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【愛知】東別院は正式名称を「真宗大谷派名古屋別院」と言い尾張地方では古くから「御坊さん」(ごぼうさん)とも呼ばれ親しまれています。真宗大谷派名古屋別院では参拝記念として月替わりのステキな【御坊印】がいただけます【真宗大谷派名古屋別院御坊印】10月限定御坊印【真宗大谷派名古屋別院御坊印】【真宗大谷派名古屋別院御坊印】シリアルナンバー入り【山門】
桑名別院とは、真宗大谷派(東本願寺)の三重県の教化活動の地方中心道場で全国にある「別院」の一つです。正式名称を真宗大谷派桑名別院本統寺(くわなべついんほんとうじ)と言い、1596(慶長元年)年、本願寺第12代教如(きょうにょ)上人により開創されたと言い伝えられています。それ以来、三重の門徒にとって、親鸞聖人の教えを聞き、生きることの意味をたずねる大切な「聞法の中心道場」として受け継がれてきました。桑名別院は庶民の台所として賑わう寺町商店街の中心部に位置し、地元のイベントや
枚方市議会議員ばんしょう映仁です。2025年11月1日は、中振北遺跡第8次調査現地説明会に行ってきました。中振北遺跡第8次調査現地説明会光善寺駅近隣の市街地の足元に、こんな歴史が眠っていたなんて🙀光善寺駅の西側で再開発が進んでいることは、地元の方ならご存じの方も多いと思います。実はその工事の合間に、枚方の“昔”を物語るような遺跡が見つかっています。名前は「中振北遺跡」。私も最初は「遺跡って、そんなにすごいものが?」と思っていたんですが、調べてみると、これがなかなか興
名古屋の御門徒(法名信保院釋尼慈精)の四七日と初月忌のお勤めをしました。四七日は故人が亡くなってから28日目、初月忌とは初めての月命日のことです。当地方では四七日と初月忌を一緒に勤めます。早いもので、忌明け法要まで五七日と六七日の2回となりました。残りのお勤めもご家族、親族の故人を大切に思う心に寄り添い、勤めてまいります。写真からわかるように、今日は本堂のお荘厳が違います。本山(真宗本廟・東本願寺)では、毎年11月21日から親鸞聖人が亡くなられた11月28日まで報恩講を
高校生の頃、自分の部屋の片付けをしていた時に、引き出しから御守りがいくつか出てきました。実家も真宗寺院なので、自分から御守りを購入することはありません。おそらく、以前どこかでもらったものを、しまっておいたのだと思います。見つけた時、一瞬どうするか迷いましたが、いらなかったので他のものと一緒にそのままゴミ袋に入れて処分しました。しばらく経って、学校の授業(何の授業かは忘れましたが)の中で、「御守りが不要になった時どうするか」という質問が先生の口から発せられました。
時代とともに諸国をつなぐ街道も変化します。現在の濃州街道は,国道421号に添い,北勢線の北側の道と考えられています。ところが1600年代の初めは別の街道がありました。桑名藩主の大名行列が通過する道がありました。大正昭和の頃,楚原駅はなく大泉原村の駅が石仏近くにありました。楚原は野原で住居はなく「北野」と呼ばれていました。軽便鉄道の楚原駅設置以降は郡役所がおかれ,旅籠や遊郭まででき,いなべの中心地とした発展しました。楚原本村は江戸時代から続く農村で,楚原駅の北側は北野と言
有縁のみなさまへ枇杷島同朋の会第176回法話会のご案内~真宗仏事の回復とは~残暑厳しい毎日、農繁期を迎えました。新米が出回り秋の味覚も口にするようになりました。秋になれば当たり前に秋の味覚を楽しむ…その当たり前ということがどんなに有り難いことか。不自由を経験しないと日常の有り難さに気付けない私たちであります。今回の先生は旧三条教区において駐在教導を務め、教区の教化の現場で活躍され現在も各地で法話講師として活躍中の北島栄誠(きたじまえいじょう)先生です。北島先生は東北