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「豊臣兄弟!」の今週のタイトルが「軍事官兵衛!」でした。小寺官兵衛が、有岡城の土牢に監禁されて、出てきたところで晴れて黒田官兵衛に改名した、って話でしたけど。もともと10年ちょっと前の大河ドラマ(岡田准一主演)のタイトルを持ってきたわけですが日曜日にドラマ観て、月曜日に映画「黒牢城」観て、土曜日にまた再放送でドラマ観て。あー、荒木村重も随分違ったけど。黒田官兵衛も、あっちとこっちで随分違うな、菅田将暉って凄いなあ、とか思ってます。そういえば、昔の「軍師官兵衛」では、官兵衛と石田三成(田中
石田三成パフェランチに訪問♪『伊吹庵』この日は愛知と岐阜へ史跡巡りの日帰り旅♪ランチは岐阜関ヶ原古戦場記念館に隣接する、「伊吹庵」さんで頂き、食後のスイーツを頂きます♪ランチの「戦略武将カレー」を頂いた記事はこちらをご覧ください。(記事はこちら→)スイーツはランチ提供場所の後方の専用のカウンターで販売が行われています。メニューはこちら。カヌレ、パフェなど戦国武将にちなんだスイーツがずらり!商品にちなんだ一言が素敵すぎてテンション上がりまくり!
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
「関ヶ原の戦い」のとき、大坂城の秀頼は、というより現実に秀頼の行動を決めていた淀殿は、本当に石田三成の西軍を後押ししていたのか?そんなのあたりまえじゃないか?いえいえ、意外と、そうではない、という説もあるんですって。石田三成が蜂起して大坂城を占拠すると、淀殿は徳川家康に「石田、大谷が叛乱を起こした、上方に戻って鎮圧するように」と書簡を送っているんです。これを根拠に、「淀殿は実は東軍(徳川)寄りだった」と言う人も、世の中にはいます。つまり、司馬遼太郎の「関ヶ原」をはじめとする、東軍=徳川方
関ヶ原合戦祭2025(10/11)年に1度のお祭り岐阜関ヶ原の年に1度の祭行ってきました。関ヶ原の戦いは慶長5年9月15日(1600年10月21日)徳川家康率いる東軍と、石田三成が率いる西軍が激突したあまりにも有名な天下分け目の決戦。関ヶ原駅前のお土産屋さんレンタルサイクルやロッカーもあり前回は電動自転車で各陣を回ったのですが、今回はお祭りメインなので、徒歩で425年前も雨上がりの霧が出ていたのだとか出店もたくさんあって楽しい♪刀鍛冶の実演など迫力あり焼きそばに五平
5月11日に告知した、滋賀県における新たなエリア限定めぐりに関して、本日はその内容を詳しくお伝えします!!第三十五弾は、“豊臣家臣団ゆかりの地”をテーマとしてスタンプラリースポットが選定されています。秀吉、そして秀長に仕えた武将たちに関連のある史跡がメインです。それではさっそく見てみましょう。スタンプラリースポット一覧★印が付いたスポットは、GPS+QRコードで“制覇”となります。長浜城★秀吉が北近江を与えられた後、地名を今浜から長浜に改めて築城。石田三