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12月15日(日)曇8℃滋賀県旅行2から続き『滋賀県旅行2』12月14日(土)滋賀県旅行からの続き『滋賀県旅行』12月15日(土)曇時々雨かみさんと滋賀県に旅行に行ってきました。今回は新幹線で。新横浜で定番のしゅ…ameblo.jp朝起きたら腰痛の痛みはほとんど消えていたが、再発の可能性大なので、彦根の後、長浜に行く予定を変更。今日は彦根観光のみにする。チェックアウトの時間ギリギリまでホテルでゆっくりして、常宿の東横インを後にし、彦根駅に向かう。ウォーキングを
この関ヶ原の戦には、宗義智、義成親子も小西行長の要請を受けて参戦していました。しかし、豊の情報と綿屋甚五郎からの神屋宗湛情報が豊富にもたらされてきていました。それで、義父の手前、西軍についていましたが、本気で戦をするつもりはありませんでした。しかし、小西行長から促されて、義智は仕方なく、家来の柳川調信を毛利元康の軍勢に参戦させたのでした。大津城攻めでした。そして関ヶ原の戦には参加していなかったが、西軍の後方にいて、情報による様子見をしていました。小西行長からの要請を受けてはいたのでし
三笠霊園、安倍晋三元総理留魂碑から坂を登って行き。島左近のお墓に到着。もともと生駒山ろくの大和国平群あたりの領主で、"天下分け目の山崎合戦"では『洞ヶ峠を決め込んだ』筒井順慶を支える武将だった島左近。のちには四万石の石田三成に『君臣禄を分かつ』破格の待遇で迎えられ、『三成に過ぎたるものがふたつあり、島の左近と佐和山の城』と言わしめた。”天下分け目の関ヶ原合戦"では徳川方から『誠に身の毛も立ちて汗の出るなり』と言われ、有利に戦いを進めたが、小早川秀秋の裏切りから西軍は総崩れとなり、乱戦の中、
ザ•テスタロイヤルさん、今晩は、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。行田で在りますか、古代蓮で有名で在りますよね❗『行田にはタワーも、忍城も在りましたね。忍城は、石田三成が水攻めをしても落城せず失敗するので在りますよね!?三成は計算は得意だか、戦は下手で在りましたそうな、』以前に、何度かお邪魔した事が在りますよ❗️国道17号中山道行田から国道122号騎西へ抜ける広域農道の騎西農協サイロの隣の農協直販、農協食堂で在りますか、何
東軍の小山評定の後、、真田昌行だけは、東軍から離脱して、自国に戻りました。真田幸昌ここで家康は上杉家の討伐を諦めて、西軍と戦う為の足場堅めをしました。東側の大名で自分に敵対する上杉家を最上家と伊達家で攻撃させて、家康を背後から攻撃を出来ないように封じ、後、一つの敵対大名、佐竹家を自分の息子で武勇が評判だった結城秀康に押さえを命じて、西軍討伐に向かいました。一方、東軍の先鋒として福島正則軍が進撃を開始して、海沿いの東海道を通り、江戸から三河、尾張に一気に進軍してその周囲を押さえて
紀州九度山からおはようございますやった〜〜〜クリスマスプレゼントに間に合った〜ぱぱさん、頑張りました石田三成公の乱髪天衝脇立兜は、10月の関ヶ原合戦まつりに出店したときに脛当と一緒に手渡せたのですが、残りの袖、胴、籠手、佩楯をせっせと作っていました。これまでも、手づくり兜や具足一式を作ってきましたが、側で見ている方としては手間暇かかるわ、大変そうだけど、作っている本人は楽しいようですこちらの乱髪天衝脇立兜は、来週柳川に発送します乱髪天衝脇立兜
その頃、宗義成は大阪の宗家大阪屋敷に滞在していました。そして、公家の曰野質勝の娘、玉を嫁に貰い、とても良縁に恵まれて、高貴な生活をしていましたが、次第に徳川対豊臣の争いごとの影響が受けようとしていたのでした。慶長5年(Ⅰ600年)正月、徳川家康は各地の大名に年賀の挨拶を求めました。ところが、この挨拶を上杉家だけが断り、そのことを伝える使者の家臣を上杉に謀反した疑いで処罰しようとしました。しかし、その家臣は上杉家から出奔して、家康に上杉景勝に謀反の気配があると報告しました。もともと、この
2021年7月下旬の関ヶ原散策の続き。「黒田長政陣跡」「竹中重門陣跡」でもある「岡山烽火場」から「関ケ原の戦い決戦地」と見学した後は、「石田三成陣跡」である「笹尾山」に向かいました。「徳川家康最後陣跡」である「陣場野公園」を見学し、「細川忠興陣跡」を見学した後は、「黒田長政陣跡」「竹中重門陣跡」である「岡山烽火場」に向かいました。黒田長政・竹中重門陣跡・岡山烽火場・関ケ原の戦い決戦地のレポ『黒田長政陣跡・竹中重門陣跡・岡山烽火場と、関ケ原の戦い決戦地と~岐阜県不破郡
「では残るは豊だけですね!そなたは誰か想い女は居らぬのか?」「はい、私はまだやらねばならぬ使命がございまして、ゆっくり腰を落ち着ける暇がございません。」「使命とは?」「はい、孫次郎様からの御下命で、甲賀の里に行って、甲賀の組の立て直しを手助けせねばなりません。」「甲賀の里とは何処じゃ?」「はい、滋賀の甲賀村にございます。」「それは遠いのう!」「そうか、豊、そなたの想い女は甲賀の娘では無いのか?」と義成が思い出して言った。「ハハハ、若殿、ご存知でしたか!実は孫次郎様からそのこ
関ケ原合戦祭りへやって来ました🎶初参戦です⚔️とりあえず笹尾山へむかうと、コスモス畑がっ🌸✨コスモス畑コスモスと決戦地笹尾山では鉄砲隊の演武が⚔️鉄砲隊演武っ!!!大迫力っ!!!音が凄いっ!!(´⊙ω⊙`)火薬の匂いもすごいっ!色々な戦法での撃ち方を披露!!火薬をつめたり、なかなか大変そう…。これ、戦の時に冷静にできるものなのかな(((;꒪ꈊ꒪;))):戦場跡地での演武とは、、やっぱり色んな想いが押し寄せますね🥺そして、古戦場おもてなし武将隊関ヶ原組の演武🎶
ふんわり歴史好きというだけで、今まで深掘りをして来なかったけれど。関ケ原へ行ってから歴史の沼にハマってしまいそうだ。これまでの私は、◯◯の戦いはこっちが勝った。という結果の史実のみを受け入れて、あまり深くは考えて来なかった。当然ながら敗者側にも信念があるわけで、それを考えると胸が熱くなる。そんなことを思わせてくれたのが関ケ原だった。西軍の石田三成といえば、私の浅い知識だと。頭が良くて、政治向き。戦下手。真面目で頭がカタイ。人情味がなく嫌われ者。などなど。真実はわか
自分の好きなところは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう好き。。。とかは思いませんがいい意味でポジティブそしていい意味でネガティブですポジティブで助かった事もありますしネガティブ発動して、危険を回避できた事もあります✨自分でも嫌なとこはいっぱいありますが性格は、長く付き合う自分の身体についているものなのでw上手にお付き合いしていきたいと思います╭(・ㅂ・)و̑̑さて最近のいただきもの⸜(。˃ᵕ˂)⸝静岡の親戚から、毎年恒例のみかんが来まし
とうとう今週の日曜日に毎週楽しみにしていた「光る君へ」が最終回を迎えます。平安時代というあまり今まで取り上げられることの少ない時代を、しかも紫式部と時の権力者藤原道長との秘めた恋をフィクションを交えながら、先が読めそうで読めない絶妙の脚本で展開された大石静さんの実力に改めて唸りました。本当に面白かったです。まひろと道長の関係を軸に、2人のそれぞれの家族や背景をうまく取り入れて、平安時代について、さまざまな考察が出来ました。また音楽が本当に美しくてドラマチックで素敵でしたね💓「この世をば
みなさんこんにちは。寒くなりましたねー。来週はさらに寒くなるようです。そうなるとタイヤ交換が必要に・・・。前は自分でやっていましたが最近はお願いしております。考えることはみんな一緒で昨日はかなり混んでおりました。我が家の娘たちもだいぶ大きくなって無条件でお出かけについてくる年齢ではなくなっております。最近はほぼついてきてくれない・・・。ずっと家にいるのもつまらんなーと思っていたところ奥さんから提案があって行ってきました。関ヶ原町にある「岐阜関ケ原古戦場記念館」で
15日(日)の武将サミットにみえる方でいらっしゃるかな?
五葉のまつりAmazon(アマゾン)「誰も我らを気に掛けぬ」人は桜の花は見るが、葉は見ようともしない。豊臣五奉行の仕事、命がけの仕事を、描いた作品です。各章ごとにメインとなる奉行はいるように思いますが、難題に5人全員で当たっていきます。・増田長盛北野大茶会・浅野長政刀狩り・長束正家太閤検地・前田玄以大瓜畑遊び・石田三成醍醐の花見いやぁ、目まぐるしい算段、気配りや配慮、根回し、公平性、、、。これらを踏まえた準備と変更時の対応力。うまくいって当たり
「偉人・敗北からの教訓」の再放送を見ました。石田三成はなぜ関ヶ原で敗北し処刑されたのかを分析してました。自分も勝手に想像を巡らしていたので、番組内容と想像がごっちゃになったものをお出しします。関ヶ原の戦いでは、当初兵数では勝っていた。まず関ヶ原の戦いの敗因を列挙します。・大垣城の戦いで徳川本陣へ夜襲をしなかった。・総大将に裏切られた。(総大将・毛利輝元)・島津が動かない。(恐らく九州に東軍がいて兵数多く連れてこれなかったから)・盟友の大谷吉継も敦賀5万石程度。・豊臣恩顧かな
全ては、この一枚の写真から始まった。義の三将に会いたい!いしだみつにゃんおおたににゃんぶしまさこにゃん*1年前、兄妹から送られた画像1年前から計画した近江の旅。ご当地キャラ博2024彦根長浜で石田三成ゆかりの地巡りいざ近江國湖北へ出陣じゃ✊↓『JR東海&16私鉄乗り鉄⭐たびきっぷ①いざ!出陣じゃ!』10月19・20日と、1年前から計画していた場所に行って来ました😄✌️今回初めて使用した切符は、JR東海&16私鉄乗り鉄⭐たびきっぷJR東海&16私鉄乗り…ameblo.
11月30日(土)官兵衛ゆかりの地めぐり龍光院正門前で参加した27名の集合写真を撮って頂き、バスに戻る過程で大徳寺周辺を駆け足でめぐりました。龍光院正門前のカフェこういうところで一服するのもいいね玉林院山中鹿之助の菩提寺だそうです。境内には、大徳寺こども園が開かれているようです。通常は公開されていない寺院、幸せな子たち羨ましいねぇ!高桐院参道は新緑、紅葉の名所ですって!でも、ここも拝観謝絶の寺総見院
滋賀県を経ち再び岐阜県まで。前々回の彦根城は修学旅行生とカチ当たってしまった・天守に足場が組まれていたのでリベンジしたい。前回の佐和山城はやはり城山を登ってリベンジしたい。今回はですね…2019年の旅行時に立ち寄る予定だったが時間が押してしまい(当時は詰め込み過ぎ超過密スケジュールだったw)『東海道から東山道の旅路其の弐拾参-犬山城・望楼から城郭そして城下-』はじめに言っておこう。私は高所恐怖症である。空き待ち長蛇の列がようやく進んで最上階・望楼へ。流れのままに廻縁を一周します。
今村翔吾さんのトークショーに行ってきました。いろいろお話を聞いて、「五葉のまつり」にサイン🖋️をいただきました❗写真を撮ってもいいのかどうかわからなくってサインもらった後にスタッフの方に聞いたらOKとのことでは、違う方にサインしているところをパシャっとお話上手な方で笑いも入れながら、石田三成への愛やこれからの夢などすごーい‼️なるほど❗などなど楽しいひととき私が今村翔吾さんに興味を持ったのは「塞王の楯」上下巻の大作始めはなかなか読み進まなくって後半に入ってから
滋賀県・彦根市かなり、見晴らしが良いお城です。山城址の散策はほぼ登山?と思った圭那です。と言うことで・・・佐和山城の歴史は、鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ、建久年間(1190-1198年)の文書にその名が有るそうです。佐和山城ふもとにある龍潭寺から登ります。龍潭寺の敷地を通って、佐和山城の登山口を進んで行きます!途中までは、まあまあの通路ですが途中からそれなりに険しくなります。
私が所属する表千家同門会滋賀県支部が主催する茶の湯文化にふれる市民講座「香りに学ぶ光る君が語るもの」に出席してきました。会場は石田三成の居城・佐和山城麓の井伊家菩提寺・清涼寺。私の母は御家流香道を嗜んでおりましたので、私にとって香道とは身近に育ってきましたが、当然ながら茶道でもお香は焚きます。今回は平安時代から継承される薫物合という、かつての貴族らが様々な香木を調合して自ら配合した薫物について、京都の香老舗「松栄堂」のご主人・畑正高様の講話により更に詳しく知る事ができ、大変勉強になりまし
いよいよ『石田三成陣跡』に向かいます。国道156号を跨ぐ歩道橋をわたると、その奥には、今正に戦が始まらんとする光景が目に浮かぶ様な風景が飛び込んできました。あれから400年という年月が流れて来たと言うのに、この場所は当時の緊張感を今も尚、見る者に伝えています。荒野を吹き抜ける風は、現在の日本人には知り得ない大戦の物々しさを、悲しく物語っているように感じます。『島左近陣跡』西軍ただただ広い荒野の片隅に、一際目立つ砦がありました。『島左近』の陣跡です。
今日も滋賀県長浜市。それに、彦根にも行きました。彦根城:ひこにゃん:多賀大社:テレビ番組「ごりやくさん」に出ていたので紅葉していました。長浜もいろいろ行きました。石田三成出生地:長浜鉄道スクエア:旧長浜駅舎(現存する日本最古の鉄道駅舎)慶雲館:長浜の豪商・浅見又蔵氏が、明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した長浜の迎賓館。伊藤博文が命名。明治天皇皇后両陛下の御在所犬養毅書長浜でのんびりして
さて、昨日『【信長の野望20XX噺】リニューアル5周年記念☆5武将スカウト(1)』星5確定か……悩むなぁ。先ずは星5呪術師尼子経久さん&星5覇道者尼子晴久さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】剛柔虚実の慧(2024.06.03訂正)』(20…ameblo.jpの続き。本日最初は星5覇道者上杉謙信さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】飛竜乗雲(1)』『飛竜乗雲』ってどこかで聞いたことがあると思ったら、酒の名前だった。……そもそも四字熟語か。まあ、良い。吟味していこう。タグ付けの関係と
11月6日にNHKで放送された歴史探偵。この放送日は、関ヶ原の戦いで敗れ捕縛され処刑された石田三成の命日。慶長5年(1600年)9月15日、美濃國関ヶ原で東西両軍合わせ16万人の軍勢が激突。関ヶ原から逃走した西軍三人の大名たち。気になるよね逃走ルート。東西両軍の陣地。石田三成の逃走ルート。石田三成が陣を置いた笹尾山。笹尾山に陣を置く石田三成。東軍の陣が見渡せる立地。味方の西軍の陣も見渡せる。真横に白い線が見えるのが東海道新幹線、画面中央右の白い建物は関ヶ原古戦場記念館。*
期間:2024/11/27〜12/04※☆5確定スペシャル紹介状が必要呪)尼子経久:十一州の太守射)尼子晴久:血気に逸る勇射)松永久秀:忠奸無道の乱覇)毛利元就:中国地方の覇者武)陶晴賢:西国一の侍大将武)森長可:白衣夜叉の臨覇)上杉謙信:陷陣の軍神覇)本多忠勝:東国無双呪)立花道雪:雷神斬りの勇覇)石田三成:主従三世の縁©コーエーテクモゲームス
お客さんとのお供で、京都市北区鷹峯(たかがみね)にある紅葉の名所「源光庵(げんこうあん)」へ来ました。駐車場へ入っていきなり👀に飛び込んできた真っ赤。釣鐘と紅葉🍁ここまで真っ赤になるもみじの目的は何でしょう…背の低い楓🍁山門の向こうに見える薄い赤🍁源光庵の天井は「血天井」と呼ばれ、血痕が付着しているそうです。この天井材は、元々「伏見城」の床板に使われていたもので、慶長5年(1600年)の伏見城の戦いで徳川軍の鳥居元忠(大河ドラマ『どうする家康』では個性派俳優『音尾琢真』が演じた)ら
『関ヶ原の戦い』が起こった現場は、400年以上経った今も尚、その静寂を保っている様です。周りには民家も少なく、畑はあるもののそのほとんどが当時を思わせる様に、一面に草が生い茂っています。さながら荒野と言った感じですね😊『開戦地』1600年9月15日早朝。前日からの雨が止み霧が立ち込める静かな荒野に、緊張が走ります。霧が晴れ始めた午前8時ごろ、東軍の『松平忠吉』と『井伊直政』が先陣を切って、西軍の『宇喜多隊』に発砲‼️これを機に、『天下分け目の大戦』の幕が