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【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ各殿ルートはこちら徳川家康石田三成【徳川家康&石田三成】名前のある殿がオススメ度UPルート選択後の殿好感度への影響はありません《1話》無情な毒①聞いてみる→家康②聞かない→三成①睨む→家康②言い返す→三成《2話》まんじゅう①我慢する→家康②ちくりと言う→三成①それが何か?→家康②そんなこともあったような→三成《3話》必勝飯の味①どうして殺さないと?→三成②殺していいわけない→家康①
敦賀方面の「日帰りお城巡り」の最後五番目は「敦賀城」(福井県敦賀市)です。「金ヶ崎城」から「気比(けひ)神宮」の赤い大鳥居の前を通り「敦賀城」跡に向かいます。時間があれば寄りたかった「気比神宮」は、「織田信長」の朝倉攻めで灰燼に帰しましたが、その後福井城の領主となった「結城秀康」によって社殿の造営が行われたそうで、赤い鳥居は「日本三大木造大鳥居」と言われています。その前を右手に廻ったメイン道路を少し行った所と西側に流れる「笙(しょう)の川」の間のスクエアな住宅街が「敦賀城」の敷
ココロが【興福寺】を出発し………車で北へ約10分ほどで到着したのは………【三笠霊苑(みかされいえん)】奈良県奈良市川上町623番地ここに、島左近の墓があるという【三笠霊苑】は、春日山原始林をはじめとし、東大寺・正倉院など世界遺産に登録されている「古都奈良の文化財」の傍に位置している。世界遺産に囲まれた霊苑は、全国的に見ても極めて稀少であり、市街地とは思えないほど自然に囲まれて歴史と静寂さを感じる場所である。総面積約30.000平米総区画数3.300区画広
青森県八甲田山に伝わる三杯のお茶の話をご紹介。石田三成が秀吉に召し抱えられた逸話の「三杯のお茶/三献茶」は有名ですが、十和田八幡平国立公園かやの(萱野)高原には「長生きのお茶」というものがあるので、そのお話をご紹介します。まずは、石田三成の「三杯のお茶/三献茶」について説明しておきましょう。【三杯のお茶/三献茶】羽柴秀吉が鷹狩りに出かけた際に、のどが渇いたので寺に立ち寄り茶を所望した。その寺の小僧(後の三成)が茶を用意し大きめの茶碗の7分目ほどにぬるいお茶を注いで出した。
史跡関ケ原古戦場決・戦・地!うお~!ついに関ケ原まできてしもた全ての発端はこのハリウッドドラマ『SHOGUN将軍』徳川家康をモデルにした主人公虎永は父上!なぜ今、戦をはじめないのですか戦わせてくださいっ!自分はいつでも出陣できます!と言ってる息子にむかって戦を知らない人間は、何かというとすぐに戦おうとする戦とはそうじゃないんだと死は最小限に留めなければならないのだみたいなことを仰ってチェスの駒をすすめるかのような心理
あ琵琶湖より愛を込めて滋賀のどじょう寿司と生贄祭りこんにちは、マユリです。(この文章はメルマガからの抜粋です)11月末にたくさんの映画が封切られましたが、観客動員数一位は「飛んで埼玉ー琵琶湖より愛をこめて」だったそうです。前回のメルマガでも、豊臣秀吉と長浜・琵琶湖の竹生島の生贄の話を書いたので、今、密かに滋賀がブームなのかもしれません(笑)埼玉をディスられても関西人には今一つ分からないのですが、滋賀をディスられると笑けてしまいます(笑)いやいや、滋賀ディスで忘れて
2024,5,4(土祝)昨夜はぐっすり眠れました赤岳鉱泉の朝食は焼魚ほかほかのご飯が美味い並々のおかわりしました食事を終えて下山開始計画した時間どうりに下山しビーナスライトのスズラン峠へ移動駐車場は満杯路肩も車でいっぱいでも、ここで降りるのは2人残る3人は北八ヶ岳ロープウェイへ登山口の道は平坦なんですが岩がゴロゴロした急登に変わりますおっちら、おっちら後続に抜かれながら2時間登りつめるとやっと終わりが見えてきたこれを登り終えるとガレ場のトラバース右側が切れ落ち
久しぶりの観光旅行でしたので長々書きましたが、やっと最後です。歴史好きの旦那が絶対行きたいと言っていたあの有名な関ヶ原関ヶ原の舞台【関ヶ原の舞台をゆく】関ヶ原古戦場ガイド~戦跡を歩きながら考える、武将たちの思惑~東軍勝利で幕を閉じた関ヶ原の戦い。関ヶ原の戦いの舞台である関ヶ原町には、徳川家康や石田三成の陣跡などの史跡が今も残る。今回は、開戦や小早川秀秋の寝返りなど重要シーンに関する史跡をめぐる。shirobito.jpあ、岐阜県ですよ。と突っ込みました?帰り道なので寄りました
嶋左近の関ヶ原近衛龍春著関ヶ原で家康を討つ!石田三成を支えた猛将の戦い秀吉が惚れ、家康が恐れた漢(おとこ)!“鬼の左近”、獅子奮迅の闘い!石田三成を支えた勇将の生涯!戦場の勇者振りで「鬼の左近」と呼ばれた嶋左近羽柴秀吉にその才を見出され家臣となり関東出陣を機に石田三成の寄騎に宿敵・徳川家康の引き抜きの誘いにも乗らず側近として三成を支え続ける「三成に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近に佐和山の城」とも謳われた漢は関ヶ原で天下分け目の戦いに臨むが想定内で
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の「関ヶ原の合戦」について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想。狸親父ぶりをみせる家康朝鮮出兵から関ヶ原の合戦、江戸幕府を開くまで今回はこの徳川家康と本多正信のコンビが主役な「関ヶ原の合戦」(『まんが日本史』の徳川家康とはかりごと好きそうな本多正信)秀吉の死去に伴い第二次朝鮮出兵が終了し、日本に帰国した加藤清正とそれを迎える石田三成、ここでさっそく二人がぶつかり、豊臣子
天海(165)近江から久尻村の庄兵衛の屋敷に着くと重大な知らせが入っていた。「勘右衛門殿、良く戻られた。これをご覧あれ。」と差し出された書状を見ると、「庄兵衛さま」と書かれた女文字の文であった。「これは、お福殿か。」と慌てて書状を読むと、驚くべきことに「小早川家は徳川方に内応することに決した。」というのである。「お福殿が申すには家老の稲葉、平岡の両名が秀秋公を説得したとのことで、近々内府様に密書が届くというのだ。この事いち早く内府様にお伝え願いたい。我らの大きな
2023・2月訪問いよいよこの日が第二次東北蕎麦研修の最終日。朝一で大垣のネカフェを出発して大垣城へ。関ヶ原の戦いでは石田三成率いる西軍の拠点になった城です。当初はこの地が戦の攻防になると考えられてましたが実際に決戦の場所になったのは更に西の関ケ原でした。予定にはなかったんですが時間があったのでその石田三成の居城があった佐和山城跡へ。ここまで来ると天気が大荒れに。もう雪は終わったと思ったんですが。さすがにこの時期に登ると侘しさがさ
桜攻城・卯月ラウンド。満開の大垣城をあとに。彦根に移動。位置情報ゲームアプリ「ニッポン城めぐり」。国宝五城ミッションの彦根城にトライ。指定五ヶ所の位置情報取得とQRコード読み込みでクリア。滋賀県護国神社脇の駐車場に停め。まずは彦根観光センターをクリア。観光センターのお隣、いろは松からのお堀桜ポイント。桜は満開の様子なれど、どどど曇天しかも強風。まったくもってお話にならない。彦根城の桜攻城は断念。写真と時間の無駄撃ちはせず。早々にミッションに移
4/20(土)に、大阪の城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。「竹中氏陣屋櫓門」からは、「関ヶ原古戦場」内を突っ走り、車で約20分位で「戦国ロード」沿いの「松尾山城登城口」に着きました。「松尾山城」の歴史と城主については、「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということは良く知られていますが、陣城として活用される前の城主は、「主郭」に詳細が記載された案内板に記載がありました。そ
この前の真下の記事でふと思ったのですが、私が好きになる男(二次元)って金水的な色気を感じるキャラが多いなと気づきました。『推しの命式が自分と相性いいと更に惚れる』ゲーム実況見てたら、とあるキャラに一目惚れ。ホラーゲームの実況が好きでよく見るのですが、死噛の真下悟というキャラがすごくかっこよくて惚れました。元刑事で濡れ衣…ameblo.jp真下は亥月生まれの庚の身旺だし、荒井さんは同じく亥月生まれで癸強い甲の身弱。過去に好きになった二次元キャラもクール系や、なんとなく暗さと影のあるキャラが多
石田三成を訪ねる旅の続きです。続きといっても、随分、間があいてしまったので、再開といった方がいいかもしれません・・・😆旅に出たのは、昨年(2023年)の夏。9月、10月、11月とブログを細々と書いているうちに、いろいろと慌ただしくなってしまい、中断しておりました。しかも、続きを書こうと思っているうちに、実は、もう一度、行ってしまったのでした‼️三成ゆかりの地に。具体的には、三成の掟書がある城菩提院(じょうぼたいいん)と、三成生誕地とされる石田会館に。一度めは、夏の旅行。二度めは、秋に