ブログ記事2,033件
令和6年3月24日(日)~25日(月)静岡(駿河城・久能山東照宮)旅行「ニッポン城めぐり」のアプリで、3000城を攻略も1つの目的として旅行をしている夫婦です。今回は、静岡の未攻略城の攻略の為に、静岡市を旅します。24日(日)1:30自宅発3:00鈴鹿PA4:10岡崎SA仮眠7:00朝食(ガスト静岡安西店)9:00静岡市歴史博物館(しずれきガイドツアー参加)駿河城ガイドさんの後に、つい
5/17(水)~18(木)にかけて、「青森・秋田のお城巡りの旅」に出かけました。2日目は、秋田に宿泊したのでホテルを7時半に出て、レンタカー会社へ8時前に入りました。手続きはスムーズに済み、8時に「能代方面」へ出発となりました。当初は「能代」で宿泊予定を計画していましたが、「能代」周辺のホテルがその日は全て満室、というのも「バスケット」の試合があったようです。私は今まで知らなかったのですが、「能代」は「バスケット」で超有名な町だそうで、今「バスケブーム」もあって宿泊する余地がありませんでし
年の瀬に行った、冬の県北探訪。よりによってめちゃくちゃ寒い日に出かけてしまいました。場所は大田原市の湯津上地区(旧湯津上村)。いつも車で通過してしまう古墳を、改めて鑑賞しようと、下侍塚古墳を見に行ってきました。国道294号の道沿いにある下侍塚古墳。いっぱい松の木が植えられています。冬なので「こも巻き」がされていました。腹巻きしてるみたいでかわいい。全景はこんな感じの「前方後方墳」。きれいに形が残っていますね。
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩湯、香美、吉野、広岡、豊国、新野、加茂、広野、河辺、鷹取、和気の14郷からなり、国府が置かれた苫田〈とまた〉郡に次ぐ人口を抱えていました。郡名のかつま(勝間、堅間)は目の詰まった編かごのことで、かつまた(勝間田)とは編かごの目のように水田が連なる豊かな土地を言うのでしょう。この勝田郡の役所の跡が、現在の勝央町役場の西側で見つかっています。
まず初めにこのような研究、文化財保護活動の取り組みをここ島本町に着目し、ふれあいセンターで一堂に会された、研究者の皆様、地域住民の皆様に、心より感謝を申し上げ、参加するだけで恐縮でしたが、これからも継続して欲しい、、とか、島本駅設置事業の駅前広場で発掘調査が行われ、しかし、何ら物証は出なかった、いまだ「伝承」段階である「桜井駅跡楠公父子別れの地」ばかりに重きを置くように見えるしまもと。遺物や遺構が発掘されている水無瀬離宮、今回は「水無瀬殿」として研究されている成果や
摂津巡礼4(尼崎市水堂町)2024年4月25日流麗な流れ造りの本殿・拝殿および総檜造り手水舎があります。そしてこの須佐納神社は水堂古墳という、古墳の上に建てられているのです。拝殿・本殿の後ろには「水堂古墳保存館」があり「ご自由に拝観下さい」とあったので、中を見せてもらった。中には、多くの資料写真と発掘された木棺と副葬品の発掘調査結果が再現されている。後円部からは、粘土に槨に覆われた割竹形の木棺(ヒノキ材)が見つかっています。木棺は長さが約7m、幅が約1mあり、内側には朱
【アイウエオの秘密】「高根正教・三教親子」今日は、私の言霊の師匠である高根三教先生ならびにそのお父様の高根正教先生についてご紹介します。以下プロフィールは、Youtubeで紹介させていただいてます内容のものです。(転記)高根正教は明治16年1月,神奈川県足柄下郡小田原町に生まれ。明治40年3月同県立鎌倉師範学校卒業後,同県各所の小学校に奉職,33才の若さで校長の地位につくがその研究が国体に関する公的な学説と相入れないため教壇を去らざるを得なくなり,大正13年に退職する。正教は在職中,国語
イギリスのアマチュア考古学者が、ローマ時代の12面体を発見した。この謎の12面体の金属製の物体は、発掘調査中に発見された。続きを読む:https://verdadeufo.com.br/2024/01/dodecaedro-romano-descoberto-por-arqueologos-amadores.htmlローマ時代の正十二面体」と呼ばれるこの謎の物体は、2023年の夏、リンカンシャー州のノートン・ディズニー近郊の農家の畑で考古学的発掘が行われた際に発見された。画像クレジット