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【アイウエオの秘密】「高根正教・三教親子」今日は、私の言霊の師匠である高根三教先生ならびにそのお父様の高根正教先生についてご紹介します。以下プロフィールは、Youtubeで紹介させていただいてます内容のものです。(転記)高根正教は明治16年1月,神奈川県足柄下郡小田原町に生まれ。明治40年3月同県立鎌倉師範学校卒業後,同県各所の小学校に奉職,33才の若さで校長の地位につくがその研究が国体に関する公的な学説と相入れないため教壇を去らざるを得なくなり,大正13年に退職する。正教は在職中,国語
令和6年3月24日(日)~25日(月)静岡(駿河城・久能山東照宮)旅行「ニッポン城めぐり」のアプリで、3000城を攻略も1つの目的として旅行をしている夫婦です。今回は、静岡の未攻略城の攻略の為に、静岡市を旅します。24日(日)1:30自宅発3:00鈴鹿PA4:10岡崎SA仮眠7:00朝食(ガスト静岡安西店)9:00静岡市歴史博物館(しずれきガイドツアー参加)駿河城ガイドさんの後に、つい
稲刈りの終わった田んぼで発掘調査が行われていました。買い物に行く途中、田んぼで多くの人が働いているのが見えました。近づいてみると、遺跡の発掘調査でした。家の辺りでは、一年中見かける光景です。稲刈りが終わったので、田んぼの下を発掘しているようです。道路に沿って発掘しているところを見ると、道路の拡幅工事をするために調査しているのかもしれません。家のあたりはどこを掘っても遺跡が出てきます。発掘調査の結果、重要と判断されれば保存されますし、さほど重要でなければ道路をつくった
年の瀬に行った、冬の県北探訪。よりによってめちゃくちゃ寒い日に出かけてしまいました。場所は大田原市の湯津上地区(旧湯津上村)。いつも車で通過してしまう古墳を、改めて鑑賞しようと、下侍塚古墳を見に行ってきました。国道294号の道沿いにある下侍塚古墳。いっぱい松の木が植えられています。冬なので「こも巻き」がされていました。腹巻きしてるみたいでかわいい。全景はこんな感じの「前方後方墳」。きれいに形が残っていますね。
まず初めにこのような研究、文化財保護活動の取り組みをここ島本町に着目し、ふれあいセンターで一堂に会された、研究者の皆様、地域住民の皆様に、心より感謝を申し上げ、参加するだけで恐縮でしたが、これからも継続して欲しい、、とか、島本駅設置事業の駅前広場で発掘調査が行われ、しかし、何ら物証は出なかった、いまだ「伝承」段階である「桜井駅跡楠公父子別れの地」ばかりに重きを置くように見えるしまもと。遺物や遺構が発掘されている水無瀬離宮、今回は「水無瀬殿」として研究されている成果や
星野遺跡に行ってきました(2/17)幼稚園の頃に遠足で一度行ったことがあったような無かったようなそんな昔の記憶を辿りながら訪問しました縄文時代の住居を復元した3棟の竪穴式住宅がこじんまりとそこに在りました子供の頃、もっともっと広かったようなイメージでしたが昔の記憶はこんなにも曖昧なんですね星野遺跡記念館建物の外観よりも中は広く感じました展示物も豊富で星野遺跡発掘の歴史を知ることができます一人でゆっくり読み進めて20分くらい楽しめます
摂津巡礼4(尼崎市水堂町)2024年4月25日流麗な流れ造りの本殿・拝殿および総檜造り手水舎があります。そしてこの須佐納神社は水堂古墳という、古墳の上に建てられているのです。拝殿・本殿の後ろには「水堂古墳保存館」があり「ご自由に拝観下さい」とあったので、中を見せてもらった。中には、多くの資料写真と発掘された木棺と副葬品の発掘調査結果が再現されている。後円部からは、粘土に槨に覆われた割竹形の木棺(ヒノキ材)が見つかっています。木棺は長さが約7m、幅が約1mあり、内側には朱
12月9日(土)は日本城郭史学会の2023年度第3回城郭史セミナーがありました。テーマは「小牧山城の最新の発掘調査から」です。今回は小牧市教育委員会小牧山課の田中芳樹さんを講師にお招きしました。田中さんは今年放送されたNHKBSプレミアム「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城徳川家康の城(後編)」に出演して小牧山城を案内しています。小牧山城土塁小牧山城が信長の居城だったのは永禄6年(1563)から永禄10年(1567)の5年弱でした。その後、天正12年の小牧・長久手の合戦の時は
古代エジプト第2王朝時代の墓など発見日本・エジプト合同調査隊(毎日新聞)-Yahoo!ニュース以下、記事の抜粋。『古代エジプト第2王朝時代の墓など発見日本・エジプト合同調査隊1/5(金)13:44配信エジプト北部サッカラでの発掘調査で見つかった墓=エジプト政府提供エジプト観光・考古省は3日、首都カイロ南郊サッカラで日本・エジプト合同調査隊が古代エジプトの第2王朝時代(約4900~約4700年前)や第18王朝時代(約3600~約3300年前)など複数の時代の墓を発掘
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩湯、香美、吉野、広岡、豊国、新野、加茂、広野、河辺、鷹取、和気の14郷からなり、国府が置かれた苫田〈とまた〉郡に次ぐ人口を抱えていました。郡名のかつま(勝間、堅間)は目の詰まった編かごのことで、かつまた(勝間田)とは編かごの目のように水田が連なる豊かな土地を言うのでしょう。この勝田郡の役所の跡が、現在の勝央町役場の西側で見つかっています。
【問題】【日本城郭検定2級】小牧山城の発掘調査は多くの成果を上げているが、令和3年(2021)に山頂主郭曲輪東側一段下の帯曲輪で確認できたのはどれか。【選択肢】連続杭柱穴遺構版築通路遺構礎石建物遺構玉石敷遺構【正解】玉石敷遺構【解説】確認された玉石は小牧山から取れるものではなく、一定の規格に合う石がわざわざ別の山から持ち込まれていた。敷設範囲内に立石と思われる大きな石や植栽痕があることなどから、庭園に伴う玉石敷遺構であると推定されている。問題・解説文提供:「日本城