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遅ればせながら、ろう学校で難聴児の育て方の相談ができるという話を聞き、早速コンタクトを取りました。おそらくテンパっていてほとんど要領を得ない話をしたと思いますが、大体の経緯は伝えられたと思います。対応してくださった職員の方はとても優しく声をかけてくださいました。いくつかお互いに質疑応答をした後、直接ろう学校を訪問する日取りを決めました。迅速な対応に感謝です。そして同時に自分でも難聴児育児について調べを進めます。一冊だけ気になった本も購入しました。難聴児の豊かな子育
山有り谷有り‥挫けそう、負けそうな生活から這い上がった!そして‥一年半前にこの地に越して来た。希望する住み慣れた地では無く💦慣れるまでは、買い物ひとつも大変だったけど😅家は満足する理想的でした。犬達が走り回れる広い庭‥玄関アプローチも多くの花で埋め尽くした。輸入住宅なのでムダには広い室内‥何一つとっても夢のような家です。夫が定年を迎えるまで住むつもりでした。地にも慣れて、お友達も出来て‥‥私の生活も落ち着き始めていました。。たった一年半で終わるなんて‥夢にも思っ
【2023年2月18日の出来事】お通夜の日。お昼頃、葬儀場の方が娘を迎えに来ました。あぁ。いよいよ連れていかれる…と、そんな、何とも言えない気持ちでした。会場に飾るたくさんの荷物を車に積んで、私たちも後を追いました。早速、お湯灌から始まりました。数日間、ドライアイスで冷たくなっていたので、温かいお湯をかけてあげ、体を綺麗に洗ってあげました。気持ちよさそうでした。大人なら着物を着せたりするそうですが、そこは、この日の為に、前から聞き込み調査をしていた、娘が一番気に入ってい
今日は2022年2月2日です。今日は、朝に訪問看護にきてもらいました。また、緩和クリニック医師の往診もありました。病状が進んだため、実質リビングから出られなくなった夫。昨日は立ちながら愛犬ぽぽを抱こうとして、転倒していました。私、「やめていて」と伝えたんですが、「大丈夫だわ‥」と怒りながらやった結果です。ほら言わんこっちゃない💢って感じ💧立つのを手伝おうとしたけど拒否をされ、夫は1時間くらいかけて立ち上がってました💧この2〜3日、自分が出来ると思うことと現実に齟齬がある
お久しぶりです。ちょびです。昨夜5月7日23時50分特養にて母が穏やかに旅立ちました。享年87歳でした。母の看取り期にあたりご心配してくださったり励ましのメッセージを下さった皆さま本当にありがとうございました。母は2週間前から声を発することが全く出来なくなり昏睡を繰り返していましたが昨日の母は昼間からずっと穏やかで目もぱっちり開いて私の話にうんうんと頷きながらずっと微笑んでいました。昨年末クリスマスの誤嚥性肺炎から入院3ヶ月その後もといた特養での看取り
いつもありがとうございます。自然療法スクール&アロマサロンアンデイーンの早坂美惠子です。年間6万8千人。この数字は何の数字だと思いますか?実は、2024年に自宅で亡くなるであろうと思われる1人暮らしの方達の予測なのです。今年の1月から3月の間には既に1万7千人もの1人暮らしの方が自宅で亡くなっているのだそう。少し思いをはせてみて下さい。ひょっとしたら、いつの日か自分もこの数字の中の1人になるやも知れないですね。自宅で1
このブログでは沢山の不満や愚痴を書きましたが、全て現実で口に出したことはありません。しかし、一度だけ実際にクレームを言ってしまったことがあります。娘を亡くして数ヶ月過ぎたある日、あることに気が付きます。「あれ、そういえば入院費を払ってないな。後で請求書を郵便で送ると言われたけれど、まだ来ていない。」1、2ヶ月くらいは様子を見ていましたが、3ヶ月たったくらいで遅いな、忘れているのかな、と思い始めました。別件でお世話になった病棟に連絡をする用事があったので、その時にまだ
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母と面会しまし
今日は2022年2月8日です。夫は息をしていません。夫は療養のためのカウチソファーベッドより離れ、もともとの寝室にドライアイスを敷き詰めた布団に眠っています。私はお風呂にゆっくりつかったあと、その横に布団を敷き寝ました。\クーポンで5%オフ★本日20:00〜23:59/ソファーベッドソファベッド3人掛け幅218cm送料無料ソファーソファソファーベットレザーソファーリビングソファーカウチソファー3人掛けソファー2人掛けソファー折りたたみ収納付き北欧
ご訪問ありがとうございます危機を脱した母のために回復期病院を探していた私に、先生から衝撃の話が。母はもう回復の見込みがないので、年明け早々に退院して、特養で看取った方がいいという話でした。続きです。前回の話はこちら⬇️『先生からの衝撃の話』ご訪問ありがとうございますいつものように届け物を持って大学病院へ行くと、ちょうど先生から電話があり、話しがあるので待つように言われた私でした。なんだろう..…ameblo.jp母は回復していると話しを聞いたばかりなのに、一体どうなっているんだ?!
母が永遠の眠りについた横で私は、父や義父の葬儀のことを思い返しながら少しづつ部屋を整理し始めました。父の葬儀のときの様子はこちらで↓『父の葬儀のかたち~実家近くの大きな斎場~』私が初めて親を看取り「葬儀を行う側」の立場になったのは13年前に実父が亡くなったときでした。そのときの喪主は、母でしたが父が亡くなった直後はその衝撃と…ameblo.jp義父の葬儀のときの様子はこちらで↓『義父の葬儀のかたち~自宅での小さなお葬式~』実父の次に見送ったのは二世帯
娘が永眠し、お葬式や斎場、色んな場面で悲しみという場面がありましたが、一番辛かった場面というのは、一生懸命呼吸しながらも、意識がなく、心臓が止まるのを待っていたその数時間が、一番、辛い時間でした。一番泣きました。もちろん、再発と伝えられる度に、何度もどん底に落とされましたが、やはり、最期の瞬間というのは、今でも思い出すと、その場面は胸が締め付けられます。だけど、苦しい時間は短かったと思います。前日もケモをしていて、その後お買い物に寄り、大好きなラーメンを食べて帰った。いつもの
動物が旅立つ前にせん妄といって人では、睡眠障害、幻覚・妄想見当識障害、情動・気分の障害神経症状がみられるんだけどそれと同じように動物も睡眠障害、気分障害遊泳運動、遠吠え、夜鳴き起きてる間ずっと鳴く神経症状などの症状がみられることがある。せん妄は突然発症して数時間で収まる時もあれば数週間続いちゃう場合もあるし
母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふれてきて声を出すこともできず時計の時刻を確認することもできませんでした。しばらくしてふと顔をあげると少し離れた場所で静かに泣いてくれているサ責さんと目が合いました。私がうなずくと、隣にいた看護師さんが近くまできて母の「脈」を確認します。「医師に連絡してきます」そう
出生前診断の結果出るまで、少し時間がかかりました。その間、「もし染色体異常だったら、堕ろしたい。娘と同じ苦痛を味あわせたくない。」「いや、やっぱりどんな病気があっても産む。堕ろすことなんて出来ない。」とぐるぐる考えていました。本来ならば検査を受ける前にはっきりさせなければいけないことです。きちんと決めたはずなのですが、決心が揺らぎます。妊娠前から考え続けていたことですが、いざお腹に赤ちゃんができると気持ちは変わります。ずーっと毎日、四六時中考えていました。
退院時は自宅療養をご希望され訪問診療が開始となりました「排泄の世話を家族にさせたくない」そう決めていたAさんトイレに行くのが辛くなった時に悩みながらも入院を決めました病院の主治医が困った時には入院してきて良いとご本人に伝え情報提供書にも入院受け入れしますと記載がありましたそこで病院へ入院を依頼すんなり翌週入院できましたしかしその日にご家族から電話がありました主治医が転勤していて今回の主治医からは「よくなったら退院しましょう」と入院早々に言われたそうですその
実父の次に見送ったのは二世帯住宅で同居していた義父が亡くなった六年前、84歳でした。主人の家は、田舎にある私の家とは正反対で「親戚付き合い」というものが両親の代からほぼなく義父が亡くなったときに「誰か連絡する人はいないの?」と主人に聞くと「特にいないな、、」と言われてかなり驚いたのを覚えています。ちなみに主人は一人っ子(^-^;既に認知症の傾向が見え始めた義母、まだ幼稚園に入る前の小さな息子主人、私の4人だけで送ることに
ご訪問ありがとうございます回復期病院の看護師さんから、母の嚥下能力がなくなっていて院長から話があると聞いてざわつく私でした。なくなったお金の確認で、ちょうど電話をくれた大学病院の看護師長さんに、母の嚥下能力について尋ねると、問題なかったと言われホッとします。この話を回復期病院の院長にも話そうと、呼ばれた時間に病院に向かった私ですが..続きです。前回の話はこちら⬇️『母の嚥下能力』ご訪問ありがとうございます母の転院を何とか無事すませて、クタクタで帰宅した私でしたが、大学病院に預けた一
ご訪問ありがとうございますいろいろありましたが、母は中心静脈栄養の点滴を抜いて退院となりました。病院は、食べられるようになったので普通の退院との位置付けでしたが、特養では一般的な必要摂取カロリーや水分摂取量に程遠いということで、看取り対応となりました。(状況が変われば看取り解除になります)看取り対応のため、コロナ禍で禁止されている面会が防護服着用で許可されることに。1日目、母は差し入れのプリンをほぼ完食することができました。食べられなければ長くて1〜2週間と言われている母の命です。複
こんにちはママナースデイジーのブログをご覧いただきありがとうございます🩷今日は深夜明けになります2024年ストロング2初解禁ケノン公式脱毛器ランキング3755日1位※レビュ-17万件日本製最新バージョン美顔器家庭用ムダ毛ヒゲボディメンズ永久に剃刀は嫌口コミアンダーヘアレーザー髭光美容器脱毛器ケノン公式VIOひげ顔光脱毛器※詳細ペ-ジ内※7楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}ケノン様子供たちのムダ毛ケアの神で
明日タクシーを呼んでかかりつけの循環器内科に行くように念押しをした翌朝4/15月曜日、念のために父に電話してタクシーを呼んだか聞いたら、てるさんが呼んでくれるのではないのか、ととぼけたことを言ってきた。そのために苦労して父のガラケーにタクシー会社の番号を登録して、手書きメモまで渡したのだが、とにかく言い争うより早いので、てるさんがタクシー会社に実家に来てもらうよう電話した。昼過ぎに再び父に電話すると、病院での診療を終えて家に帰っており、やはり血流が悪くなって、腰痛や足のむくみを起こし
たくさんのコメント、お目通しありがとうございます“患者さんからは伝えられないから医師から医師に伝えて””医師同士言えないの?””医師が医師に指摘できなくてどうする?”そうですね。ご指摘ありがとうございます医師にもいろいろなタイプがいますみなさんのまわりにもいらっしゃいませんか?同僚、先輩の指摘に耳をかたむけられないヒト私にできることはやっていきますが、指摘される側の医師の受け止め方死生観それぞれ違います例えば
みなさんご無沙汰しています。どうしていますか?元気ですか?あれから体調いかがですか?みんな元気でいて欲しいあの数人のアンチの人でさえ気になってます癌、進行してない?大丈夫?私は、リハビリの甲斐あってか今年の2月に急に普通に歩けるようになりました。ホント突然私も先生もビックリ何年振りに近所のスーパーにも自転車ではなく徒歩で行けた事に何年振りに自由を手に入れたようでしたあれから3年すっかりこの世は変わってしまいみなさんもそうでしょうが私もこの3年色んな事があ
あーちゃんへ沢山のコメント、メッセージをありがとうございます。ブログを通してあーちゃんはこんなに皆さんにお気持ちをいただいていたのだなあと改めて感謝の気持ちでいっぱいです。おひとりおひとりへのお返事をするのは難しいため、こちらでご挨拶にかえさせていただければと思います。ご訪問ありがとうございます2017年にアルツハイマー型認知症と診断された母の介護日記を書いています。母は現在介護付有料老人ホームで暮らしています。詳しくはこちらをどうぞ↓『「アルツフルデイズ」について』公式トップ
宮島のお土産物屋さんやまむら商店店主の山村ゆう子です姑の看取りを忘備録として書いてきました。これが最後。看取り手続きから2ヶ月、悩みに悩んで、結局10月12日に水分の点滴を外しました。通常だと口からの摂取が無いと保って一週間といわれました。夫は介護休暇をとり母の側にできるだけいることに。亡くなるまでの一週間を書きます耳は聞こえていると、一般的に言われているので
ひーちん@介護士と申します83才の母と共同生活2人そろって認知症予備軍詳しいプロフィールはコチラ認知症ケア・介護施設エピソード介護士の本音などを発信笑顔のたつ子さんに会えました前回のお話エピソード⑬(感情伝染)エピソード⑭(共にいる事がケアの原点)エピソード⑮(たつ子さんの生き様)先週末たつ子さんの通夜・葬儀が無事に執り行われましたせめてお悔みだけでも・・・と思っていましたが私のシフトがちょうど夜勤と
1ヶ月経過しましたが先月、妹が亡くなりました。10月の半ば過ぎから亡くなるまで仕事帰りに実家へ寄ってそばにいたから週単位に日単位にできなくなることを見てきて死が近いことがわかって本当に辛かったです。亡くなる前日いつもつま先だけ冷たかったのに足首の上の方まで冷たくて今日は随分足が冷たいねと言いながらクリームをぬってあげました。食事は母が用意した里芋と大根の煮物(味付けなし)に少し
緩和ケアって言うと終末期医療のことと思ったり最期、西洋医学的にできることがないから緩和ケアをすると思ってる人がいるけどそうじゃーない!緩和ケアは、痛みがありゃーいつでもやる!終末期医療とか看取りターミナルケアーと緩和ケアが一緒になってたりごっちゃになってることがある。がん
今日はスッと振り返りです😊『オトンの最期の時が近づく⑯』なんだろなーここからの内容が結構、しんどいから、思い出すと普通に気分が落ち込む😅でも、最後まで書ききって、終わりにする!てことで『オトンとの最期の会話⑮』結局…ameblo.jp↑続きーーー!夕方、オトンの入院先の病院から連絡娘さんですか?お母様に連絡したんですけど、動揺されて話が伝わったか不安やったんで、連絡させてもらいました。お父様ですが、今、水に溺れた状態になっていてとても苦しい思いをされています。モルヒネを使って緩和させ
特養さんでお世話になっている母が看取り期に入り毎日面会に行っています。母は食事量が減り、オシッコも出にくくなっています。手足もむらさき色で血色が悪いです。母の実子は私ひとりの為(母も一人っ子)、もし母が亡くなってしまったら喪主は私だし頼りになるような母方の親戚はいません。とりあえずメソメソはしてられません。まだ母は頑張って生きてくれていますが、覚悟と心づもりは必要だと考えています。母の葬儀に関しては、娘達と相談して決めた事があります。母が骨になるまでは義母を呼ばない事です。義