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小早川秀秋は最初から東軍です。「最初から」というのは、美濃関ヶ原での合戦の開戦前からすでに東軍、という意味です。戦闘が始まってもまだ迷っていたとかは「ウソ」です。小早川は、松尾山に他の部隊がすでにいたのを追い払って、強引に布陣しています。この時点で、石田三成が「アイツは敵に回った」と認識できなかったのならば、それは悪いけど馬鹿、といって悪ければ、情報収集・分析能力が圧倒的に欠如してます。小早川秀秋は、寧々さんの甥であり、秀吉とも淀殿とも秀頼とも、血縁関係はありません。そのせいでか、秀吉
「ああ、田沼意次は、石田三成になってしまうんだ」と気が付きました。何を言ってるのかというと、ってのを説明します。「一橋治済(生田斗真さん)による、徳川家(将軍位)乗っ取りプロジェクト」が、着々と、面白いように進んでいます。将軍世子「家基」を毒殺した「死の手袋」事件は、どう考えても一橋治済の仕業ですが。彼は「傀儡師(人形遣い)であり、人形(実行犯)はもちろん別にいます、徳川家内部に。それは誰だろう、というのが、翌週に明らかになりました。治済が、女性の人形を見ながら、「独りぼっちは寂しいの
「もし関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍が勝利したら、どうなっていただろうか?」歴史にたらればやもしは禁物だ、という人もいますが。たらればや、もしがいけないなのではありません。「もし、石田三成が勝ったら」というならば、現実世界では何故石田三成は勝てなかったのか、その原因は何か、を分析することからしか始まりません。それ無しに「もし、は、もしだよ」とか言っても、それは単なるオアソビで、歴史語りとしては意味がないのですよ。もし関ヶ原で、互角の兵力同士がぶつかって、ほんのちょっとした時の運
彦根駅で降り、彦根城とは反対の方向へ進む。↓佐和山城跡_額つき彦根駅構内より。正面の高い山が佐和山城跡だろうが、映り込みが・・・↓佐和山城跡_遠景山までは徒歩20分とあるが、16分くらいで着いたんじゃなかろうか。↓佐和山城天守ミニチュア今は無き「幻の天守」が復元されてここに置かれていた。五層あったという。↓龍潭寺前通り松阪城の城下町通りとよく似た雰囲気。龍潭寺は訪れなかったが、昊天(こうてん)が井伊谷より彦根に移築したらしい。↓昊天(小松和重さん)(おんな城主井伊直虎より
こんばんは、お財布ショルダー専門店のイシロヨウコです。先日登りそこねた佐和山へ!彦根の街を一望できるお気に入りのスポット♪前回登ったときは観光バスが来ていて何人もの人とすれ違ったけれど、今回は前後に誰も見当たらずちょっと不安に・・・そんなとき、すぐ近くで葉っぱが擦れる音や、パキパキッと小枝が折れる音が・・・熊ではなさそう・・・一瞬ヒヤッとしましたが、正体は2匹のお猿さんでした!ここにヒトがいるよ〜と分かるように大声で話しながら歩いていくと
石坂浩二さん、白髪眉毛が凄いなあ!この松平武元(まつだいらたけちか)、堂々と葵の紋を付けています。つまり徳川一族、れっきとした「親藩」です。越智松平家三代目、水戸の分家からの養子ながら、六代将軍家宣の弟・松平清武の家を継いでいる人です。私、ことあるごとに「親藩は、幕府の職につけない」(だから賢丸くんも田安のままでは政治能力を発揮できない)と書いてきましたので、このドラマで石坂浩二さんの葵の紋を見て「あれっ?」と思ったんですけど。どうもね、德川幕府の親藩と譜代の境界線は、絶対ではなく、ときど