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🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲⑬住宅街のソープランドと方型屋根京成船橋駅から房総往還方面に向かってぐねぐね延びている、細い路地の飲食街は、出桁造り商家や古そうな稲荷があることから、江戸時代からの古道だと思われたやがてその路地は、新しく敷設された広い道、拡幅された房総往還によって上書きされて続きがわからなくなるが、やや斜め前方から再びはじまっていた道路によって上書きされる以前、おそらく昭和40~50年代ごろまでは、京成船
🏭🏭🏠🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏠半分消えた川口最後のバラック街アホみたいにクソ暑いせいなのか、いよいよタブレットが怪しくなってきた。今までは「いいね」を8割ぐらい返せたが、フリーズする確率のほうが8割ぐらいになってしまったファッキン!おまけに、こっちはアメブロの不具合なのか、はたまた僕のタブレットと相性が悪いのか「いいね」をタップすると「再読み込み」と、フザケタ表示で何回か再読み込みしないと押せない上に、再読み込みするとフリーズしやがる
亀戸散策上明治通り・庄や・中央通商店街・日キ亀戸教会・亀戸梅屋敷・看板建築2024.4.29江東区の北部に位置する亀戸。この地はもともと海に浮かぶ島で、その形が亀に似ていたことから亀島と呼ばれていたといわれています。今でも駅周辺には賑やかな繁華街が残っていて、大通りからのびる小道をちょっと覗くだけでも、古い街だけに商店街も充実しており、昔ながらの八百屋に魚屋、味噌屋、豆腐屋などの個人商店が多く、物価が比較的安いのもやはり下町ならでは。江戸庶民も好んだ下町情緒をたっぷ
****前回に紹介した町の、1区画が丸々地上げされつつある陰惨な現場とは広い通りをはさんだ向かい側、出桁造りの商家がポツリと残っていた脇の路地に足を向けたここときの行動を説明すると、さしたる目的地があったわけではなく「こっちに何かありそうだ」と、なんとなく嗅覚が働いたと表現するしかない脇道に入るとすぐに、廃業した商家を改装したような倉庫があったその向かい側には……建物は新しく
🏠🏠🏠🏠🏠上*やがて消えゆく本木新道八王子まつりの記事で、しばらく中断していたが、北千住から西新井まで歩いた記事を再開するここで今までの流れを説明しておくと……北千住で降りてそのまま千住柳町方面に向かい、荒川と隅田川にはさまれたかつて「お化け煙突」があったことで知られる桜木町から隅田川をわたり町屋へしかし、町屋の繁華街には向かわず、右折して都電荒川線の東尾久三丁目電停をかすめるように川の手通り商店街から、日暮里・舎人ライナ
🏠🏠⛪🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⛪②終わっているDONDON商店街かつて南太田にあった日本最大のスラム街は、不良住宅地区改良法の施行により、その多くの部分が同潤会アパートなどに吸収されはしたが、根本的な解決にはならず、昭和30年代頃までは谷戸の斜面沿いに残っていたスラム街があった場所は両側に丘陵が迫る谷戸の地形であるため「乞食谷戸」と呼ばれていたそうだ現在も保土ヶ谷方面に続く谷戸の中心部が商店街を形成しており昭和初期から賑わいを見せて
今年の5月は雨が多い・・5月に関西へのロングツーリング予定でしたが行けずに終わってしまいます。古くからの街道の町であり、現役有名観光地。見所がたくさんあります。今回は昭和の風景と看板建築を見に行きました。ひとけが無いのはコロナ禍だから、今はもう観光客来てるとおもいます。大型観光ホテルができたからか、昭和中期の宿は閉業しているところが多い、純粋な宿だったのかは微妙ですが・・前回の記事の様に江戸以前から風俗花街が大変盛な場所です。人が集まりゃそういう事ですから。古い宿に
🐯🐯🍞🐯🐯🐯🐯🐯🐯🐯🐯🐯①いきなり昭和が残る町並みへ今回から久しぶりに散策の記事に戻るちなみにタイトルバックの写真は、本編の内容とは一切関係なく、散策に向かう途中の車窓から見て愉快だったから撮影した写真にすぎないということで、久しぶりの房総往還シリーズである。出向いたのはJR総武線の新検見川駅だ。といっても、新検見川駅の周辺を散策したわけではなく散策したのは、もちろん房総往還だこのあたりの事情は、ちょっと複雑なので地図で
レトロな商店街をみつけました。天井のアケードボロボロ。このお店は廃業されてるみたいやけど、窓が丸い。なんのお店やったんかなぁレトロやわ。これは、看板建築だろうか?建物に詳しいプロ友さんが見たらすぐにわかるやろうね。他にも看板建築?みたいなの見たけど、新しく塗り直されてたので、写真は撮りませんでした。高砂って古民家が多いけれど阪神大震災はここらは、どうやったんやろ。これだけ古い建物が残ってるから、被害はなかったんだろうか。高砂、穴場でしたね。行く価値ありますよ。できたら
🚃🚃♨️🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃♨️①駅前から徒歩2分でソープランド横浜のディープエリアといえば誰しもが永真遊郭のあった黄金町や曙町などを連想するものと思うが、横浜市は多くの自治体と同じように、そうした負の歴史は「なかったこと」にしようと必死になって塗り潰そうとしているたとえそれが売春や貧民窟といった悪いイメージの事象であったとしても事実は事実で、そこには街娼が客の袖を引き、手配師はその日暮らしの日雇い労働者から上前をピンハネしていた
****小田急線の祖師ヶ谷大蔵は、下北沢のような繁華街ではないし、成城学園前のような高級住宅街でもない。また、同じ世田谷区内にある三軒茶屋や豪徳寺のように、歴史を感じさせるような町でもないそれは「際立った特長がない町」と言い換えることができるしかし、そのわりには、商店街はけっこう賑わっており、買い物客が引きもきらないのは、人口が多い世田谷ならではであろう前回記したように、商店街のあちこちにウルトラ
🌃🌃🍝🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🍝①東中野・消えゆく昭和な風景かつて東京には、戦後の闇市の面影を残す場所がいくつも存在していた。猥雑で清潔とは言えないけれど、人びとを惹き付ける怪しい魅力のある町……新宿南口にあった円形の飲み屋街は、写真家のアラーキーを筆頭に写真により詳細に記録されている。渋谷の東急109の裏手と百軒店のあいだ、台湾料理屋の麗郷の向かい側には行き止まりの路地があり、そこにはバラックのインポートショップが2軒並んでいた
****金山町の先で街道は二又に分岐しており、それを後年造られた行政道路が無理やり横切って、五叉路になっている斜め左にゆくと西所沢の駅の近くに出るが、まずは街道沿いにすすむ。えのしが住んでいたころは、あまり通ったことのない通りだ僕の記憶では、この先の路地裏には、大好物のマーケット形式の建物があったはずだちなみに、右に曲がると狭山、入間を経て飯能に出る国道299号線バイパスに抜ける画面中央の黄色い軽自動車
🌼🌼🌼🌼🌼②北千住崖っぷちバラック地帯🌼北千住の中心街から西に向かう。いつの間にか通りの名前が「いろは通り」から「ニコニコ商店街」にかわっていたこの商店街を横切る道を左に曲がると、以前の記事で紹介した柳町の赤線跡地に出るが、今回はそのまままっすぐにすすむ柳町には千住の果てのような印象があるが、その先には元町があり、荒川と隅田川にはさまれたやけに狭い千住桜木町は、さらにその果てにあるような町であるこの写真
🧱🧱🍸🧱🧱🧱🧱🧱🧱🧱🧱🍸場末の商店街と謎の煉瓦土蔵「レアールつくの」商店街は途中で「末吉商店街池下通り会」という名称に変わり、そのすぐ先で日本の大動脈とも言える幹線道路、国道1号線と交差していたその交差点の付近は戦前からの商業地区だったようで、出桁造りの商家や戦前型看板建築の酒屋(解体済み)などがあった鶴見の駅前から1キロあまり離れているこのような場所に、戦前から商店街が形成されているのは、かなり不可解なことであるが、こ
🎤🎤👠🎤🎤🎤🎤🎤🎤🎤🎤🎤②唐突にある白日夢のような歓楽街前回の記事の最後に掲載したこの写真に、まるでコザのAサインバーのようだ。とのコメントをいただいたが、まさに本質を突いた鋭い洞察であるかつて敗戦によって日本に進駐したアメリカ軍の基地がある町には、たいてい特殊飲食街があった。三沢、福生などはアメリカ軍の基地があったことによって、ある種のカルチャーすら生まれている大瀧詠一は福生のスタジオで音楽を作り、村上龍は限りなく透明に近いブ
🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑⑤地蔵通りの廃病院と謎のかりえん旧中山道と交差していた丁字路を曲がってみると、駅から1キロ近く離れているのにも関わらず、昔は栄えていたような商店街があった今では営業している店は、まばらに点在しているだけで、寂れた気配が漂うが、町並みを見ると、そこかしこに繁栄していた残滓が見てとれる、どこか寂しげな雰囲気の町であるしばらくゆくと、まだ営業している店が固まっている十字路があり、その角にある「食品
🏢☁🏢☁🏢☁🏢🏢☁⑤たどり着いたら廃墟と更地の町高崎の町は城下町と宿場町の性格を合わせ持っているかつては各地からの物流の集散地として、いくつもの市が立ち中山道で4番目に大きな町となり、お江戸見たけりゃ高崎田町。と、言われるほど繁栄していた。そして近代以降も東北、北陸への交通網の分岐点として、群馬県でも屈指の大都会になった――という話は、もはや過ぎ去った過去のことで、現在は深刻な空洞化にさらされ、中心街は閑古鳥が鳴いており、そんな大都会だ
🏢🏢☕🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢☕⑥中野療養所跡地の病院と古い住宅街中野区江古田にある江古田商栄会商店街は、おそらくかつての江古田(えごた)村の中心地だったのだろう。僕がそう思う根拠は……この場所が駅や街道とは関係ない陸の孤島じみたロケーションにあること、商店街の中心部と思われる場所に郵便局、神社仏閣(東福寺、氷川神社)があること、そして戦前物件が残っていたことであるそのような場所だからこそ街道の宿場町や市
🐔🐔🐔🐔🐔埼玉県の宿場町3越谷宿①いきなり駅前廃墟に出合う3回クッションをはさんだが、埼玉県の宿場町シリーズを再開する今回散策したのは、日光道中(街道)の宿場町だった越谷である。日光道中は、宇都宮までは奥州街道と同じルートで、将軍が徳川の聖地である日光に参拝するために整備された往還だ日光に向かう街道は、その他にも日光御成道、八王子千人同心街道と呼ばれる千人同心が日光の守備に就く任務のために整備された日光脇往還があり、徳川幕