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大中恩生誕100年記念コンサートに向けてグルッポヴィーヴォ代表春日保人氏が来熊大中恩生誕100年記念コンサート2024/5/19(日)15:00開演チケット3000円熊本市健軍文化ホール
2024.4.28(日)こんにちは、MIKAKOです。早稲田大学構内で開催されている早稲田大学演劇博物館2024年度春季企画展「生誕100年越路吹雪衣装展」へ。貴重な衣装やアクセサリーそして雑誌やプログラム資料映像などとても充実した内容で越路吹雪さんの魅力満載な展示でした♡皆様にとってハッピーなことがたくさん起こりますように☆彡
西本幸雄1920年4月25日~2011年11月25日和歌山県和歌山市出身左投左打1961年11月に阪急ブレーブス一軍コーチに就任し、1962年11月に監督に就任した。阪急ブレーブスは戦前からある老舗球団だが、成績は南海、西鉄、毎日と下位の東映、近鉄に挟まれ強くも弱くもなく、灰色の球団ともいわれた。そんなチームを大毎時代と同じように鍛えに鍛えた。「打てるチーム」を目指し、当てるバッティングではなく振り切るバッティングを提唱し、福本豊のような小柄な選手にも「振り切れ!」と
西本幸雄1920年4月25日~2011年11月25日和歌山県和歌山市出身左投左打野球で名門だった旧制和歌山中学に入学。1938年に立教大学へ進学その頃は監督が就任しておらず、西本が監督のような役目でチームを牽引した。学徒出陣で戦場へ行き、復員後、社会人野球部を転々としながら星野組に移籍し、1949年監督兼一塁手として第20回都市対抗野球に出場し優勝した。当初星野組は、プロ野球に参入しようとしたが業績悪化のため断念。そこに参入が決定していた。そして、毎日新聞社
今年は日本映画史に多大な足跡を残された名女優「高峰秀子」さんの生誕100年の記念の年になります。それに関連して、様々なイベントや特集上映が各地で開催されています。僕も時間があれば高峰さんが主演された作品を観返しているのですが、今日は1961年度「芸術祭参加作品」で1962年、第34回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた木下恵介監督の『永遠の人』を久しぶりに再鑑賞したので感想を書いておこうと思います。『永遠の人』1961年松竹作品《スタッフ》◎監督・脚本・製作:木下惠介
最近雨が多いですね。すっきりとした初夏の空が続くといいなあさて、今年は安部公房生誕100年です。本屋では数多くの作品が平積みされていますね。そのうちの「砂の女」を読みましたサスペンスのようであり、心の表面がザラザラする感覚もあり。早く読み終えなければ落ち着かない状態。独特の奇怪な世界観にしばし飲み込まれていくようでした。
テレビスペシャル「鬼平犯科帳本所・桜屋敷」(90秒予告)時代小説の大家・池波正太郎の三大シリーズの一つとして知られ、累計発行部数3,000万部を超える大ベストセラー時代小説『鬼平犯科帳』松本幸四郎を主演に迎え、“新たな鬼平”ついに始動!池波正太郎生誕100年企画テレビスペシャル「鬼平犯科帳本所・桜屋敷」【放送情報】時代劇専門チャンネルにて2024年1月8日(月・祝)...youtu.be『鬼平犯科帳』SEASON1公式ポータルサイト|池波正太郎生誕100年企画(onihei-hank
こんにちは、よしおです。映画音楽の巨匠、ヘンリー・マンシーニ。今年2024年が生誕100年にして没後70年の年です。ヘンリー・マンシーニ。1924年4月16日、オハイオ州クリーヴランド生まれ。イタリア系アメリカ人で、出生時の名前は、エンリコ・二コラ・マンチーニ(EnricoNicolaMancini)今年は生誕100年で、つい先日100歳の誕生日でした。亡くなったのが1994年6月14日にビバリーヒルズの自宅で死去。享年70歳。だから今年が没後30年の年でもあり
ちょっと前ですが12日高峰秀子さんが出演している「阿片戰爭」見て来ました。高峰秀子さんがこの映画に出演しているのを知ってずっと見たいと思っていました。阿片戦争。清朝末期阿片を禁止する清朝の法律を無視してイギリスが阿片の密輸入を続けたため結局戦争になりました。この時イギリスに対抗した官僚が林則徐です。戦争はイギリスが勝ち責任を取らされた林則徐は左遷されましたが、今尚民族の英雄です。「なんで阿片戦争で高峰秀子なの」
渋谷には仕事でよく行くが、常に大混雑しているハチ公付近は避けている。それでも先日、スクランブル交差点を渡るため仕方なく付近を通ったところ、妙な行列ができていることに気づいた。しかも外国人ばかりだ。興味本位で見に行ったら、ハチ公と記念写真を撮るために並んでいたのだ。そんなに有名になっているとは知らなんだ。いつの間にって感じ…。平日の午後2時のことだ。何十メートルも繋がっている。昨年11月に生誕100年を迎えて話題になったからかな?それにしても東京観光に来てい
2024.4.20(土)こんにちは、MIKAKOです。午前中から群馬県渋川市にある日本シャンソン館へ。14時からMIKAKOライブでした♪お忙しい中多くのお客様にお越し頂き感謝しております☆彡お越し下さいました皆様どうもありがとうございました!!素敵なピアニストは日野香織さん♪【曲目】1百万本のバラ2私のピアノ3そして葉桜のとき4無造作紳士(ラクワボニスト)5明日はきっといい日(手話付き)6ラストダンスは私に7愛しかない時岡ご夫妻様と☆彡
2024.4.19(金)こんにちは、MIKAKOです。初夏の陽気に。明日の日本シャンソン館でのライブ頑張ります☆彡ご都合がよろしければぜひお越しくださいませ☆20日(土)群馬県渋川市日本シャンソン館開演14:00料金¥1,000(入館料別)*ご予約はお電話にてTEL0279−24−8686皆様にとってハッピーなことがたくさん起こりますように☆彡
「バーンスタイン生誕100年に寄せて」記事シリーズの再掲載も、今日が最後=vol.11となります。ジョン・F・ケネディ・センターのオープニングのために作曲された大作=「ミサ/MASS」をご紹介します。オーケストラのみならずジャズバンド等も動員されて、合唱と少年合唱、そしてダンスも登場するという、総合的なシアターピースとなっています。あまりに大きな編成を必要とする作品であるため、演奏される機会は少ないのですが、是非一度は聴いていただきたい作品です。私の仕事場のライブ
いつもの週末の朝ペン書きからスタート好天だし、新緑の季節でもあるので今日の万年筆の色はライムグリーン、ブルーそして締めはいつもの黒インクの万年筆内容は作家吉行淳之介の生誕100年に因んだもの彼の著作は読んだことはないそしてイチジクの生長をチェック昨年11月11日に苗木屋で買ったイチジクの木冬の間は全く動きがなくて枯れてしまったのか心配していたが一週間前に突如新芽を見つけ毎日チェックするようになった写真は今日の葉の様子と比較したもの
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。この記事シリーズもvol.10を迎えました。バーンスタインは、1918年8月25日、マサチューセッツ州で、ウクライナ系ユダヤ移民の二世として生まれました。ハーバード大学・カーティス音楽院で研鑽を学び、指揮の分野では、ディミトリ・ミトロプーロスに刺激を受け、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴェッキーに師事し、作曲の分野では、ウォルター・ピストンに師事しました。194
2018年の「バーンスタイン生誕100年に寄せて」記事シリーズの再収録も、早いものでもうvol.9になりました。今日ご紹介する作品は、1952年に発表された歌劇「タヒチ島の騒動」です。1幕・3場からなる約45分の小オペラで、現代のある家庭の一日を描いている舞台になっています。「タヒチ島事件」とか「タヒチ島の騒動」と訳される奇妙なタイトルは、ストーリーの本筋には無関係で、家庭内に流れるニュースというパロディーです。尚、この歌劇「タヒチ島の騒動」は、後年、1983年に
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。バーンスタインは、1918年8月25日、マサチューセッツ州で、ウクライナ系ユダヤ移民の二世として生まれました。ハーバード大学・カーティス音楽院で研鑽を学び、指揮の分野では、ディミトリ・ミトロプーロスに刺激を受け、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴェッキーに師事し、作曲の分野では、ウォルター・ピストンに師事しました。1940年代から、クラシック音楽界での作曲家としては、
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。バーンスタインは、1918年8月25日、マサチューセッツ州で、ウクライナ系ユダヤ移民の二世として生まれました。ハーバード大学・カーティス音楽院で研鑽を学び、指揮の分野では、ディミトリ・ミトロプーロスに刺激を受け、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴェッキーに師事し、作曲の分野では、ウォルター・ピストンに師事しました。1940年代から、クラシック音楽界での作曲家とし
大中恩生誕100年記念コンサートに向けてグルッポヴィーヴォ代表春日保人氏の音楽稽古が行われました。
芸術新潮の安部公房生誕100年を読みつつ学生時代に読みふけった安部公房の作品に思いをはせている。アバンギャルドといって安部公房ほど突出した作家は居なかった。SF的な要素も持ち合わせていた。だからといって筒井康隆や星新一など読み広げてみたが比較対象ではなかった。筒井康隆は「時をかける少女」と「文学部唯野先生」だけで評価が十分な気もする。星新一は独特の短編が面白い。安部公房の代表作といえばやはり「箱男」だろうと思う。なぜこんなことを思いついたのだろう。
2018年の「バーンスタイン生誕100年に寄せて」記事シリーズの再掲載、今日はvol.5をアップしましょう。昨日紹介した「シンフォニックダンス」に続けて、そのミュージカル本体全体をご案内しない訳にはいきません。今日は、ミュージカル界の名作中の名作、「ウエストサイド物語」を取り上げます。ウエスト・サイド物語(WestSideStory)<iframewidth="400"height="225"src="https://www.youtube.com/embed/
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう*亡き父との思い出*かれこれ…ずいぶん昔のこと私が東京に住んでいた頃の話父が用事があって上京するので、仕事帰りに待ち合わせすることにした私が勤めていた会社は渋谷にあったので、ハチ公の銅像前で、と約束した東京に不慣れな父でも、ハチ公は知っていると言っていたので渋谷駅北口だよ、と伝えた当日、約束の時間より早目に行くことにした父は昔から時間にはきっちりしていたけど、慣れない場所で探し回るのも可哀相かなと思ったんだけ
2018年の「バーンスタイン生誕100年に寄せて」記事シリーズの再掲載、今日はvol.4をお届けしましょう。バーンスタインの活動領域は、クラシック音楽界のみならず、ブロードウエイ・ミュージカルの世界をも席巻しました。特に、1957年に発表された「ウエストサイド物語」は、ブロードウエイに留まらず世界中で大ヒットとなり、映画化もされた名作中の名作となりました。そのミュージカルナンバーの主要楽曲をメドレーにして切れ目無く演奏されるコンサートピースとしてウエストサイドストーリ
こんばんは。突然ですが、こちら東京タワー。上ったわけではなく、特別展を見るために、もう何十年ぶりかで訪れました。2010年に亡くなられた俳優高峰秀子さんの生誕100年を記念した展覧会「逆境を乗り越えた大女優高峰秀子の美学東京タワー大特別展」です。(5月6日まで開催)昨年のミキモトホールでの展示品に加え、今回は出演映画の台本やポスター類が多く展示されていました。ご自宅のリビング・ダイニングの様子が再現されている他、実際に使っておられた調
東京タワーでのイベントへ出掛けました。高峰秀子さん意外と見る機会の無かった女優さん林芙美子原作「浮雲」逆境を乗り越えた大女優「高峰秀子の美学」生誕100年私たちは高峰秀子さんが好きです。緒名人の名前が凄いですね。高峰秀子さんの作品はあまり見ていないけど何となく人柄に引かれ見に行きたいと思って出掛けました。先日アップした笠置シズ子さんの芝居「銀座カンカン娘」でも共演されてたのですね。エノケンさんの姿も見たかったなぁ~。私が拝見したのは壊疽で片足を無くし義足を付けて
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。バーンスタイン生誕100年シリーズ記事の第3回、今日は交響曲第3番「カディッシュ」を紹介します。交響曲第1番「エレミア」で、自分自身がユダヤ人の血を引く人間であることを痛切に吐露したバーンスタインは、この第3番でもその延長上の創作を展開しています。タイトルの"カディッシュ"は、ユダヤ人にとって深く重要な言葉で、"祈り"に類した意味を持っているそうです。演奏編成には、語り
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。バーンスタインは、1918年8月25日、マサチューセッツ州で、ウクライナ系ユダヤ移民の二世として生まれました。ハーバード大学・カーティス音楽院で研鑽を学び、指揮の分野ではディミトリ・ミトロプーロスに刺激を受け、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴェッキーに師事し、作曲の分野では、ウォルター・ピストンに師事しました。1940年代から、クラシック音楽界での作曲家としては、
2018年は、アメリカが生んだ天才的音楽家、レナード・バーンスタインの生誕100年にあたりました。バーンスタインは、1918年8月25日、マサチューセッツ州で、ウクライナ系ユダヤ移民の二世として生まれました。ハーバード大学・カーティス音楽院で研鑽を学び、指揮の分野ではディミトリ・ミトロプーロスに刺激を受け、フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴェッキーに師事し、作曲の分野ではウォルター・ピストンに師事しました。1940年代から、クラシック音楽界での作曲家としては、交響
3月23日、古関裕而記念館を見学です。古関メロディが生まれた書斎古関裕而が作曲に使った書斎を再現してます。この書斎で5000曲もの曲が作曲されました。古関裕而生誕100年を記念して作られたモニュメントの原型2009年8月11日、の生誕100年を迎え、功績をために福島駅東口駅前広場に設置されましたが、そのモニュメントの原型愛用したモハンドオルガン昭和22年からNHKの放送音楽で使用されたオルガン古関裕而先生像と、野球殿堂入り