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さて藤木との戦いに向けて備前長船の刀を手に入れた伊良子。ぶははっいくも大変だなぁ…さてここで高熱に倒れる藤木。江戸時代の医学なんてそんなもんでしょうな。ある程度の外科的治療はできたのかもしれませんが、抗生物質が無いというのが致命的ですよね…そこに突然お見舞いに現れたのは伊良子。狒々の霜、つまりお猿さんの頭の黒焼きです。こんなもんお見舞いに持ってこられたら嫌がらせ以外のなにものでもありませんがね(笑)そして幼少期を思い出す藤木。スイカの皮はさすがに厳しいですね。リンゴや梨なら皮ごとい
天海(152)「慶長五年五月三日、徳川家康、陸奥会津ノ上杉景勝ノ老臣直江兼続ノ答書ヲ見テ怒リ、諸大名ニ出征ノ令ヲ下ス、徳川家康、下野ノ士伊王野資信ノ、陸奥会津ノ形勢ヲ報ゼシニ答ヘ、守備ヲ厳ニセシム。」(「史料綜覧」)直江状に目を通すと、家康は激怒し、直ちに景勝の征伐を決意した。ただし、ここまでは家康の想定通りである。景勝は前田家のように、戦わずに屈することはないであろうと考えていた。家康の頭の中には、秀吉が行った「四国征伐」や「九州征伐」の光景が浮かんでいたので
天海(153)「六月十日、陸奥会津ノ上杉景勝、徳川家康ノ出陣セントスルヲ聞キ、部下将士ヲ訓シ、去就ヲ決シム。」(「史料綜覧」)直江状の真贋はともかく、景勝は上洛も再度検討していたようである。ただ、条件として讒言をした者(堀秀治・直政ら)の取り調べを要求したが、家康に無視され、遂に決戦やむなしとなったのである。さて、当時上杉家は120万石であるから、120万石×300人で36,000人の動員が可能と思われる。さらに防衛戦であるから全体で5万人弱の配置が可能であったこと
4/20(土)に、大阪の城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。「竹中氏陣屋櫓門」からは、「関ヶ原古戦場」内を突っ走り、車で約20分位で「戦国ロード」沿いの「松尾山城登城口」に着きました。「松尾山城」の歴史と城主については、「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということは良く知られていますが、陣城として活用される前の城主は、「主郭」に詳細が記載された案内板に記載がありました。そ
<速報>昨日(4/20)、城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。どちらのお城も以前から登城したい山城で、「菩提山城」は昨年に「竹中氏陣屋」に行った際に、後方に見えた菩提山頂にあるお城は「羽柴秀吉」の軍師であった「竹中重治(半兵衛)」が居住していたお城とのこと、「松尾山城」は「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということで、いずれも興味津々の山城でした。「米原」でカーシェアによる車で
遂に逃げ若のアニメキービジュアルが公開!!それと共に主要キャスト全員の声が公開されました。それぞれの第一声を聞いた時の印象。TVアニメ『逃げ上手の若君』第1弾PV#逃げ上手の若君#CloverWorks#逃げ若「勝つまで逃げよ」幼き少年少女たちが挑むのは――天下を取り戻す鬼ごっこ!TVアニメ『逃げ上手の若君』2024年放送!◆スタッフ原作:#松井優征(集英社「週刊少年ジャンプ」連載)監督:山﨑雄太シリーズ構成:冨田頼子キャラクターデザイン・総作画監督:...www.yo
日本にお茶文化が広まったのは、鎌倉時代。栄西上人が「喫茶養生記」という書物を世に広めてからです。その前にもお茶は日本に入ってますし、鎌倉幕府3代将軍・源実朝も二日酔いにお茶を飲んでいたとも言われています。今ではお茶の効果はいろんなものがあり、まだ探せばいくらでも出そうですが、二日酔いに効くかは謎ですね。室町時代になると、闘茶と言って、お茶のブランドを当てるゲームが流行りました。お茶にゲーム性を絡めるのはいかがなものか?その疑問を解決したのが、茶道でした。テーブルマナーの日本版の
花の慶次、これにて完結なり。さて久しぶりに京都に帰ってきた慶次、つーわけで新キャラ登場。結城秀康!徳川家康の次男ですな。長男の信康が切腹させられたので徳川家の長子となったわけですが、秀吉への人質に出されたので徳川家の家督は弟である秀忠のものに。さらに秀吉の養子になったものの秀頼が生まれちゃって邪魔になったのでさらに結城家に養子に出されたという可哀想な人物です。徳川と豊臣、どちらの相続権も持っていながら両方取りこぼしたわけですからね…つーわけで父家康から疎まれながら育った秀康。深い言葉です
一気に寒くなった12/14(水)、これからもっと寒くなり積雪が多くなると思われる北陸に近い「佐和山城」(滋賀県彦根市)へ急遽思い立って登城しました。以前から行こうと思い「縄張り図」を取寄せていたものの、なかなか行く機会を作ることが出来なかったのですが、先日「青春18切符」をチケットショップで残3枚分を購入したことで決心が付きました。「大阪駅」を8時6分の「新快速」に乗車しましたが、「京都駅」までは座れませんでした。9時半に「彦根駅」に着くと風も強く流石に冷え込んでいるので今年初の手袋
天海(154)「然らば内府様にとって、この度の会津征伐で、理想の展開とはどのような物でしょうか。」と天海は尋ねた。「うむ、大軍を持って、上杉を屈服させ、戦わずして、勝利することである。その際、金山のある佐渡と庄内は取り上げて、上杉は90万石程度で存続を許す。あれは律儀ものであるから、恩を売れば、忠義で応えるであろう。これが理想であるが、実際に交戦があれば、景勝は隠居させ、上杉には養子を入れて60万石程度で存続させるつもりだ。」と家康は言う。「なるほど、では考えら
欠かさず観てる番組ある?▼本日限定!ブログスタンプ民放はほとんど見ませんバラエティーばかりで見ているのは鶴瓶の家族に乾杯歴史探偵ドキュメント24時間英雄たちの選択NHKばかりですねあっ終わっちゃたけど「不適切にもほどがある」は面白かったです桜旅の記事書いています墨俣城でまったりとした良い時間を過ごすことができレンタカー借りている時間も迫ってきたので(6時間契約)大垣駅前に向かいます途中、桜並木の美しいところが有ったのですが車は止められ
この前の真下の記事でふと思ったのですが、私が好きになる男(二次元)って金水的な色気を感じるキャラが多いなと気づきました。『推しの命式が自分と相性いいと更に惚れる』ゲーム実況見てたら、とあるキャラに一目惚れ。ホラーゲームの実況が好きでよく見るのですが、死噛の真下悟というキャラがすごくかっこよくて惚れました。元刑事で濡れ衣…ameblo.jp真下は亥月生まれの庚の身旺だし、荒井さんは同じく亥月生まれで癸強い甲の身弱。過去に好きになった二次元キャラもクール系や、なんとなく暗さと影のあるキャラが多
さきたま古墳群のエッセンスを求めて久々に忍城を訪れ、「のぼうの城」を読みそしてまた忍城周辺を歩いたオヤジ。しかし、さきたま古墳群のエッセンスには辿り着いていない・・・・・・・・😓という訳で、今回は小説の題材になった忍城の水攻めに関するネタです。まずは石田堤のお話から。これ(↑)は行田市教育委員会発行のリーフ。前回ご紹介した「忍城今昔図」といい行田は自治体が観光誘致に熱心です。😲1590年に丸墓山古墳に陣を構えた石田三成。突貫工事で28㎞にも及ぶ堤
4月初めに提出した「卒業論文計画書」の合否結果はまだ届きません。大丈夫かホントに心配ですが、その不安を払拭するかのような、嬉しい通知が届きました。それはT先生のお名前が書かれた「卒業論文指導教員(主査)決定通知書」です。指導教員に決定した、T先生は、大谷吉継研究の第一人者。大谷吉継は、三成の誘いを受け、その友情から関ヶ原の戦いに参加し、参謀を務めたとされる人物。つまり、私が研究する石田三成とは、切っても切れない仲なんです。先生と私も深い絆で結ばれているに違いない・・・、というのは
【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ1~3話共通ルートはこちら石田三成&徳川家康共通ルート【石田三成】★が好感度+5ハズレは+1✳︎好感度はマイページ殿タップで確認できます《4話前半》よく似た妹①迷惑では★②家に帰りたい《4話後半》①気になるから★②なんとなく【恋の試練】必要姫度100《5話前半》惚れたが因果①正直に言わない★②正直に言う《5話後半》①左近くんと散歩を②甘味を食べに★《6話前半》拒絶の理由①三成
【滋賀】滋賀県彦根市京町の千代神社石田三成ゆかりの宮「千代神社」久しぶりに参拝させていただきました。大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」では中村七之助さんが演じる石田三成が秀吉亡き後奮闘する放送回でした。【千代神社御朱印】表面【千代神社御朱印】裏面前回お受けした【千代神社限定御朱印】(令和2年撮影)(令和2年撮影)以前お受けした【千代神社御朱印
ついに、ついに、この回がやってきてしまいました。リアルタイムで見た「黄金の日日」の中でも、この回は名作中の名作。このドラマで根津甚八という役者を知り、このシーンで根津甚八という役者の凄みを知り、当時はそんな言葉はなかったけど、完全に「五右衛門ロス」に陥った。長年の時を超えて、改めて、五右衛門ロスでございます。当時、根津さん人気はすさまじく、唐十郎さんの劇団員だった根津さんの稽古にも多くの人が集まってしまって、それが原因で、根津さんは劇団を辞めたとか、、その後の根津さ
「お城紀行」の掲載で少し中断しましたが、ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』を再開し、具体的なお城の写真をお届けします。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…am
2019年9月29日さわやかウォーキング「戦国武将も行き交った!実りの秋を感じる伊吹山麓めぐり」に参加しています。近江長岡駅~西山八幡神社~グリーンパーク山東~と巡ってきました、この先は観音寺を目指します。あたり一面に蕎麦の花が咲いてます。ここは、日本そば発祥の地「伊吹」なんですよ。滋賀県東近江の伊吹山麓で始まった日本のそばの栽培は、木曽や甲斐、そして現在の名産地とされる信濃にまで伝わりました。その後、東北の山地を越え、明治や大正の時代には、北海道もそばの主な産地とな
こんにちは!muuです(自己紹介はこちら)今回は日替わり内室の権勢110万到達に挑戦です。コインカムのタイムセールで1400円になっていたのでやろうか悩んで攻略を検索したりしたのですが前まで権勢50万到達の案件だったらしく、110万までの目安は見つからず…(ちなみに権勢50万までは3日くらいで到達できるそうです)コインカムの案件ページの条件達成目安が1週間程だったので、そこまで難しくないかな?と思いチャレンジです。それではプレイ記録と攻略です!↓⿻初日(11/25)→権
茶道の指導者だった亡き義母の一番弟子だったT先生。4月21日(日)、妙心寺の塔頭の一つ、壽聖院でお茶会が開かれ、主人と私はお招きいただきました。満開の八重桜と🌸厄除地蔵さまがお迎えしてくださいます朝、家を出発して京都に入り妙心寺に着いて、ご案内時間の頃には、しっとりと霧雨の日になりました。壽聖院が見えてくるずっと手前からまるで、打ち水がされているかのように導かれ、ワクワクしながらも、気持ちが引き締まりました。受付を済ませ、待合から見
裕福な城マニアの中には自分で近世風城を建ててしまう者がいるが、居宅としてではなく、地域観光の施設として建設し、一般に開放している方には敬意を払いたい。滋賀県彦根市と愛媛県西予市には、天守閣だけではなく、様々な付随施設を個人が建設した大規模施設が存在する。彦根のものは天守閣については着工から15~16年後に竣工したものの、その他の施設については現在も建設が続けられており、「日本のサクラダファミリア」とも呼ばれている。西予市の方も天守閣が15年かけて完成し、その他の施設群全てが完成したの
【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ石田三成続編CV.森田成一★が幸福度+5ハズレは+1✳︎好福度はマイページ中央(殿)タップで確認できます✳︎恋の試練(姫度、アバター試練)の次話1/5読了で姫友上限枠+1《1話前半》覆面の男①反論する②謝る★《1話後半》①知らないと言う★②少し考える《2話前半》死に損ない①大切なもの?★②面白いもの?《2話後半》①事情を尋ねる★②難しく考え
毎月読んでる雑誌ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう雑誌も最近読んでません今回は前の続きのバスボールです『バスボム』愛妻家の有名人といえば誰?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう唐沢寿明さん、最近ラインニュースでみましたヒロミさんも凄く愛妻家ですよね❣…ameblo.jpこのバスボール、少しずつ買ってたんですちなみに内容はコレ👇で、、、この間、子供達とお風呂に入った時に、このバスボムを二つあけたんです❣️そしたら、二つ同じのんで、
毛利輝元というと「名前は登場するけどいまいちどんな人間か分からない」という歴史上の「脇役」のような存在感である。関ヶ原関連の書籍やあるいはドラマなどの創作でも登場するが、大抵はモブキャラであり、殆どの人間からは軽視される存在であろう。「石田三成らに担ぎ上げられた挙句、領地を削られた凡庸な戦国大名」というのが大抵の人間の認識であろうか。しかし私は全く異なる。私などからすれば、当時も現代も多くの人が抱いているこのイメージこそ、このおぞましい妖怪じみた人間が仕掛けた巧妙な迷彩であり、この男が成し遂げた
この島左近が、『石田じぶのしょうが家臣島左近、この首とって手柄にせい』っていうことろがめっちゃ感動です。天地人のNo.10の最後の回が関ヶ原なのでぜひその回とその次の11は見所満載です。石田三成の最期が凄すぎるので、是非是非
ゲームジャーナル別冊8号のウォーゲーム「激闘関ヶ原」のシナリオ5「田辺城包囲軍」、シナリオ6「猛将立花宗茂」を一本化し鍋島隊を追加配置した創作シナリオをソロプレイしました。7ターン(10:00)東軍移動フェイズ:参戦判定:鍋島は東軍参戦。長曽我部は追い詰められた。島津は中立。黒田は小野木、石田に対応。井伊古川生駒は黒田の後詰。細川は石田に対応。加藤は小西に対応。筒井は小西宇喜多に対応。田中、松平を南へ。徳川、福島は宇喜多に対応。京極、赤座諸隊は大谷平塚戸田に対応。藤堂、寺沢は京極の後詰。小早
滋賀県彦根の袋町遊郭跡を歩きます。ほっそい路地、誰もいないのはこんな真っ昼間にスナック街を歩く、もの珍しいヤツなんていないからです、よね?むしろこの時間にうろちょろしているのを見られたら、怪しまれそうなぐらい。時々、なんのために撮り歩いているんだろうって自分に問いたくなる時もあります。向こうに階段が見えますね。袋町は花しょうぶ商店街と芹川の間に挟まれた土地にあります。これが芹川で、右手にみえている町並みが袋町です。芹川の堤防より袋町を見ます。M
昨日に引き続き、古墳残土説(古墳は平野部にしかなく、開墾によって生じた残土を盛ったのが古墳という説)の元凶となった方の文章を見ていきましょう〈N氏の文章より〉豪族たちが自分の墓を作るために民衆を使役して盛土したのではなくて、その豪族さんを中心に、みんなで努力して新田を開墾し、結果として残土処理のための小高い丘(盛土)ができたから、そこにあとから中心者となってくれた豪族さんをお祀りしたのです。そこにあるのは、「あの人のおかげで、こうして広い土地ができ、田んぼができ、お米がたくさんとれ
ココロが【興福寺】を出発し………車で北へ約10分ほどで到着したのは………【三笠霊苑(みかされいえん)】奈良県奈良市川上町623番地ここに、島左近の墓があるという【三笠霊苑】は、春日山原始林をはじめとし、東大寺・正倉院など世界遺産に登録されている「古都奈良の文化財」の傍に位置している。世界遺産に囲まれた霊苑は、全国的に見ても極めて稀少であり、市街地とは思えないほど自然に囲まれて歴史と静寂さを感じる場所である。総面積約30.000平米総区画数3.300区画広