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手術の時が来た2022年2月22日(火)、朝を迎えた。いよいよ今日だ。手術(カテーテルアブレーション)は午後1時の予定だった。朝食後、コーヒーを買いに休憩室に行ったら、ドアが開かないようになっていた。昨夜のロックダウンのアナウンスを思い出した。コロナ患者が利用した可能性があり、閉鎖されたのだろう。しかたなく上階の売店でホットコーヒーを購入し、病室へ戻った。コーヒーを飲もうとしたその時、看護師が入ってきた。手術の時間が早まり、午前中に行うという。午前中の手術の人は朝食を食べてはいけな
ようやく手術(カテーテルアブレーション)が終わる尿道カテーテルが正確に装着されていないことに気づいてから、40分くらい経っただろうか。地獄の我慢大会は、医師の一言で幕を閉じた。「もうそれ以上やったら危ないから、終わろう」。手術の痛みの他に、腹部の痛みと尿意の我慢の限界を考えると、本当にほっとした瞬間だったが、医師の一言は私に充分な不安を与えた。やり切った感がない。しかたなく終わるのだ。アブレーション終了後、すぐに看護師が尿道カテーテルを装着しなおした。スーッと腹部の痛み、重みが消え
退院の日2022年2月23日。退院は午前中だった。朝食後、荷物をまとめた。昨日、手術(カテーテルアブレーション)をしたばかりなので、病院を離れることに少々不安な気持ちはあったが、早く家に帰りたいとも思った。荷物をまとめ終わった頃、叔父の命の恩人である大御所の医師が病室に来てくれた。23日は祝日だったせいもあり、診察もなく、鼠径部の傷が気になっていた私は、大先生に診てもらい、問題ないと言われ、ほっとした。そして、私は聞いた。「先生、私のアブレーション、微妙だったみたいですね」と
かかりつけ医を再度訪ねた3月に処方された薬はまだ残っていたが、携帯型心電計で発作時の心電図をとりためたので、先週かかりつけ医を訪ねた。やはり、発作性上室性頻拍がはっきりとわかる心電図があった。一瞬ドキンと発作の始まりのような症状が起きた時の心電図からは、異常を認められず、誰にでもあるようなものらしい。私が心臓を悪くしたことで注意しているから気づくのであって、今のところそんなに気にしなくても良いとのことだった。医師は、私さえ決心がつけば、再度手術(カテーテルアブレーション)をしてみる
かかりつけ医を見つけた皮肉なことに、2022年1月12日(水)の最悪な女医との出会いが、私の背中を押した。最悪な女医が私に新たな決断をさせた【発作性上室性頻拍⑥】発作性上室性頻拍を発症してから3年間、表向きはいつもの私であったが、常に不安という名のベールに包まれながら過ごしてきた。今こそ、そのベールを脱ぎ去る時なのだ。そう思い始めていた。私は、ネットで自宅から近い循環器内科を探し、あるクリニックにいきついた。「お問い合わせ」という項目があったので、簡単に自分の状況を説明し、手
新年早々に長い発作昨年3月以来だろうか、2時間以上の発作が起きたのは。今回は3時間以上続いた。しかも、頓服薬として処方されているベラパミル(ワソラン)を2錠飲み、精神安定剤的役割を果たすジアゼパムも飲んだのに3時間以上続いた。これは、何を暗示しているのだろう。薬の飲み方は、良くなかったとは思う。最初にみぞおち辺りがギューッとなり、すぐに、心電図を測ると脈拍は120。そこまで高くないので、感覚的に苦しいとか横になりたいとまではならないが、立ち上がって行動する気にもなれない。いつものよ
先週末にカテーテルアブレーション手術しました。昨年の2月に銀座で、4月に渋谷で、今年の2月2日に大阪市福島区で発作性上室性頻拍(PSVT)の発作にみまわれ、渋谷ではしばらくしゃがみ込み、大阪では3時間止まらずに病院受診して注射薬で止めました。その後内服していましたが、小さい発作はたまにあり、何をするにもビクビクしてしまって、生活の質が低下していました。自分の病院の内科の先生の勧めもありアブレーション手術を大阪府の北部の病院で受けました個室料は1日1万4千円。トイレとシャワー付きでした。
胸の痛み発作性上室性頻拍においては、現状維持。悪くもならず、かといって、発作がないわけではない。最近ちょっと気になることがあったので、薬はまだあったが早めに受診した。ここ2週間くらい、左胸が時々痛む。すごく痛いわけではないけれど、無視もできない、ちょっと気になる痛み。でも、長くは続かない。物事を中断するほどでもなく、いつのまにか治っているので、痛いと思っても、数分後には忘れている感じだ。医師によると、しばらく様子をみても良いとのことだった。水を飲んだりすると良いらしい。すぐに
ひっきりなしに患者が訪れる深夜の救急外来2019年2月1日、夜、発作が起きた。発作時に飲む頓服薬として処方されたベラパミルを1錠飲んで2時間以上が経っても発作は止まらず、23時過ぎ、夫の運転する車で救急外来へ行った。心電図や血液検査をし、発作を止めるため点滴の投与が始まった。薬は血圧を下げるらしく、もともと血圧が低い私に、医師は慎重に何回かに分けて様子を見ながら薬を投与してくれた。とても感じの良い若い男性医師だった。看護師さんたも皆、若い。今日がたまたまなのか、それとも人手が
11月25日入院3日目いよいよ手術日5:30起床して洗顔などあとは術後困らないように水やストロー歯ブラシ、お箸などオーバーテーブルの上に準備T字体も看護師さんに分かるように6:00いつもの仲間との朝活いつも通りが良い7:00検温、点滴開始8:00静脈血栓症予防の弾性ストッキングを履いて尿道留置バルン挿入あー、久しぶりのバルン気持ちの良いものではないよねそして前貼り昨夜アローゼン飲んだけど便が出ない毎日快便子
入院5日目(術後2日目)今朝は採血はありません朝ごはん《午前中、担当医の診察》右そ径カテーテル挿入部の抜糸もお、テープが痒くて痒くて仕方なかったので開放感ぼりぼりぼりぼりもう1本のルートも抜けて晴れて本来の私へ✧*。٩(ˊωˋ*)و✧*。ガッチリ、テープの糊が残っている所は看護師さんがオレンジソルベンで拭いてくれたかぶれた所にはレスタミン軟膏処方お昼ごはん食べたばっかり感はあるけれどここのお米は美味しいなぁ午後若い看護師さんが、多分わたしに検脈の指導をしようと思
入院4日目(術後1日目)何とか眠れて体調も回復若干頭痛は残るものの睡眠って大事だ‼️朝の採血はキープしたルートから引けたので針を刺されずに済みました(*´꒳`*)看護師さんも私もお互い嬉しい朝ごはん《午前中、入院担当の先生の診察》心電図と簡易型のエコーで心臓に血液溜まっていないか確認右そ径のカテーテル挿入部はお団子ガーゼで圧迫しているので、圧痛の確認や血腫が広がっていないか確認まだ血圧は80台だけれど、カテコラミンもとりあえず止めることになり、2本の静脈ルートのうち1本は抜い
再び発作2022年4月18日(月)の衝撃的な発作の後、夜中に胸が痛んだり、不快感で寝つけない日もあったが、なんとか1か月が過ぎた。その間、普通に出歩いていたし、あまり気にしないようにしていた。希望は完全に捨てていなかったと思う。しかし、完全なる発作が立て続けに起きたのだ。5月25日(水)の深夜、はっきりとした強く速い鼓動は、まるで私に敗北を告げるように波打ち続けた。脈拍は160近い。頓服用に処方されていたベラパミルを飲んだ。1時間以上経ってもおさまらない。充分想定内だ。アブレーショ
開口一番医師に言われたこと先月、薬を処方してもらうため、かかりつけ医を訪ねた。1月に3時間以上続いた発作の心電図を時間の経過ごとにコピーしたものを持参した。「やはり、もう一度、アブレーションをしたほうが良いですね。」医師はコピーに目を通した後、開口一番そう言った。私もそう思う。状況は理解している。これだけ長時間発作が続くということは、心臓の異常な回路が現在もしっかり存在するのだ。前回、手術は不成功に終わったとはいえ、かなり焼灼し、実際、発作持続時間が短くなった。でも、長い発作
気になった鼠径部の傷退院後、気になったのが鼠径部の傷だ。カテーテルを挿入するために切った部分である。傷の周りが、青紫のあざのようになり、それは広がり、その色は濃くなっていった。医師や看護師から説明がなかったこともあり、これが正常な過程なのかわからず不安を感じた。退院2日後、かかりつけの循環器内科で、診てもらった。結果、問題はなかった。そうなるものらしい。そのうち、青紫のあざのような部分は移動していくだろうが、気にしなくても良いとのことだった。ほっとした。平穏な日々私のメモには「
2月2日に頻拍発作に襲われて、病院で発作性上室性頻拍(PSVT)と診断されました。過去にも頻拍発作があり、そういえばあの時もこれだったのか、と謎は解けてすっきりしたのですが、しばらくするとこの発作を持ちながら生活することはやはり生活の質が落ちると考えました。発作後1Wはベラパミル、その後はビソプロロール(2.5mg)1T朝後内服中です。心臓の働きを抑えるお薬なので激しい運動や脱水、アルコール、刺激物は控えるように指導されています。お休みの日には激しい運動とアルコールで過ごしていた自分にと
薬を服用していても発作が2022年6月9日(木)からビソプロロールフマル1錠の服用を再開したところ、発作は起きなくなった。しばらくは平穏な日々が続いた。夜中に胸に不快感を感じることはあったが、日中、はっきり認識できる発作は1年以上なかった。しかし、とうとう平穏な日々に終止符が打たれた。2023年10月14日(土)夕方、ギューッと胸がつまる感じがした。発作性上室性頻拍特有のドクドクと急激に速く強く波打つ感じではないが、脈を測ると120以上あった。頓服用のベラパミル1錠と精神を安定させ
携帯型心電計でわかったこと2023年11月、かかりつけの循環器内科の医師にすすめられ、携帯型心電計を購入した。なんとその後すぐに、発作が起きて、発作時の心電図を記録することに成功した私は、早速、医師に、心電図を印刷したものを持参した。心電図からわかったことは、私は今も発作性上室性頻拍であるということだ。手術(カテーテルアブレーション)がうまくいかず、発作性上室性頻拍が起きていることが、はっきりと裏付けれられた。とりあえず、何か違う不整脈が見つかったわけではないことに少しほっと
最悪な女医発作は止まったが、看護師に待つよう言われた私は、しかたなく待合室で待つことになった。ほどなくして、呼ばれた。診察室のドアを開けると30代半ばくらいの女性の医師がいた。彼女は、私が入るなり、心電図を見た限り命に別状はないので、最後にまわしたと言った。面食らった。あきれて何も言えなかったと書きたいところだが、私は言った。心電図を見て命に別条がないとおっしゃったが、私が心電図をとったのは、病院へ着いてから1時間以上経ってからだと。その医師は、すぐさま反論した。「それはすみ
大学病院で2022年6月8日(水)、手術(カテーテルアブレーション)をしてもらった病院からの紹介状を持って、自宅から程近い大学病院へ行った。一通り検査をした後、診察室に呼ばれた。医師の見解では、新たな不整脈が発生したというよりも、カテーテルアブレーションで焼ききれなかった部分があり、発作が起きているのではないかとのことだった。もちろん、発作時の心電図がないので、断定はできない。断定できないことについては見解を述べない医師も多いが、その医師は自分の考えを述べてくれるタイプだった。
右足の付け根からカテーテルを入れて、アブレーションしたその後。退院後すぐ↓3日後↓治療後1週間↓治療後2週間↓どんどん色が。。。なんでやね〜ん(笑)
発作性上室性頻拍の人はコロナ感染で重症化するのか今では、気にしている人は少ないかもしれないが、まだコロナに感染したことがない発作性上室性頻拍の人で、気になっている人のために私の経験を伝えたい。コロナが日本に上陸し、行動が制限されていた頃、私は気になっていた。発作性上室性頻拍の人はコロナに感染したら重症化しやすいのだろうかと。結論から述べると、私は重症化はしなかった。ただ、周りの感染経験者の体験よりひどかったことは確かだ。それは、発作性上室性頻拍だからというわけではないと思う。私が感
久しぶりに発作性上室性頻拍が起きました。突然始まり突然終わる。ちょっと脈早いなー(85/分)と思ったら、あれよあれよと(260/分)まで急上昇。身体が脱力して意識が飛びそうになる。冷蔵庫まで這いつくばって、保冷剤を顔に当てて息を止める。10分くらいでおさまった。頻脈発作はとても不快だけど、痛みは無い。『このまま意識失って死んじゃえー!』という気持ちもあるが、なかなか死ねないものだ。病院でカテーテルアブレーション手術を勧められましたが、受ける気はありません。薬も出ていますが、飲む
いよいよ入院2022年2月20日(日)、入院の日。病院まで夫に車で送ってもらった。コロナ禍なので、患者本人以外は病院に入れず、私は病院の入り口で降りた。病院から自宅まではかなり遠い。手術でもし、何かあっても、家族はすぐに到着できない。私が次回夫に会えるのは、退院の日、迎えに来てもらう時だ。どこか知らない所に取り残された子供のように、なんだか寂しい気持ちになった。受付で手続きをすると、PCR検査へ。ここで陽性の結果がでたら、帰らなければいけない。検査の結果がわかるまで、入院する予定の
前立腺癌治療後経過観察中でもあるので、なるべく体を労わりながら、昔のように無茶な運動や過労をしないように生活してきましたが。1月31日金曜日に東京の所属するコンサル会社本社で社員向け研修会に講師として呼ばれました。午前中は大阪の病院で勤務して、午後から新幹線で品川へ。夕方に講演。夜は天王洲で食事会。品川プリンスホテルに宿泊して土曜日に京都に帰宅。(これが無理だったか?これで感染した?)2日の日曜日に軽く筋トレして入浴して大阪のマンションへ移動。福島駅から歩いていると突然激しい動機ととも
症状右足裏皮が分厚くなってる感覚。右足ひざ裏下からふくらはぎの張り、もも裏の張りがある。右足の指動くけど感覚が鈍い。右足かかとの感覚鈍い。右脚裏側強張ばる不正脈なくなる。脚の付け根に大きく青アザ23日月曜日からカテーテルアブレーション手術の為入院し、25日退院する23日11時に病院チェックインし、今後の予定などを看護師さんから説明を受けて、心電図、レントゲン検査に行く。18時半過ぎにDr.Nの施術の説明を受ける。手術の予定時間は11時から13時くらいと言われる24日7時