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前回の移植外来受診から6週間経ちました診察室に入ってドクターに「体調はどうですか?変わりありますか?」と…。🐷「あります‼️」👨🏻⚕️「あるんですか⁉️」🐷「体重が爆上がりしました‼️」👨🏻⚕️「…。(一瞬で顔付き変わる)」👨🏻⚕️「そんなに増えたんですか?前回から2kgですね😤」🐷「先月からスポーツジムに通ってるんです‼️」👨🏻⚕️「筋肉が増えたってことですか!?」🐷「体脂肪率はかなり落ちて筋肉量が相当増えましたね!」👨🏻⚕️「ジムで何やってるんですか?」🐷「歩
〈Fー5最後の賭け〉「奥さんの肝臓の、主要な管である、胆管と門脈が、二つとも、二本に分かれているので、二本を一本にして移植する、それを、2カ所で行う必要があります」「人体の臓器は、取り出した瞬間から、劣化していきます。もちろん、冷却しながら進めますが、時間の勝負となります」「普通より、長時間の手術となり、当然、成功率も下がります。と言っても、50%以下なら、移植はしません。私たちの移植成功率は、80%ですが、今回は、それより下がります」「現在
万波先生は、最後まで、「医療現場で腎移植に関わっていたい」と、強く願っていたそうです。そう言えば…亡くなる一か月半前の8月の終わりに、夫が電話で万波先生に、「いつ頃、赤穂の病院に行かれますか」と、尋ねると、「9月から診察しますから、来てください」との、いつも通りの応え。先生の手術後の元気なお声を聞き、私たちもホッとして、赤穂までの交通ルートや列車時刻を調べ、準備万端、整っていたのですが…その直後の院内感染で、状況は、激変してしまいました。そんな万波先
〈Fー4最後の賭け〉「奥さんをドナーにして、やりましょう。それが一番、現実的です。急いで書類を作って、倫理委員会を通し、スケジュール調整をします」ついに、移植主治医が、重い決断をしてくれたのです。「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」夫の命を救うための、鉄の扉が開いた瞬間でした。その時、主治医が、「奥さんが、あんまり言うから…」と、ボソッとつぶやいたのです。私の必死の食い下がりがなければ、と思うと、怖いもの知らずの、
実兄の嫁、私の義姉が良くない病で数年闘病中です。先月、通院日に検査データが悪く、そのまま入院となってしまいました。そして先日、実兄は主治医から呼ばれ、終末期であることを宣告されてしまいました。実兄が生体腎移植に反対したことを機に、義姉とも音信不通になっていた私です。緩和病院へ転院するように主治医から言われたらしいですが、本人の希望で自宅療養になりました。退院を前に義姉に会いに行こうと決心しました。なぜなら義姉は私が勤める病院に入院しているんです。そして昨日、仕事帰りに会ってきました
驚愕の足地蔵尊…『百聞は一見に如かず』ですので、皆さんも、ご覧になって下さい。そして、誰もが感じる、「なぜ、こんなお地蔵さんが?」に関しては、説明板も載せておきますので、お読みになって頂ければ、「なぜ?」も、解消するのではと、思います。この足地蔵尊、知る人ぞ知る存在らしく、傍らには、たくさんの絵馬が、吊り下がっています。「股関節痛が良くなりますように」「父が歩けるようになりますように」「足のケガが治りますように」等々足に特化したお地蔵様ならではの、祈願内
〈Fー6最後の賭け〉「メリットは、二つ。お二人の血液型が、同じA型だということ。もう一つは、再発の可能性は、0%だということです」「先生、移植が成功したら、主人は、元通りの生活が送れるのですか?」「それはもう、激変します。夢のような再生が起きます」『夢のような再生』…この言葉が、以後、移植に挑む私の、エネルギー源となったのです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この10日余りのドタバタ劇で、医師と向き合った私が、感じたことが、三
「ああ、これこそが、失ってみて初めて健康の有り難さが分かるっていうことなんだなあ」…そう、しみじみと感じました。私が、2度のドナー体験で得た、最大の収穫だったのかもしれません。10年前(2014年)の私は、とにかく必死でした。その必死さは、「なんとしてでも、夫の命を救いたい!」という、執念にも似ていたので、断られても断られても、諦めずに、食い下がり続けました。そんな10年前の、なりふり構わなかった自分を、今はなんだか、「いじらしい」と感じています。明
〈Fー2最後の賭け〉「えっ、本当ですか?いえ、今までも、これからも、10代のドナーを、許可するつもりはありません。そのホームページの内容も、知りません」「でも、臓器移植年齢は16歳以上と、移植学会の規定にはあります」「もし、それを許してしまったら、うちの病院に、ドナーが殺到するかもしれないし、17歳のドナーを認めるか否かは、我々の手を離れて、法医学の領域になり、そこでの検討議題に、上げてもらう必要がある。時間がかかるだけです。とても間に合いません」
〈Aー4はじめに〉それでも、退院後は、日々の外出歩行訓練で、体力をつけ、肝移植から、1年4カ月後、今度は、生体腎移植を受け、人工透析からの離脱を果たしました。その生体腎移植から一年後、夫の社会復帰が、可能になり、再就職活動を開始。58歳という年齢でしたが、それまでのキャリアが評価され、フルタイムで、勤務することになりました。新たな仕事人生がスタートしてから、三年が過ぎた現在、元気に出勤する夫のスーツ姿を見て、「一級の身体障害者手帳」所持者だと、気
ドナー(臓器提供者)という存在は、本当に不思議な立ち位置のままで、手術を受け、入院生活を送ることになります。身体的には、メスが入り、臓器を切り取られたり、摘出される訳ですから、当然、痛みはありますし、カテーテルやドレーンといった、さまざまな管も挿入され、まさに「病人」そのものです。ですが、元々ドナーは健康体なので、時間の経過とともに、健康を取り戻すことは、半ば、保証されています。その上、手術後の身体の痛みはあるけれども、それと引き換えに、大切な家
大地震後、初めて、断水が解消した家庭の映像で、特に印象に残っているのは、おばあさんが、水道の蛇口に向かって、手を合わせて、お礼を言っていた姿です。…もともと、信心深い方なのでしょうが、水の有り難さ、それも、蛇口をひねればいつでも水が出てくる有難さが、身に染みた末の、「水道の蛇口への礼拝」だったのでしょう。蛇口に向かって手を合わせる、おばあさんの謙虚な姿を見て、ハッと気付かされることが、ありました。~失ってみて初めてその有り難さが分かる~その最たるものが
〈Cー3腹水を抜く〉「ご主人のこの症状は、肝硬変の末期で、いつ、肝不全が起こっても、不思議ではありません。明日の朝、ベッドで亡くなっているかもしれません」緊迫した口調でした。「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」この言葉は、悩んだ末でも、覚悟を決めたわけでもなく、ごく自然に、口から出た言葉でした。「いつ死んでもおかしくない」と、現状の危うさを指摘してくれた、若い熱血漢医師のお陰で、急きょ、夫の治療は、大転換を迎え
〈Aー2はじめに〉医療関係者からの、紋切り型の、極めて少ない情報の中で、「死ぬしかないのかな。諦めるしかないのかな。医者には逆らえないのかな」と、気弱になることもありました。もっと、当事者からの情報があったなら、遠回りせずに、早く命を救うことが、出来たでしょうし、当事者にしか分からない、不安や恐怖も、解消できたことでしょう。その悲痛な体験から、「私たちが、当事者として、生体臓器移植の語り部になろう」と、決断し、平成28年末に、『ダブル移植の語り部
〈Cー1腹水を抜く〉年が明けた、平成26年1月、腹水除去を、願い出ました。「腹水は、抜いても、数日ですぐまた戻るからね」と言って、勧めなかった主治医でしたが、夫が、「こんなに苦しい状態では、会社に出向くこともできない」と訴えて、了承を得ました。初日は、5,5リットルほどの腹水が抜け、妊婦のようなお腹が、ペッタンコになって、ろっ骨が、浮き出るほどでした。一年ぶりの、「腹水の無いお腹」の出現に、私たちは驚くとともに、大喜びしました。帰宅して
夕方、主治医から自宅に電話ありました。👨⚕️「転院したいんですか?あれですかね?もしかしてこの間何かありましたかね?」🐷「体重増えて怒られることは自業自得です。でも私もどうにかしなくちゃとはいつも思っています。」👨⚕️「そうですよね。とても努力されてるのでわかりますよ!」🐷「でも先生は、私がめまいで耳鼻科行っても治らないことで悩んでいて、それを話したのに先生は腎臓とは関係ないですよ!!ってキツい言い方で突っぱねましたよね?私がイレウスで他の病院に入院した時、先生は、もし何かあったらう
〈Dー4肝臓の提供条件〉翌日、長女が「話がある」と、思い詰めた顔で言うので、「何?お父さんのこと」と、訊くと、「私が、ドナーになる」と、言います。「でも、妹がドナーになるって、言ってくれているよ」と、返すと、「ううん、私がなる。私がお姉ちゃんなんだから」と、言うのです。手の中のハンカチを、ギュッと握りしめて、下を向いて…。長女は、大変な怖がりで、全てに対して、慎重な道を選択する娘でしたから、崖から飛び降りるような、決断だったと思います。長
〈Eー2不退転の覚悟〉「昨日、カンファレンス(検討会)で、話し合いましたが、今回、奥さんをドナーにして、移植を行うのはやめよう、という、結論になりました。不可能ではないんですよ。ただ、危険が多いので、見送らせてもらいます」予想外の、断りの電話でしたが、私は妙に、落ち着いていました。春のお彼岸の、やわらかな日差しが、電話台のところまで届いていた光景が、忘れられません。茫然とした時間を経て、子どもたちに、移植を断られた旨の連絡をしつつ、病院側に、
〈Dー1肝臓の提供条件〉夫に、振戦という、危険なサインが出たこともあり、急きょ、面会の予約が取れました。もはや、座っていることもできなくなった夫を、タクシーの後部座席に、横たわらせ、都内の大学病院へと、向かいました。二時間後に到着した時、目に入った、正面玄関横の、大きな桜の木は、今まさに、花開こうとしていました。初めて出会った、移植責任者で40代後半のS医師は、ストレッチャーに横たわっている夫と私に向かって、肝移植の説明を、始めました。「ご主
…こんな経緯で、2016年12月に始めた、「ダブル移植の語り部」ブログ。本編は、2年3か月にも及び、(というとカッコよく聞こえますが、実際は、単にダラダラ書いただけ…)最後は、すっかり元気になり、会社勤めも難なくこなせるようになった、夫とともに、高知県に〈だるま夕日〉を見に行く、という最終章『だるま夕日』で、幕を閉じました。その後も、続編として、「どなドナDONOR」と銘打った、地味なブログを、書き続けていたところ、えひめ移植者の会会長の、野村さんから
〈Eー3不退転の覚悟〉時間が切迫する中、私たち家族と、S医師との、再面談が、行われました。面談室に入ると、「娘たちが、ドナーになりたいと、志願しています。何とか早急に、ドナー検査を、お願いできないでしょうか」と、私が切り出しました。そこで急きょ、私が受けた検査と同様の検査が、二人の娘に対して、行われることになりました。面談室を出るとき、ストレッチャーに横たわる、夫の目からは、涙が流れていました。記録係の若いT医師が、「お幸せですね」と、
腹水が、どんどんたまってくると、心肺まで圧迫されるらしく、夫は「心臓が苦しい」と、言うようになりました。慌てて病院に行って、座っているのも困難な夫を待たせて、やっとのことで、心臓のレントゲン撮影をしてもらっても、「心臓には、何の異常もありません。ですので、出せる薬はありません」と、医師から淡々とした口調で、告げられるだけ…二人でトボトボと帰宅するも、症状が好転するわけもなく、夫はますます、横になっているだけの毎日を、過ごすようになりました。『難治性
〈Dー3肝臓の提供条件〉直感で、「この35%ルールが、唯一最大のハードルだな」と、思いました。迷うことなく、至急の検査を、要望したため、すぐに、私のドナー検査が行われ、レシピエントの夫も、三日後に転院することが、その場で決まりました。帰宅して、子どもたちに、35%ルールの話をしました。すると、次女は、「お母さんが、駄目だったら、私がドナーになる。肝臓を切っても、子どもだって産めるし、それで、お父さんの命が助かるのなら、恩返しができる」と、迷
〈Dー2肝臓の提供条件〉次に、生体肝移植の説明では、医学書に載っている、ドナー条件に加え、以下のような、驚くべき高いハードルが、示されました。「生体肝移植では、過去に、ドナーの方がお一人、亡くなられています。肝臓を、切り取り過ぎたのではないか、という反省に立って、厳格な基準が、作られました」「肝臓は、右葉と左葉に分かれていて、大人が子どもに、肝臓を提供するケースでは、三分の一の大きさの左葉を、提供すればよいのですが、大人から大人、中でも、
〈Eー1不退転の覚悟〉春分の日の夕方、一本の電話が、入りました。移植手術主任の、S医師からでした。「実は今日は、先日のエコー検査で分かったことを、お話しするために、お電話しました」「奥さんの肝臓そのものには、何の異常も無いのですが、肝臓から出ている大きな管、胆管と門脈が、奥さんの場合、一本ではなく、二本に分かれているのです」「体には、何の不都合もありませんが、それを移植するとなると、話は別です。大部分の方の胆管と門脈は、一本ですから、一本の
知らぬが仏、とはこのこと!…「ズボンがきつくなった→中年太り」という解釈で、新しいズボンを購入した私でしたが、実は、その時同時に、「この頃、食事量が、明らかに減っているのに、どうして太るんだろう?」という、素朴な疑問もありました。その「?」を夫に向けると、「水太りじゃないの?オレは水を飲んでも太るタイプだから」とかなんとか言うものですから、素直な(!)私は、その答えに納得し、『水太り』という判定で、ズボンキツキツ現象を、処理していました。…実は、既にこ
〈Fー1最後の賭け〉いよいよ、追い詰められた私は、主治医がいる消化器外科に、電話をして、「もう一度、面談をお願いしたい」と、申し出ました。決定権があると思われる、S医師との三回目の面談で、S医師は、「どのようなお話でしょうか」と、私に、話を促しました。「息子は、未成年なのですが、当初から『ドナーになる』と、言っています。息子に、ドナー検査を、していただけませんか?」「20歳未満は駄目です。息子さんは、おいくつですか。17歳では駄目です。認めら
若き主治医の、緊迫しつつも、きっぱりとした口調は、夫の命が、危険水域に入ったことを示していました。「明日の朝、亡くなっているかも…」という言葉を聞いた私は、とっさに、「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」と、言ったのですが、このドナー志願の申し出によって、事態は急きょ、動き始めました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私たち夫婦は、10年前の2014年と2015年に、2度、臓器移植手術を受けていますが、私たちが辿った、激
〈Aー3はじめに〉早いもので、夫が55歳の時に、「肝硬変非代償期」と診断され、入院してから、6年が過ぎました。その後、肝硬変の恐ろしさと闘いながら、ぎりぎりのタイミングで、生体肝移植に漕ぎつけ、15時間半に及ぶ手術が、成功しました。けれども、肝移植の成功を喜んだのも束の間、夫は、病院内での細菌感染から、敗血症を起こし、再び「生死五分五分」の、危険な状況下に、戻ってしまいました。急激な腎機能低下(急性腎不全)により、人工透析が必要となり、シャ
生まれて初めて見た、この黒い中華饅頭は、衝撃的過ぎて、今でも、そしてこれからも、忘れることは出来ません。そんな(腹水過多による)おヘソ周りの異常のことなんて、どの肝臓病の本にも、出ていませんでしたから、夫特有の変化なのかと思っていたら、肝臓の専門医は、「この出っ張った部分が、服に触れると痛いですから、腹巻を買って、保護してください」と、慣れた様子で、事もなげにいうのです。慌てて、腹巻を買いに走り、おヘソの黒い中華饅頭を、守って(!)あげました。そ