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父の影響もあって若い頃から西洋かぶれのところがあるのですが最近はBTSにハマったり京都にハマったりやはり日本人の、アジア人の血は流れているようでたま〜〜に読みたくなる歴史本。今月の本はこれにしました。「未だ本能寺にあり」新聞連載小説だったらしいので多くの方に既に読まれているのかな。日本の歴史に疎い私でもさすがに織田信長や本能寺の変は知っています。西洋人が一番興味を持つ日本の歴史上の人物は織田信長でそれは慣習に縛られずに日本のシステムを変えようと
八月の暑い盛り~グランフロント大阪初めての『大阪お城フェス2026』初陣じゃ~お城も武将も全然詳しくない、ど素人でござる~(大河ドラマ見ての勝手なイメージ)本田忠勝めっちゃ強い武将豊臣秀吉野性味溢れる石田三成頭よく知的織田信長不気味で怖い真田幸村温厚で真面目かっこいいけど、派手な武装って目立ってなんぼの世界だったの沢山の武将や戦い、なかなか覚えられへん私の頭の中の武将は、大河ドラマの人~本物のひこにゃん登場世界遺産、ガンバ~
夕刻に近づき迷ったのだが、せっかく近くまで来たのだからと、金山城に立ち寄ることにした。もう誰もいないだろうと思ったが、駐車場には数台、車があった。太田の市街地を眺めていると、女性の二人連れがやって来た。暗くなる前に本丸にたどり着こうと先を急ぐ。金山城は、1469年新田一族の岩松氏によって築かれ、下剋上で由良氏の時代に全盛期を迎えた。上杉謙信や武田勝頼らから10回以上攻撃を受けたが落城することはなかった。1934年に国の史跡に指定された。忍城を小田原攻めの豊臣軍から守り切った
ぶたの歴史劇場ChatGPTに作成してもらった架空のぶたさん版歴史画像の紹介ですAI画像で歴史を楽しんじゃうぶたの歴史劇場!本日ChatGPTに作ってもらったのは、ぶたさん版関ヶ原の戦いです。関ヶ原の戦い(AI作成)わーお(´Д`)。画面一面に武将ぶた(´Д`)。もふもふしながら戦ってます。なんか石田三成軍と徳川家康軍しかいないけどまあいいか(´Д`)。両軍の一騎打ちみたいになっちゃってますね。そして石田三成軍優勢に見える不思議。関ヶ原の戦い、実際は宇喜多とか島津と
小谷城址ここが入口かなもう少し車で登れるらしい小谷城戦国歴史資料館ボランティアの方の詳しい説明が聞けた明日、小谷城戦国まつりがあるそうだ中川さんが作ったお城中川さんって聞いたけど、誰か分からない(^_^;)ステージ作りが大変だったそうだ滋賀県大原観音寺泉神社御神水ここにお礼の三百円賽銭御神水拝受所映っているのは私じゃ無い冷たいお水お茶がおいしい😋拝受所から長い階段で本殿までお詣り先日から気になっていた日本蕎麦発祥地伊吹野食いしんぼれっとんとんさんが、2
"関ケ原合戦決戦前夜大垣城"を10月18日(日)に大垣城ホール等で開催します今年も、関ケ原合戦の決戦前日である10月20日(新暦)に近い、10月18日(日)に開催!当日は、歴史人物を駆使して戦う新感覚の1vs1の対戦型歴史カードゲーム"Hi!story(ハイストリー)"の公式大会"大垣三成杯"をメインに、中心市街地に残る"大垣城に関する史跡等を巡る"大垣城重ね押し御城印スタンプラリー"、など、"決戦前夜大垣城"をテーマとしたイベントを開催します(関
歴史温泉戦国武将・「豊臣兄弟!」編(初回放送日2026年2月22日(日))歴史温泉戦国武将・「豊臣兄弟!」編大河ドラマ#豊臣兄弟!の主人公・豊臣秀長をはじめ、石田三成や前田利家にとっても大切な場所が温泉だったそれぞれの人生を変えた体験とは?ゆかりの温泉を訪ねて探る♨️BSあす28(土)午後6:00#つるの剛士#西川貴教#菊川怜大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長をはじめ、石田三成や前田利家にとって大切な場所が温泉だった。それぞれの人生を変
戦国を駆けた夢の跡へ。関ケ原から長浜へ、浪漫を辿る旅さいたまの喧騒を離れ、ハンドルを握りながら想いを馳せる。数百年前、この道を、そしてこの空の下を、戦国の武将たちが駆け抜けていたのだろうか。そんなことを考えながら、歴史の旅へ出発しました。まず向かったのは、長篠・設楽原。火縄銃が戦場を変え、時代そのものが動き始めた場所です。そして旅はいよいよ、私が訪れたかった関ケ原へ。関ケ原慶長5年(1600)9月15日。石田三成を中心とする西軍と、徳川家康を中心とする東軍が激突
朝鮮出兵の真意にテーマを絞った作品でございます。「なぜ秀吉は」門井慶喜著毎日文庫(459頁)歴史を語る上で存外に楽しいのは“if=もしも”でございます。『もしも本能寺の変で信長が討たれなかったら』なんてのは、この手の妄想の中では、もはや王道なお、本作はそのタイトルにある通り、ifではなく"何故?=why”に焦点をあてております(笑)。※それまでの常識や慣習にとらわれず、天下統一を目指した信長―。そして、道半ばで途絶えたその偉業を引き継いだ
9月25日(金)~26日(土)本年5回目のツーリングです参加メンバーは5名過ごし易い時期ですが、最近雨が多くて悩ましい日々が続きました天気予報では何とか初日は持ちそう、2日目は最悪降られれば直帰覚悟と言う事で、全員BIKEで行きました行先は関ケ原方面からマキノ高原を抜けて、翌日は安土方面で決定先回も利用したBIKE高速割引プランも使ってお値打ちに集合は「道の駅クレール平田」今回はリーダーが名古屋方面の人なのでいつもの近場じゃなくかなり遠くて判りにくい所まぁリーダーに決定権
さて、旅の記憶は昨日、三重県の伊勢神宮を更新しましたが、東海地方と言えばもう一つ岐阜県があり、岐阜城を始め飛騨高山白川郷などの有名な観光地が多い場所そんな岐阜県の中で、唯一行った場所が日本の歴史を左右した古戦場でしたJR大垣駅起点はこの大垣駅で、2021年11月に伊勢神宮を参拝した後、駅前に前泊して出かけることに楽しいおかず大垣タコライス注)現在は移転し、店名「のの家」に東北にはないチェーン店で夕食を取り翌朝、レンタカーで旅に出ます
今日も美しい出会いに感謝を込めて。Chisatoです🍀前回の第3話「関ヶ原――止まった光」では、秋分の日に関ヶ原を訪れた紬とアダマス。古戦場に残る生命の光に紬の剣が反応し、かつてこの地で生きた人々の声や感情、記憶が紬の中へと流れ込んできました。そして二人は、関ヶ原に残された光が北西へ引かれながらも、その場から動くことができずにいる、不思議な異変に気づきます。関ヶ原で、いったい何が起きているのでしょうか。❦❦❦❦❦❦ダイヤモンド編第4話関ヶ原――目覚める光東首塚
高速バスで岐阜に戻ってからはJRで大垣に向かい大垣城へとやって参りました(^_^)こちら大垣でお昼飯(^_^)樽のネーミングを見て日本酒🍶も美味しそうでした(笑)(^_^ゞ海老天とワサビやネバトロ蕎麦が一緒になってなかなか量が多い食べ応えのあるお蕎麦でした(^^)d大垣駅前に広がる前庭は結構広くて日射しが強くなければ周辺を散策したかったです(^_^ゞ大垣のカラーリングされた下水マンホール蓋です日射しが強くとても暑かったので町並みのアーケードが日除けになって凄く助かりました
4月8日(水)17日目生ひこにゃんには会えなかったけど『下道車中泊の旅㊵西編(17日目その1またお城?って言わないの!ひこにゃんに会いに行くぞ‼)』4月8日(水)17日目日本三景制覇の余韻に浸りながら『下道車中泊の旅㊴西編(16日目その3ついに目的達成⁉昔のバイト先で友人に会うぞ!)』4月7日(火…ameblo.jp彦根城を後にして次に向かったのは関ケ原古戦場車で40分くらいの距離ナビをセットして走って行くと、高速道路入口を入るように指示されておっ!ここも
『王一博の元カノ?ベビー認知騒動2025。趙露思が、セクシーなチャイナドレスに。伝統美で魅せる!』昨年には、ハニトラにかかり。🦁王一博は、ベビーの遺伝子検査をさせられた。一夜を共にした、遊びの相手が。産婦人科の前で、記者会見。魔性のモデル、…ameblo.jpさて、インスタはジャンリンホー。石田三成も、花の如き貴公子。そう記録にある。お似合いのカップルだった。もし夫妻なら。さて、BTSのジョングク、テテ。どちらに似ていたのか。気になる。太閤は認知症か、性病が脳に達していた。急に、
『島津義弘』(しまづよしひろ)戦国時代の薩摩国の武将。武勇の誉れ高く、“鬼島津”と言われ恐れられた。戦国時代の屈指の猛将と言えるでしょう。エピソードの多い義弘ですが、今回は、“島津の退き口”です。関ヶ原の戦いとは、東軍徳川家康と西軍石田三成の戦い。(一応、形の上では西軍の総大将は毛利輝元)島津は、今でいう鹿児島。地理的に遠く、家康も三成もあまり関係がありません。この戦争には、関わりたくありません。そうは思っても、時代
色々思うことはあるもののたくさん遊んでますiPhoneからログインできずなぜパスワードなどはあってるのですがエラーになります写真貼れなくてアップする気にならずでしたこの日は伊吹山に行きましたその帰りに寄った関ケ原石田三成陣跡です人が途切れることなく次々と見学者が訪れてました夫は興味ないようで車から離れません私もこの日はここまで次は娘たちと関ケ原ツアーですね関ケ原
昨日お仕事で3年ぶりの大垣へ3年前は『懐かしの名古屋&大垣』今日は出張全国の地域金融機関との提携を進めるアライアンスが私のお仕事ですがZOOMの威力は凄い、ほとんど出張なしのオンライン面談ですんでしまいます。とはいえ…ameblo.jp少し抜粋JR東海道線の快速で大垣へ大垣の金融機関さん訪問終わって大垣城でも眺めながら歩きたかったのですがあいにくの雨・・・・抜粋終わり3年前はとんぼ返りだったのですね今日の目的地地銀さんには珍しい銅像中興の祖の方らしいお仕
城下町大垣の秋を彩る風物詩"十万石まつり"を今年は10月11日(日)に開催します。十万石まつりは、大垣藩十万石の歴代藩主をまつる常葉神社の例祭が起源となっています少年団体パレードや、みこしの練り歩き、大垣城鉄砲隊による火縄銃の演武、十万石おどりなど、様々な催しが繰り広げられます!とき:10月11日(日)9:20〜15:00ところ:大垣駅通り一帯主催:十万石まつり実行委員会大垣商工会議所"大垣"は安さんの故郷ぜひ、来場ご予定
朝,ホテルで観光案内を見ていたところ,お祭り会館があることを見つけた。しかも山車である。これは見に行かねばなるまい。この山車会館は,毎年9月に行われる気比神宮のお祭り(氣比神宮例大祭)で曳き出される6基の山車の収蔵庫ともなっている。なんと便利な建物だろう。昔は,40基~50基もの山車が出ていたという。いわゆるおやっ様連中が負けじと出したのであろう。6基のうち,見える場所に飾られていたのは2台だった(上の写真)。しかし,この山車の間にある白い壁に映し出される「祭りの映像」
今日も美しい出会いに感謝を込めて。Chisatoです🍀2026年9月23日午前9時5分、秋分を迎えました。秋分は、太陽が天の赤道を北から南へ横切る節目。昼と夜の長さがほぼ釣り合うこの頃を、自分の中にある「陽=活動」と「陰=内省」のバランスを見つめ、新しい視点や意識へ移っていく転換点として捉えるのも素敵ですね。2026年は、秋分を中日とする彼岸が9月20日から26日までの7日間です。スピリチュアルの世界では、秋分前後を「スターゲートが開く時期」と表現し、内面的な成長や統合へ意識
連休最終日でどうせ新幹線も混んでるだろうから、プラプラしながら帰ることにした。まずは阪急西山天王山。「天下分け目の天王山」の語源はここか。徒歩すぐ、西国街道と丹波街道の分岐点だったらしい。なるほど、頭上にも現代の追分、高速の巨大JCTがある。だから丹波方面への高速バス停があったのか。歴史は大いに重なっている。高架下に弥生期の硲遺跡。最初の立ち寄り地、山崎古戦場跡。小泉川を挟んで、奥側が中国大返しから爆速で戻った秀吉軍、手前が本能寺で信長を打って天下人に名乗り出た明智軍。しかし明智軍は
ビワイチ2日目(2026年9月20日)夜半から台風の影響で雨と風。朝までに雨は上がりましたが風が強い。前日走れなかった分も走らないとならないので7時に出発。琵琶湖は荒れてます。先ずは彦根城を見えるところから見る。彦根城初代城主井伊直政公像その後、石田三成の居城佐和山城跡に行きました。佐和山城跡再びビワイチコースに戻るも、向かい風でなかなか進まず。やっとのことで長浜城に到着。長浜から木之本まで少し内陸を走るが、周りは田圃で遮るものが何もない。木之本に着いたのは14時。木之本
遂に動いた。島津義弘が戦闘態勢に入った。狙うは徳川家康の首のみ‼️一直線に本陣に向かって進んできた。世の中では、島津が撤退した時にとった伝説の戦法の捨奸(すてがまり)。実は、家康の首を狙った捨て身の戦法だった。一直線に本陣に向かって進んで来る。福島正則は、ハッと思い出した。動くなこれか!咄嗟に部隊に向かって指令を出した。『彼らは死兵だ!追うな!深追いするべからず!』これが島津か…福島軍は、逃げる事なく威厳を保ち見送った。島津軍は、福島軍には目もくれず突き進んだ。ここで
関ヶ原の合戦が始まります。関ヶ原の戦いとは、慶長5年9月15日に、美濃国関ヶ原で行われた日本の歴史上最大の野戦です。豊臣秀吉の死後、次の天下を狙う徳川家康(東軍)と、豊臣政権を守ろうとする石田三成(西軍)が激突し、全国の戦国大名が二つに分かれて戦ったことから、「天下分け目の戦い」と呼ばれています。当日の午前8時頃に霧の中で開戦し、午前中は宇喜多秀家隊や石田三成隊の奮戦によって、西軍有利、そして、一進一退の激戦が続きました。小早川秀秋の寝返りと毛利勢の不参加により、西軍の防衛線は一気に崩壊
スイッチを変えたら先日のブログで私の中の葛藤を書いたけれど書いたおかげで私の中でまたスイッチが変わったんだよねそしたらまたすごい流れがきてる♪ちなみにコラボ相手のゆらママにも臨時収入が来ていて二人で15万円超えた♪✨やっぱり自分の気持ちを大事にすると流れが変わるよね♪推し活は世界を変える!推し=自分のなりたい未来だとしたらどうしたら楽しく情熱的に続けられる?頑張らなきゃ!を楽しいへ!龍と一緒に
ある日、最高位の南化玄甫興から密宗和尚は話を聞きます。寧々が西軍東軍の話で悩んでいるようだと。弟子の三江紹益が日々相談相手として訪問しているらしい。その後日、密宗和尚から南化玄興は話を聞きます。この度戦が起こった場合、豊臣政権は壊滅します。家康が豊臣の武将たちを共に戦わせて、豊臣の力をなくすためである。そのため石田三成ら文治派と戦場にいた武闘派の加藤清正、福島正則たちをぶつけて壊滅させるのが目的でしょう。さぞかし寧々様も心を痛めている事でしょう。なぜ、豊臣同士が戦わなくてはならないのか?これ
南光坊天海と高台院は、交流があったという記録は残っていません。関ヶ原以降に画像のように話し相手になっていたと思います。高台院となる前の寧々から話は始まります。秀吉が亡くなり、正室である寧々も、秀頼たちとともに一度は大坂城へ入りました。彼女に与えられたのは、大坂城の「西の丸」という広大な敷地です。しかし、この時期の大坂城内は非常に険悪なムードに包まれていました。淀殿(秀頼の母):豊臣家を我が子中心の「羽柴家」として存続させたい寧々(秀吉の正室):豊臣政権(織田信長から続く天下の形)を
写真撮りすぎて独立させざるを得なかった「関ケ原古戦場記念館」ですいや~駐車場ギリギリでした!!着いた時ちょうど開館時間だったらしく外まで続いた行列がゆっくり動き出す所でしたきらが入ってもまだ券売機に行列があって体験学習やシアター?の予約の人達が別枠で並んでました予約必要な映像ってどんなんだろ…正直ここはスルーしようかと思ったのですが展望フロアから関ケ原が一望できると聞いて寄る事にしたんです…何だろうゲーム?^^;合戦図屏風かしらモニターだけど
本日は戦場跡めぐり!「開館時間」とか関係ないので朝こっぱやくから出動です!!あと保冷バッグにコンビニで冷凍ペットボトルを買っておべんと冷やす事を覚えました!!7時ころホテルを出て関ケ原まで40分ほど!(滋賀から近いんですねびっくり)まずは大谷吉継陣跡です!駐車場を全部網羅してくれてるサイトを見つけたんです…有難すぎる…書いてあった通り!七台ほどの駐車場ですでこっからどう行くの?^^;しばらく迷ってしまいましたが道路を渡ってこちら線路の向こう側らし