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義母は写真を所構わず撮る。相手に「撮るよ」とも言わず、スマホを向けてくる。夫が家を出てから数時間経った頃だろうか。義母から大量の写真がLINEに送られてきた。義祖母宅前でにこやかに写る夫。義父と共に写る夫。仏壇に手を合わせる夫。誰かに撮らせたのであろう、義母と並ぶお坊ちゃまのような夫は秀作としか言いようが無いほどマザコン感を醸し出していた。30を過ぎた既婚者の男が、母親によりそい喪服姿で晴れやかに笑っている姿は滑稽を通り越し不気味だった。写真集のように様々な角度の「溺愛
天中殺同士の人間関係「申酉天中殺」申酉天中殺は、働き方や社会的な立場において初代的であり、精神界においては「二代目」的な要素が強く、常に先祖や両親の存在を意識して進むのです。そのために両親健在の状態であれば、同居を考えたり常に背負うことを考えるようになります。元来、申酉天中殺の人は、大家族で生活することに苦痛を感じないところがあり、身強、身弱に関係なく、大勢の中で自分の世界を形成することができるのです。両親との間において、性格的な不一致があったとしても、親は親として
朝イチでゴルフ自主練。9月になってラウンドにいく人が増えたのか、ブースはいっぱい!私がブンブンとバットを振り回していたら後ろのブースのおじさんに怪訝な顔でみられてしまいました😂ドライバーは距離もさることながら、まっすぐ且つDrawの球種で打つことをテーマに頑張りました。バットブンブンの効果があって、飛距離が伸びています😍帰りに川の上にできているオープンスペースでバットはないけど、クラブをブンブン振りました。ヘッドが傷つかないようにグリップ側を下にして振りました。速いスピードがでると
少年山荘って、なんなのか、最初、存じませんでした。夢二の生家の拝観料を支払った際に、「このチケットで、夢二の作品を展示している少年山荘にも入れます」と言われ、夢二の作品があるのなら、と行ってみました。夢二の生家と少年山荘は、歩いてすぐの立地です。ここから入るようですが、”少年の家”のような施設かと思っていました。少年山荘とは、生前の夢二が、東京の世田谷に自身で設計したアトリエ兼住居に、夢二自身が名づけた名前のようです。その世田谷にあった少年山荘は夢二の没後、取り壊されたそうです
☆保田與重郞生家奈良県桜井市桜井(詳細住所不明、琴平神社「桜井778」から南へ30mほど)(P無し、駅前コインP利用)※現在も一族の方がお住まいされておられるので要配慮桜井市「桜井」の北東部、かつての「伊勢街道」より少し北側。ここに保田與重郞の生家があります。保田與重郞については→こちらの記事にて場所柄、そして間口もかなり広く、なかなかの名家にお生まれだったのではないかと思います。現在も一族の方がお住まいになられています。ベンチまで設けて頂き、大変に有難いことです。等彌神
横綱2人を出した福島町千代の富士の生家を尋ねて来ましたもう誰も住んでません玄関には富士山福島町は青函トンネル北海道側の入口吉岡海底トンネルの入口がある町です温泉の建物もトンネルを模しているようです脱衣場地元かぁさんがバッリバッリの方言で話しておりました