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天海(176)無論、三成らにも言い分はあるであろう。この時、大垣城には石田隊(6千人)、小西隊(6千人)、他(3千人)しかいなかったのである。三成は大坂方に再三、美濃・近江方面への援軍を要請していたのだ。しかし西軍の主力である宇喜多隊(1万7千人)毛利隊(1万6千人)は伊勢方面に行っていた。しかも輝元はこの間に、四国や九州に派兵していたというのだ。だがそれでも、三成はこの1万5千人の兵力で、籠城する織田秀信(5千余人)とともに福島軍らを挟撃すべきであったのだ。これ以
今、80歳のオバアの話しなのだが、行ったことない場所へ行きたがります。観光地かそうでないかに関わらずです。会社の同僚が、桜の季節の彦根城が良いと言っていたので、連れて行きました。ただ、京都市内から、彦根インターまで、高速代片道二千円近くかかりました。草津インターで、トイレ休憩と、赤福餅を食べましたな!この草津サービスエリアで面白いネタがある。出入りの運転手から聞いた話しです。竜王インターから、津に向かう予定であった。竜王から名神高速道路を走った。途中、腹が痛くなった。よって、下りの草津サービスエ
誕生日:11月6日※2024年3月永遠の恋ルート追加第一話【前半】こんなのおかしい落ち着いて→幸福な恋度+2/情熱の恋度+4人違いだよ→幸福な恋度+4/情熱の恋度+4恋の試練(姫度チェック)【後半】出しちゃおうかな→幸福な恋度+4/情熱の恋度+4どうして?憶えておくね→幸福な恋度+4/情熱の恋度+2第二話【前半】そんなことより→幸福な恋度+2/情熱の恋度+4わからないよそういう本がある→幸福な恋度+4/
毛利輝元というと「名前は登場するけどいまいちどんな人間か分からない」という歴史上の「脇役」のような存在感である。関ヶ原関連の書籍やあるいはドラマなどの創作でも登場するが、大抵はモブキャラであり、殆どの人間からは軽視される存在であろう。「石田三成らに担ぎ上げられた挙句、領地を削られた凡庸な戦国大名」というのが大抵の人間の認識であろうか。しかし私は全く異なる。私などからすれば、当時も現代も多くの人が抱いているこのイメージこそ、このおぞましい妖怪じみた人間が仕掛けた巧妙な迷彩であり、この男が成し遂げた
『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票をして、記念ガチャに地雷をばら撒いた〇〇野郎ども…ameblo.jp『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(2)』『【信長の野暮20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票を…ameblo.jp『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(3)』『
天海(173)「慶長五年八月五日、徳川家康、子秀忠ヲ下野宇都宮ニ留メ、江戸城ニ帰ル。」(「資料綜覧」)家康は伏見城の落城を知ると落涙した。元忠とは、家康が11歳の時に駿府で出会い、57歳で永久の別れとなったのである。家康は、伏見城が危ういことに気づいていたという人もいるが、私はそうは思わない。伏見城の別れは物語の話であり、家康は、三成挙兵がこれほど大規模な反乱になると予想していなかったのである。家康は7月24日から9月14日までに外様大名82名に155通
今更、別に驚きもしませんが…モコ毬ショコ地方も緊急事態宣言📢ま~たしばらく自粛だね。この期間を利用して最近のたかたろうは、無造作にスマホ保存した画像を整理して、パソコンに移行する作業を毎日コツコツ頑張っています後先を考えずに撮りまくった写真が気が遠くなるほどの枚数となり、スマホの容量がパンク寸前!かなりの長期戦が予想されますが、どうせ、お出かけ出来ないもんね…😒自粛期間中に『整理整頓!』少しずつトライしていきます🙋∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
昨日も記したが、本日こちら『東京ビエンナーレ』明日、2023.09.29(金)東京ビエンナーレ東京ビエンナーレ2023|東京の地場に発する国際芸術祭東京の地場に発する国際芸術祭tokyobiennale.…ameblo.jpに出演。時間は19:30〜20:00場所は宇田川クランクストリートお待ちしている。さて、吟味だ。先ずは星5覇道三成さん。味方全体攻+50%敵ラ4体物ダメ1.25敵生命上位2体物ダメ0.90×2撤退1人毎攻+10%星4の三成さんに引き続きバフをかけてからの
昨年(2019年)12月28日、テレビ朝日系列で放送された「国民10万人がガチで投票!戦国武将総選挙」。そちらでランクインされた武将とその銅像を取り上げてみようと始めたこのシリーズ。今回はその3回目となります。これまた、以下はネタバレになりますので、ご留意ください。前回・前々回で20位~11位をカウントダウンしてきましたが、今回からいよいよトップ10。パッと見で、全国に銅像がいくつもある御仁ばかりですね。ということで、今回も少し刻んでいき、10位~7位でいってみようと思います。
戦)徳川家康:天下泰平の志戦)石田三成:至忠随一の奉覇)井伊直虎:紅粉の領主武)甲斐姫:東国無双の麗武)上杉謙信:越後の龍武)武田勝頼:虎臥擡頭覇)足利義輝:雪の恋人戦)小早川秀秋:聖夜の提灯武)北条氏康:巍然たる克薬)宇佐美定満:越後流監督術©コーエーテクモゲームス
この前の真下の記事でふと思ったのですが、私が好きになる男(二次元)って金水的な色気を感じるキャラが多いなと気づきました。『推しの命式が自分と相性いいと更に惚れる』ゲーム実況見てたら、とあるキャラに一目惚れ。ホラーゲームの実況が好きでよく見るのですが、死噛の真下悟というキャラがすごくかっこよくて惚れました。元刑事で濡れ衣…ameblo.jp真下は亥月生まれの庚の身旺だし、荒井さんは同じく亥月生まれで癸強い甲の身弱。過去に好きになった二次元キャラもクール系や、なんとなく暗さと影のあるキャラが多
久しぶりの観光旅行でしたので長々書きましたが、やっと最後です。歴史好きの旦那が絶対行きたいと言っていたあの有名な関ヶ原関ヶ原の舞台【関ヶ原の舞台をゆく】関ヶ原古戦場ガイド~戦跡を歩きながら考える、武将たちの思惑~東軍勝利で幕を閉じた関ヶ原の戦い。関ヶ原の戦いの舞台である関ヶ原町には、徳川家康や石田三成の陣跡などの史跡が今も残る。今回は、開戦や小早川秀秋の寝返りなど重要シーンに関する史跡をめぐる。shirobito.jpあ、岐阜県ですよ。と突っ込みました?帰り道なので寄りました
天海(175)岐阜城に入った秀信は大垣城と犬山城に直ちに救援を求めたのであった。「徳川勢は岐阜城下に入り、すぐに包囲戦に入るであろう。そこに大垣城から後詰が入れば、東西挟撃となり、我らにも勝機がある。」と秀信は主張する。すると木造長政は、「今般の戦況を思うに、米田の敗戦は偏に兵力差が原因であり、兵力を分散しては勝ち目がない。籠城するにせよ、全軍を岐阜城に集結して大垣からの援軍を待つべきである。」と主張した。しかし、秀信は「瑞龍寺山砦と権現山砦はともに大手口である
滋賀に纏わる小説、登場人物を描くことが多い。別に滋賀に住んでいるからというつもりはないのだが、その気にさせられる何かがあるのかもしれない。前回も述べたが近著である『塞王の楯(さいおうのたて)』は、舞台の9割が滋賀県。登場人物の中には大津城主の「京極高次(きょうごくたかつぐ)」が出てくる。妻の「お初(おはつ)」もまた近江出身だ。『八本目の槍(はちほんめのやり)』の主人公は「石田三成」である。他に近江出身者として「片桐且元(かたぎりかつもと)」「脇坂安治(わきさかやすはる)」などが出
昨日に引き続き、古墳残土説(古墳は平野部にしかなく、開墾によって生じた残土を盛ったのが古墳という説)の元凶となった方の文章を見ていきましょう〈N氏の文章より〉豪族たちが自分の墓を作るために民衆を使役して盛土したのではなくて、その豪族さんを中心に、みんなで努力して新田を開墾し、結果として残土処理のための小高い丘(盛土)ができたから、そこにあとから中心者となってくれた豪族さんをお祀りしたのです。そこにあるのは、「あの人のおかげで、こうして広い土地ができ、田んぼができ、お米がたくさんとれ
花の慶次、これにて完結なり。さて久しぶりに京都に帰ってきた慶次、つーわけで新キャラ登場。結城秀康!徳川家康の次男ですな。長男の信康が切腹させられたので徳川家の長子となったわけですが、秀吉への人質に出されたので徳川家の家督は弟である秀忠のものに。さらに秀吉の養子になったものの秀頼が生まれちゃって邪魔になったのでさらに結城家に養子に出されたという可哀想な人物です。徳川と豊臣、どちらの相続権も持っていながら両方取りこぼしたわけですからね…つーわけで父家康から疎まれながら育った秀康。深い言葉です
史跡関ケ原古戦場決・戦・地!うお~!ついに関ケ原まできてしもた全ての発端はこのハリウッドドラマ『SHOGUN将軍』徳川家康をモデルにした主人公虎永は父上!なぜ今、戦をはじめないのですか戦わせてくださいっ!自分はいつでも出陣できます!と言ってる息子にむかって戦を知らない人間は、何かというとすぐに戦おうとする戦とはそうじゃないんだと死は最小限に留めなければならないのだみたいなことを仰ってチェスの駒をすすめるかのような心理
【月の章】攻略一覧へ【華の章】攻略一覧へ石田三成続編CV.森田成一★が幸福度+5ハズレは+1✳︎好福度はマイページ中央(殿)タップで確認できます✳︎恋の試練(姫度、アバター試練)の次話1/5読了で姫友上限枠+1《1話前半》覆面の男①反論する②謝る★《1話後半》①知らないと言う★②少し考える《2話前半》死に損ない①大切なもの?★②面白いもの?《2話後半》①事情を尋ねる★②難しく考え
裕福な城マニアの中には自分で近世風城を建ててしまう者がいるが、居宅としてではなく、地域観光の施設として建設し、一般に開放している方には敬意を払いたい。滋賀県彦根市と愛媛県西予市には、天守閣だけではなく、様々な付随施設を個人が建設した大規模施設が存在する。彦根のものは天守閣については着工から15~16年後に竣工したものの、その他の施設については現在も建設が続けられており、「日本のサクラダファミリア」とも呼ばれている。西予市の方も天守閣が15年かけて完成し、その他の施設群全てが完成したの
うぅあがってなかったので今UPですおはようございます映画のレビューを全然あげていないのでなんとか頑張りましょう作品はこれ『関ケ原』STORY関ケ原の戦い---それは、戦乱の世に終止符を打ち、後の日本の在りようを決定づけた。幼くして豊臣秀吉(滝藤賢一)に才を認められ、秀吉の小姓となった石田三成は自分の石高の半分をもって、猛将として名を馳せた牢人・島左近(平岳大)を家来に乞う。秀吉に忠誠を誓いながらも、利害によって天下を治めることに疑問を感じ正義で世の中を変えようと
夏草や兵どもの夢のあとこんな句を思い出さずにはいられない関ケ原古戦場決戦地あたり開戦の烽火をあげた黒田&竹中陣のあった岡山(丸山)から石田三成、東左近の陣跡のある笹尾山に向かって歩いていきましょう開戦の烽火をあげた岡山(丸山)は竹林あり、小川あり、池ありと変化があり爽やかなウォーキングを楽しむことができました。歩道も整備されているのでとても歩きやすいです山を下りるとのどかな田園風景がみえてき
ネタバレ注意。主人公の名前は「かな」です。**********「送っていただいてありがとうございます」謙信「ああ」(遅くならないうちに、お城へ着けそうだな)茶屋を出た私たちは、城下を歩いていた。大通りを出たところで立ち止まり、謙信様にお別れを告げる。謙信「ここで本当に構わないのか」「はい。奉公先の人たちに謙信様が見られるのはよくないと思いますので」謙信「そういえば、武家屋敷に奉公していると言っていたな」(私の住んでるところが安土城だと知ったら、謙信様はどんな顔をするんだろう
滋賀県彦根の袋町遊郭跡を歩きます。ほっそい路地、誰もいないのはこんな真っ昼間にスナック街を歩く、もの珍しいヤツなんていないからです、よね?むしろこの時間にうろちょろしているのを見られたら、怪しまれそうなぐらい。時々、なんのために撮り歩いているんだろうって自分に問いたくなる時もあります。向こうに階段が見えますね。袋町は花しょうぶ商店街と芹川の間に挟まれた土地にあります。これが芹川で、右手にみえている町並みが袋町です。芹川の堤防より袋町を見ます。M
【滋賀】滋賀県彦根市京町の千代神社石田三成ゆかりの宮「千代神社」久しぶりに参拝させていただきました。大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」では中村七之助さんが演じる石田三成が秀吉亡き後奮闘する放送回でした。【千代神社御朱印】表面【千代神社御朱印】裏面前回お受けした【千代神社限定御朱印】(令和2年撮影)(令和2年撮影)以前お受けした【千代神社御朱印
youtubeはじめました。甲冑を着て日本刀で食材をさばき食べます。チャンネル登録よろしくお願いします。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」史跡めぐりの旅がまだ途中ですけど、落ちのびた武将をめぐる旅が好評なので、まさかこんな所にっていう方の墓を紹介しますね。ということで、「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」落ちのびた武将たちをめぐる旅~島左近の墓-1を紹介します。※「関ヶ原で討ち死に」、「それとも落ちのびる」の部分、追記しました。武将
第九話「紅天」藪重と按針は、石堂に忠誠を誓うつもりで大坂城に到着するが、敵対的な歓迎を受ける。木山は按針を脅し、石堂はすぐに藪重の申し出を断った。鞠子は、幼なじみの落葉の方と10年以上ぶりに再会するが、鞠子が反抗的な態度を取ったため、歓談はすぐに終わる。虎永は鞠子に、虎永の女官たちを江戸まで護送するよう命じていたのだ。それは、石堂らに対する公然の挑戦であった。前話では、吉井虎永(真田)の腹心にして親友の戸田広松(西岡徳馬)があろうことか切腹するという大事件が起きてしまった。大坂の石堂和成
さて藤木との戦いに向けて備前長船の刀を手に入れた伊良子。ぶははっいくも大変だなぁ…さてここで高熱に倒れる藤木。江戸時代の医学なんてそんなもんでしょうな。ある程度の外科的治療はできたのかもしれませんが、抗生物質が無いというのが致命的ですよね…そこに突然お見舞いに現れたのは伊良子。狒々の霜、つまりお猿さんの頭の黒焼きです。こんなもんお見舞いに持ってこられたら嫌がらせ以外のなにものでもありませんがね(笑)そして幼少期を思い出す藤木。スイカの皮はさすがに厳しいですね。リンゴや梨なら皮ごとい
茶道から少しだけ離れた「お茶」にまつわる話です。名将石田三成と豊臣秀吉の出会いのエピソードです。(この話、史実ではなく創作という見方が優勢です。ですが、三成が気遣いのできる人だったと伝える話だと思います)〜お話としては、こんな話です。〜ある日、秀吉が鷹狩りの帰りに、喉が渇いてお寺に立ち寄り、お茶を所望します。お寺の小姓が、大きな茶碗にたっぷりのぬるめのお茶を運んできました。秀吉は、一気に飲み干すともう一杯所望します。2杯目は少し小さめの茶碗
2019年9月29日さわやかウォーキング「戦国武将も行き交った!実りの秋を感じる伊吹山麓めぐり」に参加しています。近江長岡駅~西山八幡神社~グリーンパーク山東~と巡ってきました、この先は観音寺を目指します。あたり一面に蕎麦の花が咲いてます。ここは、日本そば発祥の地「伊吹」なんですよ。滋賀県東近江の伊吹山麓で始まった日本のそばの栽培は、木曽や甲斐、そして現在の名産地とされる信濃にまで伝わりました。その後、東北の山地を越え、明治や大正の時代には、北海道もそばの主な産地とな
https://www.instagram.com/miyatachocafe/Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,family&interestshavebeencapturing&sharingaroundtheworld.www.instagram.com2025年4月滋賀県彦根市宮田町に古民家『宮田町カフェ』がオープンします。