】群馬県甘楽郡南牧村大字小沢11年ぶりに見た昭和8年架橋・長瀞橋を見て、そこからさらに約700m、県道45号線を進んだ。現在地はここ弁天橋の手前を左に入って行く。目的地は、この先にあるはずの磐戸鉱山の跡だ。左折るといきなり坂道がキツイ。この沢沿いを進んでいく。沢の名は弁天沢という。沢の底面が特徴的なんだが、人工的に石を埋め込んでいるような造りはあまり見かけたことがない。これも砂防事業の一環であるよう
先に、岩上神社からのパノラマを紹介したのですが。今回は、岩上神社そのものも探検して来た報告です。まずは、再掲となりますが、鳥居から岩上神社に入る所から。数段の階段を登ると、祠があります。祠は、神社らしい作りなのですが。実は、この建物は、建物だけです。話は、祠の右側の石垣に続くのですが、この写真にしか写っていないので、着目して下さい。祠の窓から中を覗いた写真です。ご覧の通りに祠の中には何もありません。反対側にガラス戸があり、その外側に階段が続いています。さて、その階段の先には何
大好きな直美先生のインスタで記事として載せられていた「斉明天皇供養塔」の写真を見た時、身体に電撃が!!Σ(゚Д゚ノ)ノなぜだろう。ドキドキが止まらない。なんでこんなにドキドキするんだろう…とネットで調べれば調べるほど行きたいっっ。以下、説明が下手で長文となります。すみません。長い目で許してください。第37代斉明天皇とは…(by.ウィキペディア)飛鳥時代に49歳で再度即位された女性天皇で、第35代皇極天皇と同一人物です。譲位によって皇位継承されたことで平成から令和へ年号が
今回から7月6日のこととなりますたぶんこの日の散策で巡ったこと書いてたら来年になるんじゃないかと⁉(^^;どうも記事が現実時間に追い付かない(;^_^Aたぶん記事の量的には来年春の分くらいまであるので、季節感は損なわれてくる(充分損なわれているでしょうが)と思いますが、それを踏まえ楽しんで貰えれば幸いです( ̄∇ ̄*)ゞ今回から伏見区散策となりますが、他府県の方が伏見と言えばすぐ思い浮かばれるのは伏見稲荷じゃないかと思います伏見稲荷は伏見区で一番北(上)になります(かなり東福寺寄り)
沖縄市山内(やまうち)の山内公民館の正面に鳥居のある拝所があります。そこは山内大明神と呼ばれる拝所で山内集落の祖となった山内昌信(やまうちしょうしん)という人物が祀られています。鳥居をくぐるとコンクリートの拝所があります。拝所はアルミ製の扉で閉じられています。扉の奥に山内大明神と銘がある石碑がありました。これらの建物は以前の建物が老朽化した為に1991年に改築した事が書かれています。山内大明神の左側に火の神があります。この火の神は別の場所から移動されてきたとの事です。山内大明神の
小幡緑地の東園でここ2、3年のうちに人が2人は自殺している・・・・という噂を東園のすぐ近くに住んでいる方に聞きました。東園の存在は、前に一度地図で見て知っていましたが、すっかり忘れていました。そもそも、愛知県守山区にある小幡緑地公園は、3箇所に点在している公園なのです。本園、西園、東園と住宅地などを隔てて3つに分かれていますが、どれも小幡緑地なのです。私は本園にはよく行きます。犬の散歩や気分転換など駐車場があるので行きやすいし広いのでなんだかんだ運動できます。しかし、そんな小幡緑地に
こんにちは、vootanです。タイトル、読めませんよね、【こゆるぎのいけ】と読むそうです。仕事で東小磯に用事がありグーグルマップを調べていたら、何だか山奥の行き止まりにこの辺りでは珍しい野池らしきものが目に入ったので、ひとつ探検してみようと思った次第。仕事なのでレッドロブスター号でピャーッと出発。東海道線跨線橋上からの湘南平、テレビ塔とレストラン兼展望台が見える。目指す東小磯は政界の元勲や財界の名士が挙って邸宅や別荘を並べた名所。その名残は一見不便とも
妻の実家の近くをウォーキングしました40分程歩きましたが、写真を撮りながら歩いたのでそんなに距離を歩いていません。でも、汗びっしょりになりました。黒田城跡とは、愛知県一宮市木曽川町にあり現存せず、黒田小学校の片隅に碑がある安土桃山時代にあった城初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城です。JR東海道線の脇にある。山内一豊公の生誕の地とされている。(岩倉の神明生田神社にも誕生の碑があるどちらか不明)山内家の家紋がついている大正6年(19
今日から師走、いよいよ色んな事に焦りだしています。(行動は伴っていない(๑ノ>ω<)ノ)ウエザーニュース、師走以外の「12月の異称」という記事から、「極月」「限り月」「除月」「年積月」「春待月」「年満月」このほかにも、12月の異称はたくさんあるそうですが、読めば読むほど言葉の重み(全部師走やん)がのしかかります。😫😫沖縄本島へ。(18日~21日)20日、辺戸岬へ、13:50分頃到着。大石林山はすぐ近く。
史跡などを訪問すると、説明のための掲示や、石碑があったりします。GoogleKeepを使うとOCR(自動文字認識)で説明文が簡単にデジタル化・テキスト化することができます。GoogleKeepをスマホアプリとしてインストールしておいてください。インストールするとこんなアイコンになって表示されます。まず、スマホで説明文を写真に撮ります。例えばこんな感じです(実際は細かい字もあるので、写真は4032×3024ピクセル)。次に、スマホでGoogleKeepを立ち上げで、(1
不動山大学院(愛知県名古屋市天白区)『ふどうさんだいがくいん』と読む不動山大学院は、通称『八事のお不動さん』『八事の大学さん』と呼ばれ、地域の方に親しまれているようですまた、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊は『大青面金剛(庚申さま)』のようです▼寺院入口▼▼山門▼▼寺号標▼▼三猿額▼▲五七桐紋▲▲札所碑▲五七桐紋は、戦国の三英傑豊臣秀吉公の家紋であり、豊臣姓を名乗るようになったとき、当時の天皇から与えられた
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
2017年11月5日この日も、中山道鳥居峠を歩くさわやかウォーキングに参加しています。藪原駅をスタートし、藪原宿を抜け、鳥居峠に行く中山道を進みます。さっき、お茶とお漬物をご接待頂いた、林道が眼下に見えます。足元には、大きな朴木の落ち葉が堆積しています。朴葉の落葉を見ていると、朴葉寿司に、朴葉味噌料理が食べたくなってしまいます。空を見上げると・・・あの葉っぱが落ちてくるようです。落ち葉の絨毯を先に進みます。中山道も、あと少しで鳥居
下関市菊川町の【松崎少佐散華の地】をレポートします。まずは下関市中部の地図を掲載します。松崎真一少佐は福岡県前原市出身で、旧制糸島中学校を出たあと陸軍士官学校を卒業。飛行隊に所属し、1945年(昭和20年)7月下旬に陸軍小月飛行場(現在の海上自衛隊小月基地)に駐屯しました。(飛行第4戦隊配属と思われます)昭和20年7月28日、米軍機を迎撃すべく四式戦闘機「疾風」で飛び立ちましたが撃墜され、24歳で戦死しました。小月飛行場に駐屯した陸軍飛行第4戦隊については以下の記事を参考にし
久しぶりの更新いろいろと仕事をしたり、文化財めぐりをしたりしているうちになかなか更新できず…、久しぶりの投稿になります。今回は、以下のツイートから、石碑の文字を読みやすくする方法をご紹介します。処理して単純に出力しただけだけど、結構読める。ただ、もっと読みやすくなる処理があるらしいんだけど、どうしたら良いんだろう?pic.twitter.com/eBjLKFucq5—半兵衛歳三(@Hanbei1582)January25,2021ただ、私もまだ勉強中で、他にも方法は
おはようございます(*--)(*__)ペコリ寒い冬なのにこの景色を見ると夏の音楽が聞こえて来る私です(*´∀`*)ポッ海沿いのカーブを~♪夏の~クラクション~♪誰もいない海~♪二人の愛を確かめたくって~♪海岸で中井貴一が腰を震る物語~♪あ!失礼海岸で若いふたりが恋をする物語~♪しかし…………………………こちらも過疎側には進む集落です(´Д`)ハァ…あちらこちらで今は使われていないみかん運搬用のモノレール(?)を見かけました(;´・ω・`)そんな場所のそばにひと
公園として整備され、観光客で賑わう金沢城公園。実は、金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていない。というのも、この金沢城公園、以前は金沢大学のキャンパスだったのである。金沢城公園にある石碑。「金沢大学誕生の地」と記されている。城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったそうだ。そもそも、金沢城公園は時代とともに宗教・政治・軍事・学術の拠点として移り変わってきた歴史を持つ。幕藩体制が終わりを告げ、明治に入ると、金沢城跡には