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【愛知】愛知県碧南市浜寺町の真宗大谷派西方寺新たにステキな参拝記念がいただけます【西方寺参拝記念(御朱印)】【西方寺参拝記念(御朱印)】以前お受けした【西方寺参拝記念(御朱印)】【西方寺参拝記念(御朱印)】御朱印帳にいただきました【西方寺参拝記念(御朱印)】2021年10月17日㈰令和3年度のてらまちウォーキングは新型コロナ感染拡大防止の観点から事前
「犬山焼店を営むペーパークイリング講師のブログ」へお越し頂きありがとうございます。先日母が急に思い立って人生の宿題を終わらせに行ってまりました平成7年に亡くなった祖父。祖父からの遺言で「わしがなくなったら京都の大谷祖廟(おおたにそびょうと読みます)におっかさんたちがいるでわしも連れてってくれ」と言われもう数十年。ずっと頭にあったそうですが、やっと、やっと行って参りました。納骨、分骨などあまり聞かないことに私はとても勉強になりました。まずは京都の大谷祖廟に電話で伺い、
【石川】石川県白山市美川南町真宗大谷派浄願寺【浄願寺参拝記念(御朱印)】そしてもうひとつの【忍願寺御朱印】生類憐みのお彼岸法要には参加できませんでしたが後日事前連絡の上お伺いさせていただきました。下記の御朱印はおまかせバージョンでリクエストした所快く描いて下ださった御朱印ありがたいご縁をいただきました※※掲載許可をいただいています【忍願寺御朱印】【忍願寺
寺名:宝幢山・祇陀林院・西法寺本尊:阿弥陀如来伝空海作御成り門仏生山街道は、高松藩主松平家の菩提寺法然寺への参詣道でもあり、別名「お成り道」といった。殿様のお通りとなると、村は道の修理や掃除で大変だった。参詣の途中、西法寺に立ち寄り休息した。その際殿様が出入りしたのが街道に面した門が、「お成り門」である。開基:創建:宗派:浄土真宗大谷派札所:住所:香川県高松市太田上町605電話:由
だいぶ秋になってきました。10月より樹木葬が始まります。どーぞよろしくお願いします。だいぶ出来上がってきました。宗派問わずお使いいただけます。
真宗のお寺ですので参拝記念をいただきました。2020/6/233/4西方寺さいほうじ山号:???宗派:真宗大谷派〒447-0845愛知県碧南市浜寺町2-19☎0566-41-4009見開き書き置き碧南市出身の絵かきさんが書いていただけたそうです。他に通常ばんも2種類有ります。書き手さんがいない時は書き置きになります。山門寺号標境内と本堂手水社山号扁額山号が読めていません。m(__)m由緒書き上空写真(Google)
#EarthDay【またまた寄り道でーす🍀】週1のプラセンタ注射(更年期の治療)の帰り道にまたまた寄り道してみました🍀桜が散りかけていましたが行ってみたら良い感じのお寺さん🍀✨「明超寺」というつくば市谷田部のお寺さんで境内には防空壕の跡が記念碑で残っていました!調べて見たところ聖徳太子像と八方睨みの龍など寺宝があるそうです✨✨ご本尊の阿弥陀如来立像は京都の東本願寺からいただいたものだそうです!また次回ゆっくり見に行きたいと思います😊🍀✨#つくば市
真宗大谷派(東本願寺)の寺院建立広瀬兵庫助から直伝の兵庫助の事績「広瀬一族史料」は、後継の広瀬家一族への「おき手紙」です。広瀬兵庫助の苦難と活躍のリアルな一生が記されています。兵庫助本人しか知らない生の記録です。この広瀬兵庫助の事績の解明には約40年の年月を費やしました。広瀬兵庫助の子孫は数多くの真宗大谷派(東本願寺)所属の寺院を建立・開基しています。これらの寺院は広瀬兵庫助とその一族の事績を克明に記録し伝承を続けてきました。これが「広瀬一族史料」です。「広
光善寺(こうぜんじ)は、文明七年(1475年)に蓮如上人が福井県の吉崎を退去し、河内国茨田郷中振の出口村に移られて、御厨石見入道光善が草庵を建て、建立し、寺内町として発達した。そして、蓮如上人は御坊(後の光善寺)を拠点として、摂津、河内、和泉で布教し、3年後、山城に山科本願寺を創建し移った。その後、天文三年(1534年)に火災で焼失し、慶長年間(1596~1615年)に旧地にであるこの地に再建され、光善寺の寺号を賜った。宗派:真宗大谷派御本尊:阿弥陀如来所
今月は当山の『永代経法要』を予定しています。この『永代経』を、『永代供養』と混同されているご門徒もおられることでしょう。お寺(お坊さん)に対して世間一般からは、『永代供養』を求められることがあり、そういった要望について少しお話を聞くと、『永代供養』=『先祖供養』『追善供養』と捉えておられる方がほとんど。そのたびに、自身の説明不足(きちんと正しく伝えられたか?)や至らなさについてモヤモヤしてしまいます『永代経』と『永代供養』はまったく違います!!そこらへんを・・・真宗大谷派
11/16(土)、西尾歴史ポタ。久麻久神社が実は2つあったような気がしてミニベロで調査ポタへ。1.久麻久神社一座編2.久麻久神社二座編に続き、志貴野橋から見る米津橋に落ちる夕陽。矢作川。製瓦場記念碑。明治12年の東本願寺改装の際、三河真宗門徒によって、御用木と御用瓦が献上された。志貴野製瓦場記念碑。広さ約15,000㎡の広大な製瓦場だったがその痕跡を残すものはない。禁門の変で焼失した浄土真宗「真宗大谷派」本山の阿弥陀堂、御影堂の両堂再建。
隣のお寺で仏前結婚式が執り行われ、図らずも司婚者、媒酌人のお役をいただきました。大谷派に流布している表白、司婚のことばをどうしても依用する気持ちになれず、新郎新婦の同意を得てオリジナルで作成しました。——————————————————————表白敬って、光寿二無量の弥陀如来、発遣の教主釈迦如来、われらを連綿と摂護する三世十方の諸仏如来に申して白さく本日ここに新郎○○○○新婦○○○○新たに夫婦の契りを結び、成婚の儀を挙ぐるに当たり、有縁の親故、○○寺門徒同行、一堂に会
35日(五七日)の法要を勤めた。夫を亡くし3人の兄弟に優しく見守られながら,35日までたどり着きました。母親を思う三人の気持ちが今日もまた本堂で話されました。(阿弥陀経の読経)(正信偈を唱和するご家族)住職は「女性は35日が忌明けである。とするのは女性蔑視であり迷信である。」と話しました。なぜ女性だけが49日(七七日)で仏にならず35日で仏になるのか。「女は業が深いからだ」と言われてきました。「業が深い」とは,人間が自然界の秩序が崩れたり、災いや不幸が起こったり
親鸞会の菊谷隆太さんについて、伝えたいことがあります浄土真宗の法話配信絶大な人気を誇る仏教系YouTuberの菊谷隆太さん。菊谷さんとはどのような方なのか、どんな経歴なのか。そして浄土真宗系の新宗教団体、浄土真宗親鸞会との関わり。さらにYouTubeからオンラインセミナーへの誘導と、そこから教団に勧誘する方法などを、現在わかる限りお伝えします。動画中に引用した様々なキャプチャ画像は、2022年4月23日時点のものです。制作・語り瓜生崇(真宗大谷派玄照寺住職)
【新潟】新潟市中央区関屋本村の真宗大谷派念佛寺ステキな掲示板を見てお任せバージョンでお願いした所快く対応して下さいました【念佛寺参拝記念】【念佛寺参拝記念】【念佛寺参拝記念】※掲載許可をいただきました~追加情報~現在はお受けしていないそうです。【本堂】【山号】斎藤山【宗派】真宗大谷派【御本尊】阿弥陀仏この辺りは
法名釋精貢四七日法要を本堂にて勤めました。(四七日法要)3人の兄弟がいつも夫を亡くした母親とともに参詣されます。参詣される母親と3人兄弟は正信偈の唱和に熱心に取り組まれます。四七日の法話として,「仏に出遭うということは故人の生き方に出遭うことです。故人の思いに出遭うことです。これが仏を思うこと。つまり,仏を念じること。これを念仏と言います」「念仏に出遭われたと思ってください。ここから正信偈を唱和し念仏を深めていきましょう」(三七日法要正信偈唱和)
築地本願寺カフェでランチ先週の日曜日、中央区築地にある「築地本願寺」に行ってきました。目的は、初詣を兼ねて、「築地本願寺カフェ」のランチです。本当は、大人気の「18品の朝ごはん」を食べたかったのですが、午前10時30分までのメニューだったので、次回に持ち越しです。午前11時、「築地本願寺」に到着です。ここで、「築地本願寺」について簡単にご紹介します。築地本願寺は、京都の西本願寺の別院として元和3年(1617年)に浅草横山町に建設されますが、明暦の大火で焼失。その後、海を埋め立て、延宝7
今回の工事では、渡り廊下の一角に、このような形の窓が作られました。この窓の形状は『「かとう」窓』と呼ばれ、上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓で、主に日本の社寺建築で見られます。「かとう」は、「火灯」「花頭」「華頭」「架灯」「瓦灯」などと様々な漢字で表記されますが、当寺のブログではずっと『「花頭」窓』と表記してきました。この窓の障子を作られた指物屋さんが、『「火灯」窓』と表記していることを知り、職人がこの窓の形状を火炎の形として考え、長く建
【岐阜】岐阜県不破郡垂井町宮代の真宗大谷派願林寺【願林寺御朱印(絵入り法語印)】SNSで気になっていたかわいいお地蔵さまのステキな色紙事前連絡の上参詣させていただき法語印と共にご縁帳にかわいいお地蔵さまをリクエストありがたいご縁をいただきました※掲載許可をいただいています法語印(御朱印)の郵送は対応されていませんがいつでも・どこでも・誰でも仏様と一緒に
有縁のみなさまへ枇杷島同朋の会代表海津正樹枇杷島同朋の会第147回法話会のご案内~御遠忌からのはじまり~「コロナ禍」のもと、気がつけば年末まであとわずかとなってきています。今年はコロナに明け暮れた1年であり、未だその終息が見えない中での年越しになりそうです。親鸞聖人がお生まれになったころ、相次ぐ源平の合戦さらには地震や洪水や疫病の流行などがあり混乱した時代でありました。その中で浄土の教えが民衆に広がり、それが現在にまで相続されていることに大きな意味を
6月26日〜28日に京都の東本願寺(真宗本廟)へ行ってきました🚄何をしにかと言うと、お預かりします寺院の住職になるための研修です。御門徒さんにご帯同いただき、無事に任命書をいただきました。これまで以上に、お伝えされてきた念仏の歴史に思いをいたしながら精進してまいります。お朝事始まる前の東本願寺境内。蒸し暑かったけど、荒れた天候にならなくて良かった良かった✨塀には、「南無阿弥陀仏人と生まれたことの意味をたずねていこう」という言葉がかけられてありました。これは2023年にお迎えする親鸞
午後,住職さんと総代さんが眞養寺に来られました。第二次ベビーブームの世代以降が寺とご縁を結ぶことができない。このままでは「寺離れ」が進む。また「仏壇じまい」も「墓じまい」も加速している。このままでは寺の行く末が心配であるとのこと。お手次寺と門徒がご縁を結ぶにはどうすれば考えられていろいろと話し合いました。墓を創らない人も増え,仏壇を持たない人も増えている。骨をどこに納骨したらいいのかわからなくなっています。葬儀後,墓に納骨して葬儀が完了しまます。今は納骨する場がありま
「能登はやさしや土までも」能登で古くから言われている言葉で、観光のキャッチフレーズにもなっています。能登出身者なら誰もが知っている言葉です。この言葉は、「人はもとより土までもやさしい」という農の風土を表しています。また、土は地面の土だけでなく、人間の根本も指し、裏も表もやさしく、素朴で温かいという意味を表しています。その言葉の由来は、元禄時代にまでさかのぼります。元禄9年、加賀藩侍「浅加久敬(あさかひさのり)」が初めて能登へやってきました。その紀行文が「三ヶ月
住職になったばかりのころ,ご門徒さんお家にお伺いして年忌法要や祥月命日を勤めたあと,みなで米の実り具合や畑の野菜の話,耕運機になる前は牛の話。孫の話は皆が喜んで盛り上がった。これが仏様の教えか聞法かと思った。「そうか,まんだ,あそこは孫ができやんか。ええご縁があればいいのになあ」と言う。「孫できてたら,爺婆のお金を目当てにやってくるんや」「家に来て30分は可愛い,可愛いと思うが,2日も3日もおってもらうと疲れてくる。もう早よ帰ってくれ」「言うたらあかんで,来なくなる。」
※後の方に当日の様子、更新しました有縁のみなさまへ枇杷島同朋の会第167回法話会のご案内~真宗仏事の回復とは~「令和六年能登半島地震」は県内においても多くの方が被災し、未だ不自由な生活を余儀なくされています。「中越地震」「中越沖地震」と二度の地震を経験した私たちだからこそできることがあると思います。石川県で被災された方と併せて、迅速かつ息の長い支援をしていきたいものです。「大経の三心」について講師の齊藤先生のお話も5回目になります。一回一回のテーマがあって、初めて聞く
お好み焼きの粉は、どれもさほど変わりはないと思っていました。今夜までは。夜、久しぶりに家族でお好み焼きパーティを開催しました。粉と卵と水、そして、極々細かく刻んだキャベツを入れて混ぜ合わせ、豚肉をのせて両面をこんがりするまで焼き、完成。各自がお好みソース、マヨネーズ、かつお粉、青のり、紅生姜をかけていただきました。一口食べると、表面はカリっと、中はふんわりとした食感。皆口々に「美味しい!」「ふわふわ!」「生地が美味しい!」と感嘆の声をあげながら食べました。粉の