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盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡の街を流れる中津川。太平洋まで流れる大河の北上川や河川敷の広い雫石川と違って流れる水の量も少なく、川幅もさほど広くない。これだけ川が街の中を流れていれば、熊も誘われて来るのだろう。寒くなり、熊の話題はあまり聞かない。中津川沿いは時を経るごとに魅力的になってきた。毘沙門橋の袂には「草のゆかり」。2階から見る来春の桜は綺麗だろう。Login•InstagramWelcomeback
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>12月15日。今年も残り2週間。年末の仕事は片付けたか?自問自答。完全とは言えない・・・しっかり締めくくろう。打合せの後、夕飯。なんだかカレーが食べたくなった。と呟く様に言ってみた。「スープカレーハウスしっぽにしませんか?」直ぐに賛成。盛岡の岩手高校の傍にある「ヒトノキ」。小さな芝広場を囲むように木をふんだんに使った建物が並ぶ。広場のコンセプトは「一つの軒の下でつながりを」。飲食店、
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>3年ほど前、ブログを通じて知り合った映像音楽家がいる。メールでやりとりしていただけだが、盛岡の街を歩いてみたいと言っていた。そして、盛岡にはエンヤが似合うと。この街の真ん中辺りを流れる中津川縁に新たにカフェが出来た。デザイナーの皆川明氏が、紺屋町に「ミナペルホネンモリオカ」を開いてから半年。魅力的な皆川ブランドが並ぶ紺屋町の店は、通りから裏の中津川に抜けるアプローチが出来た。そして、川
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>いつもの様に温泉へ。雪の岩手山は神々しい。心洗われる。BegintheBeguine·BennyGoodman網張の温泉は表層雪崩で源泉の辺りに被害があったらしい。臨時休業だった。仕方なく山を下り雫石の広大な盆地をドライブ。だんだん日が傾き、岩手山が薄っすら朱色に染まりだした。盛岡へ向かう途中、民家の庭で見つけたジブリの世界。ちょうど家の方が雪だるまも制作
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>明治、大正、昭和を生き抜いてきた人々の足跡を辿りに、ある方の家を訪れた。奥さんの祖母にあたる方が盛岡芸妓だった。早速出てきたのは「切り火」。安全祈願、厄除けや身を清める意味がある。右の肩口の後ろから2、3回火打石と火打金を打つのだ。その家の旦那さんが、打ってみた。すると、カチッと朱の火花が散り、みんなの歓声。続々と色々な物が出てきた。幾つもの三味線、写真など次々とテーブルに。私もスタッフ達も
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡市の古い街、肴町にある行列のできるラーメン屋「たかみ屋」。1943年の創業。屋台から始まったそうだ。それから80年と長く地元の人に愛されてきた。1年近くかけて店を改装。2024年の9月にリニューアルオープンした。一昨年の7月の始めに来て以来だ。再開したのは知っていたが、ランチ時間は長い列。滅多に並ぶことのない私は、何度も通り過ぎた。先日、ランチを食べそこね2時過ぎに近くに
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>11月24日に直利庵で今シーズン初の「たちこそば」を食べた。「とても美味しかった~」ある方と会っている時、そんな話をしたら、「もう始まったの、食べたい!」あれから1週間ほど。しばらくは滅多に再訪しないが、行くことにした。DickFarney:SwanneeRiver朝から小雨降る日のことだった。直利庵に着いたのは、11時40分頃。平日なのに昼前から店の外にも待つ人。中に
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡市の雫石川の南には新しい街が広がる。大型ショッピングセンターやロードサイドの店が建ち並ぶ。看板は全国のどこの都市でも見かけるものが殆ど。そして、見渡す限り新しい住宅。ほかの都市と違うのは、雫石川に沿う様に岩手県立美術館や盛岡市のスポーツ施設、文化施設などのほか市立病院などが集まっている。丘もある広い中央公園も。公園の東側にビバテラスという施設がある。何棟かの建物があり、保育園、産直などのほかカフ
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>先日の4人の会。808盛岡桜山で岩手鴨のセリ鍋を食べ、桜山界隈を歩いて2軒目を探す。路地を巡った。9時過ぎで閉めてしまう店も多い様だ。昔は深夜まで煌々と灯りがついて賑やかだった。ネクタイを緩めて飲み歩いたものだ。サラリーマンの天国だったが翌日は地獄。(笑)通る度に気になっていた「櫻山チャンチキ酒場」の前に。「ここは、どう?」と言うと。「入ってみよう!」店の中は活気がある。「いらっし
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡八幡宮に一直線に伸びる八幡町の通り。昔は花街。盛岡芸妓も多く街を彩っていた。戦後は飲食店街として賑わいを見せた。通りには幾つもの路地。狭い路を囲んで飲食店が犇めいていた。しかし、今は人通りが少ない。ただ、盛岡八幡宮の元朝参りや秋の例大祭など行事のたびに大賑わい。通りは人で溢れる。WalkDon'tRun·JohnnySmith通りの真ん中
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>12月31日、大晦日。と言ってもここ数年、あまり大きな意味を持たない年越し。ある人からの誘い。「久し振りに、年越しに直利庵のそばを食べない?」始めは、きっと混雑しているだろうと思ったし、もう自分のそばの〆は食べたつもりだった。事務所の窓を開けてみた。道路向かいが盛岡八幡宮。もうすぐ5時になるが、外は静かだ。行く気になった。待合せて直利庵へ。次から次へと年越しそばをとりにくる。誰も写らな
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>テレビでは京都の嵐山など紅葉の見頃を映す。歩道から溢れる観光客。凄く混んでいる所でカメラを回すのだろうが、それにしても人並みは途切れない。北国の街、盛岡。並木の樹々も葉を落とした。枝を揺らして冷たい風。毎日熊が出没している。まだ冬眠しない様だ。この時期になると、食べたい物がある。時計は11時15分。ランチには早いが創業明治17年の老舗そば屋「直利庵」へ向かった。
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意>盛岡市八幡町の中華料理「SAKURA」が長期休業すると聞いた。これはと、急いでランチに行った。街の風景は変わらない。何事もなかった様に「SAKURA」は開いていた。EverythingIOwn·Breadランチの混雑を避け、急な階段を上ったのは、1時半頃。ドアを開けると、数人が食べていた。そう言えば、ある後輩と五目焼そばを食べる約束をしている。どの店にしようかと考えていた。S
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>冷たい雨が降る盛岡の街。傘をさして「東座」へ。また食べたくなってやって来た濃厚味噌白湯そば。AutumnLeaves·PaulaColeおや?今まで気がつかなかったが、暖簾に「東座」は「あづまざ」と書いてある。そうだったのか「ず」だとばかり。これは年寄りの思い込みかな。店主のこだわりなのだろうか。いつか聞いてみたい。入口の食券の販売に立つ。お客さんは見当たらな
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意して下さい。>後、2週間ほどで休業に入る盛岡市八幡町の「SAKURA」。また行った。階段を上りながら、マーボー麵を食べようと思った。ドアを開け、席に着くなり「マーボー麵」と言った。MILONGA-AstorPiazzollaSAKURAに初めて来た時、マーボー麵を食べた。そのことを思い出す。八幡で店を開くと、たちまち人気店になった。色々あった様だがそれはともかく、その日もしば
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>久振りが多い今日この頃。一年ぶりぐらいにある人と会った。待合わせ場所を決めあぐねていた。飲むにしても私はノンアル。どうせならと、職場近くまで迎えに行った。懐かしい職場の前に停めた。十数年はここで働いた。セクションは変わったが、この建物に縁があった。すぐに彼は玄関から出てきた。助手席に座るなり言った。「里伊には、最近行った?」「昨年ですね、行ったのは」そらなら久し振りに行こうと言った。人気の店な
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>一昔前のこと。東京や横浜でトレードショーがあり、ブースに来場した関係者にちょっとしたプレゼントを渡した。二十数年前の話。数種類を用意した。当時の人気は小岩井農場の製品や南部せんべいだった。盛岡界隈を訪れた人がお土産に買って行った。あの頃、南部せんべいの由来などをよく聞かれ、色々と人に聞いたり、自分で調べたりしたものだ。南部せんべいは岩手の中央から県北、青森の八戸周辺、つまり旧南部藩で焼かれている
盛岡食いん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡で暮らす人は、盛岡に二つあるイオンを前潟イオンと南イオンと呼ぶ。誰かの話では8キロしか離れていない。大型のショッピングセンターが郊外にでき車で買い物に行く。典型的な地方都市の姿だ。中心部もスーパーがあちこちにできて商店街からは、肉屋、米屋、八百屋や魚やなどの専門店が消え、飲食店が並ぶ。街には20階を超えるマンションも数棟ある。そんな街が良いのか悪いのかは分からない。煌々と明りが灯る南イオン。明
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>つきあいも長くなると、何となく考えていることが分かると思っていた。先日、10年ほどの間に何度か一緒に仕事をしている人と会った。その日は、主にランチをしながら色々な話。場所はハンバーグで知られるカフェレストラン瑠奈。盛岡の南の方にある。ここには殆ど夕飯で訪れる。ランチは初めてかも。入口の看板をチェック。ランチメニューもあるのを知った。間違いない昼は初だ。MichelLe
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>午後になってもシトシトと冷たい雨。夜の会議の前に何か食べてから行こう。ラーメンがいいかな。中ノ橋エスビルの地下へ下りた。以前はたつみビルと言う名前で地下に数軒の飲食店が入っていた。盛岡で初めての地下の飲食店街だった。昭和の話だ。今では飲食店は「えぞっこ」だけ。当時、肴町はバスセンターでは多くの人が行き交いデパートまであった。味噌ラーメンが流行り、いつだったか大将が、あの頃は味噌ラーメンばかり作ってい
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>今日も肴町近くにいた。用事が済むと1時を少し過ぎていた。一度、駐車場に戻った。この辺りでは広い平場のスペース。ぐるりとマンションが駐車場を囲む。マンションや商業施設にしても必ず必要な駐車場。特に地方都市では車での移動必然なので広いスペースがいる。この間は「じゃじゃ麵㐂作」でランチ。今日はホットライン肴町を横切った。JanisIanWillYouDance?アーケ
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>昼過ぎの盛岡八幡宮。太陽が顔を出し、冷えた大地を暖める中を歩く二人。つかず離れずいい距離感。対の関係性が現れている。などと勝手なことを考えながら境内を歩く。七五三の季節。AutumnLeaves-ArpiAltoカラスが食べ物を探している。歩くというより飛び跳ねて進む姿が幼子のよう。じっと見ているとカラスと言えど可愛らしい。羽が陽光を受けて光り輝く。ほんのり虹
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>岩手山麓の網張温泉「ありね山荘」へ。標高は650メートルを超える。霧に覆われ視界がきかないが、見え隠れする光景は幻想的だ。日帰り温泉のありね山荘。露天風呂もあるが内湯の窓は、高さ3メートルぐらいで幅は7、8メートルもあり、雫石の盆地が一望できる。遠くにちょっとだけ盛岡の街も見える。窓のすぐ外にはヤギがいて時々、目の前を横切っていく。日によって違うが今日はほんのり硫黄の匂い。お湯に体
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>月が雲に隠れた。それでも月光は地上に届く。静かな夜だ。雫石町の温泉の帰り、国道46号線を走ってきた。血流がよくなり、一緒の人は肌艶がよくなった。5、6才ほど若返った感じ。そのことを伝えると笑って、「ラーメン食べに行きません?」。それで決まり。盛岡の街に入った。4車線の国道は、跨線橋でJR東北線を越え、北上川に架かる夕顔瀬橋に向かう。かつてこの道には、開かずの踏切があり幅も狭かかったが
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>盛岡の官庁街の並木も新緑。城跡の桜も散り、名残の枝垂れ桜。それでも雨混じりの肌寒い日が続く。厚手のコートを離せない。GoingOutOfMyHead·SergioMendes&Brasil'66昼頃、ある人からランチの誘い。盛岡から遠野に通ずる国道396号を南へ。ゴールデンウイーク明けのこともあり、休みの店が多い。取って返して三陸の宮古に繋がる道、国
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます、音量に注意してください。>新年会の2次会。フェザンのすし清次郎を出た後、交差点の向かいのビルの2階にある「ディエスオーチョ」へ。VaughnMonroe-LetItSnow-DieHardディエスオーチョは、20数年ぶりだ。以前は、道路の向かいのビルにあった。その昔、ある人と盛岡の繁華街で飲んだ後に来た。牡蠣を沢山食べて来た。それがよくなかったらしく、私は何ともないのだが、一緒の人が具合
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>きっと明日も暑いのだろう。と思わせる優しさのない夕焼け。近頃は街の樹々の緑も弱弱しく見える。「パスタを食べに行かない」とメール。返事は、「いいね」少し急いで向かった。先日、ある集まりでコロナの後、変わったことの話になった。飲食店の閉店時間が早くなり、元どおりに戻っていない。2次会に行かなくなった。などの話が出て私も頷いた。リベルタもコロナ前より早く閉める様になったと思う。
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>7月の末。盛岡市八幡町と隣接する松尾町の料亭「喜の字」で懐石の弁当を食べながら会合。久し振りの料亭「喜の字」。この街は、江戸時代からの歓楽街で茶屋などが多かった。明治期になると、花柳界として賑わった。八幡界隈は、幡街(ばんがい)と呼ばれ、芸妓衆は本町の本街と競い合っていた。昭和の頃、料亭や飲食店が連なっていたが、今は賑わいも影を潜め料亭は「喜の字」だけが残っている。数年前までは、年に何度
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>9月も下旬が近い頃までの暑さ。あれは何だったのだろう。一日過ぎるたび空が変わり、一斉に鳴いた虫の音は、あっという間に聴こえなくなった。もう朝の気温が11度の日も。トンボたちも短すぎる一生だったのだろう。停まった車のボンネットの温もりで羽を休めたが、再び飛びそうにみえなかった。気がつけば、深山からは紅葉の便り。もうすぐ山里も色づき街の街路樹も赤や黄に染まる。今日は小春日和。風が心地良
盛岡食いしん爺日記<音楽が流れます。音量に注意してください。>盛岡の上田は大学や高校がある。社会人として盛岡に来たばかりの頃、ある人に思い出の場所だと連れられて訪れた。その頃の高島屋は、店構えも中も違っていた。うどんを食べ美味しかった記憶がある。今の高島屋は、暗くなると年中クリスマスの様だ。昔と違い道路も広くなったが夜は静かな街だ。その中でひと際目立っている。AlmostBlue·ChetBaker出入口のレジの後ろの