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この写真は令和8年4/15時点の状況です。国立新美術館で開催中『生誕100年森英恵一ヴァイタル・タイプ』展。その人生をドラマ化した番組も見て、どうしても展覧会が観たくてやって来ました。資料類含め400点近いボリュームですが、デザインされたドレスを中心に、会場内の雰囲気が分かるよぅな写真でご紹介します。↑戦後、日本映画の衣装制作。↑↓ニューヨーク進出期。↑↓日本の布地や技術を活かしたデザイン。↓なんと言っても、パリオートクチュール期。ニューヨーク進出期には、後ろから見るとモ
今年の10月27日から11月5日まで、東京国際映画祭が開催されました。上映部門の中に「日本映画クラシックス」という部門があり、そこで『生誕100年三島由紀夫特集』として4本の作品が上映されました。◎三島由紀夫さんの『金閣寺』が原作の、市川雷蔵さん演じる吃音症の青年僧が国宝寺院に放火するに至るまで、相克する感情に揺れる様を入念に描いた名作、市川崑監督『炎上4Kデジタル修復版』(1958年)◎市川雷蔵さんが『炎上』に続き、三島文学に挑んだ現代劇で、懸命に剣の世界に邁進する主人公の
時々紹介している小説家・牧野信一その従兄弟である画家・牧野邦夫1925(大正14)年5月27日に生まれました牧野邦夫は満年齢が昭和と一緒昭和100年の今年本日5月27日が牧野邦夫生誕100年残念ながら1986年10月癌により61歳で帰らぬ人となりましたが生きていれば100歳です牧野邦夫(1925~1986)のことをご存じの方は少ないと思うのですが知る人ぞ知る画家でコアなファンが多い石坂浩二さんは先生と呼んでいるほどのファン黒柳徹子さんは
国立新美術館で開催中の森英恵の大回顧展「生誕100年森英恵ヴァイタルタイプ」に行ってきました。初日だったので並ぶの覚悟で行ったら・・・・ガラガラで拍子抜け。アジア人で初めてパリ・オートクチュール正会員となった森英恵さんこの展覧会はオートクチュールのドレスや資料等約400点の展示があります今回はデザインや色遣いなどをじっくり堪能。目に留まったものを色々と撮ってきました展示の中ではちょっとタイプが違うデザイン鮮やかな
きのうから、軽井沢高原文庫は今年4つ目の展示となる「軽井沢の文豪たちに逢いにゆく<続>」がスタートしました。明治期から昭和期にかけて、軽井沢ゆかりの文学者約50人が軽井沢を舞台に創作した詩・小説・随筆・戯曲・俳句・短歌等を、著作、原稿、初出紙誌、絵画等によって紹介しています。資料点数約200点。会期は11月30日まで。ここで、最近の出来事を少し振り返ってみたいと思います。この約1週間、忙しい日々を送っていましたので、私はまだ頭がボーっとしています。5日前の10月13日、夏季特別展「生誕
吉村昭原作ドラマ「羆嵐」の上映会。三国連太郎主演、降旗康男監督で1980年の放送です。キャストに篠ひろ子さんの名前があり、篠さんが演じるような役が原作にあったかと思いながら。伊集院静さんと結婚する10年ほど前ですね。昨年の「今年の漢字」に「熊」が選ばれるほどなので、抽選になったよう。去年暮れの三越劇場での朗読劇もすぐに完売したとか。BearBellをいただきました。上映会後、「吉村昭『羆嵐』を描く」を展示中の吉村昭記念文学館へ。展示は18日まで。今年は吉村昭没後20年、来年は生誕100
こんにちわ。クロカワです♪教室のホームページ⇒『神戸六甲♪音楽教室』ホームページはこちら今日は雨。。そして、風が昨晩から強いまま。。雨は、今夜遅くまで続くようなので、皆既月食の日だそうですが、見えそうにないですね~今日は『ひなまつり』ですねでも、我が家は、これといったお料理や、雛あられを食べるわけでもなく。。ということで、ひな祭りにちなんだ、ちらしずしを、お昼ごはんにと、スーパーで買ってきて、私だけ食べました2月からずっと出していた『鬼の的あて』も片付けました。お
ロレックス「オイスター」誕生100周年の記念すべき年!戸塚区やその周辺地域にお住まいの皆様、こんにちは。おたからや戸塚店です。世界中で絶大な人気と知名度を誇る高級時計「ロレックス」。実は今年、ロレックスの歴史において非常に重要な節目であることをご存知でしょうか。時計の内部を水やホコリから完全に守る、世界初の防水ケース「オイスターケース」が特許を取得した1926年から、ちょうど【100周年】にあたる記念すべき年なのです。完全防水ケースがもたらした圧倒的な実用性と信頼文字盤に「OYSTE
イメージ画像です。産経新聞2026/1/307:00昭和天皇の長女で、昭和36(1961)年に、35歳の若さで亡くなった東久邇成子(ひがしくにしげこ)さんは大正14(1925)年12月6日生まれ。生誕から100年、令和8年は没後65年を迎える。皇女として育ち、皇族の東久邇宮家に嫁ぐも皇籍離脱で市井の主婦となった成子さんは、戦後の混乱期にやりくりしながら子育てをする暮らしぶりを雑誌に寄稿するなど、当時の皇室と国民の〝架け橋〟となった。「国民の中へ」という姿勢は令和の皇室に