ブログ記事5,625件
続きですせっかくパンフレット頂いていたのにいつもながら予習無しの(オイ)詰めが甘過ぎる私色々スケジュール把握してませんでしたが思わぬラッキーな事も❶トークショーもパフォーマンスもかなり後方の位置から前の方々の隙間から覗いていましたが(写真🤳ボケボケでスイマセン)皆さん次々と捌けられてよく分からないまま前へ前へ進んでいつの間にか二列目位にそのタイミングで急にザワメキがなーんと!真正面から石田三成に扮した山本耕史さんが現れましたー知
関ヶ原祭に行ってきました。朝くらい家で食べてこいよ!からのいつものモーニングです。岐阜県関ケ原町G-GDINERモーニングの組み合わせが多すぎる……とんかつが選んだのが目玉焼きと(ベーコンの下にある)フルーツのBセット私は飲み物代のみのセットゆで卵に茶碗蒸し卵にたまご真ん中にあるのはハチミツです。関ヶ原祭会場に到着めっちゃいい天気でした。イベントは10時からですが近くの駐車場が早く埋まるので9時過ぎに着きました。まだいろいろ準備中でしたがパンマルシェが人気
今日の東京は曇り空……ちょっぴり、寒いです。昨日までは、10月だというのに季節外れに暑いなあ……と思っていたのですが、やっぱり確実に冬に向かっているのですね。毎日、時間に追われながらも、少しでも使える時間を無駄にしないように、電車で移動する時には必ず本を持ち歩いています。今、夢中になっているのは、インドの聖者であるラマナ・マハラジや、ニサルガダッタ・マハラジの対話形式の本です。フォーチュンソフトの天野雲海先生が教えてくださったのですが、読んでいると、本当に
現在の暦で10月21日は慶長五年の役の日なんですね。またまた突然にダーッと色々思い出したのですが…とにかく、まとめられないくらい複雑な内容が絡み合っていて書く事も長くなりそうでしたので…簡潔に書きたいと思います。笑以前のブログ記事にも少し触れていますが、太閤秀吉亡き後しばらくすると急に態度が変わっていった家康。五大老制は最初から無視をしている印象でした。さらに天皇とも今までとは違い関係性が少し疎遠に…。そんな中で高台院様(おね様)が家康とデキテいるかのような振る舞い…。『どう
石田三成という人は、秀吉に大事にされてきた忠義と熱意の塊の様な人。お腹が痛い時は大人しく、体調が良い日は凄くパワフル。最後まで落ち着いて説明しない事が時々あり頭はキレるのに、待てない。優しく、義にあつく、曲がった事が大嫌い。良い意味でも自分の信念を曲げない人でした。(末裔の皆様が、このブログを見ませんように🙏🏻)全ては"熱意"のせいだったと思うのですが…罪を憎んで人を憎まず…私は好きでした。一生懸命に前だけ見ていた彼は、あの時代においても稀有な武士でありブレない姿勢から学ぶ
【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ1~3話共通ルートはこちら石田三成&徳川家康共通ルート【石田三成】★が好感度+5ハズレは+1✳︎好感度はマイページ殿タップで確認できます《4話前半》よく似た妹①迷惑では★②家に帰りたい《4話後半》①気になるから★②なんとなく【恋の試練】必要姫度100《5話前半》惚れたが因果①正直に言わない★②正直に言う《5話後半》①左近くんと散歩を②甘味を食べに★《6話前半》拒絶の理由①三成
【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ石田三成続編CV.森田成一★が幸福度+5ハズレは+1✳︎好福度はマイページ中央(殿)タップで確認できます✳︎恋の試練(姫度、アバター試練)の次話1/5読了で姫友上限枠+1《1話前半》覆面の男①反論する②謝る★《1話後半》①知らないと言う★②少し考える《2話前半》死に損ない①大切なもの?★②面白いもの?《2話後半》①事情を尋ねる★②難しく考え
くく社員旅行で、1泊2日の滋賀、岐阜旅。異動しちゃった子達と、久しぶりに再会出来る、毎年楽しみな行事。更に私の勤める会社は、食事や宿は、めちゃくちゃ良いところを用意してくれるので、期待大!今回1番の目玉!関ヶ原にある、天満さんの、近江牛の鉄板焼きのコース。私、目の前で焼くパフォーマンスのあるステーキなんて初めて!まず始めはパフォーマンスタイム。関ヶ原だからと、、、お城に見立てた大根と、兜型にくり抜いた滋賀名物の赤蒟蒻、ネコポス便での発送です滋賀県奥村佃煮
今年の9月15日にロサンゼルスで開催された第76回プライムタイム・エミー賞で、史上最多の18部門で賞を獲得した『SHOGUN将軍』を見終えたので感想をアップします。このドラマで主演した真田広之は日本人初となる主演男優賞を受賞し、アンナ・サワイは日本人かつアジア系俳優として初めて主演女優賞を獲得しました。このドラマの原作は1975年のジェームズ・クラヴェルの小説「将軍」で、1980年にはあの三船敏郎で「将軍SHŌGUN」としてテレビドラマ化されています。今作は2024年2月に
花の慶次、これにて完結なり。さて久しぶりに京都に帰ってきた慶次、つーわけで新キャラ登場。結城秀康!徳川家康の次男ですな。長男の信康が切腹させられたので徳川家の長子となったわけですが、秀吉への人質に出されたので徳川家の家督は弟である秀忠のものに。さらに秀吉の養子になったものの秀頼が生まれちゃって邪魔になったのでさらに結城家に養子に出されたという可哀想な人物です。徳川と豊臣、どちらの相続権も持っていながら両方取りこぼしたわけですからね…つーわけで父家康から疎まれながら育った秀康。深い言葉です
10/15,16は「関ケ原合戦まつり2016」に出演しておりました…!毎年出演させていただいているお祭りですが、今年は新たな気持ちで挑んだ2日間となりました順番は前後しますが、まずは2日目の山本耕史さんとのトークショー「山本耕史in関ケ原〜笹尾山で三成を語る〜」についてのレポを書きたいと思います…!大河ドラマ「真田丸」で石田三成役を熱演された山本耕史さん!山本さんを一目見たいと、会場には2000人をゆうに超える人が押し寄せました☆なかには早朝から場所取りをされていた方もいたとか
日曜日、関ヶ原へ行ってきました。初めて訪れる地です。お目当ては山本耕史さんのトークイベントと石田三成に扮して武者行列するお姿を拝見です。前日の夜から急な冷え込みで服装とかどうしようと迷いましたがお天気がとても良かったのと早めに帰宅するつもりだったのでいつも通りの服装で参戦です。まずは関ヶ原駅!普段の利用者は少ないんでしょう、券売機が一台しかありません。そして、東西から訪れる人達の精算が追いついていません😅改札から出る人の半分くらいは引っかかってたのでは?私もです
ようやく、自然派四柱推命・中級講座のテキストのブラッシュアップを完成させました(^^;;この勢いで、続けて11月8日(土)開催の入門講座のテキストのブラッシュアップに取り掛かります!!今日のブログも引き続き「関ヶ原の合戦」についてのリメイクブログです。――――――――――――――――――――――――――――よく、関ヶ原の西軍の総大将が石田三成のように、思われることが多いのですが、それは正しくありません。実際に指揮を取ったのが、石田三成だった……というだ
今年もあと1ヶ月を切りました。この時期になると思いますのは、僕のブログが無事今年も1年継続できたということ、今年も無事100冊の読書を達成できそうだ、ということです。2008年の11月後半より開始した当ブログは、これで15年目を迎えることになります。昨年から突然、講談社さんから本が出てただいま人生の絶頂中ですし(笑)、最近僕を知った方などは、もーけとるやんけバンドもやってええ御身分ですなぁ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。それ自体は否定はしませんが、こうなるのに、10年
南光坊天海㊵「左衛門(秀政)、多年の勤功あり、万一跡目たてられずんば、参りて御縁を汚さん」(「直政書状」)急死した秀政の嫡男・秀治はまだ15歳であったため、秀吉は北ノ庄18万石を召し上げようと考えた。これに直政が怒ったのである。次男・直寄を秀吉のもとに遣わし、「秀政は長年の勲功がある。嫡男が跡目を継げなければ、これまでのご縁が汚されてしまう。」と訴えたのである。こうして秀吉は秀治の襲封を認め、直政を堀家執政職としたのであった。慶長3年(1598年)上杉景
小田急線「愛甲石田駅」は、厚木市と伊勢原市の市境に位置しています。駅名は厚木市側の愛甲と伊勢原市側の石田をあわせて名づけられたとか。(↑)「円光院本堂」伊勢原市側に道を取り、坂を下ると古刹「円光院」に辿り着きます。このお寺さんを含む一帯はその昔「石田城」というお城だったとのことで、近辺をぐるり回ってみました。(↑)石田城「想像図」図の最左端に沼地が広がっていますが、それに面するように現在の円光院が存在しています。(↑)「馬洗い場」跡(現在は水神様が祀られています)源平争乱
10月26日♪土曜日♪京都三大祭(葵祭♪祇園祭♪時代祭♪)の最後の1つ♪時代祭♪昨年は、最初だけ御所で♪途中で行列追っかけてアチコチで見物したん♪今年は♪御所(御苑)を出て行く行列が見える堺町御門の真正面♪最前列に陣取って、座って見物♪1時間半前から場所取りして♪キレイな和装女子たち♪名誉奉行の馬車♪騎乗の総奉行♪先頭集団がすぎて…いよいよ時代行列♪ココ♪京都が首都やった時代を順番に、時計の針を逆回転♪明治維新時代から平安京遷都の時代へ…明治維新時代♪維新勤
昨夜からずっと、夜通しで中級講座のテキストのブラッシュアップをしています。テキストを完成して小冊子にしたら、自然派四柱推命の中級講座・上級講座のいずれかに参加してくださった方全員に、無料進呈させていただきますね(^^)さて、今日のブログも、昨日に引き続いて関ヶ原ネタです。――――――――――――――――――――――――――――あの「ぎふ中部未来博」のパビリオン「富士通AIランド関ヶ原の合戦」の中で、関ヶ原の合戦におけるifとされていたものは、次の3つでした。
三成「気を付けて行ってきてくださいね。それでは、私はこれで」にこにこしながら、三成くんが去っていく。政宗「三成のやつは相変わらずだな」「なんだか、ほっとけないよね」政宗「まあ俺は、お前のほうがほっとけないけどな」「どうして?」政宗「わからないから、教えてやる」(え・・・っ)政宗に手を引かれ、すぐそばの木陰へと身を隠された。政宗「そうやってすぐ俺に隙を見せるからだ」「え、・・・んっ」瞳を閉じる間もなく唇を塞がれ、言葉が途切れる。「急にどうしたの・・・っ?」政宗「他の男と話
前週の千田先生に引き続いて、今回は小和田哲男先生の講演が岐阜関ケ原古戦場記念館で行われたので、関ケ原まで出かけてきました。ついでにいくつか武将の陣地跡を巡ってきましたので、今回は関ケ原古戦場をレポートしたいと思います。まず初めに訪ねたのは大谷刑部吉継の陣跡です。大谷吉継は石田三成の盟友として知られていますが、実は徳川家康とも昵懇の間柄でした。慶長5(1600)年6月徳川家康の会津征伐に加わるために領国の敦賀(福井県)を発ちましたが、その途中で三成に挙兵の秘事を打ち明けられます。吉継は再三に
今年も行ってきました『関ヶ原合戦祭り』今年は各陣営で写真を撮る場所がありました西軍『石田三成』『宇喜多秀家』『小早川秀秋』『大谷吉継』『島津義弘』東軍『徳川家康』『黒田長政』『福島正則』今年はこの8隊が出陣どれもちゃんと撮れてないねあちこちに散らばっていて回るのが大変だったのそれに歴史に疎くて誰が誰だかさっぱりよ毎年行ってる割に勉強しないよね途中で雨が降りだし昨年は行った『石田三成陣跡』笹尾山までは行けず今年はメイン会場のみで楽しみました火縄銃
南光坊天海㊷上杉家は勇将・猛将を多く抱えた武門の名家ではあるが、まだ新領地に馴れず、防戦の準備も捗らなかった。そこで、兼続は智謀のある武士数名を越後に遣わし、一揆を扇動したのである。堀家では新領地の検地を行っていたので、検地に対する苦情として、領民に一揆を起こさせた。その目的は堀軍の会津侵攻を遮るためである。慶長5年(1600年)7月24日、家康は小山に着いた。その頃には会津一国は徳川麾下の大名に包囲され、身動きもできぬ様となったのである。8月1日、越後一揆
南光坊天海㊶「このたびの儀は、堀直政の讒言により、家康より仕掛けたるため、ひと合戦と支度をしたり。」(上杉景勝の言葉)慣れぬ新領地で大大名・上杉家に虐められてばかりの堀家であったが、ここから直政の反撃が始まる。直政は上杉家の置かれた状況を把握したのである。慶長4年(1599年)8月7日、景勝は伏見を立ち、9月22日会津に到着した。帰国すると景勝は、すぐに領内の諸城を整備し、旧道を改修し、橋を架け、蘆名氏、蒲生氏の遺臣を集めた。さらに領内から兵糧を徴収し、上方
第九話「紅天」藪重と按針は、石堂に忠誠を誓うつもりで大坂城に到着するが、敵対的な歓迎を受ける。木山は按針を脅し、石堂はすぐに藪重の申し出を断った。鞠子は、幼なじみの落葉の方と10年以上ぶりに再会するが、鞠子が反抗的な態度を取ったため、歓談はすぐに終わる。虎永は鞠子に、虎永の女官たちを江戸まで護送するよう命じていたのだ。それは、石堂らに対する公然の挑戦であった。前話では、吉井虎永(真田)の腹心にして親友の戸田広松(西岡徳馬)があろうことか切腹するという大事件が起きてしまった。大坂の石堂和成
関ヶ原行ってきました。いいお天気!お祭りやっていたからです。今年は山本耕史くんのトークイベントがある!とんかつに関ヶ原祭に「山本耕史」が来る。と言ったらわざわざ広島から来るんか!はい、はいこっちね広島の山本浩二こんなボケをひろうのは私くらいのものです。山本耕史くんは真田丸で石田三成を演じてそれ以後関ヶ原の観光大使をされています。でも私は土方歳三役が好き♪ラッセンが好き!家に着いたら天使が投了していました。佐々木八段おめでとうございます。次は京都仁和寺で
毛利輝元というと「名前は登場するけどいまいちどんな人間か分からない」という歴史上の「脇役」のような存在感である。関ヶ原関連の書籍やあるいはドラマなどの創作でも登場するが、大抵はモブキャラであり、殆どの人間からは軽視される存在であろう。「石田三成らに担ぎ上げられた挙句、領地を削られた凡庸な戦国大名」というのが大抵の人間の認識であろうか。しかし私は全く異なる。私などからすれば、当時も現代も多くの人が抱いているこのイメージこそ、このおぞましい妖怪じみた人間が仕掛けた巧妙な迷彩であり、この男が成し遂げた
毛利輝元が起請文を書いた当時、徳川家康派と奉行派で抗争の火種が燻っていました。この起請文がどのように作成されたかは不明ですが、輝元本人の了承なく石田三成が勝手に加筆修正しないだろうという前提に立つと、その内容は、「四人の奉行衆の意見に逆らう者がいたら、それが大老の誰であろうと容赦はしない」と読み取れます。しかも、名指しこそしていませんが、大老の一人である家康が奉行に異を唱えることを想定し、そういう場合に輝元は四人衆側につくと宣言した形になっています。ちなみに、輝元も大老
大垣を捨て置き葵天下へと進みて治部は捨て追い消えし※家康を迎え撃つべく大垣城に入った治部(石田三成)。城攻めを得意としない家康は、治部を誘い出すべく、大垣城を捨て置き西(関ヶ原つまり天下)へ進む。一方、治部は島津達の意見を聞かず大垣城を捨て、家康を追い西へと進み、関ヶ原で消え行った。出世城長浜もらいサル天下一豊さまは太守になりし※信長より長浜をもらったサル(秀吉)は天下人となり、秀吉より
遂に逃げ若のアニメキービジュアルが公開!!それと共に主要キャスト全員の声が公開されました。それぞれの第一声を聞いた時の印象。TVアニメ『逃げ上手の若君』第1弾PV#逃げ上手の若君#CloverWorks#逃げ若「勝つまで逃げよ」幼き少年少女たちが挑むのは――天下を取り戻す鬼ごっこ!TVアニメ『逃げ上手の若君』2024年放送!◆スタッフ原作:#松井優征(集英社「週刊少年ジャンプ」連載)監督:山﨑雄太シリーズ構成:冨田頼子キャラクターデザイン・総作画監督:...www.yo
友人と、関ヶ原サイクリングに行ってきました。最近気分が沈みがちだったので、友人たちとお出かけに行けたのは楽しくて嬉しかった。https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/tour/岐阜関ケ原古戦場記念館レンタサイクルで古戦場巡りをするなら岐阜関ケ原古戦場記念館へ。関ケ原合戦には東西両軍のどの武将も主役となりうる人間ドラマが存在します。石田三成や徳川家康、大谷吉継に思いを馳せながら、関ケ原古戦場を巡ってみませんか?史跡ガイドのお申し込みもこちらからどうぞ。sekiga