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大河ドラマ『豊臣兄弟!』に合わせて開催中の「北近江豊臣博覧会」の無料デーを利用して、秀吉の「黄金の茶室」を見に行きました。「黄金の茶室」は、秀吉が関白に就任した翌年、正親町天皇に自ら茶を献じたといい、茶室は組立式で京都御所・北野天満宮・名護屋城に運んで茶会を催したといいます。「大通寺」の境内にある『豊臣兄弟!北近江長浜大河ドラマ館』には大河ドラマ「豊臣兄弟!」の人気もあって大勢の観光客の方が訪れられています。大河ドラマで秀吉をやると長浜市を訪れる観光客が増えて街が賑わいますが、い
3月27日金曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物細川藤孝(亀田佳朗)細川藤孝(ほそかわふじたか)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、歌人。細川幽斎(ほそかわゆうさい)、長岡藤孝(ながおかふじたか)、長岡幽斎(ながおかゆうさい)としても知られる。天文3年(1534年)4月22日、三淵晴員の次男として、京都東山にて誕生。のちに、晴員と共に12代将軍・足利義晴の近臣であった細川晴広の養子となる。天文15年(1546年)、
「豊臣兄弟!」の今週のタイトルが「軍事官兵衛!」でした。小寺官兵衛が、有岡城の土牢に監禁されて、出てきたところで晴れて黒田官兵衛に改名した、って話でしたけど。もともと10年ちょっと前の大河ドラマ(岡田准一主演)のタイトルを持ってきたわけですが日曜日にドラマ観て、月曜日に映画「黒牢城」観て、土曜日にまた再放送でドラマ観て。あー、荒木村重も随分違ったけど。黒田官兵衛も、あっちとこっちで随分違うな、菅田将暉って凄いなあ、とか思ってます。そういえば、昔の「軍師官兵衛」では、官兵衛と石田三成(田中
「もし関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍が勝利したら、どうなっていただろうか?」歴史にたらればやもしは禁物だ、という人もいますが。たらればや、もしがいけないなのではありません。「もし、石田三成が勝ったら」というならば、現実世界では何故石田三成は勝てなかったのか、その原因は何か、を分析することからしか始まりません。それ無しに「もし、は、もしだよ」とか言っても、それは単なるオアソビで、歴史語りとしては意味がないのですよ。もし関ヶ原で、互角の兵力同士がぶつかって、ほんのちょっとした時の運
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
豊臣秀頼の実父ではないか、と当時から噂されていたのは、大野治長です。淀殿の乳母「大蔵卿局」の息子、つまり乳兄妹です。淀殿の側近くに近侍していたことから、密通の噂は秀頼出生直後からありました。資料的根拠というなら、毛利家臣内藤隆春の書状、興福寺の僧の「多聞院日記」、朝鮮軍人の捕虜・姜沆(きょうこう)の日記「看羊録」といった文書に書かれています。もちろん、どれも噂話をそのまま書いたレベルで、真実である根拠にはなりませんが。当時結構広まっていた話であるとは言えます。もちろん、皆んなが言ってるか