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天正10年(1582)、織田氏と毛利氏が中国地方の覇権をかけて争った備中高松合戦(備中高松城水攻め)は、羽柴(豊臣)秀吉が天下人へと歩みはじめる転機となったことで知られていますが、この合戦に加わった国人(在地領主)の居館跡が見つかっています。備中高松城跡の西約5kmにある総社遺跡は、国道180号バイパスの建設に先立って平成13~15(2001~2003)年に発掘調査が行なわれ、周囲に幅9.8m、深さ2.2mもある堀や土塁を巡らせた居館跡であることが明らかとなりました。部分的な調査のため全貌は明
目次大路上から建物跡木簡から役所名も?桓武天皇が平城京から都を移しながら、すぐに平安京に遷都したため、わずか10年の短命で終わった長岡京で、平安京への遷都直前の2年間、天皇の仮住まいとなった「東院(とういん)」の跡の東隣(京都府向日市)を発掘調査したところ、近くを通る大路上から大型の建物跡が出土しました。周辺では役所を置いたことを予想させるような木簡も出土しました。役所は本来、都の中心施設の長岡宮内に置かれますが、宮内を解体するため、臨時で路上に建てたものとみられ