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カナダ在住から日本に戻った者が遭遇した出来事や文化の違いを綴っています。Anyresemblancetoactualeventsorlocalsorpersons,livingordead,isentirelycoincidental.©m2011-2025Allrightsreserved.仕事や執筆の依頼はdrippingofpoison★gmail.comまでお願いします。★を@に変えてください。ブログ記事の転載、複製は禁止しております
3月27日金曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物細川藤孝(亀田佳朗)細川藤孝(ほそかわふじたか)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、歌人。細川幽斎(ほそかわゆうさい)、長岡藤孝(ながおかふじたか)、長岡幽斎(ながおかゆうさい)としても知られる。天文3年(1534年)4月22日、三淵晴員の次男として、京都東山にて誕生。のちに、晴員と共に12代将軍・足利義晴の近臣であった細川晴広の養子となる。天文15年(1546年)、
腰痛を抱えたまま帰省して栄えある『役立たず』の呼び名を欲しいままにしていた私ですが・・・後半!予想外に!割と存在意義が光っていました!主な理由というか原因:父(イメージ武将:石田三成)が風邪を引いた。まあその他も色々あって複合的な名誉挽回なのですが。ともあれ弱った父を温めて加湿した部屋に押し込んで定期的にお茶や何かを届けております。それで気づいたんですが、わが父はもともと食べ物を手渡したり何か手伝いをしたりすると「ありがとう」と素直にお礼を口
「豊臣兄弟!」の今週のタイトルが「軍事官兵衛!」でした。小寺官兵衛が、有岡城の土牢に監禁されて、出てきたところで晴れて黒田官兵衛に改名した、って話でしたけど。もともと10年ちょっと前の大河ドラマ(岡田准一主演)のタイトルを持ってきたわけですが日曜日にドラマ観て、月曜日に映画「黒牢城」観て、土曜日にまた再放送でドラマ観て。あー、荒木村重も随分違ったけど。黒田官兵衛も、あっちとこっちで随分違うな、菅田将暉って凄いなあ、とか思ってます。そういえば、昔の「軍師官兵衛」では、官兵衛と石田三成(田中
豊臣秀頼の実父ではないか、と当時から噂されていたのは、大野治長です。淀殿の乳母「大蔵卿局」の息子、つまり乳兄妹です。淀殿の側近くに近侍していたことから、密通の噂は秀頼出生直後からありました。資料的根拠というなら、毛利家臣内藤隆春の書状、興福寺の僧の「多聞院日記」、朝鮮軍人の捕虜・姜沆(きょうこう)の日記「看羊録」といった文書に書かれています。もちろん、どれも噂話をそのまま書いたレベルで、真実である根拠にはなりませんが。当時結構広まっていた話であるとは言えます。もちろん、皆んなが言ってるか
ご訪問ありがとうございます(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾今は少し久しぶりの試写会今並んでるんだけど40分前に着いても既に100人位の人が前に。自由席だから早く来てるけどこれでもどうかな~。センター付近狙ってますが・・さて、今日はお外ご飯の話し。友人のAちゃんに連れて行ってもらいました幼なじみさんと行って安くていい食べ放題のお店だったとのことでWOULDBUFFET千葉ポートタウン店
中日文化センター栄で開講された高橋陽介氏の著書シン・関ヶ原の史料を読むに参加してきました。>>詳細はこちら|中日文化センター栄公式サイト6回シリーズで今回は第2回西軍の首謀者は石田三成ではないでした。どんな本?私たちが知っている関ヶ原の戦いは、江戸時代に編集された軍記です。高橋氏は一旦それを置いておき、別視線で調査をはじめました。それは現存する当時の武将(人物)の書状を時系列に並べるというもの。すると軍記とは全く違う関ヶ原の戦いが浮かんできたのです。それを
敗れてもふるさとの人弔いて横山城跡がある横山地蔵尊三成の生家跡に建てられた石田会館土曜日でしたが午後から開館のようでした横山城跡図日吉神社仮本殿「石田三成資料室」には、石田三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネルを展示鎧やゆかりの古文書に石田屋敷復元ジオラマなど数々の展示物があります会館外には、「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成の銅像もある三成の頭蓋骨の写真も展示されており、この写真をもとに三成の像が造られたとのこと治部どのも今日瞑ずらむ蝉しぐれ『関原読軍記』
今村翔吾さんの本を読んでみたいけれど、作品が多くて「結局、どれから読めばいいの?」と迷っていませんか。直木賞を受賞した重厚な歴史小説もあれば、剣客たちが命を懸けて競うエンターテインメント作品、仲間の再起を描く長編シリーズ、歴史に詳しくなくても楽しめる青春小説もあります。どれも評判がよいからこそ、作品名だけを並べられても、自分に合う一冊を選ぶのは意外と難しいものです。そこでこの記事では、今村翔吾さんの作品から、初めて読む人にも選びやすく、読後の満足感を期待できる7冊を厳選しました。単なる人
『兄者。兄者…殿!』織田家家老になり、信長から長浜の土地をもらい、長浜城を居城とすることになった『羽柴』秀吉。『殿!』と呼ばれるまで返事をしない、というコントのような始まりだった今回。前回、少年漫画から『劇画調』になったのに、また、少年漫画に戻ってしまったかのようなテンポになりました。長篠の合戦もサクサクっと流れ💧、今回の物語は、羽柴家家来就任のためのオーディション。もともと百姓上がりで、代々の家来などがいないため、せっかく『役』も『年貢』も免除して、長浜に人を集めても、それをまとめる
このガチャはこちらにて吟味済み。『【信長の野望20XX噺】碓井貞光ピックアップ』星5の光秀さん、欲しいのだがなぁ。まあ、良い……本題に入ろう。先ず、貞光さんはこちら。『【信長の野望20XX】頼光四天王(1)』酒呑童子、キツかったな。とりあ…ameblo.jp……なのだが、三成さんは最近強化されたのでこちら『【信長の野望20XX噺】スキル鍛錬豊臣家3人』先日、豊臣家所属の3武将がスキル鍛錬の対象となり、その強化っぷりが話題となった。ということで、強化前と強化後を比較しつつ見ていこう。先ず
城なび館で5か所のスタンプが揃いましたついに近江戦国六武将オリジナルガチャにチャレンジできますガチャの景品は、近江ゆかりの6武将の家紋をあしらったオリジナルガラスマグネット(6種)とアンブレラマーカー(3種)です実際は、石田三成と豊臣秀吉のガラスマグネットが当たりましたが城なび館で私より先にガチャをされた男性から「豊臣秀吉があまり好きじゃないから当たったものと交換しませんか?」と声をかけられていました。(アンブレラ
【問題】石田三成が治部少輔に叙任されたのは、三成が何歳代だった時のことか?【選択肢】20代30代40代50代【正解】20代【解説】天正13年(1585)7月、石田三成は主である豊臣秀吉が関白に就任した際、26歳という異例の若さで従五位下・治部少輔(じぶのしょう)に叙任された。
歴史の時間に習う、そして私たちが知識として知っている関ヶ原の戦いは、後世に編纂された資料や司馬遼太郎が書いた小説がベースになっており、現在関ヶ原に作られた合戦記念館の展示もその筋書きに沿った内容となっている。本書では、関ヶ原合戦研究者である著者が、1600年9月15日に美濃の関ヶ原で起こった戦闘の経緯について、淡々と当時の出来るだけ一次資料のみで歴史の一場面を再構成したらこうなるのではないかと再展開してみたという一冊。こういう再評価には大いに価値あるはず。戦う前から家康は天下人だった、ということ
○未だに出てくる大発見◇読売新聞2025.11.21(金)朝刊33.社会面記事より秀吉が「本能寺の変」翌日に毛利方重臣を調略した手紙…直後に知った信長の死、和睦に影響した可能性【読売新聞】羽柴(豊臣)秀吉が、本能寺の変が起こった天正10年(1582年)6月2日の翌日、敵対する中国地方の毛利氏配下の武士に宛てた誓約状が見つかった。毛利氏を裏切った見返りとして、備後(現在の広島県)の権利を与えるなどの約束がwww.yomiuri.co.jp【「本能寺」翌日秀吉の誓約状】【信長