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ちょっと日程の都合でこちらを先に。そして、昨日より体調を崩していて、朦朧とした意識の中で、かつ、何度か中断しながら記しているので、いつも以上に間違いが多いかも知れないが、ご容赦願いたい。先ずは星4呪術師織田信長さんターン開始時のスキルマスが2個以上:防+30%3個以上:攻+70%4個以上:速+15%を縦横列の味方に付与まあ、便利よな。“以上”って言葉が入っているということは、4個以上の時には全部だもの。それぞれの数値もまあまあだし。ただ、ステージよってはスキルマスが一つ
「もし関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍が勝利したら、どうなっていただろうか?」歴史にたらればやもしは禁物だ、という人もいますが。たらればや、もしがいけないなのではありません。「もし、石田三成が勝ったら」というならば、現実世界では何故石田三成は勝てなかったのか、その原因は何か、を分析することからしか始まりません。それ無しに「もし、は、もしだよ」とか言っても、それは単なるオアソビで、歴史語りとしては意味がないのですよ。もし関ヶ原で、互角の兵力同士がぶつかって、ほんのちょっとした時の運
小早川秀秋は最初から東軍です。「最初から」というのは、美濃関ヶ原での合戦の開戦前からすでに東軍、という意味です。戦闘が始まってもまだ迷っていたとかは「ウソ」です。小早川は、松尾山に他の部隊がすでにいたのを追い払って、強引に布陣しています。この時点で、石田三成が「アイツは敵に回った」と認識できなかったのならば、それは悪いけど馬鹿、といって悪ければ、情報収集・分析能力が圧倒的に欠如してます。小早川秀秋は、寧々さんの甥であり、秀吉とも淀殿とも秀頼とも、血縁関係はありません。そのせいでか、秀吉
関ヶ原の直前、石田三成は、東軍についた諸将の妻子を大坂城に集めて人質にしようと画策します。結果、あちこちで悶着を起こし、自害する者(細川ガラシャ)まで出して、逆に自らの「器の小ささ」を満天下に晒すだけの結果に終わりました。これは「正義」を標榜する三成にとって痛恨事でした。「豊臣の家臣の妻子を大坂城で保護するのに何の問題がある」という三成の理屈は、世間には全く通用しない、逆に「戦のまえに敵の妻子を捕らえて人質にしようとした卑怯者」になってしまった。つまり「三成の正義は、独りよがりだ」という
11月2日、母が暴れてどうしようもなくなったら、電話をするので来てくださいと病院から連絡があったので、禁酒をして待機していた。2日の夜、11時に、布団に入ったけど、やっぱり予想通り、眠れない。ビールを飲まないと眠れないって、アル中?朝まで、病院からは、何の連絡もなかった。11月3日は、文化の日。県内のいろんな施設が無料で入場できる。歴史好きな私は、岐阜関ヶ原古戦場記念館に行く。梅谷片山トンネルができて、早く関ヶ原に行ける。40分くらいかな。最初は、雨が降っていた。入場。
何故かイチョウの木が見たくなって、和田神社へ足を運びました。場所は滋賀の膳所(ぜぜ)です。途中で見つけた小さな公園。この落ち葉だけでも心が震えます。おそらく、あのイチョウのところが和田神社。今まで存在自体を全く知らなかった。膳所にはよく来るが、こちらの方面に歩くことはなかったのです。小さめの神社です。辺り一面、黄色の絨毯伏見稲荷大社にある「おもかるいし」がここにもありました。樹齢600年らしいです。この木の下で石田三成が休憩を取ったという逸話が残されています。
前回、高市さんのことを記した後数週間くらいして、彼女の過去世と思わしき方が降りてきました。それをなんとなく遺してみようかな、と。「石田三成」という方だそうです。私には、そう降りてきました。その方の凄まじく悔しい想いが私がテレビで視たモノとの繋がりを引き寄せているのだと感じます。(現在の彼女に)視えたモノは、過去のモノではないと感じましたので過去と未来と現在ってやはり、繋がっているんだな、と思いました。すみません、メモのようで。先日初めて、コスモアイル羽咋へ。イ
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側